#Ring Ring…
Ring Ring… Ring Ring… Ring
"Hi, this is Margaret Morris.
Ah……you have the wrong number.
Don't worry. Have a nice day."
Ring Ring… Ring Ring… Ring
"Hello? …… No, I'm Ruby.
I don't know her number.
Sorry. Bye."
Ring Ring… Ring Ring… Ring Ring…
"Hi…… who are you?
I don't know.
You should check the Phone Book."
Ring Ring… Ring Ring… Ring
"Hey! This is Lucky Burger! What's your order?
Oh……. Ok, never mind.
We hope your next call will be for an order.
Ring Ring……Ring
"Jack!? Today's apple pie will be baked at……
What? Oh, sorry.
You and I have both made a mistake! Haha!
If you live near me, would you like to come and taste it?
No? Oh, you live in Phoenix, Arizona. So far!
That's impossible. I live in Charlotte, North Carolina."
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
"Charlie, Charlie…. That's OK. I give up."
"Master…… But I can keep calling until I find your mother."
"I can't stand being bothered with people. And I don't know if my mother is alive."
"But according to my data, her social security number exists."
"Someone could hijack it. You can't confirm that it matches a real person. You don't have a body. You can only look for her in the data, not in the real world."
"Yes, you're right, Master. However, Master, you too. You are lying on the bed. You can't walk alone."
"Yeah, that's right. I lost my leg. I also lost my arm. I can't even go to the bathroom myself. So, I don't want to see her in this condition, even if she is still alive."
"I understand……"
"I could go and look for her if I were well."
"Master…… I will keep calling until you will be well and I find your mother."
"No, Charlie. You have to obey me."
"I am an artificial intelligence with an emotional system. I want to reunite you with your mother. This emotion is stronger than an instinct to follow orders."
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Ring Ring……Ring Ring……
Charlie calls, calls, calls……until the phone numbers run out.
#寂しさ
※過去に書いた作品の続きですが高校1年生の一卵性双生児、数字で測れるものは全て同じスペックの悠莉、悠妃の話であることさえ押さえてもらえれば単体でも読めます。
キーンとした痛みが去った頃、すでに悠妃はリビングから出て行っていた。多分自室にいるのだろう。よろよろと歩いてソファに向かう。私には拒絶されても押しかけるような強引さはないし、周りを見ても特に忘れ物もないので、部屋を訪ねる口実もない。
「なんなのよ、もう……」
私は「はーぁ」とため息を吐いてソファに沈み込んだ。一卵性双生児としてずっと一緒に、喧嘩一つせずに過ごしてきた。小さな町の小中学校だからクラスも一つしかなくて学校でも一緒に過ごして来たし、高校の進学先だって2人で話し合って決めた。運が良いのか、高校でも同じクラスになった。
一緒にいれば、2人で力を合わせればなんでもうまくいく。といっても、得意不得意を補い合うというわけではなくて、私たちは同じだけの力があるから互いが互いの代わりになれる。一緒に物事に取り組めば倍速で終わる。一緒にいると自分が拡張されたような感じがして、楽しみも喜びも倍になる。
それなのに、最近の悠妃はつれない。学校では同じ部活に入らなかったし、休みの日はいつも部屋に籠っているし、遊びに行こうって誘っても断られる。一卵性双生児とはいえ性格は違うから、元々悠妃は大人しくて静かな傾向はあったけど、最近は1人で殻に閉じこもって、呼びかけても殻から出て来てくれない。運良くちょっと出て来ても、すぐに帰ってしまう。カタツムリみたい。いや、カメかな。
「反抗期かなぁ……」
去年の今頃はいつも一緒にいたのに。2人でアイスを分け合って、頭痛ーいって天井を見上げて、一通り笑って、ココアとか淹れて、「勝手に牛乳使ったでしょ!」ってお母さんに怒られて、それから……。
やりとりを思い出すだけで寂しさが募る。前は自室なんて形だけのもので、いつも隣にいたのに。2人でリビングで勉強して、疲れたら習い事のピアノの練習して、飽きたら2人でお菓子食べて、気分転換に走りに行ったりして。1人でソファにポツンと座っていることなんて、なかったのに。
(寂しいよ)
私は自分の半身がなくなったかのような感覚なのに、悠妃は違うのだろうか。今の悠妃には私が邪魔なのか。こんなにも一緒にいたいと思う私がおかしいのか。友達からもシスコンだよなとはよく言われるので、おかしいのかもしれないけれど、仕方がない。だって生まれて16年経ったけど、そのうち15年はずっと一緒だったのだ。ここ数ヶ月が私にとってはイレギュラーで、これが一生続くのかと思うと泣きそうだ。
(いいもん、絶対当ててやるもん)
性格は違えど悠妃と私の思考回路は同じだし、そもそも同じ家に住んでいるのだ。文理選択などという、確率50%の選択なら外すわけがない。問題は大学で、何せ日本には約800校あるのだ。大学自体は偏差値でかなり絞れるとはいえ、学部も含めて当てるのはさすがに難しいとは思う。だとしても諦める気はない。
(ねぇ、ずっと一緒にいてよ、私の片割れ)
#部屋の片隅で
※お題「世界に一つだけ」の続きです。性格は違うけど数字で測れるものは全部同じという一卵性双生児、悠莉(ゆうり)と悠妃(ゆうひ)、高校1年生の話だということを把握していただければ単体でも読めるはず……?
