休みを重ねて、二人揃って少し時間をかけた街の宝石展に行った。私達にとってはとても貴重なデートと言うやつで、私は、職場で会う以上にお洒落をしてこの日に臨んでいた。
それは彼も同じだったようで、何時もよりパリッと決めた服装にこちらも嬉しくなる。
宝石展は素晴らしいものだった。
二人してあれこれ静かに話しながら、解説や宝石の来歴に目を落としたりして、随分と長く会場に居座ってしまった。共に、新たな発見なんかもあって楽しかった。
けれど、私は。
どの宝石も綺麗だったけれど、磨き上げられた宝石より、売店で売っていた小さな原石のほうが気になった。
だからお土産に一つ、家へ連れて帰ろうと黄色に輝く原石を手に取ったら、彼にその手を包み込まれた。
「買うならお代は持たせて」
楽しげな彼の様子に、私は胸の高鳴りを抑えられず、お言葉に、甘えさせてもらった。
ただ私ばかり奢ってもらうのは申し訳なかったので、貴方も何か買わないの? と聞いてみる。
「僕も、そうだな。この青い石を買おうかな」
「じゃあそれは私が買うわ。買いあいっこしましょう?」
そう言ってにっこり笑ってみせると、それも楽しそうだ、と彼も破顔。
展示会のエントランスホールで、買ってもらった黄色い原石を袋から取り出して暮れかけの陽射しにかざしてみた。
この石は、数万年前から地中に眠っていたこの星の欠片だと思うと感慨深かった。
と、かざした石に、こつん、と彼が青色の原石を並べてきた。
「この石は、多少の劣化はあるかもしれないけれど、1000年先も変わらないんだろうね」
その、未来を見通したような茫洋とした彼の声と瞳に、私は、なら、と荒唐無稽なことを言ってみた。
「1000年先も本当にこのままか、見届けるってのはどうかしら?」
そんなことを言ったら、彼は一瞬呆気にとられたあと、君がそんな冗談を言うなんて、と心底可笑しそうに声を上げて笑った。
「いいよ。いいよ。
2つ並べて暗所で保管しておこう!
1000年後、本当にこのままなのか――――血筋が絶えなかったら確認できるかもしれないね」
「もう! 生まれ変わりとか、あるかもしれないじゃない」
「生まれ変わりじゃあ記憶があるかも判らないじゃないか」
「でも、私は貴方を見つけ出すわ!」
「それは僕だっておなじさ! 必ず見つけ出して、また同じ関係になってみせるよ」
そんなふうにじゃれあいながら、宝石展を後にした。
心臓の音が煩い。頬も首周りも熱くて仕方がなかった。
生まれ変わっても見つける。見つけ出してくれる。その言葉がどれだけの爆弾か。
隣の彼の耳も赤かった。
白い病室に、四季はあまり無い。寝たきりの僕は窓の外を、その青い空を眺めているだけだ。
そんな病室に飾られる季節の花が、唯一無機質な空間を彩ってくれる。
君は、忙しいだろうに毎日来てくれて、あと余命幾ばくもない僕の世話をしてくれる。
ある時君が持ってきた青い小さな花弁の切り花。
僕が綺麗だねというと、勿忘草よ、と君が答えた。
「忘れない、という花言葉があるの」
そう答えた君の瞳は痛いほど澄み切っていて、余命を縮めていくだけの僕の心に、痛みが生まれた。
「忘れていいよ」
「僕が死んだあと君は自由に生きていい」
思わず僕が呟くと――――それは僕の心からの本心だったのに、存外強い否定が返ってきた。
「いいえ。忘れない。
だから貴方も私の事忘れないで」
キレイにお化粧をした目を涙で潤ませながら君はそう言った。これから死に逝く者に対して忘れないも何もあったものじゃないと思うのだが、君は、張り詰めた顔で両手を腹の前で横向きに組んで、真剣だった。指先が、しなやかな手の関節が白く強張っている。
「私が、忘れないのは当たり前。
だから、貴方も私の事忘れないで」
その君の必死のお願いに、僕はこの人を遺して逝くんだ、というどうしようもない寂念が湧いてきて、気づけば涙を零していた。格好悪い。慌てて気だるい腕で涙を拭い、わざと明るく声を出す。
「そうだね。意識があるか分からないけど、努力はするよ」
「絶対よ」
君はそう言うと、今日初めて笑った。
僕はその笑みが、今日君が持ってきた勿忘草の儚さに似てると思った。
昔、近所のお宮にはちょっとした遊具が揃っていた。滑り台にブランコ、回転遊具。そのどれもが所々塗装の剥げた年期もの。
お宮のブランコは両端の鎖がとても長くて、台が地面に付きそうなほどで、そのままじゃ乗れないから両端の鎖を輪にして台の所に巻き付けて鎖の長さを調節しながら乗っていた。
ちょっと面倒だったのを覚えている。
でも、丁度いい高さにして乗ると楽しかった。
お宮は鬱蒼とした森の中にあったから、まるで緑の中を飛んでいるような気分になれて、私はその場所が好きだった。
けれどそれは、小さい頃の話。
小学校も高学年になりお宮に行く機会もめっきり減った頃、いつの間にかお宮の遊具は全て撤去されていた。
多分私と同じで、近所の子も大きくなって遊ぶ子が減ったからだと思う。遊具はどれも錆びついていたし、危険との判断もあったのだろう。
今はもう、記憶の中だけのブランコ。
小学校にもブランコはあったけれど、私がブランコと言って思い出すのは、この、緑生い茂るお宮の、古びた茶色いブランコだ。
海を見たら、おー、と言ってしまうのはどうしてなのだろう?
そんなことを考えながら、今、丘を登っている。
旅路の果ては海がいい。海の見える場所をゴールにしよう。そう決めて、当て所なく旅に出た。
夜通し歩き続けて、もうすぐ、夜が明ける。
「…おぉー……!」
丘を登りきった時、目の前に広がる大海原には、まさに今、朝日が生まれ出ようとしていた。
自分の研究が一段落して、記録も付け終えて。後はシャワーを浴びて寝るだけになったら。
私はカーテンの隙間から夜空を眺めることが多くなったわ。そして、夜空が晴れている時は、きっと星々を観測している貴方の事を思うの。
寒くないかしら。
自分の空腹にちゃんと気づいているかしら。
ってね。
決まって、暖かなミルクコーヒーやちょっとしたクッキーなんかを差し入れしたくなってきちゃう。
勿論空が晴れてる日は、仕事終わりに暖かな飲み物を入れたポットとちょっとしたお菓子を貴方に渡して帰っていくのだけど。
それでも、そう思ってしまうのよ。
今から貴方のおうちに行くことは到底無理なのにね。
本当は、ただ、私が心細いのかもしれない。
ただ、貴方に会いたくなっているだけかも。
願わくば、貴方も私の事を少しでも思ってくれていると、嬉しいわ。
こんな星の奇麗な夜に、貴方に届けたいものは。
それはきっと、一緒に過ごすという、かけがえのない時間。
それが届けられるまで、あと。