:紅茶の香り
アールグレイとチョコレートケーキが口の中で混ざり合ったあの味と、鼻から抜けていくあの香りを、もうそろそろ忘れてもいい頃だと思うんだ。
だって美味しいからそろそろ食べたいじゃないか。
でも駄目なんだよ。
あの組み合わせは駄目なんだ。
自分が過去にいるのか今にいるのか分からなくなる。
夜中、カーテンが閉められていて、リビングだけ明かりがついてる、冷蔵庫の唸るようなブーーという音と、秒針の音と、お皿とフォークのぶつかる音と、紅茶の香り。
そのケーキ食べたいと強請ると「ちゃんとこの後歯磨きする?」と尋ねられ、何度も頷いて「一口だけね」と、こっそり分けてもらった。
愛してくれた、あの瞬間、確かに。
どうしてそんなに寂しそうに愛してくれるのか。
嬉しかったよ。これを愛おしいと言うのかもしれない。なかなかどうして、貴方は、毒のような人だ。
今でも毒が全身を巡っている。なんて呪いだ。
実に、 嬉しいよ。もちろん。
“優しい”おまじないをかけられたんだ。
無糖のアールグレイが苦いと思ったことはないし、チョコレートケーキが苦いと思ったこともないよ。どちらもきっとチープなものだったんだ。濃厚とは程遠い味がしていた。
未だに安っぽい味が好きだ。ちゃんと茶葉をすくいとってそこにお湯を注ぐより、安価で手に入るその辺に売ってるようなティーバッグに湯を注いで飲むほうが、デパ地下にあるスイーツ店で買うよりチェーン店の回転寿司で頼めるようなチョコレートケーキを食べるほうが、よっぽど
よっぽど 忘れてくれ。
もう忘れていいと思うんだ。プレゼントで貰った真っ黒な缶に入った紅茶の茶葉は苦くて、クリスマスに食べたデパ地下のケーキは味が濃すぎて。嫌だ、嫌だなあ、本来美味しかったはずだったよ。
食べられないんだ。
頭が真っ白になって脱力してしばらく蹲ってしまって。
ばかだなあ
ケーキ食って紅茶飲んでるだけでなんでパニックなんか起こしてんだと思って、なんとなく何の紅茶を飲んでるのか確認した。いつも適当に淹れていたから自分がどんな紅茶を飲んでるのかいちいち気にしてなかったんだ。アールグレイティーって書かれてた。幸せな気持ちで食べてたケーキもチョコ味だった。ああ嫌だなあ馬鹿だなあ、馬鹿だよお前。すっかり忘れられてたのに、忘れるにしては大事にしすぎてたんだ。
食べられなくなった。未だに、ケーキは怖いなぁ。お砂糖は幸せの味がする。確かに幸せで愛に溢れた味がするんだ。それが寂しい。泣きながらケーキを食べるなんて御免だ。なんで幸せと寂しさはセットなんだ。愛おしいと寂しいがセットなんだ。結局ずっと愛しい。
かなしいね。それも愛おしいさ。だから忘れてしまえば楽になれるという気持ちと忘れたくないという気持ちが揺れ動く、とどのつまり呪いにかかった気でいて意思が弱い。
紅茶の良い香りに釣られて起きてたんだよ。
ダージリンは味が濃くてちょっと苦手だったんだ。でも砂糖を入れると気持ち悪くなって飲めなくなるから、 どうしていたかな。当時からそれほど味覚が鋭くなかったから、濃いなぁと思いながらスルーしていたんだろう。
だって貴方の紅茶をわざわざ横取りしていた。
「そんなに好き?」
好きだったよ。ずっと好きだ。
できればアールグレイが
くるくる、あちこち記憶が巡る。いつだったか、紅茶を口にしたときと夜中のケーキタイムは同じ頃だったろうか。引越し前だったから、だいたい4年の間のどこかだ。誤差の範囲内で、これほど覚えているのだから、きっと強烈だったんだ。いや、これはむしろ憶えてないのか?
