好き嫌いをカテゴライズする事に関して、僕の右に出るものはそうそう居ないだろう。人間とは実に多面的で曖昧な生き物だ。知的生命体と自然界においては稀有な己の知性を誇る一方で、獣同然に成り下がる事もある。どれだけの主義主張を声高に訴えた所で、その優劣は情勢や背景、人徳によって左右される。好き嫌いもそうさ。あれだけ好きだ好きだと宣っていたのに目を瞑りさえすれば見えない様な失敗でコロッと態度を変えたり、さんざ嫌いだと喚いていたものに少し指先が触れただけで惚れ込んでしまう事もある。
ああ、何て軟弱な。全く嘆かわしい。
その点僕は随分分かりやすくて良いぞ。人は皆僕を我儘だ意固地だと指差して笑うが、自身が生物として僕に劣っていると無意識下の自覚があるからこそ、そうして僕を笑う事しか出来ないのさ。まともに顔を突き合わせて話したって鼻っ柱を叩き折られる事は明白だからね!だから誰も僕と話したがらない。僕の目の届かない所でこそこそと身を丸め、嘲笑を交えて囁くことしか出来ない。ちょっと遊んでやろうと目を向ければ鳩のように飛び去ってしまう。いや、滑稽滑稽。
遠い昔にも、こうして身体を丸めて狭い部屋の中で蹲っていた気がする。苦しさは無い。何者にも侵されないと言う絶対的な安心感と、小さな暗闇の中に押し込まれている苦しさが齎す奇妙な充足。
淀んだ黒は凡ゆる光も音も許さず、柔らかな質量を以て僕の肉体を包んでいる。終わりの無い夜に満たされた鼓膜を微かに揺らす喧騒は子守唄の様で、僕は意識の中を浮いたり沈んだり、水死体の様に漂っている。
僕は、僕が何であるかを知らない。こうして箱の名で眠っている間だけ、僕は僕の影をかろうじて捕らえる事が出来る。何かとても大切な事を忘れている気がするし、頭では覚えていないその大切な事たった一つの為だけに、息をしている気もする。
耳の傍で水泡が歌う。手足の指に暗闇が絡み付いて、髪がうねる。身体は水の中を漂っているかの様に重く、風に任せて揺られているかの様に軽やかで、僕は宙を漂う塵埃の一端に過ぎなかったのかもしれないと夢心地に考えた所で、不意にその遊歩は終わりを告げる。終わりはいつも突然で、だけど形は決まっている。
「おはよう。」
と。光の、なかで、きみがほほえむ。
から。
ぼくはぜんぶ、を。わすれて、おはよう。と、きみのことば、をくりかえす。のだ。
私は失恋と言うものを知らない。
失う以前に、所持をした事すらないのである。
恋は情熱と言うが、私はその火の灯し方を知らない。恋とは才能ではなかろうか、と思うのだ。火の灯し方、或いは花の咲かせ方。教えられずとも出来る人は出来るだろうし、原理や法則を学んでもどうも上手くいかない人だっているのだろう。私は、恋というものに触れようとした事すら無いけれど。
思い返せば、あれは恋だったのかもしれないと、思う事はある。ただ、それだけだ。私は恋という得体の知れない小さな怪物に触れることを恐れて、掴み取ろうとすらしなかったのだから。
失う事は恐ろしいと知っているから、私は恋をしない。どうせ失うと初めから分かっているのなら初めから手にしない方が幸せなのである。
あの計り知れない苦悩を味わってみたいと言えば、みたいけれど。それも無知ゆえの能天気な好奇心に過ぎないのだろう。