︰喪失感
やられたらやり返すってのもちゃんと定義があるんだよ。全く関係のない人は巻き込まず、やってきた人にだけやり返すってのがさ。関係のない人を傷つけるのはお門違いだ。筋が通ってないのは嫌いだからな。
やり返すってのも正当だよ。「それされたら嫌だ」って言って聞いてくれないやつにはちゃんと伝えるしかない。分かるまで。例え相手が傷ついたとしてもちゃんと怒らないとならない。黙って泣き寝入りすることが一番良くない。より相手を凶暴にさせるだけ、被害者を増やすだけだ。
極端な話だが、人に刺されたとしよう。刺した側、加害者は殺人未遂で逮捕されるだろう?加害者は牢屋に入れられ傷つき怒るかもしれないが、ちゃんと牢屋に入れないと駄目なんだよ。お前がやったことは間違ってるって、ちゃんと伝えなきゃ駄目なんだよ。駄目なことには駄目、間違ってることは間違ってると言わないといけない。
それと同じだ。暴言を吐く人、暴力を振るう人には、ちゃんとそれがいけないことなんだと伝えないと。自分が傷ついたならちゃんと怒っていいんだよ。
やり返す、なんて言い方が極端すぎたのかもしれないな。怒っていいんだよ。それは間違ってるって、それは酷いことだって。
ただ、自分が相手になんかやらかしてて相手がそれを返しただけだと言うなら素直に受け入れないといけないかもな。
自業自得、因果応報、こういうやつだ。
なんて、きれいなこと言うのはここまでだ。
十中八九原因はあれだろうな。なんで「やり返しちゃだめ」って怒られたのかって、暴言吐かれて嫌だったことを伝えても相手が理解できずやめてくれなかったから、言い返して痛めつけ返して「傷つくか?嫌か?やめてほしいか?自分もやめてほしかったよ。でもお前は聞いてくれなかったよな?これで痛みを分かってくれるか?」って、そういう風にしたから「やりすぎ」なんて言われたのかもな。
今でも間違ってなかったって思ってるけど。
言われたら言われた分だけ言い返した。でなければ伝わらないと思ったからだ。何度も「やめて」と言ったさ。伝わらないなら強硬手段に出るしかないと思った。
やりようはあったはずと言いたいんだろうか。じゃあ、なんで押さえ込んだんだ?この怒りは正当なものなのに、それを無視したのはお前だろ?
誰も見向きもしなかったじゃないか。散々痛めつけてくれたのによ。やり返されるのは嫌だなんてそんな虫がいい話あるわけねぇってのに、あいつらは更に力で押さえ込んだ。そら爆発もするだろ。そういうのが復讐心になってくんだ。
ある時「加害者とか被害者ってのにこだわり過ぎじゃない?」って言った奴がいたんだ。生きてる世界が違いすぎんなぁと思った。人に恵まれ加害されたことがないあんたには分かんないよ。
分かってほしかったなぁ。なんて、君は無関係の人間だから、傷つけるようなことは言わなかった。でも更に言われた。「相談してよ!助けてあげる!」って。無知で純粋な好意ほど人を痛めつける。「いらない」って言ってるだろうが。赤の他人じゃこの問題においてはなんの役にも立たないってことをそもそも理解できない、知らない、そんな世界で生きたことがないから、分からないんだろ。なら踏み込むな。ちゃんと「ありがとう」って言っといたさ。傷つけてないからもういいだろ。
やられたからってやり返すなと綺麗事言う奴も、助けてあげるなんていう偽善者も、どっちも人のこと傷つけてる自覚がないんだ。最悪だな。
過去何度か相談をしたことだってあるさ。でもだぁれもまともに取り合わなかった。見たくないもんな?どうせ戯言だと思ったんだろ。誇張してるって思ったんだろ、だから適当に流されたんだろ。
赤の他人だから、関係ないから、そうやって線引きしたんだろ。だからするよ、線引き。
ちゃんと話聞いてくれなかったことに怒ってるんだ。「なんで聞いてくれなかったの!」って。へへ、もうそんなかわいい言い方できないくらいの執着になったけど。当時ならまだ純粋に聞いてほしかっただけで、まだ恨み憎しみ執着なんてなかったのに、きっとまだ扱いやすかったはずなのに、それでも無視したんだ。残念だよ、実に残念だ。大人ってのは子供を押さえつける存在なんだよ。これが認知の歪みだって?でも実際そうだったろ?何が歪みだよ。己の世界では正しい認識なんだ。
手遅れだ。今更だ。この執着は消えないし消すつもりもない。執着だけが心を生かしてくれたんだから。
もう単純なことはしないよ。だぁいじょうぶ、これはやり返してるんじゃない。お前が「やり返されてる」って勝手に感じてるだけって体を保てばいいんだよ。押さえつけられて反発して更に押さえつけられるなら、別の手段を用いればいい。
じわじわ追い詰めればいいんだ。相手が大人になって、成熟して、物事の良し悪しを考えられるようになったころに、キツい一発をお見舞いしてやるのさ。「ああ!あのときされたこと、すごく傷ついてるんだよねえ、大事な人にはそんなことしちゃ駄目だよ?」「あのとき言われたこと、まだ気にしてるんだけどさあ、あれって悪かったのは誰だろう。やっぱり自分が悪かったのかな?それなら謝らないといけないとおもっててさあ」って。いつか加害者が幸せになろうとしたときに、その瞬間地獄へ叩き落とせるカードを持ってるんだ。はは、こんな美味しいもん見逃すわけないよ。
そうだよ、自分も加害者になるんだ。きっと手札を切ったら己も地獄に落ちるだろう。幸せは望めない。いいや、既に生地獄なのだからここも死後も変わらない!死後の世界なんざ信じちゃいないけど。
傷ついても尚輝かしいままいられる人はいいなあ。前向いて歩いてこう、自分はそんなやつにはならないって思えるのは強いな。使えるもんは何でも使って、地獄へ引きずりおろしたいと思わないのか。どこかでいい経験をしたからか?