優しい紅茶の香りにどうやら惑わされている。
今日も今日とて適当なティーバッグでアールグレイを飲んでる。単品なら味わえるよ。チョコレートケーキと一緒じゃないから大丈夫。
もうそろそろ忘れてしまってほしい。忘れて、ちょっと値が張る紅茶とケーキくらい美味しく口にできるようになりたい。のか?
結局忘れようだなんてしたって本気でするつもりもないんだ。だって好きだった。
憂いを帯びた優しく柔らかな愛情が体中を掛け巡っているというのに、どうして忘れられるものか。
︰行かないで
いい感じの話とかなんも書けねぇし読めねぇ。
何が言いたいのかさっぱり分からん。心動かされる刺激的な何かもない。いよいよ感性が死んできた。
今までみたいなやつもう書けねぇしなあ。
不安定な精神に頼りきって書いてきたもんで、随分クリアな思考ができるようになってからはこう、深く暗いところを漂うような話の良さがいまいち分からなくなってきた。なんだ、クリアにはなったが、何かこう、不健康なクリア故に、攻撃性ばかり増しているような。
悩みがあるなら解決すればいい。解決できないなら諦めればいい。諦めきれないなら悩みが少しでも解消する方法を探せばいい。立ち止まってウジウジしてたって何もないだろう。卑屈になっていじけている暇を使って順序立てて攻略していけばいい。
何を勝手に決めつけて出来ない言い訳ばかり探しているのだ。出来ない言い訳ばかりをしている理由すらも探っていけばいずれ「何故か」に辿り着く。根本が見つけられればそれに対処すればいいだけ。対処できないなら何故対処できないのか考え、それの対策をまた考えるだけだ。考えたら実践あるのみ。考えるばかりで行動に移さないからグルグル回ることになるのだ。
腹括れないなら遠回りしてもいい、言えないなら言えるようになるまで気長に待てばいい。人生は短いから早くしろなんていうが、今その時ではないのにやって自滅する方がよっぽど無駄だ。1年でも3年でも5年でも10年でも長く待つほうがいい。
どの道ウジウジ人間はウジウジが解消されなきゃ暫くずっとそんなことばかりして問題解決は出来ないわ悪化させるわで碌でもない。
碌でもない、碌でもない、価値観や考え方ってのは、本当に変えられるのか?
誰かに教え込まされた何かがあるなら無理矢理にでも引っこ抜きましょう。
夢見ていたものがドロドロ溶け始めてベタベタになってきたんだ。人の心の儚さ?脆さ?美しさ?何が美学だって?人との繋がりがロマンスだって?感傷的ってやつだろ。さっぱり分からん。
人が消え死に苦しむ話ってのはそんなに心引っ張られるのか。他人が死んでもどうでもいいのに?というかなんで殺してしまう。それ以外インパクトを出せないからか?誰かを傷つけないと自己表現できない?
「できない言い訳を探している」
左様でございますか。
理解した風で言っているけど根本的なところ何も分かっていない。他力本願して自分の首絞めて最後の最後まで自責風他責って。一体何が「分かってる」なんだろう。
素直に「分からない」「怖い」「不安」「やめてほしい」とだけ言って、聞き入れてもらえたらハッピーなのか、って、なんだ?なんで相手が主体なんだ?自分が言いたいから言うんだろう。聞き入れてもらえないと分かっているなら最初から吐き捨て前提で言えばいいじゃないか。怖いって?なら今は黙っていろ。言えるようになるまで一旦箱にしまっておきましょう。
置いて行かないで、とは。元来お前は最初からそんな人間だったではないか。自分では共感能力が高いだのと自負していた割には人に寄り添うのがストレスで?人の気持ちを汲み取るのもストレスで、イライラしてきて「まず共感」なんでできやしないし、基本的に事実優先で、慰めてほしいなら最初から「慰めてくれ」「心配してくれ」と言えやと思っていて、そのくせ自分は人に察してちゃんとは、実に傲慢で自己中心的な人間だろう?いやはやどこが繊細なんだ。ああ!自己防衛に必死という点において繊細かね?
