遠い昔にも、こうして身体を丸めて狭い部屋の中で蹲っていた気がする。苦しさは無い。何者にも侵されないと言う絶対的な安心感と、小さな暗闇の中に押し込まれている苦しさが齎す奇妙な充足。
淀んだ黒は凡ゆる光も音も許さず、柔らかな質量を以て僕の肉体を包んでいる。終わりの無い夜に満たされた鼓膜を微かに揺らす喧騒は子守唄の様で、僕は意識の中を浮いたり沈んだり、水死体の様に漂っている。
僕は、僕が何であるかを知らない。こうして箱の名で眠っている間だけ、僕は僕の影をかろうじて捕らえる事が出来る。何かとても大切な事を忘れている気がするし、頭では覚えていないその大切な事たった一つの為だけに、息をしている気もする。
耳の傍で水泡が歌う。手足の指に暗闇が絡み付いて、髪がうねる。身体は水の中を漂っているかの様に重く、風に任せて揺られているかの様に軽やかで、僕は宙を漂う塵埃の一端に過ぎなかったのかもしれないと夢心地に考えた所で、不意にその遊歩は終わりを告げる。終わりはいつも突然で、だけど形は決まっている。
「おはよう。」
と。光の、なかで、きみがほほえむ。
から。
ぼくはぜんぶ、を。わすれて、おはよう。と、きみのことば、をくりかえす。のだ。
6/4/2024, 11:33:41 AM