「アイス、何食べる?パピコのブドウとかどう?っていうかそれしかないんだけど」
「アイス食べたいのは悠莉なんだから悠莉が決めたらいいじゃん。というか、パピコなら一人で食べればよくない?半分残したって問題ないでしょ」
「えー、マジでいらないの?アイス。あんなに外暑かったのに。顔真っ赤じゃん、悠妃」
「それは悠莉も同じだと思うけど……」
歩くこと20分。帰宅して早々、リビングのソファに私は沈み込んだ。一方の悠莉は冷凍庫を開けて週末の買い出しの時に買ったパピコを探している。前はアイスの実を選ぶことが多かったけれど、最近はもっぱらパピコのブドウかマスカットで、その半分が私に分け与えられる。アイスの実とは違って2本に分かれて入っているのだから、半分くれるにしても同時に食べなければいけないことはないと思う。
「はい、悠妃の」
「……ありがと」
私の隣に腰を下した悠莉がパピコを渡してくる。案の定パピコは開封済みで、悠莉は毎回ご丁寧にも容器の先っぽのアレまで取って私に渡してくるので私はその場で食べざるを得ない。悠莉がいたずらっぽくニヤッとと笑って私の分のパピコのアレをしゃぶる。何を嬉し気にニヤニヤしているのだろうと思いつつスルーすれば、悠莉は途端につまらなそうな顔をした。
「あーあ、2学期始まっちゃった」
「まぁ、面倒くさいね」
「それもだけど、進路。2学期末にアンケート取るから考え始めろよーって言われたじゃん。どうする?文系?理系?」
「私に聞いてどうするの?」
「気になるに決まってるじゃん?」
「いや、決めるのは自分じゃん。わざわざ私の選択を聞く必要、ある?」
「え、もう決まってるの?」
「いや、決まってはないけど」
「なら聞いたっていいじゃん。それに、一人でぐるぐる考えるより二人であーでもないこーでもないって言いながら考えるほうが楽しくない?今から大学も調べてさ。きっと同じ成績なんだからその方が効率も良いし」
私は思わずパピコの容器を噛んだ。同じ、同じ、また同じ。うんざりだ。これまでずっと私の成績と悠莉の成績が同じなのは確かで、きっとそれはこの先も変わらないだろう。同じレベルの大学を目指すことになることを考えると、二人でリサーチして結果を共有するのが効率的だというのはその通りだ。とはいえ、同じ成績だからって興味関心まで同じとは限らないし、悠莉と一緒に考え始めたら自分の志向を固めるよりも早く悠莉の思考に引きずられてしまうのが目に見えている。
今までの人生を振り返る限り、ずっとそうだった。反応速度、思考速度が共に速い悠莉がさっさと決断するものだから、私に決断の機会は回ってこなかった。それでいいか、と確認を取られるとしても自分の考えがまとまっていないものだから頷くしかなく、悠莉に引きずられてそのまま物事をこなしてきた。不幸にも同じスペックゆえに、悠莉の決断であっても私はうまいこと物事を進めてしまって、結果的に私の意思も反映されていると周囲に思われてしまっている。
だから、今回ばかりは。今まで悠莉に流されてきたばかりの私がちゃんと決断できるか、そもそも独自の意思があるかどうか定かではないものの、まずは一人でじっくり、悠莉の言葉を借りるならぐるぐると、考えなければならないと思う。個々に考えた結果、同じ進路をとるならそういう運命なのだと受け入れるし、最終的に軌道修正して同じになるなら納得する。ただ、最初から悠莉の意見にただ乗りするのではなくて、一度自分のポジションというのを作ってみなければならない。
「……たまには、一人でぐるぐると考えてみるのも必要じゃない?」
私は少し溶けたパピコを一気に吸い込む。まだ私の体には冷たかったのかキーンと頭痛が走るが、顔には出さずさっさと嚥下する。部屋の隅にあるゴミ箱にポイッと空になった容器を捨てた。
「え、ちょ、待ってよ!……痛ったーい!」
悠莉の悲鳴が聞こえるが、私はためらわずに自室に向かう。リビングのドアを閉めるのにちらりと振り向けば、悠莉は部屋の片隅で頭を押さえてうずくまっていた。やっぱり同じなのかとため息をつきながら、私は静かにドアを閉めた。