なあ「それだけ傷ついてるからだよね」って慈しんでくれないのか?できねぇよなあ!救えなかったからこうなってんだよなぁ。見ないふりして蓋をして、全部お前が蒔いた種だ。加害者のお前が。確かにそれをすくすく育てたのはこっちだよ。温めてきたよ。共犯者だな。共に、悪い奴らなんだ。
全然関係のない他人を巻き込んでんなら怒られても当然だと思うよ。じゃあ、元凶に正しく返しただけなら文句も言えねぇだろ?
幸せにはならない、だから捨て身で暴れられる。道連れにできる。お前らを幸せになんてさせるもんか。加害者はちゃあんと罪の意識に苦しみながら後悔してごめんなさいって言わないとなあ?
アレだろ。復讐しても喪失感に苛まれるだけだって。やっても空っぽになるだけだって。ならそんでいいじゃないか。自分達が復讐されたくないからそんなこと言ってんだろ。ちゃんと責任取ってね、落とし前はつけてもらわないと。
これが行き過ぎると「お前も殺して自分も死ぬ」って心中になるんだろうな。いいよ、それでも。反省しないって言うなら無理くり反省させるまで。いいや、もはや謝ってほしいわけでもない。傷ついてくれたらそれだけで万々歳なんだ。
向き合ってくれるか?傷つけられてもうボロボロなんだ。心配してるふりだけして、己が責められないように必死だなあ。「心配してくれてありがとう」って言えばいいのか?お前が加害した相手を、お前が気にかけてやれば、お前の罪は消えるのか?罪滅ぼしだって?はは、浅はかな。ならねえからな。罪は消えない。絶対にだ。どんなことをしようが覆せない。お前はお前を呪いながら生きていけ。自分のせいだと思って生きていけ。
そしたらそっと手を差し伸べてあげるよ。「自分の罪に耐えられないんだねぇ、もう気にしなくていいんだよ。苦しいねぇ、辛いねぇ。幸せになろうとするのをやめてくれたら、ずっと苦しみながら生きてくれたら、もうそれだけで十分だからね。許してあげるからね」って。ああ!もう我ながら天使みたいだ!なんて慈悲深いんだろう!
もし仮に復讐が成功したとして、復讐した側が喪失感を味わうと言うなら、相手も同じじゃないか?喪失感を得るのは復讐した側だけではないだろう。呪いを受けた側は苦しみを越して空っぽになるんだ。相手も喪失感たっぷりだぜ。更に人生のすべてを捨てることになってくれたりしたらいいんだけどなぁ。
あんまり効果がなかったらつまんねーな。あっさり「ああ、それは悪かった。ごめん」って言われたとしたら痛めつけがいがないな。それはそれで言質とれるからいいんだけど。なんにせよ捨てるものも失うものもないんだ。だってもう既にぜーんぶ持ってないんだから。
正しく復讐することが唯一の望み。受け入れてよ、分かってよ、この苦しみをちゃんと。罪は自覚しようね、無視しないでね。見捨てられて悲しんでるのさ。ちゃあんと向き合ってね。見捨てた幼子が泣いてるぜ?
