夏休み明け。
我がクラスに転校生がやって来るという噂を聞いた。ホームルーム前の教室は、その話題で持ち切りだ。
男か女かすらわからない状況にもかかわらず、盛り上がるクラスメイトたち。男子は可愛い子を、女子はイケメンを望む声が多い。
ざわついていた教室は、ガラガラと戸を開く音によって静まり返った。担任の先生だ。お決まりの挨拶を交わすと、早々に切り出した。
「今日からこのクラスに仲間が加わります。みんなで温かく迎えましょう。じゃ、どうぞ入って」
キュッ
上靴の音を響かせながら入ってきた人物の顔を見て、私はびっくり仰天した。
「はじめまして。〇〇中学から来ました、藤江 海です。よろしくお願いします」
人当たりのいいニコニコ笑顔で挨拶したイケメン、藤江くんは、瞬く間にクラスの人気を独占した。
「岡野くん、ちょっといい?」
昼休み、藤江くんが話しかけてきた。
「うん、何?」
「昼は何して過ごすの?」
「図書室にでも行こうかと」
「いいね。一緒に行ってもいいかな?」
「いいよ」
さっきまでクラスメイトたちに囲まれて楽しそうに会話していたのに、なぜわざわざ私のところにやってきたのだろう。みんなでワイワイやりたいタイプじゃないのかな。
図書室では私の隣で静かに本を読んでいた藤江くん。やはり本来は物静かなタイプなのかも。
部活の時間になると、彼はまた私について部室に訪れた。同じ水泳部だからわからなくはないが、他の部員とすぐに打ち解ける姿を見ていると、やはり活発なタイプに思えて不思議だった。
間近で見る彼の泳ぎはやはり素晴らしい。颯人先輩に勝るとも劣らない美しいフォームだ。顧問の先生も太鼓判を押すほどで、我々1年生は彼を手本にして指導を受けた。
「嗣永先輩!」
部活終わり、藤江くんが颯人先輩に話しかけていた。
「どうも、藤江です。大会ぶりですね」
「ああ、ウチに来るとは驚いた」
「あはは、家庭の事情で。でも僕的にはラッキーですよ。これからあの素晴らしい先輩の泳ぎを間近で見られるんですから」
「よく言うぜ、たった0.3秒差だろ」
「いえいえ、それを縮めるのがどれだけ大変か」
もしかしたらライバルとしてバチバチするんじゃないかと心配していたが、杞憂だったようだ。私は内心ホッとしていた。
藤江くんがすっかり学校に馴染んだ頃、それは起こった。
「あれ?」
「岡野、どうかした?」
私が発した声にすぐさま反応をくれる部員。
「ここにつけてたキーホルダーがないんだ」
「ああ、あのライオンのやつ? その辺落ちてないの」
一緒になって辺りを見回すも、塵ひとつ見当たらない。
鞄の中も机の中も、制服のポケットまで探したが、見つからなかった。
「どうしよう……」
動揺する私を見て、あれが大切なものなのだと察した部員は、落とし物ボックスを見に行ってみたらいいかもと進言してくれた。
ところが落とし物ボックスの中にもライオンのキーホルダーはなかった。
最後の頼みの綱が空振りに終わり、私は本格的に焦り出した。あれは先生と動物園に行って買った、おそろいのキーホルダーなのに。
私があまりに暗い面持ちで帰宅したためか、父にひどく心配されてしまった。
外であのキーホルダーを出したことはないから、校外に落ちているはずはないと思いつつ、念の為足元に注意して歩いて来た。けれどもついぞ見つからなかったのだ。
一生大事にすると心に誓っていた。にもかかわらず、買って間もなく失くしてしまった。先生に何て言おう。
先生はきっと怒りもせず、また買いに行きましょうと励ましてくれる。でもそれは私の望む未来ではない。同じ店に行けば同じ商品は手に入るだろう。だがそれは失くしたキーホルダーと同じとはいえない。
あれは世界に一つだけしか存在しない、完璧で究極の宝物なのだ。
テーマ「世界に一つだけ」
夏休み真っ只中。水泳部には大切なイベントがある。全国の中学生が競い合う大きな大会だ。
