時々ある〝さみしい時間〟。
理由はないけれど無性にさみしいの。
でも、仕事で疲れている彼に甘えていいのか分からない瞬間があって……どうしようかな。
ただ、ギュッとしてくれるだけでいいんだけど……。
「ちかれたー」
そう言いながら、後ろからギュッとしてくる彼。
いきなりでびっくりして、振り返ろうとすると、頬に暖かいものが触れる。
それが彼の唇だと気がつくまで、少し時間がかかってしまった。
「疲れたから癒して」
「え!?」
「え、いや?」
「いやじゃない!!」
そう私が言うと、安心したように強く抱きしめてくれた。
私は正面から抱きしめたくて振り返る。その瞬間、少しだけ力を抜いてくれた。
その時、彼の顔を見る。
身体は疲れていても、精神的に疲れた顔をしてない。いつも彼がギューってしてくるタイミングと違った。
ありがとうございます。
私がさみしいって言えない時だって分かって、そう言ってくれたんだね。
私は安心して彼に抱きついた。
おわり
二五三、やさしい嘘
遅くなってしまった。
残業も残業。
と言うか、帰る前に大型の救助希望の連絡が入った。
これは帰るのがかなり遅くなるかもしれないな。
そう思った俺は、同棲している恋人に事情を説明した上で『先に寝てね』とメッセージで伝えていたから、多分先に寝ていると……思いたい。
極力音がならないように玄関に入る。彼女が起きていたら真っ先に飛んでくるから、もう眠っているのかな。
手洗いうがいから始め、寝る支度まで済ませて寝室に行くと彼女が枕を抱きしめて眠っていた。
微妙に眉間に皺を寄せている。
俺がそばに居ないせいだったら少しだけ嬉しい。
ベッドに入って彼女を後ろから抱きしめる。
彼女の体温が浸透してくるようで……俺は安心して瞳を閉じた。
「おやすみ」
おわり
二五二、瞳をとじて
先日行った雑貨店で手のひらに乗るような小さな宇宙の置物を買った。
私も気になっていたのだけど、彼に見せたら彼も気に入ってくれて考えた結果、お出迎えすることになった。
でも、私はもうひとつ、気になっていたものがある。
それは、『羅針盤』という名のコンパス。折りたたまれたところを立てると日時計にもなる。見た目はクラシックだけど、機能は揃っていた。
私の彼は救急隊員だから、救助する状況によっては危険が伴う仕事だ。だから、何かあった時に役に立てるものだと思った。
彼が遭難した時、これを持っていることで少しでも彼が私の元に帰る可能性が上がって欲しい。そう思ったの。
こういう物には安かろうが高かろうが関係ない。
コンパスの隣には、このコンパスを収納出来る革の袋が置いてあったから、私はセットで買うことに決めた。
別に誕生日でも、特別な記念日でもない。
何でもない日だけど、彼のために、私のために贈りたかった。
大好きな彼が私の元に、ちゃんと帰ってくること願いを込めて。
おわり
二五一、あなたへの贈り物
家に帰ると、恋人がいつもの様に飛び込んでくる。
毎日のことなんだけれど、彼女の温もりを直に感じられる。これが心に効くんだ。
疲れが吹き飛ぶ……なんてことは無いんだけれど、精神的に楽になる。
荷物を片付け、着替えた後に居間に行くと、テーブルの上に小さなプレゼントボックスがあった。
「あれ、これなーに?」
「あ、そうだ!」
夕飯の支度をしていた彼女がテーブルに来てプレゼントボックスを持って俺に向けた。
「何でもない日ですけど、良いかなって思ったので貰ってください!」
珍しい。
俺が彼女にプレゼントをするのは……まあ、よくある話なんだけど、彼女は割と財布の紐が固い。ここぞという時には、気にせずポーンとビックリする金額を出せるんだよね。
その彼女が誕生日でもない日に俺へプレゼントを買ってきてくれたのは……かなり嬉しい。
彼女は金額でプレゼントを選ぶタイプじゃない。