一人だけ加害者だなんて信じたくないんだろ?ひとりぼっちは寂しいよな。なら一緒に加害者になってあげる。あなたの加害者になってあげる。これであなた一人だけが悪者って状況から抜け出せるよね。
分かってるんだ。お前はもう冷静になってまともに考えられるようになっちまったから、捨て身で来られるのが一番辛いって。だから己すら使ってえぐり取りたいんだ。
「お前のせいで人生を潰された」と言えば「でも幸せな道を歩もうとしてないのはお前の選択だろ?」と言われるし「いつまで過去の出来事に囚われてるんだ」と言われるし「これからどうするかは自分で決められるんだから人のせいにするな」と言われるし。あーもう本当に踏んだり蹴ったりなんだ。
でも楽しみなんだ。そういうこと言うやつを捕まえて毎日毎日鉄バットかなんかで殴って火で体を焼いて爪剥がして指一本一本折って食事も与えず睡眠も与えず風呂にはもちろん入れないしトイレにだって行かせない。その場で汚くなってろ。無様な姿を写真に撮って「ばらまくぞ」って脅して、そしたら痛みで気狂うだろ。誰だってストレスを受け過ぎたらおかしくなる。精神ボロボロになるって感覚が分からず適当ほざくやつにもちゃんと理解してもらわないと。お前の発言は人を傷つけるもので、お前も加害者なんだぜ、だからお前も一旦被害者になってみようなって。
心が折れた経験がない奴ってのは無知でいいねえ。苦しみを知らないってのは強いからなぁ。そういう奴が平気で心折れた人間にあれこれ口出しすんだ。ひでぇなあ、慈悲の心はないのか。じゃあ全然素敵でもない人間だな。劣ってるぜ、傷ついて涙を流してる人に寄り添えない人間なんて。
傷ついて泣いてる人がいてもどうでもいいと思ってる人間だから己だって劣ってるけど。豊かな人間じゃないからなあ、だから相手が泣いて苦しもうが反省したと言おうが痛めつけたいと思うのかもな。お前も俺もクソ野郎だから、一緒に警察署、いこーな。
︰胸の鼓動
結局俺には恨みつらみしか残ってなかった。綺麗な話を書けるアンタはいいな。羨ましい。汚い自分が浮き彫りになるから見たく無かったんだ。羨ましい。認めたくない。でもやっぱり綺麗なんだよ。綺麗なものを否定するなんて俺にはできない。悔しいさ、お前の感性が羨ましい。羨ましいんだ、だから書いてくれ。お願いだからこんなクソみたいな俺の話なんざとっとと忘れてくれ。ぶっ潰して粉々にしたくなる。重症だろ、分かってんだよ。
誰か俺が間違ってると言ってくれ。「お前がおかしい」と言ってくれ。碌でもないやつに育っちまったよなって自嘲して笑った、その顔をまた見たい。いなくならないでくれ。お前の自嘲もお前の自虐も俺はずっといいなと思ってた。
暴力は好きだ、クソだし。暴言は良い、傷つくし。ブラックジョークって楽しいよな、苦しくて惨めでよ。慰めは好きだ、ムカつくし。
お前は俺のこれを個性だと言った。俺のこれを弊害だと言った。俺のこれをアイデンティティだと言った。お前は俺を否定した。お前はお前自身を否定した。否定という名の肯定をして、肯定というものの中身を捨てた。
あの日見た朝日は綺麗だった。お前の話を思い出した。あれだけ綺麗な話を書けるお前が羨ましかった。
お前は拾い上げたものを口に入れて「美味しい」と泣きながら笑った。俺はそれがゴキブリを食ってるように見えた。写真を眺めて同じように泣きながら笑った。俺はそれがゲロ袋を抱えてるように見えた。お前の矛盾したところが羨ましかった。
傷口に塩を塗るように嫌味を言ったらお前は傷ついた顔して曖昧に笑った。ああ俺は本当にクソ野郎になったさ、お前がちゃんと傷ついてくれたのが心底嬉しかった。今までの散々な言い方からしてこんなことうわ言にしか聞こえないだろうが、お前の傷をお前が認識したことが嬉しかった。「自分の痛みに気がついてあげて」なんて優しい意味だけだったらどれほどお前に優しくあれただろう。お前に俺と同じ痛みがあることを自覚してほしかった、ずっと。なあ、俺はあんとき確かにお前の傷口に触れられたんだ。膝を抱えたお前の。
俺だけをクソ野郎にしてくれ。お前は何も悪くない。お前を羨ましく感じた俺が全部悪い。俺が話しかけなきゃお前は黙ってなんとなくやり過ごしたままでいられただろう。引きずり出されることはなかっただろう。だから全部俺になすり付けてくれ。そんなことお前ができないことも知ってんだ、知ってて言ってたんだ。「できないよ」って震え声が聞きたくて。
このときばかりは己のことを恨んだ。もしこんなんじゃなかったら素直に抱きしめることができたんじゃないかとか、背を撫でられたんじゃないかとか。ふと考えて、手をおろした。俺はそれをされたら心底軽蔑するからできなかった。違う、お前の傷口を広げた手で撫でるなんて、そんな虫がいい話あるわけないと思った。塩を塗り込んでと言われたなら、喜んで撫でられる、の――――に?
