鉄筋コンクリートの高層集合住宅が彼らの家であった。
餓鬼共が生まれた当初は四階建てだったのが、増築されて七階建てにもなると、階下に住まう不憫な諸人は朝も昼も空が見えん。すべからく住民は上階に住みたがるのだけども、一部の物好きや浮浪者共は階下も階下、部屋の四半分が地下にめり込んだ最下層を新天地とし、好きこのんだ。
細い男もその一人であった。
蛍光灯の光が黒縁眼鏡のレンズで屈折して、虚像となった両目は大きく、ギョロリとして爬虫類じみている。耳が隠れるくらいの坊ちゃん刈りで、大根のように白くカマキリみたいに貧相な腕をしていて、そのくせ小綺麗な風体が甚だ奇妙だった。
細い男は自らをメガネと名乗った。浮浪者でも悪人でもないが、敢えて治安の悪い地下に住みたがる物好き。そんな風に自称したのがただ二つ、餓鬼共が知っているメガネの素性で、平素より蝋人形のような無表情でもって一服する細い男は蜃気楼のように得たいがしれなかった。
そんな男を構いに、性懲りも無く地下へ降りていく餓鬼共もまた物好きである。
メガネはたまに本当に極稀に、煙草を分けてくれることがあって、嬉々として一本(しかくれない)を回し喫むと、これが美味いのか不味いのか餓鬼共には判断がつかん。特有の多幸感が何がために引き起こされるのかも知らん。喫煙の字も書けない未成年どもだが、決まりを破る自分はなんだか格好いい気がして、吐き出した煙が空気の気流の流れに色をつけると悪い気分はしなくて、
そんな、少年の日の思い出。
脳裏
生き生きとした彩の華やかな都に奇しくも隣り合って、薄黒い半地下の街は冷たく横たわる。工場群が吐き出す煤けた空気がベールほどの薄い雲となって、空を仰げば堂々としている月から隠れ息を潜めているような後ろめたさがあった。
「なんか書いてや」
半地下街の男子校、その一角。囲碁将棋部と名付けられた密室から、今夜も元気に声が聞こえる。餓鬼共が起き出すのは月といっせいで、真っ暗な校舎の中で囲碁将棋部だけが立て付けの悪い扉の小窓から光を溢しているのだ。
「めし……やがれ」
「ギャハハ!あだろバカだなテメェ!」
「そんで字きたねぇ」
十七にもなる餓鬼共が先ほどから喧しいのが、オムライスの卵にケチャップで文字を書くあれで、
あなたとわたし
心ともなく笑える動画だった。ありふれた、明日にはきっと思い出せないくらいのそんな。
「思い出みてえーだな」
小田島の述懐である。ふ、と忍笑いを溢して、短い動画の画質の荒さを小田島は思い出と表現した。
街角で出会い頭に殴られる。想描くならばこんなとこだろう。平生から得てして発揮される小田島ワールドを味わうと、多分に漏れずそんな心地がする。
小田島は日常に、奇妙な価値を与える感性をもっていた。
花咲いて
こんな夢を見た。
木目ではない。シミでもない。竿縁天井に張り付いて、薄暗い部屋の黒にぼーっと同化するのは、顔のない女の頭部であった。午睡から寝覚めたまま畳座敷に五体を預けて仰向けに、何か感情を覚えることもなく、蛍一郎はただ女を見ていた。
カレー餅。
とんと思い出せない頃から例によって続いている。お盆になると、岡山の片田舎にある母の郷里へ、定めた訳でもなしに親子三人で帰る。
昼下がりの焦げるような陽光を皮の上に浴びて、みずみずしく発色する夏野菜の緑、ささやかな活気をもって流れる小川と、無味なる風の吹き回る透明さ。そして、古めかしい平屋の玄関戸。蛍一郎はひたすらに、この場所が苦手であった。
カレー餅。
さらに言うなら、本当に苦手なのは夏子お婆ちゃんであった。きわまって精悍として厳たる彼女の蝋人形の如く冷たい無表情で、何か粗相をやらかす度にぴしゃりと叱られるのが怖かった。
カレー餅。
三年ほど顔をださなかったこの家に来たのは、夏子お婆ちゃんが死んだと知らせを受けたからだ。ある白露の夜中のことであった。その年のお盆、顔のない女の夢を見たことをなんともなしに思い出した。
例になく、母と二人で平屋を訪れたのは同じ年の晩秋にもなった。新来者めいて馴染み深い家内をきょろきょろ観察してみると、特に差異はない。いつもの如く厳しい表情をして坐する夏子お婆ちゃんがいないだけだった。
カレー餅。
母を居間に残して、廊下をふらつく。
カレー餅。
ふと盆に見た夢を思い出して、
カレー餅。
ああ、くそ。
忌々しい、カレー餅。来訪すると必ず思い出す。先刻からというもの、たびたび頭を過ぎっていた。苦い思い出の話をする。名付けるならば、カレー餅事件だ。
カレー餅事件とはこうだ。