人の気持ちが分かるというなら、本当に人に寄り添えるというなら、自分が優しい人間だというなら、お前、なんで今そんななんだ?
大丈夫、お前は元からそんな奴だよ。今更それが悪化しようが好転しようが大して変わらない。心配いらない。君は実に優れた社会不適合者だ。幸せにはならないから安心して不幸を全うし謳歌すればいい。素敵な人生だろうが素敵じゃない人生だろうか、そんなこと気にするより大事なのは明日の食い物さ。人生の満足度を考えたってそれで腹は膨れないよ。
別に、腹が膨れてほしいとも思わないけど。
本当に?なら今頃とっくに餓死しているはずだろうに。
ぐ〜たら生きて気ままにのらりくらりヘラヘラ笑ってやってくのが一番だな。
︰どこまでも続く青い空
自分のことも信じられないのによくもまあ適当なカミサマだなんて信じられるな。
「妹か弟欲しくない?」って聞かれたんだ。酒を飲んでひどく酔っ払ってるみたいだった。「赤ちゃんはきっとこのへんをふよふよ〜って飛んでるから」「いつ産まれようかな〜って見てるの」と言って目尻を下げて笑ってた。
ああ心底気色ワリィな!嘔吐しないギリギリの吐き気で良かった。ゲロぶっかけてたところだったよ。
「カミサマは見ていてくれてるから」ですって。「ご縁」ですって。「前世」ですって。
心底馬鹿げている。目に見えないものを妄想して、そうやってアンタは生きてきて、ヤベぇ男に捕まって、また勝手に何か素敵な物語でも空想して、耐えて来たのか?
そのツケだろ。
アンタの行いを見てきた神様がいたとして、アンタを幸せにするんだとしたらとんでもないカミサマだ。
縋る先が存在しないものだけっていよいよだな。
これも偏見だって?偏見も持つだろうな。イカれた人間が信じているものなんか胡散臭いとしか思えない。
アンタの恋人ってやつもこれっぽっちもアンタの暴走を止めようとしないしむしろ同情して肩を持ってるイカれた野郎だ。そんなやつとの間に子供が欲しいって、冗談じゃない!!
産むつもりなんかよ、歳考えろよ。そもそもそんな話我が子にしないでくれ。「あくまでこれは妄想の話です」って?あーあ、夢見るのは好きにすりゃいいけどまず現実的に離婚から考えろよ。どこに不倫相手との子供が欲しいです宣言するイカれ人間がいるってんだ。
ここにいたんだな。
「お母さんを選んで生まれてきたのよ」「空から見ていたんでしょう」ですって。
こんな母親選んで生まれてきたとしたら一生の過ちと恥だ。一生空曇っといてくれ、青空なんか見たくもねえ、どこまでも晴れ渡りやがって。こんな空にまで八つ当たりするようになっちまったな。
縁切り神社に行きたいだの、想像の中で嫌いな人を埋めればいいだの、そういうこと親が子供に言うのは教育に悪いと思わないのか?思わないのか。
倫理観なんて元からないようなもんだもんな、家。
こういうまだ自分の心を守れる思考を、もうあと7、8年前にできていれば……いや、約10年はデカいか。無理だ。道徳、倫理、正しさ、そんなものもまともに判断できない頃で、自分の違和感すら気づけないような年で、せめて小学校をを卒業していたら。
いや、きっといつの時代に言われたとしても耐えられないだろう。今言われても耐えられる自信がない。どうか子供の前で酔っ払った姿を見せないでくれ。そして気色の悪いことを口走らないでくれ。許しを乞おうとしないでくれ。
己がまともな思考をできているかも怪しい。
「欲しい」って言ってたら生むつもりだったんだろうか。そんで「あなたが欲しがったから」という体でどんどん話が進んでいってたのか?なあ、アンタ離婚したいしたいスルスル詐欺のときもこっちに委ねてきたよな。「お父さんとお母さんどっちについていく?お母さんについてきたら愛情はあるよ。お父さんについていったらお金はあるだろうけど愛情はないよ。どうするる?どっちのほうがいい?」って、なあ、お金は良くないものって刷り込みしてたのもアンタで、愛情至上主義的な思想もアンタのもんで、実質私に選択肢なんてなかったよな。だって私の選択肢は「家族仲良く暮らしたい」だったんだから。
「考え方を後世に残すことが大事」らしいぞ。「繋ぐってそういうこと」だってさ。はは、ああもうひどいなあ!アンタの考え方を後世に残すですって、とんでもないとんでもないとんでもないったらありゃしない!アンタみたいな化物思想を継がされて誰が幸せになるんだよ。
魂?輪廻転生?魂もどんどん成長してるって?死んだら何もない。死は死だ。信じるとか信じてないとかもない。何がロマンチックなものか。現実世界をロマンチック色眼鏡をかけないと生きていけないほど、スピリチュアル方向へ行かないとやっていけないほど、現実見れない阿呆だとでもお思いで?