もう、塩は塗り込めない。できない。嫌味を言うことも、皮肉ることも、傷口を広げることも、もうできない。一瞬でもお前のことを抱きしめたいと思ってしまった。思っちまったら、無理だろ。傷つけるなんて。
でも傷つけないと、お前どうせ優しくされたらムカつくだろ。ムカつかないのか? ムカつくのは俺だけか? 聞いたらお前笑うだろ。知ってんだ、どうせ笑った顔見せてくれることくらい。そんで全部「いいよ、いいよ、大丈夫だよ」って心底柔らかい声で言うことくらい。
お前の感性が羨ましい。綺麗なものを見て素直に綺麗だと目を輝かせて、せっせとメモ取ってんのが羨ましい。「ねえ見て!」って素直に共有してくるところが羨ましい。良いものは良いと素直に言えるところが羨ましい。いつでも誰にでも公平であろうとするお前の優しさが羨ましい。誰にでも親切であろうとするところが羨ましい。言葉遣いが綺麗なところだって羨ましい。感受性が豊かでいろんなとこに心を向けてるところも羨ましい。誰のことを恨まない清く正しく美しい、お前のことが羨ましい。笑って泣いた、お前の顔があまりにも綺麗だったから、心底
お前みたいに素直に言ったとして? そんなんお前「それならそうと早く言ってよ! 嫌いになんてなるわけないよ」って笑うんだろ。だから余計言いたくないんだ。 お前からの優しさなんて素直に受け取れない。素直なお前の優しさなんて、俺には。
羨ましい、羨ましかった、羨ましかったさ。なあ、でも「羨ましい」より「好きだ」のほうがしっくりくるんだ。全部置き換えたらお前のことが好きで好きで仕方がない、みっともねぇ俺が残ってんだ。好きだなんて在り来りでチープな感情だろ。好きだからなんだよ、俺がしてきたことは消えない。ああクソ、クソだ、心底クソみたいな心地なのに嬉しいんだ。俺はずっと好きだったんだ。ずっと好きだったんだよ、クソが。
︰踊るように
触れたら大爆発する爆弾みたいな人が、あれやこれやと言い連ねるのを聞いていた。
「俺は今最高に気分がいいんだ。クソみたいなツラが見られて本当にラッキーだ。心底落ち込んでんだろ? 傷ついてんだろ? ゴミ溜めで一緒に踊っちまおうなあ! 踊り方なんて知らないが、お前の足なら何度だって踏んづけてやれるさ。なあそろそろいいだろ、なんで駄目なんだよ。さっさと『うん』って頷きゃいいんだ。俺はお前のことちゃんと大事だって思ってる。はは! ちゃんと。お前だって一度は頷いてくれたじゃないか。今更んなって何が駄目なんだよ」
お前に付き合っているのも変だと思っていた。変だ、おかしい、こいつはやっぱりイカれてる。でも一度「可哀想」なんて思ってしまったら見捨てられなかった。
「そりゃ俺だって最初は被害者だったさ。確かに俺は傷つけられた。だから傷つけ返した。やられたからやり返した。俺は立派な加害者になった。傷ついたからって傷つけ返したらそれは『ダメ』なことなんだと。だから俺はこれから加害者として生きていくんだよ。ゴミ共が決めたルールにちゃあんと則って生きていく、ああもう心底偉いぜ! 傷付けてきた奴らを踏み潰して生きていく。自由の身だ、やっと解放された、これでよくやく『被害者』から抜け出せた! だからもう俺は自由になっていいんだよ。なんにも縛られずに」
報復による暴力はまた新たな暴力を生み出すから禁止とされているように思う。間違ってはいないけど、同時に理不尽でもある気がすると少し思っていた。
「あいつは俺を攻撃した、だから刺した。あいつは俺を否定した、だから追い詰めて鬱にした。あいつらは因果応報だろ。他人にしたことを自分がされたら文句言うなんてそんな都合いい話あって堪るか。あいつらは挙げ句の果てに『攻撃したつもりなんかない!』とかぬかしやがる。それはたかが己の認識なのによ。受け取った側が“そう”受け取ったなら“そう”なんだよ。あいつも加害者だぜ。つっても、ぜーんぜん理解しないんだ。あいつらおつむ弱すぎる。だから自分が人に加害してるって認識すらできないんだよ。可哀想にな。人生ぶっ壊れちまえ」
その通りかも、と一瞬思ってしまった。果たして何が正解なのか分からなかった。言葉が出てこなかった。「いいや、駄目だよ、どんなことがあっても人を傷つける行為は駄目なことなんだよ」と幼い頃の声が脳内で響いている。
「やられたからってやり返したらダメ」と怒られたじゃないか。そう言いつけられたじゃないか。それが正しいはずだろう?
