よあけ。

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︰衣替え

どうしてあなたはダブルブッキングしたの?誘ってくれたのはあなたなのに、2時間もかけて見に行ったのに、どうして他の子と一緒にまわる約束してるの?なんで?

ちゃんと話し合わなかったから?いつも成り行きで一緒にいたから、今回もそうだろうって期待したのがいけなかった?ねえなんで?なんでよ、もう!

あたしはこの子と二人っきりで仲良く遊んでくるもんね!あなたは他の子といればいいのよ。寂しがられたって知らない!馴れ馴れしく許しを乞われたって知らないしベタベタ手を握らないでよ。ふんだ!

人に期待した私がやっぱり馬鹿だったかな……なんて言うわけねぇからな。誘ったんなら最後までちゃんとしろや。

嫌だな、嫌だなぁ……でも、昨日は楽しかったな、あの子と二人っきりで遊べてむしろ良かったかも。


磨りガラスの窓を眺める。ぼんやり太陽の丸い形が浮かび上がっている。日が沈み始めると不安が増す。夕日は怖しい。頭痛と吐き気がする。耳の奥でキーンだか、ジーーだか、鳴っている。体に熱が篭っているような、火照ったような、今日はよく、寝た。停滞している、体ばかりが老いていく。何もできない✕ しない○ まま。

どうして「人を悲しませちゃいけない」と言えるのか、ずっと考えてた。自分が不安だから、自分が困るから、自分が悲しくりたくないから、自分のことを守りたいだけの、卑劣なセリフ。

だからなんだって、特に、なにも。

人に伝える必要性が分からなくなってきた。この感覚は致命的だ。話をしたいと思うのに、話す必要性が分からないなどと、矛盾している。根付いてしまったのなら仕方がない。無理に人に伝えようとすると却ってストレスになる。

もっと素直な性格だったら、もっと分かりやすい人になれたら、いっそ分かりづらいと思われるようになれたら、もっと一般的な考え方ができるようになったら、いっそ変人極まりないと思われるようになれたら、もっと鈍感だったら、もっと繊細だったら、もっと、もっと、もっと

考えたところで意味ないな。

だって今、そうじゃないという事実しかない。


寒くなってきた。みんなは衣替えをする時期なんだろうか。衣替えなんて生まれてこの方したことがない。だって全部出しっぱだし、服の片付け方が分からないし。着れたらそんでいいしなぁ。


信頼というのは一度ぶち壊れたら回復なんてできるものなのだろうか。嫌だったことをずっと根に持つこの性格が、どうもネガティブな己を形成しているのか。人を好きになるより憎むほうが難易度が低いから、一生幼稚とやらで立ち止まっているのだろうか。

だって許せないよ。なんでダブルブッキングしたの。


今を実感してからでないと思考に入り込めないという実に厄介なもの。今、私は、ひどく重苦しい。重苦しいのは昨日の疲れか。ここのところ、人に伝えたいと思わなくなった、というより、戻ったのだ。

戻った、ただしくは。もともと、それほど、己の意思を人に伝える気なんて……なかったのだろうか?もっと幼い頃は自己主張が激しかったように思う。

じゃあ、今は?

分からない。自分のことなんて自分が一番よく分かっていない。「あなたってこういう人だよね」と言われて納得できた覚えもなく「あなたってよく分からない」と言われることも不満だった。……どちらかというと「あなたのことが分からない」と言われたほうが、あの言葉のほうが当てはまっていたのかもしれない。自身のことなど知らないし、分からないし、ならば他者からすれば、自分が思っているよりもっと気難しく見えているのだろう。


私は分かりやすくて単純だよ。
どうして分からないかな。
分からないものは仕方がないよ。
幻想を抱いていたのは君じゃないか。
幻滅とは正しい言葉だ。幻が滅ぶとは実に良いことだ。


ふわふわしたものが好きそうだと、可愛いくまさんとかうさぎさんのぬいぐるみやレースに囲まれているイメージがあると、珈琲や紅茶にはお砂糖とミルクを入れて飲んでそうだと、甘い食べ物が好きそうだと、春生まれっぽいと、ジェットコースターや絶叫マシンは苦手そうだと、そう思われているらしい。それに加え心優しく穏やかな人が好きそうだと思われている。同じタイプが好きでしょう、お砂糖を溶かしたような人が好みでしょう、と。きっとこのキャラハマるよ、と教えられたのは、甘くて優しそうな顔をしてた。

ふわふわしたものは特別好きなわけでもないし、ぬいぐるみにはあまり関心がなく、飲み物に砂糖を入れると変な味がして飲めなくなってしまい、そもそも甘いものはすぐ気持ち悪くなるから苦手の部類で、全く春生まれでもないし、絶叫系のアトラクションはむしろ大好きでずっと乗っていたい。基本的に人は好きじゃないから好きなタイプはないし、むしろ嫌いなタイプのほうがいっぱい出てくる。というか人を好きになるとか気持ち悪い。キャラクターだって、口が悪くて、つっけんどんで、不器用で、暴力的で、虚勢を張って己を律してるけど脆くて崩れやすい、人間的にズレのある人のほうが好みだ。