3年の先輩たちは特に気合いが入っていて、3年間の中学生活に有終の美を飾ろうとしていた。
私は残念ながら標準記録を突破できなかったために出場選手にはなれなかった。他の多くの部員もそうだ。しかし、颯人先輩は当然のように選ばれた。
今回の出場メンバーは、3年生2人に2年生1人、1年生1人。いずれも部活の他にスイミングスクールに通って鍛えている部員だ。
観戦は自由と言われたが、私と先生は颯人先輩のためにも参加することにした。
大会が始まり、全国の選ばれし者たちが華麗な泳ぎを見せる。もともとは水泳にあまり興味のなかった私だが、今や水泳部の一員として多少の知識があるわけで。彼らの美しいフォームや雄々しい泳法に興奮を隠せないでいた。
「うわあ、あの選手すごい! すごい速い!」
「本当ですね」
「あ、あの人は息継ぎが少ない! 肺活量すごい!」
「みなさん相当練習を積んできたんでしょうね」
「わ、あの人イケメン! 筋肉すごい!」
「……」
私がひたすら盛り上がっていると、先生がふと沈黙した。少々騒ぎすぎただろうか。気になって先生のほうを見ると、見た事のない表情で私を見下ろしていた。
「せ、先生?」
恐る恐る首を傾げる。
「駄目ですよ、煌時くん」
「へ?」
「あまり他の男に夢中になっては、駄目ですよ」
口元は笑んでいる。けれど目は笑っていない。冷たい瞳。細まったその奥に、赤々と燃える炎を見た気がした。
「ひゃい……」
思わず変な声で返事をする。狭い客席では、胸の鼓動が先生に伝わってしまう。慌てて手で抑えると、横から伸びてきた先生の手が優しく包み込んだ。
「どうしました? 具合いでも悪いのですか」
先生は極希に意地悪だ。でもその意地悪が嫌いじゃない私がいる。臍の下に先生と同じ炎がともったような感覚がして、私は赤面した。
そんな中、大会は続いていく。上手い選手ばかりだが、別格だなと思わせる選手が2人いた。颯人先輩と、他校のエース・藤江海だ。
藤江選手はなんと1年生。初出場ながら、圧倒的なスピードと整った容姿で見る者全てを魅了した。決勝は当然、颯人先輩との一騎打ち状態となった。
わぁぁぁ
うおおお
大歓声の中、一直線にゴールを目指す選手たち。結果は……
0.3秒差で、颯人先輩の勝ちだった。
観客の反応からして、正直、藤江選手を応援していた者のほうが多かったと思われる。私と先生は颯人先輩の気持ちを思うといたたまれなくなってしまった。
だがプライドの高い先輩のことだ、変に気を遣うと怒らせてしまいそうだ。私たちは単純に、めいっぱい祝福するにとどめた。
テーマ「胸の鼓動」
「せんせぇ! はやくはやく!」
「走ると危ないですよ」
そう言いつつ、先生は駆け足で追いかけてきてくれた。そんな小さな行動が嬉しくてたまらない。待ちに待ったデートだから、テンションが上がりすぎているのだろうか。
私たちは今、動物園に来ている。おうちデートもいいけど、思い出の品を作るにはやはり外がいいだろう。
入園して最初に目に入るのはホッキョクグマエリアだ。階段を登り、上から見物する。2頭はそれぞれ陸でウロウロしたり、プールで泳いだりしていた。
「シロクマさーーん!!」
隣で見ていた5〜6歳くらいの女の子が叫んで手を振った。お父さんらしき人が微笑ましく見守っている。
「小さい頃を思い出します。私も父と来て、あんな風に手を振ってました」
「素敵な思い出ですね」
「私たちも作りましょう。行きますよ!」
私は先生の手を引いた。
猿、キリン、カバ、ゾウ……いろんな動物たちと相見える。ライオンの檻の前では写真を撮った。
実は小1の時、同じく父と写真に写った。でもその時の私は泣き顔。なぜなら百獣の王ライオンに背中を見せたら、襲われるのではないかと怖かったから。
今では笑い話だが、当時は号泣するほど怖かった。
帰ったら父にこの話をして、写真を見せよう。きっと成長したなと褒めてくれるだろう。