「じゃあお前はいじめられっぱなしでいんのかよ。いいようにこき使われて、あれしろこれしろって言われたら全部ハイハイって頷いてパシられんのかよ。そんなん我慢ならねぇだろ。いじめてるやつらも自分がいじめてんならいじめられて文句言えねーんだから、お前がいじめ返せばいいだろ? 殴られたら殴り返されても文句言えない、暴言吐いたら暴言吐かれても文句言えない、殺したら殺されたって文句言えないだろ。筋が通ってない奴が俺は一番嫌いなんだ。自分はするけどされるのは嫌って奴は尚更嫌いだ。やられたらやり返す、それの何がいけない? あーあー“普通”に考えたらは良くないってヤツだろ、そんなもん偽善だ。心の弱いやつをカモにして陥れたいクソ連中が綺麗事撒き散らしてんだよ。あんなもんクソ食らえだ。言う事聞いてたらお前はずっといいように搾取されるだけだ」
渡されたナイフを素直に受け取って、これを振り回せば、ムカつくやつは刺されて死んでくれるだろうか。そうしたぁまた報復があって、また連鎖して、ずっと負のループなんじゃないだろうか。
誰かが飲み込まなければならない。誰かが傷ついたままそれを抱えて終わらせないといけない。
そんなの、その人だけが、辛いじゃないか。
「だから素直に殴って刺して追い詰めた。それでやり返されるならまたやり返すだけだ。正当だよ。誰も文句言えないんだから。一度手を出したらみんな加害者なんだから今更被害者ヅラしたってもう遅い。『被害者だから自分は悪くない』は通用しない。加害者同士のボコし合いがあるだけ。やるからには腹括らないとな、それこそ筋が通らない」
負の連鎖は止めなければならない。誰かが抱え込んで誰かが止めないと。
「クソみたいに傷つけられてきた中で、それだけ善に溢れ聖人の心を保ったままでいられる奴がいると思うのか? いっそ狂気じみて頭がイカれてる。良い子ちゃんになりたい奴だとしか思えないな。それかやり返す勇気もないチキンなんだろ」
そえでも人に情けをかけようとする人と、それをしない人の違いはどこにあるんだろう。性格なのか、誰かれに支えてもらった経験があるかないかなのか。
ああでも、一度でいいから怒鳴りながら詰問してやりたいと思ったことは何度もある。なんであんなことされなくちゃならなかったんだとか、なんであんなこと言われないとならなかったんだとか、言いたいこと全部言って責め立てて、精神ぶっ壊してやりたいと思ったことは何度もある。
でもやったってなんにも得られないんだ。やったところで結局虚しいだけなんだ。最終的にこっちが追い詰めてる加害者になってしまう。「やりすぎ」だとか「それはちょっと……」と。そんなの不本意だ。自分が加害者になってでも人を傷つけたいと思ったことは何度もある。何度けど、けど、何度も……? じゃあ、この気持ちはどこへ。
根本から考え方がおかしいことにずっと気づかないままだった。きっと今後もずっとそうなんだろう。小さなズレを積み重ねて誤った選択ばかりを取り続けるのだ。
「気持ちってのは外に向くか内に向くかだ。外に向いてないってことはどうせ内側に向いてんだろ。自分を傷つけること、自らを貶めること、自分の人生を投げ捨てて廃人になること、そうやって内向きに感情を働かせて、結果的に他人を追い詰めるって常套手段をやってんだよ。俺は怒りに任せて暴れてるから離れりゃ危害は加えられないから誰も傷つかないだろう。お前はじっとり病んで静かに、ゆっくり、周りの心を蝕んでいく手段を選んでんだ。暴言を吐いたり暴力を振るわない代わりに人に罪悪感をぐっちょり植え付けさせてる。立派な加害行為だが、スッキリするのか? それ」
ゆっくり、精神攻撃してるんだった。全然、全然スッキリしない。全く、でも嫌じゃない。自分の命を人質にして脅してぅメンヘラと一緒だ。性に合ってるのか、だって不思議と心地良いと思っていぅ。遠回しにお前らが悪いんだよってゆうみたいな、それ、すごく、いいあ
さっきから、クソが、ところどころ呂律が回らない。
抱えらえるわけがない。自分だけが我慢すればいいとずっと思ってきたし、耐えて抱えて飲み込んであげるのが愛情だよねと思ってきた。自分もお前と同じ爆弾なんだろうか。
「メンヘラはあらゆる人に引っかかって捕まるんだよ。或いは捕まえて共倒れを狙ってるのか。俺のことを好きだといった奴らはみんな気が狂ってんだ。自分で言うのも癪だがこ〜んなに自己愛にみまみれてる人間なのによ、近寄ってくるなんてよっぽど馬鹿だ! 散々痛めつけられてきたから感覚が壊れてんだよなぁ、だから見抜けないんだよなぁ、まともに育たなくて可哀想だなあ? だから漬け込みやすいし、押しに弱いからあれやこれや言いくるめられるし、それっぽいことを適当に言ってれば簡単に納得した。お前は正に駄目な例そのままだ、楽しいな、俺はお前が好ましい」
お前だってそうだ。中途半端離れられなくてイライラばっかり募らせて暴力してお縄につくことになるのだ。お互い不幸しか呼び寄せない、ある意味ピッタリ、二人揃って留置所か精神病院行き。
踊りだす思考は止まらないようで、しかし処理に追いつかない。ら行の発音が難しい、脳内がラリってきた。あーなんだ、なんか、なんかやったか。
「俺たちゃ詰んでるみたいだ。クソはクソに育っちまったら元には戻れない。どれだけ治そうとしたって人格形成の時点で歪んでんなら一生歪み続けるだろ。補いまくって真っ直ぐっぽく見せたとして、それでやってけるのかよ。そんな面倒くさいことしたくないな! 暴れ散らかしてるほうがよっぽどマシだ。植え付けられたものを自力で治せだって? 努力なんてしたくないね。『言い訳すんな』って言いやがるから、更生の道なんな選んだら鬱陶しい言葉ばかりかけられる。ならクソ野郎になったほうがずっと生きやすい。クソ野郎なら罵詈雑言ネチネチ言われても素直にその通りだなとしか感じない。せ〜っかく頑張ってより良くなろうとしてた奴も心ない言葉に精神をもっと病んで死んだ。頑張ろうとしてる人を貶める発言をする奴らをクソだと思った。刺した時にはちゃんと痛がって苦しんでほしい。でもこれで俺が殺したら殺人で逮捕だ。ひでぇはなしだろ」
争いの中で育った、あ、争いしか生まない人になってしまうのか。じゃあそぉ責任って、じゃあそえって誰が原因なんだ。頑張っても「言い訳すんな」「人のせえにすぅな」「そんなん誰でもできう」と人を傷つけたいやゆは言う。鬱憤を晴らしたいのか、ただの暇つうしか、人を見下したいのか、色々理由はあるだろうが、そいつあももれなく病院で診てもらったほうが
診てもらって、そ で?