自分の手で作って思い出をプレゼントしてくれるから、それが俺の心を掴んで離さない。
その彼女が俺にプレゼント……。
彼女から受け取ってそのプレゼントを見入っていると、不思議そうな顔で俺を見上げてくる。
「いらなかった?」
「まさか!! めちゃくちゃ嬉しいから感動してたの!」
そう告げると、不安そうな顔が一気に解消されてふわりと笑顔になった。
「開けていい?」
「もちろん!」
俺はプレゼントボックスを丁寧に開ける。この包装紙も取っておこう。
箱を開けると、また立派な箱が出てくる。それを開けるとえらく格好いい革の袋の中になにか入っていた。それは真鍮のなにか……。
折りたたまれているところと、蓋を開けると出てきたのは方位磁針。いわゆるコンパスと言うやつだ。
「うっわ、かっこよ!」
「ほら、お仕事にもそうですけど、普段から持っているといいかなと思って……」
照れ笑いしながら言う彼女。
その言葉に納得してしまった。
俺は救急隊員で、巻き込まれ事故だってある。もちろんそんな事にはならないように訓練しているが百パーセントなんてありえない。
そんな〝もしもの時の備え〟だ。
「ん?」
コンパスの蓋の前にどかした折りたたまれていたものを見てもしかしてと思った。
「これって立てると日時計になったりするんじゃない?」
「そうなんです!!」
そう言ったあと。彼女は俺の腕を組んで肩に頭を乗せた。
「何かなんてあって欲しくないんですけど……何かあった時に私のところに戻ってくる確率がもっと上がるようにと思いました!」
その言葉に胸が熱くなる。
やっぱりなんだよ。
彼女は俺を心配してくれる。大切にしてくれる。そこが好きなんだ。
俺も自然と笑顔になって彼女の頭に寄り添う。
「それにしても、コンパスなんてよく見つけたね」
「はい! この前買った宇宙の置物ののお店に行ったらこれがあって……絶対に持ってて欲しいって買っちゃいました!」
「ありがと」
「どういたしまして」
自然とお互いに正面から抱き合う。彼女の気持ちが嬉しくて、つい力が入る。
「あ、そうです! これ、コンパスって名前じゃないんですよ!」
「え、そうなの?」
「はい、これの名前、羅針盤って書いてありました!」
おわり
二五〇、羅針盤
俺の仕事は救急隊員で、医者だ。
基本的に対応に失敗は出来ない。
ほんの少しのミスも大惨事に繋がって行く。
だから、空いている時間は日々の出来事を反芻して、訓練を続ける。ミスをしないように、身体に染み込ませていた。
明日に向かって歩いていく。
それでも――
「大丈夫ですか?」
ぼんやりとしていた俺に恋人が声をかけてきた。
疲れも相まって、酷い顔をしていたのかもしれない。
「大丈夫だよ」
条件反射でそう答える。俺の言葉を聞くやいなや彼女は頬を膨らませた。
これは……色々マズイと分かってしまう。このまま誤魔化すようなことをしたら彼女の信頼を失ってしまうから、俺は両手を上げた。
「ごめんなさい、嘘です。大丈夫じゃないです。条件反射で答えてしまいました」
すると彼女は俺の頭を優しく撫でる。
「私にそういう隠しごとは通じませんよ」
「そうだね、ごめん」
気使いをする彼女。
幼さが残るのに、そんなふうに見えなくてもしっかりと人を見ている。
俺は彼女を正面から抱きしめて瞳を閉じた。
「少しだけ、ここで休ませて」
「はい。少しと言わず、休んでいいんですよ?」
「そうだなー、寝る支度して甘えようかなー」
「はいっ!」
返事をする声が、嬉しくて跳ねているようだな。
彼女が甘えたい時に全力で甘えてくれるように、俺が甘えたい時に全力で甘えようと思った。
俺は救急隊員で医者で。
成長するために、明日に向かって歩いていく。
でも、家に帰れば、恋人に甘える一人の男に過ぎないんだ。
おわり
二四九、明日に向かって歩く、でも