お世辞にも良好とは言えない家庭に生まれ育った私は、ずっと平穏な日常を望んでいた。
例えば少しだけ早起きして夜と朝が溶けた空を眺めるとか、お弁当に入らなかった卵焼きの端っこと白米をインスタントのお味噌汁で流し込んでみたりとか。自分には無縁であろう都会の流行特集をしている情報番組を横目に身支度を整えて家を飛び出す。きっと駅に到着した頃には鍵を閉めてきたか不安になって考え込んでいるだろう。
こんな生活なんて馬鹿馬鹿しくて呆れられてしまうかも知れないが、それでも私はその程度の生活に憧れていた。身の丈に合うそれなりに堕落した一般庶民の生活───こういうので良かった、はず、なのだが。
玄関を開けると目の前には2人の男性。表情筋はおろか目線すら動かない少し強面のおじさんを見て、ぽかんと口を開けたまま身動きが取れなくなってしまった。
「✕✕✕✕さん、署までご同行願えますか?……おおよそ理由はご自身で検討はついているかと思いますが」
この瞬間、私のささやかな願いはどこかに消え去ってしまったのだ。
「お金より大切なものなんて無いのよ。お金さえあれば私はこんな人生を歩んだりしなかった。親も友人も将来すらも…何一つとして手に入らなかったの。これがどれだけ残酷なことか、きっと貴方には一生分からないのでしょうね」
そう言い残し、彼女は忽然と姿を消した。
両親も滅多に使わない物置部屋のすみっこで、ぼくは毎日友人を眠らせている。
じゃら、カコン、ころん。そんな音にガッカリしながら景品取り出し口に手を入れた。カラフルなアクリルアイスにゲームセンターの照明が反射する。
「こんな物取れてもなぁ…」
これに心踊らなくなったのは一体いつからだろうか──小さな頃はガラスや宝石の山を見ているようで、親に怒られつつも泣いてまで欲しがった物だったのに。大人になった今ではお菓子やぬいぐるみを取ろうとすると勝手に手に入ってしまう『無駄なもの』になってしまった。
秘密のたからもの入れに大切に仕舞って、時々取り出してはうっとりと見つめて。少しの傷も許せなくて一番柔らかなハンカチで丁寧に磨いていた頃の自分は、もうどこにもいない。
「みてみて、おかあさん!いっぱいとれた!これもたからものにしてもいい?」
そう言って大切にアクリルアイスを握り締めている隣の子供が、今の私には毒でしかなかった。
「わたし『とうみん』するから!」
起きて早々のまだ小さな妹の突然の宣言に無様にぽかんと口を開けてつっ立ってしまった。しかし妹は本気らしい。床に蹲って大きなタオルケットに身体をくるりと包み、ほっぺをぷくぷくと膨らませながら必死に訴えている。空腹状態の私には大きな雪見だいふくにしか見えないが。
「ごちそうごはんいっぱいたべて、おなかいっぱいにして……ぽかぽかおふとんでねるから!ずっとねちゃうんだからぁ!」
そう言って雪見だいふくは顔まですっぽり収まってしまった。呆気にとられつつも両親に何事かと目線を送るが、母は眉を寄せて考え込んでしまっている。父に至っては妹の着替えのつもりだったのだろう厚手のトレーナーを手にオロオロしているばかりだ。
……これは非常に面倒くさいことになりそう。そして私の予感は的中するのだ。