頭痛い、かち割れる。
救いようのない。救いようはないのか。私も、お前も、誰しも。
「救いとか別に求めてねぇよ、寒気すんだろ。綺麗事が好きな奴は『そう言いながら本当は助けてほしいんでしょ』って言うんだよ。苦しみを撒き散らすことで負の感情を蔓延させてみんな不幸にさせたいだけだとしたら? これは共感を求めているとも言えるかもしれないが。助けを求めてるんじゃなく、ただ同じような奴らを作ってみんなで共感し合いたいだけだとしたら? 蔓延させてしまいたい。結果的に救われることになっても、助けを求めているのとはまた違うぞ。分かるだろ? 分からないのか? あーあーなんて頭の足りていない! 実際には助けを求めてるわけじゃなく、自分の状態をどうにかしてもらいたいから辺りに撒き散らしてんだよ。それが『助けを求めてる』って? あー、あー、あーそうかもなあ? 人を攻撃すればするほど俺は清々しい気持ちになれる。腸が煮えくり返っているのが治まってスッキリする。優しく慰めるのだけが救いだと思ってるならとんだ傲慢野郎だ! 分からないのか。なら教えてやる、俺は人に教え強制することが好きだ。俺の為に傷ついてサンドバッグになってくれ。それがお前らの言う気色悪い『救い』ってやつになるんだから。生ぬるい優しさってやつじゃ俺はこれっぽっちも満足できない。全然満たされない。美談なんてここにはないしできる事もない」
助けを求めているだけなら、被害者ヅラをして弱いものの顔をして人に泣いて縋ればいいだけかぁ、ぁえ、あ、お、しれない。なら鬱憤を晴らしたいだけだとしぁら「救いを求めているとは言わない」とゆうのだろーか。
「ある人が言っていたさ。どうして虐待児が苦しむのかってのを事細かく俺に説明した。あいつは真剣に言ってた。親は自分こそが被害者だと思っているから我が子を攻撃するんだと。例えば我が子に向かって『お前が生まれてきたせいだ!』と言うとか。それで殴るとか。子供は親に太刀打ちできない、言いなりになるしかない。親は社会に向かって『毒親だって言いたいのか!? 自分こそが被害者なんだ!』と言うと。社会は一応体裁は守りたいが、出費だの面倒を見るだのはしたくない。社会は適当に親に話を合わせて相槌を打つだけ。これは俺の思いだが、要はめんどくさいんだろ。関わりたくないし、臭いものには蓋をしたいんだろうな。子供は社会に被害を訴える力もないし言葉も知らない。社会は子供を見殺しにして子供が成人すれば『お前の自己責任だろう』と問うだけ問うて放置すりゃ社会側は無傷で済むしタダで済む。あいつは俺が聞いてもないのに話した。だから『俺はちゃんと加害者になった』って言ったらあいつは俺を可哀想なものを見る目で見てきた。人って、というか、あいつみたいな奴がこうやってハマっちまうんだろうな。可哀想になあ、人並みに倫理観とか常識とか責任感とかをいっちょまえに持っちまったもんだからそうなってんだ。可哀想になあ、いつまでもいつまでも他人に責められ攻撃されて、被害者のままで。お前もあいつと同じように精神ぶっ壊すのか? じわじわ人を蝕むだけで、それだけで満足なのか」
それって結局誰かに助けてほしってことの証明なんじゃないか。だって暴れたいんあろ、あってムカつくんあぉ、怒りってのは悲しみの感情の上にあえ、あ、あるのだかぁ、悲しみが怒りに変わるのだから、本質は悲しみなのだ。
「悲しいからなんだ。それが怒りになってるんだろ? その怒りをすっ飛ばして悲しい気持ちにだけ寄り添って宥めようってか? それこそ最低だな。怒りは見ないふりか? お前もそうやっていい子ちゃんぶってクソみたいな奴らの言いなりなんだ。あーあーあーあー! 自己愛の塊みたいな連中に必死に縋った結果が今の哀れなお前だぜ。ぶち壊したいな、良いカモだな、お前ってやつは可愛いよ。少なくとも俺はお前を知ってる。俺はお前に情けってヤツがある。本質ばかり見てると救われる前に足すわれるぞ。それとも俺にすくわれてくれるか?」
言葉が上手く紡げない。そうだ、この感覚、懐かしーな、あの頃、吃りまくっちまって、全然なんにも言えなかった。喉が痛いほど震えている。
「話を戻そう。お前は一度『うん』と頷くだけでいい。俺はこれから自由の身だ、お前の首を絞めることだって厭わない。でもそれより精神的に傷つけるほうがもっと俺の救いになりそうなんだ。クソみたいな自己責任論って楽だよなあ、簡単に人を陥れられて便利だ。ところで、そろそろお前は喋れないだろ。どの道俺に縋るしかない」
お前はいーよーに搾取したいあけ。己もいーよーにこいつを利よーして過去のやり直しをしたがって、け、け、か、同じ道を辿って。あや、ちょっと違うか。
