︰声が枯れるまで
声が枯れるまで叫び続けて訴えかけて、何していたんだろう。
“一緒”だと思ってた。仲が良いから、いつの間にか何もかもが一緒だって思ってた。価値観とか、考え方とか、配慮の仕方とか、優先順位とか、何でも一緒だろうって、お互い何でも分かってる、僕達は“一緒”だって、心が繋がってるんだって思ってた。
そうあってほしいってただの願望だったなあ。
あの子と僕は似ている部分はあれど少し性格が違うし、気を配るポイントも違うし、考え方もお互い少しだけズレていて、育ってきた環境が全く違っていて、根本的な部分で分かり合えることはなくて……いやもう分からない。分からないよ。
お互い、全部分かり合えないと駄目なのかな。分からない部分があったってそれでいいんじゃないかな。だって僕達、別の人なんだよ。相手の脳全てを理解できなければ一緒にいられないなんて、そんなの、変だって、僕は……。
僕の生活も、悩みも、人生も、それは君に関係があるわけじゃないと思ってる。だって僕の問題は僕とその当事者だけの問題で、第三者の君にどうすることもできない。僕だって君の問題をどうにかはできない。ただ、話を聞くだけが、最大限だと思う。それ以上踏み越えていく行為は侵害であると思っているから。
人と人の間にはある程度境界線が必要だと思ってるから。
分かり合えない部分があることが駄目なことだと思えないんだ。僕達は人だから、完璧に他人のことを理解するなんてことできないって思ってるから。
君は「口にすれば何でも理解し合える」という経験を積んできたからそう思えるのかい?
何もかもを把握しておかないと気がすまないというならそういうの僕にはできないよ。僕は君が言う「何でも話して分かり合おう」という気持ちを尊重できないし、君は僕が言う「分かり合えない部分があってもいいじゃないか」という気持ちを尊重できない。
一緒だと思ってた。気がついたら僕は大事だと思っていた境界線を薄くして君と僕自身を混ぜ合わせて考えてた。でも違うんだ。危ないよ、混ぜ合わせて考えるのは。僕ら別の人間だ。
混ぜ合わせることが危険だと思わないなら、そういうところ、僕とは違うね。違うならどうする、どちらかが折れる?どちらかが我慢する?そんな関係性それこそ嫌だよ。
何もかも明け透けにすればいいってわけでもないんじゃないかって思ってるんだけど、やっぱりこれは僕特有の考え方かな。
当たり前かぁ。
別、別、境界線を引く行為を「冷たい」なんて形容するなんて不思議だった。人に関心がない冷たい人間って僕の中ではもっと別の人を指していると思ってきていたから、その感覚、奇妙だ。適切な境界線を引ける人こそ素敵な人だと思っていたから、それが「冷たい人」って形容されてるの、やっぱり、分かんねえなあ……
人が辛いと泣いているのを見ても、無視しているつもりもなく無視できて「え、だって自分は辛くないし、お前が勝手に辛くなってるだけでしょ?」と平気で言い放てる人が人に関心がない冷たい人だと思ってる。僕にとっては恐ろしくて怖い人。「辛いの?自分がどうにかしなくちゃ!ねえどうしてほしいか言ってよ、なんで泣いてるばっかで何も言ってくれないの??どうしてほしいの?助けてあげるって言ってるのに!」と言う人を温かみのある人だとも思えない。相手の悩みと自分の悩みをまぜこぜにして考えて、相手の心を侵害しているようにしか思えない。僕は、侵害されるのは好きじゃない。侵害されるのがむしろ好きな人、嬉しい人はこういう人を優しい人と思っているのかもしれないけど。
「そっか、辛いんだね」と言って背中を撫でるだけ。そんな人が一番温かみがあって、素敵な人だっと思ってた。貴方の悩みは私の悩みじゃないからどうにかしてあげようとは思ってないよ、でも話は聞くよ、相槌も打つし返事もする、それにちゃんと気持ちは貴方に向いてるよ、でも過度な干渉はしないよって、そんな人が一番温かみのある人だって。
だから、そんな人を「物足りない」「冷たい人だ」と言っている人を見ると違和感がある。けど、これもやっぱり感覚の違いってやつなんだろうな。
誰かに「どうかしたの?」と尋ねられて自分で「大丈夫」と言っておいて、後から「『大丈夫』って言ってるけど本当は大丈夫じゃないの!察してよ!助けてよ!」とか言う方が変じゃないか。
こけて足を挫いたとして、誰かに「痛みどれくらいある?椅子座って休む?」と聞かれたとしよう。本当に痛いならこのときに「椅子に座りたい」と言えばいいと思う。我慢して歩いてみようと思って「大丈夫、歩ける」と答えて、歩き出してからやっぱり痛くなったならそこで「歩けると思ったけどやっぱり痛くて歩けない。椅子に座りたい」と言えばいいと思う。
言わずに「普通足挫いてる人が『大丈夫』って言ってても椅子に座らせるよね?なんで『大丈夫って言ってるけど絶対痛いよ!椅子座っとこう』って言ってくれないの?なんで気遣ってくれないの?察してくれないの?」って、相手を攻めるの、それこそ酷い奴じゃないか。大丈夫って言ったのは自分で、無理やり引きずられて歩かされたわけでもないのに「分かってくれない相手が悪い」って、それ、やっぱりどう考えても変だなぁ……。
「言いたくても言えないの」って状況は二パターンあると思う。一つは相手から頭ごなしに否定されてるパターン、もう一つは相手が聞く耳を持っているパターン。前者だと「自分の気持ちを言っても相手に否定され無視され蔑ろにされ心が折れてしまうし怖くて言えない」と思うのも頷けるし、相手に非があるように思う。後者の場合の「相手は聞く耳持ってくれてるけど人のこと心から信じられないし裏切られたら怖いし本音言って嫌われたくないから言えない。できれば相手がこっちのことを気遣って察して分かってくれたらいいのに」というのは、己の問題だろう。相手を信じられない自分に問題があるのに察してくれない相手が悪いってのは……
自己中と思われたくなくて引っ込んでるつもりだがやってること自己中ってのが最早コントみたいだ。どうしよう、ツッコミ待ちだったとしたら。ボケにはちゃんとツッコまないと、もしかしてノリに乗れてないのは僕の方なのか?だから冷たいって?でも僕どちらかというとツッコミよりボケがやりたいしなぁ。
大概の話は「どちらにも一理ある」というものらしい。変だなぁと感じているのも、それは僕が変だと感じているだけの話で、何が良いとか悪いとかの話ではないのだろう。
声を枯らしてまで必死になって伝える必要が、本当にあったのだろうか。ある程度話して通じ合えないならそこで「あ、僕達理解し合えないね。感覚が違うね」でも、別にいいんじゃないか。だって僕達別人なんだから。理解さそう分からせようとするのは傲慢なんじゃないか。相手の感覚、思考、心を侵害している行為。
違って当然、分かり合えない理解できないなら仕方がない。だって僕と君は、別人。
一緒じゃない。
10/22/2024, 7:25:17 AM