:夢見る心
懐かしい、似ている。美しいあの人の子守唄に。
美味しそうなソーダを目から溢れさせ、美味しそうなパン生地のゲロを吐く。苦しそうにえずいて吐瀉物を滝のように吐き出す様はそれはもう……なんと言い表せばいいのか。愛おしいよ。可哀想って愛着が湧くじゃないか。
人魚の涙は色々な逸話があるそうだね。宝石になるとか、幸福を呼ぶとか。じゃあ、あの人の涙だってきっと何かある。コップに溜めて口にしてみたい。何もなくたっていい。味を知って喉に通せたらそれでいいんだ。わんわん泣いているから空気を含んでパチパチしていそうだろう?きっと塩ソーダ味だ。まずはぬるいままいただいて、次に冷蔵庫で冷やして飲もう。
「運動しないと、最近太ってきちゃった」と言っていた腹の肉はちょうど食べ頃で、脂があって焼けばジューシー、美味しそうだ。腹もいい、けどそれよりもっと腕か手を食してみたい。よく使っている右腕が良い。肘の関節を外して、前腕と手を皿の上に乗せるのだ。フラットウェアを用意して、椅子に座ってさあいただきます。
あの人が作ってくれたフレンチトーストの味が忘れられない。あのフレンチトーストはあの人の右腕から作られている。ならばその右腕だって美味しいはずだ。不味いわけがない。焼いて煮て、そのまま味わってもいい。
あの人はスラリと伸びた美しい指でハンドクリームを塗っていた。その美しい指先を胃袋に入れたかった。腕は咀嚼してみたい、しかし指は丸呑みがいい。小指の先だけでもいいんだ、丸呑みしたい。
全身食べたいとは言わない。死なれたら困る。二度と優しい声が聞けなくなって、柔らかい体も温もりも感じられなくなって、美味しいフレンチトーストも食べられなくなる。それは嫌だ。だから腕だけでいい。利き手を奪ってしまうのは忍びないが、左手で頑張っておくれ。どうしても右腕が食べたいんだ。
まあ、もうあの人は殺してしまったがな。
美しいあの人が歌ってくれた子守唄に似ている。
お前の利き手は右か?左か?フレンチトーストはお好き?良ければ作ってほしい、食べてみたいんだ。探している味があってね。そっくりなら、有難く頂戴しよう。
:神様へ
■
神様へ
貴方を見かけなくなってしばらく経ちます。
貴方が居なくなっても僕はこうして生きている。
僕にとって貴方はもう必要のない存在となったのでしょうか。
貴方がいないと外に出ることすらままならないというのに!!
どうして貴方のことが見えないのですか。もう声も聞こえない。僕に喋りかけてすらくれないのですか。
僕の拠り所は貴方だけだった。なぜ返事をしてくれないのですか。
柔らかく優しく包み込んでくれるような、いつでも女神のごとく微笑んでいる完璧な貴方がいないとまともな思考ができない。
同じところを何度もグルグル回る哀れなあのガラスの中の狼のように、僕は何度も何度も何度も何度も何度も同じことを頭の中で料理して腐っていることにも気づかずいつまでもいつまでもいつまでも食べ続けている。
どうして止めてくれないのですか。
貴方が一言「もういいのよ」と言ってくれれば、僕はそれだけで満足というのに。
神様、僕の神様、どうして。
■
神様がいた。神といっても神話もなければ神を祀る神聖な場所も存在しない。願いを叶えてくれるわけでもなく、幸せを与えてくれるわけでもなく、ただそこに有るだけの存在。僕が純粋に泣きじゃくり縋り付ける唯一の存在。それが僕の神様。
神様というより精神と呼ぶ方が正しいだろうか。イマジナリーフレンドというと些かフランクだが、実際それ程身近なものだ。何か壮大な力を持っているわけでもなく、ただそばにいて見守ってくれる存在。
「何もしてくれないなら神さまではないじゃないか」と言われればその通りだ。僕の神様は偉大じゃない。けれど僕ににとって唯一。
「神社でお願い事をしてはいけない。なぜなら神は願いを叶えてくれる存在ではなく見守り支えてくださる存在だからだ」とある人は言った。これを信じるなら僕の神様は正しく神様だった。
宗教的に信仰しているわけではない。僕の神様は安心できる家族のような。いつでもそばにいてくれて、何があっても見捨てない、理想の存在。理想の……
ああ……そうだった、思い出した、思い出したよ。僕自身だった、僕の神様。僕の中の別の何かを神様にした。いなくなったのも当然だ。だって僕はもう薬を飲んでいる。
:快晴
昏迷、青心地
どうしようもないほど青い。
それはきっと僕に不釣り合いで、私にピッタリなもの。
俺はどこで生きていて、この先には誰がいるのか。
並べた瓶を蹴ってはまた並べて。
器が同じならそれらすべて自身と言えるだろうか。
迷いがあろうとなかろうと、並べた瓶は歪で不安定だ。
いつか勝手に転げて割れる。
ベッタリとした青が拭えない。 ああ、青い。
今日は雲一つない晴れだろうか。
快晴はもう無くなったと聞いた。
では機械はこの空をなんと呼ぶのだろうか。
夏に憧れている。 まぶしい。
記憶は良くないものばかりだ。
苛立ち、不満、憎悪、悲しみ、恐怖。
そんなものをこの部屋は抱えている。
手の施しようがないほどに。
想像上に“ある”のなら
それは存在していると言えるか。
値するだろうか。 誰だ? 何だ。
きっと何でもいいはずだ。
当ても道筋も探すべき答えも
もはや無いに等しい。
あるべき姿なんて初めから空想だったんじゃないか。
はじめから存在していなかった。
想像上に“ある”のなら、なら、 なら それは
切り取られた世界ですらこんなにも広く
こんなにも美しいと感じるのに。
切り取った世界だからだ。
主観でしかない。 記憶の断片
きっとそれほど、甘くはないだろう。
寝そべって青を眺めて
俯いて瓶を並べて
代替宇宙が存在しているだけて。
だからきっとそっちは
どれかの“自分”の思案に囚われている頃だろう。
切り取った世界なんてただそれだけのもの。
されどそれなりに美しく感じてしまうほどには、ああ、青い。
:春爛漫
春は嫌いだ。「嫌い」なんて簡単な言葉でまとめてしまって。ごめんなさい、辞書を引く気力もないの。
春は感触が不安定で。あら、僕の場合年中そうかな。
窓を開ければ春の穏やかで優しい香りがするのを知っている。外は彩りが増えて簡単に明るい世界へ飛び込めると知っている。知っている、もちろん。
こうやって閉め切られ臭いのこもった部屋でうずくまるのが性に合っているわ。
ごめんなさい、そういうことにしておいてちょうだい。
みんなはこれからお花見?とっても素敵ね。花に見とれて足を踏み外したり、腹の底を冷やさないようにね。
:沈む夕日
青信号点滅の先 横断歩道上で立ち止まている
眼球を左右往復させてみて 薄ら笑い
遮断器の下がった先 線路上虚ろな目をしている
真っ赤に変わる頃 揺らいで弾ける
辺りに響くCとF 沈む夕日に溶けて
怪しいにおい 煙となって天井へ
彼岸花並ぶ道なり 橙に照らされた白線
「いらっしゃい」 踏み出す一歩 沈む夕日に惑わされ