「お前が俺に手を差し伸べて“くれた”んだ。お前も加害者なんだぜ」
お前がさ、さ、あ、差し出した手ぇ取って一緒に踊っちまえば、もう全部なかっあ、ことになってくえたり、は、しなぁか。
「救いなんていらねぇがな、こう言った方がより『可哀想』って思ってくれるんだろ。それとも恐怖か? どっちにしろなんだっていい。さあさっさと俺に踊らされてくれ。さっさと俺に“すくわれて”くれ」
︰時を告げる
意味とか理由とか探して、それ、見つかったら幸せになれる? 人生の意味とか、自分の価値とか、そういうのあったら生きやすくなれる? やる気出てくる? 本当にそれさえ見つかれば生きていけるの? 無い物ねだりばっかりよね。中途半端考えられる人の脳を持ってるから、中途半端辛いのね。そんなの見つけたところで臭いものに蓋してるだけなの。ずぅっと苦しいまま。
どうして生きているのかなんて二の次なのよ。そんなことを考えているのは生きていて苦しいから。ならその根源を探して潰せばいい。生きる意味があったって辛いものは辛いのだから、重要なのは生きる意味じゃなくて、ストレスを取り除くことやストレスに対処するってことなの。
ああ、そう、正しい対処法なんて、そんなの誰も教えてくれないわ。
ムカムカするの。人を見るとどうにもこうにもソワソワして、イライラしだして、とりあえず何か引っ掻いてないと落ち着かない。ギャハハって下品な笑い声も、パチンパチンシンバル持ったお猿さんのぬいぐるみみたいに手を叩いてるのも、恨み辛み愚痴ってるのも、理解できないからって攻撃してるのも、全部うるさいの。
人間邪魔だし、そこの一部である自分も嫌。イライラムカムカガリガリ。そんなことしてたら皮膚がボロボロになっちゃって痛いから、脳内で人を刺すイメージをするの。思う存分刺して刺して刺して刺してあー! スッキリ!
何度も刺したらね、そしたら人間だった何かになるの。脂肪も筋肉も内臓も混ざりあった細切れの肉と骨だけになる。人間もね、ただの肉の塊なのよ。ただの肉の塊と骨を高温で焼き尽くしてしまえば何も残らない。中身なんて無くなる。
「あ、人間もただのお肉なんだ」。なぜだかとっても心が洗われたような気がしたの。ただのお肉なら、そんなに気にしなくていいやって思ったの。
ただのお肉なんだ、ただの肉、ただの人の肉! どうでもいいや!
ただの肉ならどうでもよくなれたの。他人も、自分も。
だからね、人肉さん、好きなようにすればいいと思うの。
お前はどうせ排便するのに美味しい食べ物がいいって料理して食べてるものね。栄養にはなるよ。でも料理そのものはなくなっちゃう。それとおんなじだと思う。どうせなくなっちゃうの。
偉業でも成し遂げない限り後世の人に認識されることはないし、一人でぽっくり死んでしまったら誰からも忘れられる。どうせ何も残らないの。
だからね、人肉さん、好きに笑って、好きに怒って、好きにほざいて生きていればいいと思うの。み〜んな肉の塊よ。ただの肉塊。精肉店で販売すらしてもらえない肉の塊。人間って食べたらどんな味がすると思う? 食べる部分があんまり多くないから、齧り付くのが難しかったり。人間も鶏肉と同じように骨とくっついてる部分が一番美味し? あんまり美味しくない。でもとびきり美味しいから精肉店に並ばせてもらえないってことにしちゃおう。SSRのお肉! 共食いしたら病気になるから食べちゃ駄目ってだけだと思うけど。
「ただの人肉がなんかほざいてる」
人がただの肉塊に思えたとき、とても息がしやすくなった。どうでもいい存在、喚いてようと笑ってようと、お肉がなんか喋ってるって思ったらちょっとファンシーだった。スーパーに並ぶ肉が何か言ったとしても気にも留めないだろうし。だってただの肉だもの。
スーパーに並ぶ肉を見てひとつひとつその動物たちに思いを馳せたりする? ひとつ、ひとつ、その動物はどんな生き方をして、どんなふうに感じて、どんなふうな思いを抱いてここに並んでるんだろう、って。やる人に「人を肉だと思え」なんて強いるのは無茶な話かな。
肉に対して食べ物としか認識していないの。特に何も感じず肉のパックを手にとって「どれが安いか」「どれが美味しそうか」を気にするだけ。だからかな、人のことをあっさり「ただの肉だ」と思えたの。同じだと思った。人間もただの肉とおんなじよ。ならここにパックされてるお肉たち同様、いちいち気にしなくていいやって思った。ただの肉が動いて喋って生きてるだけならあんまり怖くなかった。
いっそ可愛いと思えた。一生懸命お肉が何か叫んでるんだって、お肉、一生懸命生きてるんだって。有難いことね、ちゃんと「いただきます」って言うように、ちゃんと挨拶しないとね。
