まだ彼女と恋人になる前。
俺は一人になりたくてバイクを飛ばして、知らない道を走り抜け知らない街の知らない喫茶店に入った。
そこで出会ったクリームソーダがとても美味しくて感動したんだ。
――
「おかしいなぁ」
俺は頼りない記憶の地図を広げながら車を走らせていた。
「この辺だったかなぁ」
隣に座っているのは、ようやく想いを伝えて叶った恋人。彼女はくすくす笑いながら小さく囁いた。
「ゆっくりでいいですよ。無理しなくてもいいですし」
「やだ。あのクリームソーダを飲んで欲しいの。うーん、多分この辺だと思うんだよ……」
俺はあの時に行った喫茶店を探しながら掠れた記憶を辿っていた。
ある程度の場所は法定速度を守りつつ、徐行しながら喫茶店を探す。
いやー、あの時はこの都市に来たばかりだし、無我夢中だったからなー。
俺は何度目かの角を曲がり、路駐ができそうな場所を見つけて路肩に車を停めた。
「こっちの方にバイクを飛ばしたと思うんだよなー」
「ふふ」
「あ、今更だけれど連れ回してごめん。先に調べておけば良かった」
自己嫌悪で項垂れていると彼女は優しく笑ってくれる。
「いいんですよー。私はこうやっている時間も楽しいですから」
車を停めているから、しっかり彼女を見つめると本当に嬉しそうに俺を見つめてくれていた。
凄く、凄く綺麗で胸が熱くなるほどの笑顔で。
「俺はあの喫茶店に連れて行きたいなー」
「なら、のんびり探しましょう」
「無駄な時間になっちゃうかもよ?」
「私は無駄な時間だなんて思っていませんよ?」
くすくすと笑う彼女。この微笑みには勝てないし、ずっと見ていたい。
俺は記憶の地図を頑張って掘り起こそうと、また車を走らせた。
おわり
三九六、記憶の地図
私には宝物のマグカップがある。
前に恋人とふたりで行った旅行で、手作り体験をしてマグカップを作った。
彼が私のために、私は彼のために作ったのだけれど、ふたりとも自分たちをイメージした動物が寄り添っていた。
出来上がりを見た時は笑ってしまったけれど、大切に使っている。
絵の善し悪しも味ってやつです。
いつか彼と結ばれて、家族が増えたらふたりでその子の分も作りに行きたいかも。
まだ気は早いかもしれないけれど、そうなったら嬉しいな。
そんな世界でたったひとつしかないペアマグカップ。
おわり
三九五、マグカップ
俺がこの都市に来なければ、どうなっていたんだろう。
もしも君がこの都市に来なければ、どんな未来だったのだろう。
「ばぁぱ」
どすんとお腹に重さが加わる。深く入らなかったからまだ良かった。入ってたら悶絶していたな。
お腹には俺の……俺たちの天使の大きな瞳が俺を捉えていた。
愛しい彼女がこの都市に来ていなかったら。
俺がこの都市に来ていなかったら。
この愛らしい天使とは出会えていないんだ。
「ぱぁぱ?」
俺があまり反応しなかったからか、天使が不思議そうな顔をして首をかしげている。
俺は天使の身体を抱き寄せてから、頬寄せてグリグリと頬ずりした。
「きゃあっ」
キャッキャと楽しそうに笑い声をあげてくれる。
ああ、本当に可愛い。
「どうかしましたか?」
愛しい彼女が三人分の飲み物をトレーに乗せて持って来てくれると、お腹に乗っていた天使が身体を起こして彼女の元へ向かってしまった。
ああ、こんな気軽に離れられちゃうと、パパは寂しいですよー。
彼女はテーブルに飲み物を置くと、天使を抱きしめる。
もしも……なんて、考えること自体意味がないな。
俺は愛しい家族を見守りながら、そんなことを考えた。
おわり
三九四、もしも君が
愛おしい君の声が聞こえる。
その声をもっと聴きたくて、俺はゆっくりと目を開いた。
彼女は俺が起きたことに気がつかないから、彼女のメロディは終わらない。
俺の知らない曲。
でも彼女の優しい歌声は、心地好くて、穏やかで、やっぱり愛おしいんだ。
俺はこのまま彼女の声を聴きたくて瞳を閉じて、自然と彼女の手に自分の手を重ねた。
彼女はピクリと動き、歌声も止まる。
俺は特に動くこともなく、歌声が再開されることを待った。
「ふふ」
彼女が小さく笑った……のかな。
しばらくすると、もう片方の手が俺の手に乗せられ、ゆっくりと撫でられる。
そして、また優しい歌声が奏でられた。
愛おしい歌声と彼女の温もりが心地好くて、俺はもう一度眠りについた。
おわり
三九三、君だけのメロディ
赤ちゃんって凄いって思うし、奇跡だって思うんだ。
しかも愛した女性と自分の遺伝子がはっきり分かるの、やっぱり奇跡だよね。
なにより可愛い。
赤ちゃん特有のムチムチ感に、まあるいフォルムは愛らしさ全開。うちの子は天使だと思う。
コロコロしているのも可愛いし、しかめっ面していても可愛い。何しても可愛いと思うのは……人として心配になるな。
育休を貰って愛しい奥さんと奮闘はしているんだけど、それがもう幸せ。
寝不足は大変だし辛い時もあるけれど、それでも全部が愛おしい時間。
寝転がっただけでも、凄いとふたりで拍手喝采だった。愛しい天使はよく分かってなさそうだけれど、いいんです。全てが満点です。
今は天使に全力投球だけど、天使が眠った時にだけできる奥さんの独り占めも大事です。
「早い話、俺は家族を愛してるんだよなぁ」
そんなことを零すと彼女も、天使も笑ってくれた。
ああ、俺は幸せものです。
おわり
三九二、I love