「どうしたの? 暗い顔して」
目の前にいるのは、3年前に別れて久々に再会した女性。復縁を断った後もしつこく食事に誘ってきたので、根負けして会うことにした。
「別に、何でもないよ」
「嘘つき〜。私に言えないことなんてないでしょ? あ、好きな人とやらに振られたとか」
なぜこうも鋭いのか、この人は。いや、単に私がわかりやすいのか。
「あら、図星? 奢ってあげるから元気出しなさい。ていうか私と付き合いなさい」
「それは無理」
「即答〜? つれないなぁ」
あっけらかんとしている彼女を見て、不思議に思う。私にしつこくしてくる割に、断られても平気な顔。好きなのか好きじゃないのか、よくわからない人だ。
「とにかく飲も!」
昔はこの明るさに支えられていたことを思い出す。どうしようもなく惹かれていた。
「君はなぜ彼氏と別れたの?」
「お、やっと本音が出たねぇ。うーん……運命的なものを感じなかったからかな」
「運命、ね。私には感じるとでも?」
「あの頃はお互い子どもだったでしょ。今なら確かめられるかなって」
「私はお試しですか」
「あはっ、試しちゃう?」
彼女が私の手を取る。ボーッとする。
「安心して、今夜とは言わないから。気が向いたらLINEして?」
彼女はそう言うと、メインディッシュを頬張りながら大学の話を始めた。
「おい頼広、お前美女とデートしてたんだって?」
声の大きい大学の同期が、勢いよく肩に手を回して尋ねてきた。周りも「え?」「マジで?」「彼女できたの?」と囃し立ててくる。まさか知り合いに見られていたとは思わなかった。
「違うよ。ただの高校の同級生」
なんだ〜とガッカリした様子で離れていく同期たち。他人の色恋より学問に励むべきだ。
「ねえ」
全員離れていったと思っていたら、ひとりだけ近づいてきた者がいた。
「ちょっと話せる? 後でいいから」
講義後、彼女は私を人通りの少ない場所へ連れて行った。
「話って?」
「高遠くん、今落ち込んでるでしょ」
私はそんなにわかりやすいか?
「引かないでほしいんだけど、私占いができるの。勝手ながらあなたを占ったら、2つの星に惑わされるって出たわ」
「へ、へぇ」
煌時くんと元カノのことだろうか。
「そしてこうも出た。2つのうち、ひとつは偽物の星。相手にするな。もうひとつは本物だけど、あなたには合わない星。静かに離れろ」
「つまり2つとも、失うってこと?」
「そうね。でも安心して、救いはある」
「救い?」
「3つめよ。今は鈍い色をしてるけど、将来燦然と輝く星。決して放すなって」
「はぁ」
また別の人と出会うのか、知り合いの誰かと付き合うという暗示か。
じゃあね、と言って彼女は去って行った。
「先生、どうかした?」
ここは嗣永家。颯人くんの指導日だ。彼にまで心配されるとは、まったく私ときたら。
「いえ、問題ありません。ただちょっと、友人から気になることを言われただけです」
「気になることって?」
「君が気にすることではありませんよ」
颯人くんは「ちぇっ」と呟いて再び机に向かった。
と思いきやすぐに振り返った。
「もしかして告られたとか?」
「颯人くん、集中してください」
「先生の気になることが気になりすぎて無理っす」
まったく……
「ただの占いですよ。どうやら2つの星を失うかわりに、1つの輝く星を得られるようです。その星が何の隠喩なのかわからなくて」
「へぇ〜。2つと1つ……」
彼は顎に手を当てて考える素振りをする。
「難しいっすね」
「でしょう? さぁ、自分の課題に戻ってください」
大人しく課題に取り組み始めた颯人くんは、指導が終わるまでもうこの話には触れなかった。
翌々日、外を歩いているとLINEの通知音が鳴った。
煌時くんからだった。
あの日以来やり取りしていなかったので驚いたが、とりあえず開いてみる。
『先生、その後どうですか』
『他の人と付き合いたくなったら、私に遠慮はいりませんからね』
どういう心境でこれを送ってきたのだろうか。
『気遣いありがとうございます』
『でもしばらくはひとりでいようと思っていますので』
『でも、女の人とランチしてたって噂聞きました』
噂とは恐ろしいものだ。いったいどこからどうやって彼にまで伝わったのか。
私は渋々、例の元カノがしつこいので根負けしたと説明した。ランチだけで、復縁するつもりはないことも、一応。
『どうして復縁しないのですか?
先生のことだから、きっと心から好きだった人なのでしょう』
『もう終わった恋ですから』
『そうですか……』
『私とのことも、すぐに忘れられそうですか』
『忘れてほしいですか?』
滞りなくきていた返信が途絶えた。どう答えるべきか、迷っているのだろう。
『残念ながら、私はかなり引きずるタイプです。彼女と別れたときも、忘れるためにどれだけ泣いたか』
『だから覚悟しておいてください。君のことも、そう簡単には忘れてあげられません』
既読がついて数秒、見慣れたポップアップ。着信音が鳴る。
『グスッ、せんせぇ……』
「はい。どうしました?」
『うっ、ぐ……せんせぇ』
「はい」
『うぅ……すき。せんせぇすき。ほかのひとと、でーとしないで……!』
「はい。もうしません」
『うぐっ、うぅ……せんせぇ。せんせぇ……』
「はい」
『あいたいです……』
「……今夜は月が綺麗ですね。窓の外を見てください」
『へ……?』
2階の窓を見上げると、閉じられたカーテンに近づく人影が見えた。その素直な性格が、たまらなく好きですよ、煌時くん。
ふわりとカーテンが開かれる。続いて、大きく見開かれた目。次の瞬間には手で口元を覆い、細めた目から煌めく雫を溢れさせた。
「せんせぇ!!」
ドタドタと階段を駆け下りてくる音がして、玄関ドアがバンッと開かれたと思うやいなや、私は愛しい人を抱きしめていた。
静かな夜だ。近所の人が驚いて顔を出さないことを願う。このひとときを、誰にも邪魔されたくなかった。
「え? 颯人くんに?」
「はい。占いの話も、教えてくれました」
ひとしきり泣いた後、ケロッとした顔でメロンパンをかじる煌時くん。私についての噂はもうひとりの教え子から得たと話してくれた。
「意外とおしゃべりなんですね、彼」
「そんなことありません。先生のことが心配で、私にだけ話してくれたのです」
まあ他の人に話したところで何のことやらですしね。
「先輩のことは置いといて、私たちの話をしましょう。私が例の、3つめの星になれるように頑張ります。燦然と輝く光を、あなたに」
そう言って私の手を取る。体中の理性を総動員しながらそっと握り返した。
「はい。私もそうなってほしいです」
「せんせぇ……」
彼は恥ずかしそうに俯いて、意を決したように顔を上げた。少々潤んだ上目遣い。
「今夜は、父が出張でいないんですけど……一緒にいてくれませんか?」
小さな灯火にすぎなかった星が、手放せないほど燦然と輝くことになる日は、もうすぐかもしれない。
テーマ「心の灯火」
9/4/2024, 4:29:26 PM