失礼、失礼、これじゃまるでロマンスを大事にしている人やスピリチュアルを大事にしている人を阿呆呼ばわりしているじゃないか。マトモじゃないロマンチストとマトモじゃないスピリチュアル信者が恐ろしいだけさ。
ああクソ!これも駄目ならなんだってんだ。あの人はマトモだったのかよ。他人の心をえぐり取ってグサグサ刺してわけのわからないうわ言をペラペラ酒に酔っ払いながら語る人間がマトモだって!?ヤッベェな!!
ヒドイなあもう。我が子が大事って言っておきながら、毎晩毎晩出ていって毎回朝帰りからの土日祝日は全部家に帰ってこない。「居てほしいときに居てくれなくて寂しい思いしたから、自分の子にはそんな思いさせないように」って、語ってくれたのも、ありゃぜ〜〜んぶ嘘だったってことか?それともただ心変わりしたか。それともなんだ、やっぱり“遺伝”ってやつか!
親によって子は左右されない!とかほざいてたのになあ。アンタもろに影響受けてんじゃねえか。言うつもりもなかったけどアンタはアンタの親にそっくりだぜ。あんだけ嫌ってんのになあ結局似ちまうんだよ!!
似ちまって。あーあ、可哀想に。
誰がって?自分がさ。
今週はしばらく曇りと雨の予報で嬉しい。
︰衣替え
どうしてあなたはダブルブッキングしたの?誘ってくれたのはあなたなのに、2時間もかけて見に行ったのに、どうして他の子と一緒にまわる約束してるの?なんで?
ちゃんと話し合わなかったから?いつも成り行きで一緒にいたから、今回もそうだろうって期待したのがいけなかった?ねえなんで?なんでよ、もう!
あたしはこの子と二人っきりで仲良く遊んでくるもんね!あなたは他の子といればいいのよ。寂しがられたって知らない!馴れ馴れしく許しを乞われたって知らないしベタベタ手を握らないでよ。ふんだ!