難しいな。自分で自分のこと可愛らしい人間だとは思っているけど、他人が思ってる「可愛い」と自分が思ってる「可愛い」がどうも違う気がしてる。他人のイメージの中の自分はとてもキュートだけど、ありのままの自分は皮肉を込めたカワイイ。

「ふわふわしてて可愛い可愛いね、ずっと純粋でいてね」と言われると心底腹が立つが「バカでガキでわがまま暴君で可愛いな」と言われるとほっとする。結局のところ純粋無垢と言われることにコンプレックスがあるだけで、どうにも嫌味を言われているようにしか受け取れないから腹が立っているだけかもしれない。「そんなことできるなんて凄いですねえ」と嫌味を言われるより「出来悪いな」とはっきり言われる方がいい、みたいな。よっぽど誠実に真摯に向き合ってくれているように感じる。「純粋で可愛いね」より「バカで可愛いね」と言われるほうが、よほど温かみがあるような。

バカで可愛いってのは貶し愛だって?どこが貶してるって言うんだ。事実を事実としてありのまま可愛いと言ってくれているだけじゃないか。純粋無垢という幻想を抱いて褒められてもこれっぽっちも嬉しくない。それこそ侮辱だ。

出来ないお前が可愛いよ。頑張ろうとして頑張れないお前のそこが愛らしいんだよ。クソみたいな思考回路をしても結局奥底でクズになりきれないところも可愛い。実際反応鈍くてぽわぽわしてるがその割には攻撃的で捻くれ野郎で掴み所が分からなければお前の地雷が何なのかも分からない。そんなところが愛らしいのさ!自己愛が強くて実に麗しい!

慰めてくれるのは架空の自分だけである。やっぱり自分のことは自分がよく分かってるじゃないか。これこそ自己愛≒自己肯定。己は実に愛らしく魅力に溢れている人間なのさ。カワイイだろ?


あの子はそんな感じで言ってなかったような。

皮肉ではなく、できない私でも愛らしいと、あの子はそう、本気で言ってくれていた。そう感じているのもただの願望かもしれない。

「実際のあなたは大人な服も着るし、考え方もしっかりしてる。ふわふわして可愛いものだけに囲まれていてほしいと思っちゃうのは、私がそうであってほしいって思う、願望で、押し付けなんだろうね」

私と腕を組んでくれた。


バイバイと言って手を振って、電車に乗って、扉が閉まって、顔を上げたら、まだ、あなたがそこに居たから。発車して見えなくなる最後の最後まで手を振り続けてくれたのが、愛情ってやつなのかなって、思った。


なんだ!やっぱ大事にしてもらえるだけの魅力が己にはあるってことじゃないか!あっはっは!


幻滅されなかったことに安堵した。嬉しかった。実に単純なこと。あの子は私に幻を抱いていることを自覚していた。その上で「可愛いね」と言っていた。実に誠実で面白く素直な人だと思った。

信用に必要なものとは誠実さなのかな。誠実な人は信用できる。

許せない人のことも、次第に許すようになるのだろうか。誠実に向き合ってもらえたと感じたらあっさり許してしまうのだろうか。あっさり、あの子に笑顔を向けて手を振ったみたいに、信用するのか。

その時にならないと分からないや。だって気分で変わるし。今はダブルブッキングしたこと全く許せないよ。でもそのうち許すのかもしれない。自分ってのは不確定要素だ。分からないよ。分かったつもりになってなんでも名前をつけて枠に当てはめてきただけで、後付こじつけ大体思い込み。

これすら思考矯正かもしれない。


昨日は楽しかったなぁ。


夕日はもう沈んだ。部屋が暗くなってほっとする。今回のもやもや議題は終了。

夜が更けたら次の会議が始まって、朝がきたら次の会議が始まって、昼を過ぎたら次の議題が始まって、夕方になったらまた会議。


こうやって会議を開いていることすら意味ないのかもしれない。意味ないけど、あっちこっち話が飛びながらグルグル考えるの、もはや趣味だし、別にいいかなぁ。

意味ないことを行える自由!それこそ意味があるのさ!だってこんなに楽しくていい暇つぶしになる!現実逃避!素晴らしい!

でもなくて。とりあえずこのもやもやを何か形に変えないと、不安で不安でたまらないから、という、ただの不安症だ。文字にしなければ認識できず、文字にせず放っておくと体調が悪くなるから、多少しんどくなりながらでも言語化しておかないと後々に響く、気がしてる。

思考よりよっぽど衣替えのほうが意味ないじゃないか。服なんて全部出しっぱでいいじゃないか。全部同じタンスに入れっぱかクローゼットに吊りっぱなしでいいのに、丁寧な人はわざわざ箱になおしたりしてる。なんでわざわざ。

そう思うけど、きっと衣替えをする人はしたいからしていて、している人は理由があるからやっていて、意味なくやっていたとしてもやっているには何かが、たぶんきっとおそらくあるんだと思う。私には想像できない何か。

心も全部出しっぱ放置だったら落ち着かないし、お洋服も一緒なのかな。

思考するのつらいし頭痛くなるしできればしたくないよと言っておきながら、飽きもせずやっている。衣替えみたいなもんなのかな。

意味とか理由とか特になくて、そういうもの、衣替えは季節の変わり目に当たり前のようにやるもの、みたいな。思考するのも「そういうもの」でしかなかったりとか。

10/23/2024, 6:11:51 AM