倫理観なんて人によって変わるものなのに、それをベースに話そうとするなんて「変なの」って思わない? 曖昧に存在してる「倫理観」「倫理的に」ってやつで話が進んでく。きっちり倫理観の磨り合わせってやつをしたらね、揉め事が起きちゃうんだって。本当かな。
人もお肉。だから怖くない。己も肉の塊。だからなんだっていいんだ。
どうせ肉の塊なんだ。憎たらしいあの人も、消えてほしいあの人も、みんなただの肉。大事に思っているあの人も、仲良くしてるあの人も、みんなただの肉。己もただの肉。人って呼ばれてるだけの肉の塊。
ねえ人肉さん、少し息がしやすくなったって思わない? 人間でいると疲れちゃうものね。たまにはただの肉の塊になればいいのよ。ただの人肉。燃やしたらなんにも残らない。
人肉さん、人間みんな肉の塊なんだから、どんなこと思おうと、どんなこと言われようと、どんな行いをしようと、なんでもいいのよ。肉の塊が服着て歩いてるだけなんだから。人肉がなんかほざいてるだけなんだから。途端に全部、どうでもよくなれる。焼いてこんがり美味しい肉にはならないけど、今日もお肉、げんきそうだなあ。
ただの肉の塊がたまたま電気信号で動いてるだけで、全部己の脳が下した判断に従っているだけ。
ねえ人肉さん、貴方も燃やせばなくなるんだから、気楽に生きていいのよ。ただの肉が、何か口にしたところで、どうでもいいもの。人肉さん、なんでもいいの。なんでもいいなら、気楽でしょ。気楽に生きてね、人肉さん。
︰きらめき
かわいいお話だぁい好き!
物語は素敵。心にきらめきを沢山生み出してくれる。感性を働かせてくれる。大事な大事な栄養素。
どうやったら苦しめられるだろうとか、どうやったら傷を負ってくれるかとか、泣き喚いてほしいとか、この先一生過去の記憶に縛られて生きていけばいいなとか、トラウマになってれば最高だとか、自尊心へし折れたかなとか、お前が悪いって植え付けられたかなとか、好きになった人のせいで苦しむ羽目になってたらいいなとか、殴られてショックを受けていてほしいとか、心を引きずり出されてえぐられてればいいのにとか、繊細な人がヤベェ奴に引っかかって自己否定悪化してるのって楽しいよなとか、クソ真面目で自罰傾向にある人が息苦しくなってるの面白いなあとか、被害妄想拗らせて人間不信になってたらいいなとか、プライド高いのがバレたくなくて隠してるけどマウント取るのに必死な人生送ってたらいいなとか、自己肯定感が海の底くらいにあるのに人並みの幸せ掴もうと藻掻いて溺れかけてるのいいなとか、ああ、あれもこれもいいなぁ、いいなぁ、苦しんで生きてほしいなぁ。死んだらホルマリン漬けになって飾られていればいいのに。
ときめくんだ。こういうの煌めきって言うんだよ。ムカムカする心が柔らかくなって、尖って、ワクワクして「ああロマンチック!!」そんなきらめき。ロマンチックじゃないか、なあ、苦しんでる人ほど魅力的だ。テラリウムの中にその人を入れてずっと鑑賞していたい。幸せになれそうになったところで上からバラバラ石を降らせて足の一つでも潰してしまいたい。頑張れって応援するよ。血反吐はきながら前進するのも素晴らしいし、完全にやる気をなくして動かなくなってしまうのも素敵だし、ああもうどうしてこうも心がきらめく!
「かわいい話好きだよ」と言ったら「嘘だ」と言われた。本当にかわいい話が好きなのに。
「ヘンゼルとグレーテル」を何度も何度も読んだ。自分も森に入って不思議な場所に辿り着いてみたいとか、道に迷わないようにパンぐずじゃなくて小石を置いて目印を作ろうなんて考えて、お菓子の家で最初にどこを食べるかも妄想した。可愛いくまちゃんたちが出てくる絵本も好きだったし、動物たちが各々得意なことを活かしてみんなでお茶会を開く絵本も好きだった。何度も、何度も、そればかり読んだ。
猫型のパンにじっくり煮込まれたイチゴジャム、チーズの棚にハーブティ、どれもこれも魅力的で、柔らかくて、優しい春を感じた。甘くて美味しそうでお洒落で可愛い世界、とっても素敵だった。きらきらほかほかするお話、だぁいすき。可愛い話が好き。心にきらめきを与えてくれるから、感性をきらきらで埋めてくれるから。
きらめきとときめきをくれるお話が好き。甘くて優しいお話も、苦しみ藻掻き潰れるお話も、どっちも素敵。フィクションは何だって素敵なの。ノンフィクションになった途端にどちらも魅力がなくなって、つまらなくなってしまうの、残念ね。現実でも素敵だったらいいのにね。
リアルでもかわいいお話ほしいなあ。