人に期待した私がやっぱり馬鹿だったかな……なんて言うわけねぇからな。誘ったんなら最後までちゃんとしろや。
嫌だな、嫌だなぁ……でも、昨日は楽しかったな、あの子と二人っきりで遊べてむしろ良かったかも。
磨りガラスの窓を眺める。ぼんやり太陽の丸い形が浮かび上がっている。日が沈み始めると不安が増す。夕日は怖しい。頭痛と吐き気がする。耳の奥でキーンだか、ジーーだか、鳴っている。体に熱が篭っているような、火照ったような、今日はよく、寝た。停滞している、体ばかりが老いていく。何もできない✕ しない○ まま。
どうして「人を悲しませちゃいけない」と言えるのか、ずっと考えてた。自分が不安だから、自分が困るから、自分が悲しくりたくないから、自分のことを守りたいだけの、卑劣なセリフ。
だからなんだって、特に、なにも。
人に伝える必要性が分からなくなってきた。この感覚は致命的だ。話をしたいと思うのに、話す必要性が分からないなどと、矛盾している。根付いてしまったのなら仕方がない。無理に人に伝えようとすると却ってストレスになる。
もっと素直な性格だったら、もっと分かりやすい人になれたら、いっそ分かりづらいと思われるようになれたら、もっと一般的な考え方ができるようになったら、いっそ変人極まりないと思われるようになれたら、もっと鈍感だったら、もっと繊細だったら、もっと、もっと、もっと
考えたところで意味ないな。
だって今、そうじゃないという事実しかない。
寒くなってきた。みんなは衣替えをする時期なんだろうか。衣替えなんて生まれてこの方したことがない。だって全部出しっぱだし、服の片付け方が分からないし。着れたらそんでいいしなぁ。
信頼というのは一度ぶち壊れたら回復なんてできるものなのだろうか。嫌だったことをずっと根に持つこの性格が、どうもネガティブな己を形成しているのか。人を好きになるより憎むほうが難易度が低いから、一生幼稚とやらで立ち止まっているのだろうか。
だって許せないよ。なんでダブルブッキングしたの。
今を実感してからでないと思考に入り込めないという実に厄介なもの。今、私は、ひどく重苦しい。重苦しいのは昨日の疲れか。ここのところ、人に伝えたいと思わなくなった、というより、戻ったのだ。
戻った、ただしくは。もともと、それほど、己の意思を人に伝える気なんて……なかったのだろうか?もっと幼い頃は自己主張が激しかったように思う。
じゃあ、今は?
分からない。自分のことなんて自分が一番よく分かっていない。「あなたってこういう人だよね」と言われて納得できた覚えもなく「あなたってよく分からない」と言われることも不満だった。……どちらかというと「あなたのことが分からない」と言われたほうが、あの言葉のほうが当てはまっていたのかもしれない。自身のことなど知らないし、分からないし、ならば他者からすれば、自分が思っているよりもっと気難しく見えているのだろう。
私は分かりやすくて単純だよ。
どうして分からないかな。
分からないものは仕方がないよ。
幻想を抱いていたのは君じゃないか。
幻滅とは正しい言葉だ。幻が滅ぶとは実に良いことだ。
ふわふわしたものが好きそうだと、可愛いくまさんとかうさぎさんのぬいぐるみやレースに囲まれているイメージがあると、珈琲や紅茶にはお砂糖とミルクを入れて飲んでそうだと、甘い食べ物が好きそうだと、春生まれっぽいと、ジェットコースターや絶叫マシンは苦手そうだと、そう思われているらしい。それに加え心優しく穏やかな人が好きそうだと思われている。同じタイプが好きでしょう、お砂糖を溶かしたような人が好みでしょう、と。きっとこのキャラハマるよ、と教えられたのは、甘くて優しそうな顔をしてた。
ふわふわしたものは特別好きなわけでもないし、ぬいぐるみにはあまり関心がなく、飲み物に砂糖を入れると変な味がして飲めなくなってしまい、そもそも甘いものはすぐ気持ち悪くなるから苦手の部類で、全く春生まれでもないし、絶叫系のアトラクションはむしろ大好きでずっと乗っていたい。基本的に人は好きじゃないから好きなタイプはないし、むしろ嫌いなタイプのほうがいっぱい出てくる。というか人を好きになるとか気持ち悪い。キャラクターだって、口が悪くて、つっけんどんで、不器用で、暴力的で、虚勢を張って己を律してるけど脆くて崩れやすい、人間的にズレのある人のほうが好みだ。
難しいな。自分で自分のこと可愛らしい人間だとは思っているけど、他人が思ってる「可愛い」と自分が思ってる「可愛い」がどうも違う気がしてる。他人のイメージの中の自分はとてもキュートだけど、ありのままの自分は皮肉を込めたカワイイ。
「ふわふわしてて可愛い可愛いね、ずっと純粋でいてね」と言われると心底腹が立つが「バカでガキでわがまま暴君で可愛いな」と言われるとほっとする。結局のところ純粋無垢と言われることにコンプレックスがあるだけで、どうにも嫌味を言われているようにしか受け取れないから腹が立っているだけかもしれない。「そんなことできるなんて凄いですねえ」と嫌味を言われるより「出来悪いな」とはっきり言われる方がいい、みたいな。よっぽど誠実に真摯に向き合ってくれているように感じる。「純粋で可愛いね」より「バカで可愛いね」と言われるほうが、よほど温かみがあるような。
バカで可愛いってのは貶し愛だって?どこが貶してるって言うんだ。事実を事実としてありのまま可愛いと言ってくれているだけじゃないか。純粋無垢という幻想を抱いて褒められてもこれっぽっちも嬉しくない。それこそ侮辱だ。
出来ないお前が可愛いよ。頑張ろうとして頑張れないお前のそこが愛らしいんだよ。クソみたいな思考回路をしても結局奥底でクズになりきれないところも可愛い。実際反応鈍くてぽわぽわしてるがその割には攻撃的で捻くれ野郎で掴み所が分からなければお前の地雷が何なのかも分からない。そんなところが愛らしいのさ!自己愛が強くて実に麗しい!
