彼女が目を覚ますと、背中から恋人の温もりに包まれていることに気がついた。
眠りについた時、こんな状態だったかな?
彼女はそんなことを考える。
だが無意識でも、意識があった状態でも、今のように自分のだと主張するように抱き締められるのは嬉しい。
彼女は青年を起こさないように気をつけながらベッドを抜け出した。少し喉が渇いたので、冷蔵庫からペットボトルを取り出して、口に含む。
居間のカーテンを少し開けると、暗い空の端にうっすらと光が見え始めていた。日が昇りきるまで、もう少し時間が必要のようだった。
遠くに視線を送ると、ビル群の明かりがチラチラと見える。
住んでいる場所は、そんなに栄えているわけでは無いからこそ、グラデーションのかかった空と、ビルの光に心が奪われた。
すると、腰にするりと手が絡まる。同じタイミングで恋しい人の温もりが肩にかかった。
「居ない〜……」
青年は、なんとも気の抜けた声を発する。恐らく完全に目が覚めたわけではないのだろう。あるはずの温もりが無くなったことに気がついて、ぽやぽやの状態で探しに来た。そんなところか。
彼女は振り返り、青年を優しく抱きしめる。慣れた愛しい香りに心が落ち着いていく。
きっと彼も同じものが欲しかったのだ。
「起こしてごめんなさい。寝ましょ」
「うん……」
目をほとんど開けることない青年の手を引きながら、冷たくなったベッドに潜り込む。
身体を寄り添わせながら、瞳を閉じて意識を手放した。
おわり
一二〇、夜明け前
「大好き」
「うん、俺も大好き」
毎日のように、どちらからも言う言葉。
「俺に恋してる?」
「ん、恋してる!」
時々、人目があることを忘れて、ふたりの世界を作ることがあった。気をつけているんだけれど、つい……。
「おふたりさん、頻繁に告白しあっているけれど、飽きない?」
たまたま聞いていた彼女の同僚が訝しげに俺たちに言うと、俺たちはお互い顔を見合わせる。
「言い飽きない!」
「聞き飽きない!」
俺たちが挙手しながら、交互に言うと彼女の同僚が心底呆れたため息をついた。
いや、だってしょうがなくない?
毎日、彼女に恋してんだからさ!
おわり
一一九、本気の恋
先日届いたお揃いの手帳を見た青年は、ぼんやりとカレンダーを見つめた。
「そう言えば来年のカレンダー、どうしようか」
一緒に暮らし始めてそれなりに経つが年を越すのは初めてで、その準備も初めてになる。
「今年は適当に用意しちゃいましたしね」
青年は視線を上に向けながら考えていると、青年の隣に彼女が座った。
「まず、どこに飾りたいですか? 何個必要ですかね?」
「あー……トイレ、少し殺風景だからトイレにひとつ欲しいかも」
「ふたりのスケジュールを書ける大きくてシンプルなやつ欲しいです」
「寝室に風景メインのカレンダー欲しいな」
意識せずに交互に話しているが、お互いに飾りたい場所は同意だった。
「次の休みにカレンダーを探しに行こうか」
「そうですね。トイレと、居間と、寝室の三つで良いですよね?」
「うん!」
青年は彼女の肩に自分の頭を乗せる。ほんの一瞬、彼女の身体がぴくりと動くが、暫くすると彼女の頭も青年に寄り添った。
「楽しみだね」
「はい。またふたりの生活するものが増えますね」
「そうだね」
ひとつひとつ。
重なっていく時間に、ふたりの心が暖かくなった。
おわり
一一八、カレンダー
「落ち着いて聞くんだ」
ほんの少し前まで救急隊の仲間たちとふざけ合っていた中、先輩に呼び出される。そして神妙な面持ちで俺に前置きをした。
そして、先輩の口が動いて耳に入る。恋人が事故に巻き込まれ非常に危険な状態だという言葉。
俺は目を見開いた。
先輩の放つ言葉に、俺の耳は先輩の声を遮断する。
視界は揺らぎ、色が失われる。
背中から悪寒と、内側から小さく震えが襲う。
上手く思考することも出来ない。
「おい、聞いているのか!?」
先輩ががしりと俺の肩を掴んでいた身体を揺らした。
そこで俺は現実に引き戻される。
「危険な状態ではあるけれど、彼女次第なんだ! そんな顔をしてどうする!?」
喝を入れてくれる先輩に、俺はハッとした。
そうだ。
彼女は……まだ生きているんだ。
失われたわけじゃない。
違う。
俺は彼女を失いたくない。ほんの数分前に自分が体感した喪失感を現実にしたくない。
彼女にも、生きる気力を無くさせたりしない。
彼女を失いたくないから、俺の心に火が灯る。俺は俺に出来ることをしよう。
「先輩。俺、彼女のそばに行きます」
「治療はするなよ」
「分かっています」
恋人として同棲していても、籍を入れていなければ他人なんだ。
それでも、彼女は誰よりも近い人だから、俺は彼女の診断や治療は行えない。
それでも、俺に出来ることをしよう。
――
そして、改めて考えることがあった。
俺自身、危険な仕事をしている。
実際に俺だって死にかけたことがある。あの時、彼女もこの喪失感を味わったのだと思うと余計に胸が苦しくなる。
俺は左手の薬指を見つめた。
「真剣に考えなきゃな……」
おわり
一一七、喪失感
今日届いたマグカップにカフェオレを入れる。
彼女には〝俺が作ったマグカップ〟を渡した。
受け取った後、カフェオレを飲む訳ではなく目を細めて愛おしそうにマグカップを見る。
俺の手元には〝彼女が作ったマグカップ〟がある。
この前の旅行の手作り体験で、お互いに贈りあった世界に一つだけのマグカップ。
まさかふたり共、お互いのイメージの動物のウサギとパンダが寄り添っている絵を描いているとは思わなかったけれどね。
「宝物です」
「俺も! ありがとうね!」
「こちらこそ、ありがとうございます!」
おわり
一一六、世界に一つだけ