この動物園にはアトラクションもある。ランチの後はそこで遊ぶと決めていた。コーヒカップ、空中ブランコ、バイキング。小1の時は身長制限で乗れなかったものもあった。私は先生の手を握って楽しんだ。
池のほとりを散歩していると、対岸をスケッチしているおじさんに出会った。見せてもらったが非常に上手い。プロなのかと思ったが、本人はただの趣味だと言っていた。
「そろそろ時間ですよ」
おじさんとの会話に花を咲かせていると、先生が遠慮がちにそう言った。私はおじさんにお礼を言って、先生とギフトショップへ向かった。
「わー、いっぱいある。先生、どれがいいですか?」
「君の好きなものがいいですね」
どうせなら動物モチーフのものがいい。ハンカチか、シャーペンか、マグカップか……手ぬぐいや、がま口財布なんかもある。
「あ、これはどうですか」
迷いまくって決められない私を見かねたのか、先生がひとつ指差した。
「ライオンのキーホルダー?」
「日常使いできるもので、長持ちするものといえばこれです」
雄々しいたてがみがお洒落なシルバーのキーホルダー。たしかにこれなら長持ちしそうだし、大人の先生が持っていても違和感がない。私にとっても、幼稚に見えないのは助かる。
「いいですね、これにしましょう!」
私の答えに、先生はニッコリと微笑んだ。
その時、閉園間近を伝える鐘が鳴った。
帰宅して、父にも買っておいたお土産を渡す。『うさぎのフンチョコレート』を見てちょっと引き攣った顔をしたが、食べると美味しかったらしく、選んでよかったと思った。
「ねぇ父さん。今日ね、ライオンと写真撮ったよ。今度は泣かなかった」
「おお、そうか。成長したな」
父はチョコレートがついたのとは反対の手で私の頭をなでた。
「もう10年か」
「うん……」
私がこの家に来てから、今年で10年になる。
テーマ「時を告げる」
「おい、ちょっと顔貸せ」
私が「先生の星になる」と宣言するより前の放課後。水泳部の練習の後、颯人先輩に呼び出された。
またいじめられるのではと危惧する同級生もいたが、最近は先輩の態度が軟化していたこともあって、大丈夫だと言ったら心配しつつも送り出してくれた。
2人きりになると先輩から切り出した。
「先生の様子が変だ」
単刀直入とはこのことか、と謎に感心してしまう私がいる。
「お前と何かあったのか?」
あったといえばあった。けど、どう説明したものか。
「これは聞いた話だが、先生はこの前の日曜日、どっかの美女とランチデートしてたらしい」
「えっ」
一瞬芽生えた嫉妬心。しかし、もうその資格はないことを思い出して必死に堪えた。
「俺らもうかうかしてられねぇな」
「えっと、私はもう……」
「なんだ、諦めたのか」
先輩の言葉がグサッと胸に刺さる。
「俺にとっては願ったり叶ったりだが、お前はそれでいいのか?」
「……」
いい……と言うべき。でも言えない。言いたくない。
私の沈黙を、先輩は肯定と受け取ったらしかった。
「あっそ。じゃあ先生の特別な星になるのは俺だな」
「星?」
「占いで言われたらしい。2つの星を失うが、1つの輝く星を手に入れるって。お前は失われる星ってことだな」
失われる星……。
なりたいわけはないのだ。でもこれ以上先生の重石になりたくないし、不安に耐えられるのかもわからない。
「なんで諦めたのかは聞かないが、」
「いえ、聞いてください!」
私が先輩の言葉を遮ると、先輩は驚いた表情をした。
「恋人って、お互いを安心させられる存在だと思うんです。でも私と先生が素直に愛情表現することは、世間的に許されませんよね。だから不安になるし、怖いんです。本当に幸せになれるのか、先生を幸せにできるのか。同世代の人と付き合ったほうが、先生にとって幸せなんじゃないかって考えちゃうんです」