慰めてくれるのは架空の自分だけである。やっぱり自分のことは自分がよく分かってるじゃないか。これこそ自己愛≒自己肯定。己は実に愛らしく魅力に溢れている人間なのさ。カワイイだろ?
あの子はそんな感じで言ってなかったような。
皮肉ではなく、できない私でも愛らしいと、あの子はそう、本気で言ってくれていた。そう感じているのもただの願望かもしれない。
「実際のあなたは大人な服も着るし、考え方もしっかりしてる。ふわふわして可愛いものだけに囲まれていてほしいと思っちゃうのは、私がそうであってほしいって思う、願望で、押し付けなんだろうね」
私と腕を組んでくれた。
バイバイと言って手を振って、電車に乗って、扉が閉まって、顔を上げたら、まだ、あなたがそこに居たから。発車して見えなくなる最後の最後まで手を振り続けてくれたのが、愛情ってやつなのかなって、思った。
なんだ!やっぱ大事にしてもらえるだけの魅力が己にはあるってことじゃないか!あっはっは!
幻滅されなかったことに安堵した。嬉しかった。実に単純なこと。あの子は私に幻を抱いていることを自覚していた。その上で「可愛いね」と言っていた。実に誠実で面白く素直な人だと思った。
信用に必要なものとは誠実さなのかな。誠実な人は信用できる。
許せない人のことも、次第に許すようになるのだろうか。誠実に向き合ってもらえたと感じたらあっさり許してしまうのだろうか。あっさり、あの子に笑顔を向けて手を振ったみたいに、信用するのか。
その時にならないと分からないや。だって気分で変わるし。今はダブルブッキングしたこと全く許せないよ。でもそのうち許すのかもしれない。自分ってのは不確定要素だ。分からないよ。分かったつもりになってなんでも名前をつけて枠に当てはめてきただけで、後付こじつけ大体思い込み。
これすら思考矯正かもしれない。
昨日は楽しかったなぁ。
夕日はもう沈んだ。部屋が暗くなってほっとする。今回のもやもや議題は終了。
夜が更けたら次の会議が始まって、朝がきたら次の会議が始まって、昼を過ぎたら次の議題が始まって、夕方になったらまた会議。
こうやって会議を開いていることすら意味ないのかもしれない。意味ないけど、あっちこっち話が飛びながらグルグル考えるの、もはや趣味だし、別にいいかなぁ。
意味ないことを行える自由!それこそ意味があるのさ!だってこんなに楽しくていい暇つぶしになる!現実逃避!素晴らしい!