蛍一郎が小学生の頃の話であった。その年も例によって夏子お婆ちゃんはお餅をつくってくれた。たいてい蛍一郎はそれをぜんざいにして食うのだが、あの日は違っていた。鍋に残っていたカレーをよそって、ひとつだけ餅をいれたのである。カレー餅の誕生であった。
ひとくち頬張る。うまい。うまい。天啓を授かったような気持ちで慌てて十二分にもかみごたえのある餅をひとつ完食してしまうと、物足りない。皿を引っ掴んで、今度は三つ餅をカレーに放り込んだ。食う。食う。餅に噛み付いてはちぎって、ちぎっては咀嚼して、飲み込んでは噛み付いて、なんでもそれを四、五篇繰り返したのを覚えている。箸がとまった。残すところ一個半の餅を前に蛍一郎の胃袋が満たされてしまったのだった。
目の前には夏子お婆ちゃんが、先刻から夢中でカレー餅を頬張る蛍一郎を見ている。お残しはゆるしません。厳しい眼差しは暗にそう告げている。さあ、困った。餅をかじる。餅はへらない。息を吸って、吐いて、わずかに胃が楽になったぞと器を見やると途端に苦しくなる。そうこうしているうちにカレーをすって餅はふえる。
結局夏子お婆ちゃんにぴしゃりと叱られて、あんまりに怖かったものだから、泣きながらカレー餅を食った。
以上が蛍一郎の餅嫌いの始まりであった。
さて、居間を抜けて蛍一郎は夏子お婆ちゃんの部屋に来ていた。盆に見た夢の詳細を覚えているだろうか。夢の部屋は夏子お婆ちゃんの部屋だった。戸棚には小難しそうな小説や、折り紙の本がならび、裁縫箱が机上に鎮座する。壁掛けの写真立てには夏子お婆ちゃんと似たように厳しい表情をする先祖が飾られていて、しかしこの雰囲気は嫌いではなかった。
虫の知らせとも言えようか。
畳の匂いがする。明らかなことではあった。竿縁天井を見上げてみるが、女の顔はそこにいない。
もしもタイムマシンがあったなら
倉澤は喋らない。
ある陽春の穏やかな昼下がりのことだ。窓から差し込む太陽の透明なる光を背中に浴びてきらきら光る学ランの後ろ姿を呼び止めた。先生が呼んでたぞと、確かそういうことを伝言するためだったと思う。倉澤は頭を小さく動かして、制服姿が群れる廊下を早足に去っていた。これが倉澤の見始めであった。倉澤は喋らない。
次に倉澤と顔を合わせたのは、放課後のささやかな活気が聞こえてくる図書室だ。文芸部員は自分と倉澤の二人だけしかいないらしい。
ずっと一人で本読んでる奴。倉澤への印象であった。
おんなじクラスだよな、よろしくな。
‥あ、。
呻き声ではない。倉澤の返事だった。倉澤は笑顔をうかべてた。真顔と見間違うほどのささやかな笑顔だ。倉澤の表情を初めて見たのがその時だった。それが、ほんの少しだけ俺の心に安心をもたらした、四月下旬のこと。
五月中旬、部員二人で放課後を過ごすうちに分かってきたことがある。
倉澤は以外とお喋りが好きだ。特に小説のこととなるとそれは顕著で、本を語っている間、倉澤は上を向いている。かくいう俺も本好きであった。文芸部の活動内容は小説執筆だった。
次に二つ目、倉澤は変人だ。サプリメントのみの昼飯であったり、完結したドラマを最終回から遡るように見始めだしたり。友達は他にいない。人見知りなんだ。倉澤はそうやってぼやいた。倉澤は喋らない。同じクラスの友達が言っていたのを思い出した。
さて、六月上旬のことだ。図書室の天井に顔のようなシミを見つけた。マリー・アントワネット。歪な笑顔に見える気味の悪いシミに倉澤はそう名付けた。天井のマリー。三人目の文芸部員である。
八月下旬、来たる二月、高校生の小説コンテストがあると知って俺たちは執筆活動に本腰をいれだした。面白い作品を書く人は、面白い人生を送っている。この言葉が頭から離れない。分かっている。焦っていた。夏休みは遊んで過ごした。小説は行き詰まっている。
ピアスを開けた。九月上旬、倉澤は松葉杖をついて登校した。靭帯が断裂したらしい。ただ階段を降りてただけなのに。家の中に虫を見つけたような表情で倉澤は教えてくれた。
十月三日、倉澤の家で誕生日を祝った。分かったこと三つ目。倉澤は母ちゃん似だ。ふくふくとした朗らかな笑顔を浮かべる倉澤ママは落語家だった。数字の一を模った蝋燭を倉澤は年の数だけケーキにさしていた。
とうとうひとつ、小説を書き上げた十二月下旬。穏やかな冬の冷気に包まれて俺たちは作品を交換した。六万文字の物語はあっという間に終わった。倉澤の人生は、面白かった。
四月上旬。コンクールで大賞を獲った。著者はやっぱり喋らない。
今一番欲しいもの