私が夢中でまくし立てた台詞を反芻するように、先輩は視線を落として考えている様子だった。
少しして、ゆっくりと口を開いた。
「先生にとっての幸せが何なのかは、先生にしかわからない。だから俺やお前が悩むべき点じゃない。それを考えるのは先生の仕事だ」
なるほど……
「そう言われれば、そうですね」
「問題はお前の幸せとやらだが、ひとつ訊く。お前は何の不安もなくただ楽しいだけの関係が本当の幸せだと思ってるのか?」
「それは……」
「俺はそうは思わない。試練を乗り越えてこそ絆は強くなる。愛は深くなる。そう思う。不安や不満があるなら、話し合って解決する。それが恋人同士が進むべき道じゃないのか」
「……先輩って、恋人いたことあるんですか」
冷静に考えたら少し失礼な質問が出てしまったが、私の恋愛観がコペルニクス的転回を果たそうとしている時だ、許してほしい。
「どういう意味だよ! てか、それは今関係ねぇ。どうなんだ、先生と仲直りする気あんのか!?」
「はい。先輩のおかげで目が覚めました。ありがとうございました!」
私は走って帰ろうとして、数歩目で立ち止まり振り返った。
「でも先輩、もしも先生がすでに吹っ切ってたらどうすれば……」
「うっせーな、それくらい自分で考えろ!」
「えぇ〜、だってデートしてたんでしょ……やっぱり私なんか」
「てめぇ意外とネガティブ思考だな。俺は知らねーよ、ライバルの手助けなんか御免こうむるぜ」
先輩はそう言って頭の後ろで手を組み、立ち去ろうとした。その後ろ姿に向かって叫ぶ。
「だったらなんで、先生が変だなんて教えたんですか!?」
「うっせ。ただの香水の礼だ、ボケ」
先輩は今度こそ去って行った。
こうして私は、先生に恐る恐るLINEしたわけだ。この先輩がいなければ絶対に無理だった。
この日から先輩の存在が、私の中でほのかに煌めき始めたのだった。
テーマ「きらめき」
「どうしたの? 暗い顔して」
目の前にいるのは、3年前に別れて久々に再会した女性。復縁を断った後もしつこく食事に誘ってきたので、根負けして会うことにした。
「別に、何でもないよ」
「嘘つき〜。私に言えないことなんてないでしょ? あ、好きな人とやらに振られたとか」
なぜこうも鋭いのか、この人は。いや、単に私がわかりやすいのか。
「あら、図星? 奢ってあげるから元気出しなさい。ていうか私と付き合いなさい」
「それは無理」
「即答〜? つれないなぁ」
あっけらかんとしている彼女を見て、不思議に思う。私にしつこくしてくる割に、断られても平気な顔。好きなのか好きじゃないのか、よくわからない人だ。
「とにかく飲も!」
昔はこの明るさに支えられていたことを思い出す。どうしようもなく惹かれていた。
「君はなぜ彼氏と別れたの?」
「お、やっと本音が出たねぇ。うーん……運命的なものを感じなかったからかな」
「運命、ね。私には感じるとでも?」
「あの頃はお互い子どもだったでしょ。今なら確かめられるかなって」
「私はお試しですか」
「あはっ、試しちゃう?」
彼女が私の手を取る。ボーッとする。
「安心して、今夜とは言わないから。気が向いたらLINEして?」
彼女はそう言うと、メインディッシュを頬張りながら大学の話を始めた。
「おい頼広、お前美女とデートしてたんだって?」
声の大きい大学の同期が、勢いよく肩に手を回して尋ねてきた。周りも「え?」「マジで?」「彼女できたの?」と囃し立ててくる。まさか知り合いに見られていたとは思わなかった。
「違うよ。ただの高校の同級生」
なんだ〜とガッカリした様子で離れていく同期たち。他人の色恋より学問に励むべきだ。
「ねえ」
全員離れていったと思っていたら、ひとりだけ近づいてきた者がいた。
「ちょっと話せる? 後でいいから」
講義後、彼女は私を人通りの少ない場所へ連れて行った。
「話って?」
「高遠くん、今落ち込んでるでしょ」
私はそんなにわかりやすいか?