でもなくて。とりあえずこのもやもやを何か形に変えないと、不安で不安でたまらないから、という、ただの不安症だ。文字にしなければ認識できず、文字にせず放っておくと体調が悪くなるから、多少しんどくなりながらでも言語化しておかないと後々に響く、気がしてる。
思考よりよっぽど衣替えのほうが意味ないじゃないか。服なんて全部出しっぱでいいじゃないか。全部同じタンスに入れっぱかクローゼットに吊りっぱなしでいいのに、丁寧な人はわざわざ箱になおしたりしてる。なんでわざわざ。
そう思うけど、きっと衣替えをする人はしたいからしていて、している人は理由があるからやっていて、意味なくやっていたとしてもやっているには何かが、たぶんきっとおそらくあるんだと思う。私には想像できない何か。
心も全部出しっぱ放置だったら落ち着かないし、お洋服も一緒なのかな。
思考するのつらいし頭痛くなるしできればしたくないよと言っておきながら、飽きもせずやっている。衣替えみたいなもんなのかな。
意味とか理由とか特になくて、そういうもの、衣替えは季節の変わり目に当たり前のようにやるもの、みたいな。思考するのも「そういうもの」でしかなかったりとか。
︰声が枯れるまで
声が枯れるまで叫び続けて訴えかけて、何していたんだろう。
“一緒”だと思ってた。仲が良いから、いつの間にか何もかもが一緒だって思ってた。価値観とか、考え方とか、配慮の仕方とか、優先順位とか、何でも一緒だろうって、お互い何でも分かってる、僕達は“一緒”だって、心が繋がってるんだって思ってた。
そうあってほしいってただの願望だったなあ。
あの子と僕は似ている部分はあれど少し性格が違うし、気を配るポイントも違うし、考え方もお互い少しだけズレていて、育ってきた環境が全く違っていて、根本的な部分で分かり合えることはなくて……いやもう分からない。分からないよ。
お互い、全部分かり合えないと駄目なのかな。分からない部分があったってそれでいいんじゃないかな。だって僕達、別の人なんだよ。相手の脳全てを理解できなければ一緒にいられないなんて、そんなの、変だって、僕は……。
僕の生活も、悩みも、人生も、それは君に関係があるわけじゃないと思ってる。だって僕の問題は僕とその当事者だけの問題で、第三者の君にどうすることもできない。僕だって君の問題をどうにかはできない。ただ、話を聞くだけが、最大限だと思う。それ以上踏み越えていく行為は侵害であると思っているから。
人と人の間にはある程度境界線が必要だと思ってるから。
分かり合えない部分があることが駄目なことだと思えないんだ。僕達は人だから、完璧に他人のことを理解するなんてことできないって思ってるから。
君は「口にすれば何でも理解し合える」という経験を積んできたからそう思えるのかい?
何もかもを把握しておかないと気がすまないというならそういうの僕にはできないよ。僕は君が言う「何でも話して分かり合おう」という気持ちを尊重できないし、君は僕が言う「分かり合えない部分があってもいいじゃないか」という気持ちを尊重できない。
一緒だと思ってた。気がついたら僕は大事だと思っていた境界線を薄くして君と僕自身を混ぜ合わせて考えてた。でも違うんだ。危ないよ、混ぜ合わせて考えるのは。僕ら別の人間だ。
混ぜ合わせることが危険だと思わないなら、そういうところ、僕とは違うね。違うならどうする、どちらかが折れる?どちらかが我慢する?そんな関係性それこそ嫌だよ。
何もかも明け透けにすればいいってわけでもないんじゃないかって思ってるんだけど、やっぱりこれは僕特有の考え方かな。
当たり前かぁ。
別、別、境界線を引く行為を「冷たい」なんて形容するなんて不思議だった。人に関心がない冷たい人間って僕の中ではもっと別の人を指していると思ってきていたから、その感覚、奇妙だ。適切な境界線を引ける人こそ素敵な人だと思っていたから、それが「冷たい人」って形容されてるの、やっぱり、分かんねえなあ……
