夕日を背に、雄大な空に突き刺さるようにして黒く切り取られている時計塔の姿は美しい。
私は、この景色を写真に収めるべく、街の小高い丘にやってきた。
老体には少々堪える登り坂を登った先の、見晴らしの良い景色に疲れは吹っ飛んでしまう。
心地よい風に吹かれながら、丘の中央まで来ると、カメラの焦点を時計塔に絞ってシャッターを切った。
逆光を受けて、まるで巨大な時計の針のように見える時計塔が、また一つ、私の手で切り取られた。
妻には、真っ黒な時計塔ばかり撮って何が楽しいの、と呆れられてしまったのだけれど、この街一番の景色は何度撮っても良いものだと、私は思っている。
日によって時計塔の光の加減や雲の位置などがどれも違って見え、全て美しい。
これが私の趣味であり、晴れた日の日課だ。
"こんな夢を見た"で思い出すのは夏目漱石著の『夢十夜』だ。十編の短編から成る話は、解説本によると、初めは夢想を漂っていた漱石が段々と現実に戻ってきた話とも取れるらしい。
それにあやかって、一つ。
こんな夢を見た。
私は同窓会に出掛けている。
懐かしい小学校の顔ぶれは皆小学生のままだ。
友達と、久しぶりー、なんてじゃれ合っている。
どうやら私も小学校の頃の姿形らしい。
夢は始終楽しく進み、最後、会費を集める段になって、どこを探しても私の財布がない。
急いでバッグの中を漁り自分の席の周りをキョロキョロ。
会費を集める子が段々と近づいてくる。
それは初恋の男の子だった。
心臓がドキドキする。
会費、会費と財布を探すがでもどこにも財布がない!
というところで目が覚めた。
小学校の同窓会なんて一回行ったきりだった。久しぶりー、と手を合わせていた子は友達とも呼べない知人で、小学校に楽しい思い出は少ない。
夢の中のような和やかな雰囲気も記憶にない。
初恋の男の子は幹事をやるタイプでもそれに手を貸すタイプでもない。
つい先日、私の数少ない友達、から知人になった子は出てこずに、それより接点の少ない子が出てきて私も友達のように接していたあたり、夢の中でも友達不足が顕著だ。
現実で友達だったあの子とは、本当にもう友達じゃなくなったんだな、とも思った。
現実の寂しさを埋めるかのような楽しい夢にもケチがつく。
シビアだ。
もしタイムマシーンがあったら、私は過去に行って過去の自分に忠告したい。何でもかんでも嫌な事から逃げてると、ろくな大人にならないよ、と。
あの時、あの時、あの時。
きちんと向き合わず"逃げた"事が、少しずつ蓄積して取り返しが付かなくなるなんて、誰も教えてくれなかった。楽な道を選ぶことは誰の迷惑にもならないと思っていたし、楽だし、自分にも良いことだと思っていた。
結局は自分が損をするだけ。全部自分に返ってくるのだと過去の自分に教えて、自分の来歴を少しでもマシな物にしたい。
でも本当に過去に行けたとして、見知らぬ人から突然、未来の私です、なんて言われても信用する訳がないし、よしんば話を聞いてもらえたとしても折角の忠告を無視されるかもしれない。というか、無視すると思う。自分の事だから判る。
結局、過去よりも今とこの先しかないのだ。
逃げグセ、直さないとなあ。
カレンダーに大きく赤丸が付けてある日は、私にとって特別な夜になる。何故って婚約者と一緒に過ごす夜だからだ。
でも今月の赤丸は三つだけ。先月は二つだけ、と、我ながら婚約者への薄情さに胸が痛い。
休日を除いては仕事場で毎日会ってはいるのだが、やはり大好きなひとと一緒に過ごす夜というのは特別で格別だ。それがたとえ一晩中の天体観測だけで終わってしまうとしても、ただそばに寄り添って他愛もない話をするだけでも特別だと思えてしまう。ドキドキして、なのにホッとするような心温まる夜になる。
私としてもそんな夜をもっと増やしたいのだけれど、自分の研究の合間を見てとなると中々難しい。
私は、カレンダーの赤丸をなぞって溜息一つ。
自分で選んでいるやり方とはいえ、さみしさや申し訳無さ、自分自身の切なさに両肩を抱いた。
今月赤丸が付く日まであと二日。
せめて、二人で過ごす夜は、私の手料理で始めたいものだが、大体は好意からの婚約者手製の蒸し料理で始まってしまうのも頂けない。
けして私の料理が不味いというわけではない――――付き合ってた時は料理を振る舞っては喜ばれていたのだからそれは間違いないのだが、今は、君も疲れてるだろうから、と気を使われてしまうのだ。
実際、疲れているときにこの気遣いは嬉しい。
「でも、今回こそは私が作るんだから!」
幸い次の赤丸の日は休日。婚約者の好物料理の材料を買って、少し早めに彼の家に行こう。あれを作ろうこれも作ろうと考えていると、浮かなかった気分が晴れていくのを感じる。
その日、出来れば夜は晴れないで欲しいと、思う。
天体観測もそれはそれで良いものだが、やっぱり彼の瞳を独占してしまう星の運行に、嫉妬している自分もいる。
それに、一緒に入るベッドの温かさやキスやハグが、特別な夜を、更に特別に押し上げてくれる。
好きなアロマをたいて、黒い薄布を被せた室内用のプラネタリウムを付けたら部屋の電気を消す。
週に一度、私の真夜中の楽しみだ。
真っ暗な部屋のそこかしこに、弱々しい光で人工の星々が投影されて、まるで、海の底みたい。
宇宙みたいの間違いじゃないかって?
いいや、私にとっては海の底だ。
もっとも、本当の海の底はTVで見たことがあるだけで、よく知らない。
でもきっとこんな感じなんじゃないかと思う。音がなくて、お魚も隠れてて、プランクトン? がほんの少しの光に星のようにキラキラ煌めいてるイメージ。
だから私にとって、この空間は海の底。
アロマは気分でおまけのようなものだ。ほら、静かな場所でいい匂いを感じるなんてステキでしょ?
誰もが寝静まる深夜、私はアロマの香りと共に僅かな光でベッドにうずもれる。
こうして眠りにつくと、本当に海の底で眠っているみたいでよく眠れるのだ。