「引かないでほしいんだけど、私占いができるの。勝手ながらあなたを占ったら、2つの星に惑わされるって出たわ」
「へ、へぇ」
煌時くんと元カノのことだろうか。
「そしてこうも出た。2つのうち、ひとつは偽物の星。相手にするな。もうひとつは本物だけど、あなたには合わない星。静かに離れろ」
「つまり2つとも、失うってこと?」
「そうね。でも安心して、救いはある」
「救い?」
「3つめよ。今は鈍い色をしてるけど、将来燦然と輝く星。決して放すなって」
「はぁ」
また別の人と出会うのか、知り合いの誰かと付き合うという暗示か。
じゃあね、と言って彼女は去って行った。
「先生、どうかした?」
ここは嗣永家。颯人くんの指導日だ。彼にまで心配されるとは、まったく私ときたら。
「いえ、問題ありません。ただちょっと、友人から気になることを言われただけです」
「気になることって?」
「君が気にすることではありませんよ」
颯人くんは「ちぇっ」と呟いて再び机に向かった。
と思いきやすぐに振り返った。
「もしかして告られたとか?」
「颯人くん、集中してください」
「先生の気になることが気になりすぎて無理っす」
まったく……
「ただの占いですよ。どうやら2つの星を失うかわりに、1つの輝く星を得られるようです。その星が何の隠喩なのかわからなくて」
「へぇ〜。2つと1つ……」
彼は顎に手を当てて考える素振りをする。
「難しいっすね」
「でしょう? さぁ、自分の課題に戻ってください」
大人しく課題に取り組み始めた颯人くんは、指導が終わるまでもうこの話には触れなかった。
翌々日、外を歩いているとLINEの通知音が鳴った。
煌時くんからだった。
あの日以来やり取りしていなかったので驚いたが、とりあえず開いてみる。
『先生、その後どうですか』
『他の人と付き合いたくなったら、私に遠慮はいりませんからね』
どういう心境でこれを送ってきたのだろうか。
『気遣いありがとうございます』
『でもしばらくはひとりでいようと思っていますので』
『でも、女の人とランチしてたって噂聞きました』
噂とは恐ろしいものだ。いったいどこからどうやって彼にまで伝わったのか。
私は渋々、例の元カノがしつこいので根負けしたと説明した。ランチだけで、復縁するつもりはないことも、一応。
『どうして復縁しないのですか?
先生のことだから、きっと心から好きだった人なのでしょう』
『もう終わった恋ですから』
『そうですか……』
『私とのことも、すぐに忘れられそうですか』
『忘れてほしいですか?』
滞りなくきていた返信が途絶えた。どう答えるべきか、迷っているのだろう。
『残念ながら、私はかなり引きずるタイプです。彼女と別れたときも、忘れるためにどれだけ泣いたか』
『だから覚悟しておいてください。君のことも、そう簡単には忘れてあげられません』
既読がついて数秒、見慣れたポップアップ。着信音が鳴る。
『グスッ、せんせぇ……』
「はい。どうしました?」
『うっ、ぐ……せんせぇ』
「はい」
『うぅ……すき。せんせぇすき。ほかのひとと、でーとしないで……!』
「はい。もうしません」
『うぐっ、うぅ……せんせぇ。せんせぇ……』
「はい」
『あいたいです……』
「……今夜は月が綺麗ですね。窓の外を見てください」
『へ……?』
2階の窓を見上げると、閉じられたカーテンに近づく人影が見えた。その素直な性格が、たまらなく好きですよ、煌時くん。
ふわりとカーテンが開かれる。続いて、大きく見開かれた目。次の瞬間には手で口元を覆い、細めた目から煌めく雫を溢れさせた。
「せんせぇ!!」
ドタドタと階段を駆け下りてくる音がして、玄関ドアがバンッと開かれたと思うやいなや、私は愛しい人を抱きしめていた。
静かな夜だ。近所の人が驚いて顔を出さないことを願う。このひとときを、誰にも邪魔されたくなかった。
「え? 颯人くんに?」
「はい。占いの話も、教えてくれました」
ひとしきり泣いた後、ケロッとした顔でメロンパンをかじる煌時くん。私についての噂はもうひとりの教え子から得たと話してくれた。
「意外とおしゃべりなんですね、彼」
「そんなことありません。先生のことが心配で、私にだけ話してくれたのです」
まあ他の人に話したところで何のことやらですしね。
「先輩のことは置いといて、私たちの話をしましょう。私が例の、3つめの星になれるように頑張ります。燦然と輝く光を、あなたに」
そう言って私の手を取る。体中の理性を総動員しながらそっと握り返した。
「はい。私もそうなってほしいです」
「せんせぇ……」
彼は恥ずかしそうに俯いて、意を決したように顔を上げた。少々潤んだ上目遣い。
「今夜は、父が出張でいないんですけど……一緒にいてくれませんか?」
小さな灯火にすぎなかった星が、手放せないほど燦然と輝くことになる日は、もうすぐかもしれない。
テーマ「心の灯火」