人が辛いと泣いているのを見ても、無視しているつもりもなく無視できて「え、だって自分は辛くないし、お前が勝手に辛くなってるだけでしょ?」と平気で言い放てる人が人に関心がない冷たい人だと思ってる。僕にとっては恐ろしくて怖い人。「辛いの?自分がどうにかしなくちゃ!ねえどうしてほしいか言ってよ、なんで泣いてるばっかで何も言ってくれないの??どうしてほしいの?助けてあげるって言ってるのに!」と言う人を温かみのある人だとも思えない。相手の悩みと自分の悩みをまぜこぜにして考えて、相手の心を侵害しているようにしか思えない。僕は、侵害されるのは好きじゃない。侵害されるのがむしろ好きな人、嬉しい人はこういう人を優しい人と思っているのかもしれないけど。
「そっか、辛いんだね」と言って背中を撫でるだけ。そんな人が一番温かみがあって、素敵な人だっと思ってた。貴方の悩みは私の悩みじゃないからどうにかしてあげようとは思ってないよ、でも話は聞くよ、相槌も打つし返事もする、それにちゃんと気持ちは貴方に向いてるよ、でも過度な干渉はしないよって、そんな人が一番温かみのある人だって。
だから、そんな人を「物足りない」「冷たい人だ」と言っている人を見ると違和感がある。けど、これもやっぱり感覚の違いってやつなんだろうな。
誰かに「どうかしたの?」と尋ねられて自分で「大丈夫」と言っておいて、後から「『大丈夫』って言ってるけど本当は大丈夫じゃないの!察してよ!助けてよ!」とか言う方が変じゃないか。
こけて足を挫いたとして、誰かに「痛みどれくらいある?椅子座って休む?」と聞かれたとしよう。本当に痛いならこのときに「椅子に座りたい」と言えばいいと思う。我慢して歩いてみようと思って「大丈夫、歩ける」と答えて、歩き出してからやっぱり痛くなったならそこで「歩けると思ったけどやっぱり痛くて歩けない。椅子に座りたい」と言えばいいと思う。
言わずに「普通足挫いてる人が『大丈夫』って言ってても椅子に座らせるよね?なんで『大丈夫って言ってるけど絶対痛いよ!椅子座っとこう』って言ってくれないの?なんで気遣ってくれないの?察してくれないの?」って、相手を攻めるの、それこそ酷い奴じゃないか。大丈夫って言ったのは自分で、無理やり引きずられて歩かされたわけでもないのに「分かってくれない相手が悪い」って、それ、やっぱりどう考えても変だなぁ……。
「言いたくても言えないの」って状況は二パターンあると思う。一つは相手から頭ごなしに否定されてるパターン、もう一つは相手が聞く耳を持っているパターン。前者だと「自分の気持ちを言っても相手に否定され無視され蔑ろにされ心が折れてしまうし怖くて言えない」と思うのも頷けるし、相手に非があるように思う。後者の場合の「相手は聞く耳持ってくれてるけど人のこと心から信じられないし裏切られたら怖いし本音言って嫌われたくないから言えない。できれば相手がこっちのことを気遣って察して分かってくれたらいいのに」というのは、己の問題だろう。相手を信じられない自分に問題があるのに察してくれない相手が悪いってのは……
自己中と思われたくなくて引っ込んでるつもりだがやってること自己中ってのが最早コントみたいだ。どうしよう、ツッコミ待ちだったとしたら。ボケにはちゃんとツッコまないと、もしかしてノリに乗れてないのは僕の方なのか?だから冷たいって?でも僕どちらかというとツッコミよりボケがやりたいしなぁ。
大概の話は「どちらにも一理ある」というものらしい。変だなぁと感じているのも、それは僕が変だと感じているだけの話で、何が良いとか悪いとかの話ではないのだろう。
声を枯らしてまで必死になって伝える必要が、本当にあったのだろうか。ある程度話して通じ合えないならそこで「あ、僕達理解し合えないね。感覚が違うね」でも、別にいいんじゃないか。だって僕達別人なんだから。理解さそう分からせようとするのは傲慢なんじゃないか。相手の感覚、思考、心を侵害している行為。
違って当然、分かり合えない理解できないなら仕方がない。だって僕と君は、別人。
一緒じゃない。