よあけ。

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︰些細なことでも

拝啓 

残暑が和らぎ秋の気配が感じられる頃となりました。先生におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

語彙力を身につけねば、もっと語彙を知らねば、もっと、もっと、と、日々メモを取るばかりです。文章を読んでいる中で気に入った表現があれば書き留めています。全くもって身についてはおりません。眺めてはときめいてメモを閉じる。咀嚼してしまうのが勿体無いような気がしているのです。

幼少の頃、畳に布団を敷いて寝ておりました。障子の向こうから聞こえる鈴虫とコオロギの鳴き声に耳を澄ませ、秋夜の軽くやや冷たい空気を吸い込みながら眠りにつくのが癖でした。あの家で過ごした記憶の中で、ただ唯一清らかな思い出で、特別です。恐怖も、違和感も、不安も一切ないただ純粋な記憶なのです。心安らげる唯一の。

この季節になるとふわりと記憶が蘇ってきます。鈴虫とコオロギの鳴き声を聞きながら、その記憶を見ているときだけ、生きている中で唯一、安らぐことができる。

書いてしまうのが勿体無いと思うくらいにはその記憶が好きです。何でも言語化したくなる質ですが、言語化し言葉の枠に嵌め込んで消費してしまう残念さを確かに感じています。

言葉の枠に嵌め込んで、あたりを漂っていた記憶を後付によって形作り、それがあたかも事実かのように錯覚している。当時の私が何をどう感じていたかなんて今の私にも分かりません。しかしそれで良いのだと思います。ただ事象があるだけで、それをどう解釈するかはその時々ですから。

この時期になると毎年語彙を磨きたいと強く思うようになっていました。秋の匂いと秋の空気をどうにか言葉にしたくて辞書を引きます。正しい言葉を探そうとして、しかし結局中断してしまうのです。「秋の匂いなんてどうせ金木犀だろう」。遠い昔に言われたことを何度か再生しては手を止めてしまいます。あの人はつまらなさそうな顔で言っていました。些細な一言を秋になるたび気にしています。

辞書を引くのは好きです。知らない言葉を聞いて検索するのも好きですし、使ってみることも好きです。知らない言葉を知れたら嬉しいです。昔からある表現を美しいと感じることも楽しい。精神的な未熟さを言葉で補って蓋して隠して大人のふりをするのは立派になれたような気がして嬉しかった。だから語彙力を伸ばすことが嫌なわけではなかったんです。季節の言葉だけが駄目だったんです。

「秋の匂いなんてどうせ金木犀だろう」と言われたとき、思っていたより傷ついていました。ならばこの匂いは、金木犀も咲いていない9月のこの匂いはなんだと言うのか、と詰め寄りたくなっていました。高く色薄くなってゆく秋空にも、湿気の少ないスッキリとした、しかし柔らかい秋朝にも、光を薄めた秋の陽光にも、私にはどれも匂いがあると感じているのに。のに、言葉にできなかった。私は「どうせ金木犀だろう」と言われ黙りこくることしかできなかったのです。

正しい言葉を探そうとして「『どうせ』なのかな」と頭を過ります。あの人のつまらなさそうな顔を思い出しては「秋の匂いなんてつまらないことなのかな」とじんわり心を蝕みます。「美しい日本語を知って何になるのか、どうせ物覚えが悪いのに、どうせ学んだところで活かせない、どうせこんなの役に立たない」と。

先生、私は昔「語彙力をつけたい」と思っていました。言葉にさえすれば救われるような気がしていたのです。人に伝えることさえできれば報われると思っていたのです。「言えないよりは言えたほうがいい」と思ってきました。大人が使う言葉を真似て、奇妙な言い回しの意味を理解して、複雑な漢字を使えば、それで言いたいことが口にできると思っていたのです。

でも、本当は、そうじゃないのかなぁ、なんて思います。「ただいい匂いがするから好き」だけでも「秋の匂いが私にはするから」だけでも、別に良いんじゃないかって。

「金木犀じゃなくても秋はいい匂いがするんだ!」

そう言えれば、もう、本当はただそう言いたかっただけなんじゃないか、って。

ずっと話をきいてくれてありがとう。本当は、本当はね、子供みたいに、子供らしく、ただ話して、ただきいてもらいたかっただけで。幼児期の子みたいに「ねえねえきいてきいて!」って、ずっとやりたかっただけだった。私は自分で思っているよりずっと幼くて、子どもで、大人になりたくなかったのに、大人になりたくて大人になろうとして。変なこと言ってるよね、それも分かってるの。私に必要なのはね、苦手な漢字いっぱいの複雑な言葉じゃなくて、ただ好きとか、ただ美味しいとか、ただ楽しいとか、ただ嬉しいとか、ただ悲しいとか、それだけで表現できる言葉だったのね。

先生、こんなこと直接言えないの。口に出したら全部嘘みたいになっちゃって、すぐヘラヘラするか、すぐまともに喋ってしまって、結局自分自身何が言いたいのか分からなくなってしまう。口にすると全部駄目になる。文字だけが私を信じさせてくれる。嘘じゃないって証明してくれる。

秋になるとね、思い出すの。ハナミズキの赤い実を拾い集めたこととか、上着のチャックを閉めてもらったこととか「もう秋になったねえ」って話しかけてもらったこととか。そう、そうなの、たった、些細なこと。こんな些細なことでも、私にとっては大切な記憶。秋の記憶ってね、どれも優しいものばっかりでね、あたし、あたしね、本当はね、ただ大好きなだけだったの。些細なことを大事に思っていたから、だから、ただ、ただあたしは、せんせい、あたし、






秋風が心地よい季節となりました。お体に気をつけて健やかにお過ごしください。

                      敬具

9/4/2024, 12:38:45 AM