「良いお年をってよく言うけどさあ、なんか変じゃない?もうすぐ終わるのに今からどう良い年にするの?って感じ!」
頬を赤らめた彼女がケラケラ笑っている
いつもはお酒を飲まない彼女も、
大晦日の今日ばかりは既にビール4本目のプルタブに指をひっかけている
良いお年を、と言うのは大晦日の前日までだということ。更にはその意味を、手に持っていたスマホに従って説明すると、彼女は気の抜けた返事をした
「良い1年を迎える事ができますように〜かあ」
斜め上を仰いで少し考える素振りを見せたあと、
くるりと小さな頭がこちらを振り向く
「来年は良い年になるかなあ、どう思う?」
私は何も言わずに
りんごのように染った頬を両手で包むと
「ねえ〜手冷たい!!」
と柔らかな笑顔が勢いよく花開く
あまりの可愛らしさに堪らず紅色の唇に口付けると
彼女の体が空気を吸ってかすかに膨らむ
しかし、幸せの合間
息継ぎの間に
彼女が放った小さな言葉を
聞き逃すことは出来なかった
「新年なんか来なきゃいいのにな、
ずっとこの部屋で、このまま2人きりでいたい
…私たちに来るのは良い年なんかじゃないもの」
否定しようとして、
やめた
卓上のスマートフォンは、
先程から絶えず震え続けている
彼女の目線がそちらに向かないように
もう一度彼女の頬を優しく包む
私たちがどんなに後ろ指さされようとも
この愛が未だ世間で認められずとも
まだ見ぬ新年は希望と不安を孕みながら
否応なしに私たちを迎えに来る
この最愛の人の心が凍えることがないように
と祈ろうとして、苦笑した
先程まで冷えきっていた私の手は
彼女の熱でぬるくなっていた
どうか新たな明日も
互いに体温を分かち合える距離に居られますように
と訂正した祈りを胸に、
カウントダウンに耳をすませた
私はこの世に生まれて早数十年経つはずだが、
今年、初めて生まれたような気がする
生まれ変わった、のでなく
生まれた気がするのだ
……こいつは大晦日に何を言っているんだ
と思われるかもしれないが
私は昔からよく死にたがる人間であった
今年の始めはその勢いが一層強まり、
何度か本当に息の根を止めようという気になった
というか私は今までずっと死に損ないで、
実は生きていなかったのかもしれない
日に日に色褪せていく視界に
鮮やかで優しい色を与えてくれたのはあなただった
強くて鮮やかで、痛いほどに情熱的で
同時に柔らかくて穏やかで温かくて、
そんなあなたの芯に触れて
私はようやくこの世で呼吸ができた
あなたを想いながら布団に入って目を瞑り、
あなたの思考をなぞるとき、
私はあなたに会えてよかった、
生きていてよかった、
私の人生はあなたに会うためにあった、
そう思うのです
今までの私にとっては
全く喜ばしくなかった新たな年の幕開けの瞬間も
今日はあなたがいるから怖くない
喜びを持って迎えることができます
どうかあなたにも穏やかな1年が訪れますように
あなたの手ぶくろになりたかった
白魚のように綺麗なあなたの手に触れたかった
花びらのように染まるあなたの頬に触れたかった
私はずっとあなたに触れたかった
あなたはよく私の骨ばった手を
男の人みたいでかっこいいと褒めてくれたけど
もし私が本当に男の人だったら
私はあなたに触れられたのかしら
あなたは私を選んでくれたのかしら
変わらないものはない
そんなことは無い
全てのものは常に新たに創造される。
ベルグソンは、
火花のような生命の広がりを
エラン・ヴィタール、生の躍動という言葉で表した。
まさにその通り、生は躍動そのものである。
常に新たに創造し続ける。
それが生命だ。
だから変わらないものなどない
どんな物も、人も、感情も、
何もかも、全ては変わり続ける
と
私はずっと思ってきた
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「うわあ、今年も綺麗なお花だねえ」
「ああ、母さん。その花好きだったからな」
「ほんっとお父さんはマメだよね〜
もうママがいなくなって10年も経つのに」
最愛の妻が死んだ時、
変わらないものなどないのだ
これは仕方がないことなのだ
と、必死に自分に言い聞かせて
悲しみの淵からようやく戻ってくることが出来た
確かに流転した
絶望も悲しみも、きちんと常に生まれ変わって
徐々に薄れていってくれた
「今でも毎日、思い出すからな」
しかし
変わらないものがあることを、
流転する生の中で初めて知ったのだ
この歳になればイブの夜なんて
所詮正月への景気づけみたいなもんだ
サンタさんへの手紙がどうとか
恋人とどこに行くかとか
自分には縁遠い言葉が
耳障りにすらならなくなったのはいつからだろうか
些細なことで感情が動くのは若い証拠だったな
などと微笑をこぼしながら
閉店間際のスーパーに並んでいた
大人数向けの割引済オードブルを前にとびきりのワインを開ける
おっと?
ワインを注ぐ手が震えているようだ、
あまりの喜びに耐えられなくなったのだろうか
ワインをひと回しして一言
う〜ん、良い…!
しかし返答は無い、
当たり前だ
この部屋には俺1人しか居ないのだから
テレビからはイルミネーションを見に行っているカップルが寒い寒いと喚く声
俺は暖かい部屋でオードブルとワインに囲まれている
うん、俺の方が幸せだ、うん。
気づくと頬を生ぬるい何かが伝っている気がする
ああ、そうか
イブの夜にこんなにも自由で居られることに耐え難い喜びを感じているのだろう
うん、
これは
これは断じて悲しい涙などでは無い
孤独という名の自由へ乾杯して
少し塩っぽくなったワインを味わった