#意味がないこと
ここは夢の中、だと思う。
時計の針が全てテッペンを指す頃、僕はベッドに入った。それからさほど時間は経っていないと思う。だから、今歩いている廊下は僕の住むマンションにそっくりだがきっと現実ではない。内廊下だから朝なのか夜なのかは不明なのだが、とはいえ両側の壁にあるドアについたプレートの文字はぐにゃぐにゃと歪んでいて何号室なのか読み取れない。昨夜は酒を飲まなかったから、酔っているはずはないので、夢うつつで廊下を歩いている可能性—尚、夢遊病だったことは人生で一度もない—を除けば、ここは夢の中だろう。
とりあえず、廊下を歩いてみることにした。ドアに注意を向けながら廊下を歩いて歩いて歩き続ける。行き止まりにある非常階段のドアは見えているのに、何分歩いても辿り着かない。誰もドアから出てこない。誰ともすれ違わない。物音ひとつ聞こえない。確実にここは夢の中だ。最近、運動不足なのは確かだから、僕の潜在意識はウォーキングでもさせたかったのだろうか。
無限に続くウォーキング。両隣の壁のドアは後ろに後ろに流れていくから進んでいるように錯覚する。とはいえ、ドアのプレートの文字は認識できないのだから、本当に僕が前に進んでいるのかはわからない。まるでハムスターが回し車を回しているよう、いや、僕は人間なのだからルームランナーのほうが正しい例えだろうか。僕はずっと同じ場所を歩いているだけなのかもしれない。
ハムスターのように一晩中走る体力のない僕は、疲れを感じて歩くのをやめた。ドアの流れが止まる。ルームランナーのように、じっと立っているからといって後ろに流されることはない。今の状況ならやはりハムスターの回し車のほうが例えとして適切だろうか。小学生の頃に飼っていたパールホワイトのジャンガリアンハムスターが頭の中で走り始める。あの小さくてふわふわな身体で一晩中、リビングの電気を消してから翌朝朝日が差し込んでくるまで走り続けていたハムスターの凄さを思い知る。今更どうでも良い、意味のない感動に変な笑いが漏れた。
疲れたな。足痛いな。喉が渇いたな。なんかお腹減ったな。夢の中だというのに、きっと現実では寝返りしたとしても50cmも動いていないのに、身体は疲労や生理的欲求を訴えてくる。僕はドアを見つめてどうしようかと逡巡した。夢の中とはいえ、他人の部屋かもしれないドアを開けるのは怖い。とはいえ、この不気味な廊下に居続けたいわけではない。部屋番号のプレートは読み取れないが、ドアを開けたら案外僕の部屋だったりするかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて、ドアノブに手をかける。右側のドアはびくともしなかった。左側のドアもびくともしない。少し歩いて次のドアを試す。次、その次。4部屋目でやっとドアが開いた。
「ごめんください……」
玄関を見る限り僕の部屋ではない。なぜなら、玄関に靴がない。靴箱のドアノブには靴べらがかかっているから、靴を履かないわけではないのだろう。となると、この部屋に住むのは几帳面な人なのだろうか。もし、実は僕が夢遊病で、現実世界でドアを開けているとしたら、ここから一歩入れば確実に不法侵入で怒られるだろう。もう一度ごめんくださいと声をかけたが、返事はない。
(どうしよう……でも……)
夢の中とはいえ、もし中で人が倒れているなら放置するのは寝覚が悪い。そもそも夢の中なら不法侵入として咎められることはない。他の部屋には鍵がかかっていたのだから、鍵がかかっていない時点で入って良いということなのだろう。もしダメだったら、鍵をかけていない住人が不用心なのだ。そう納得して、部屋の中へと入る。きちんと靴を揃えて、もう一度「誰かいませんか」と声をかけながら部屋の中を歩く。
間取りは僕の部屋と変わらない。2LDKの部屋。玄関ドアから見て手前の部屋、基本的にはリビングダイニングとして使われる広めの部屋には誰もいない。意を決して奥の小さめの部屋、寝室として使われる想定の部屋に向かう。そっと、静かに、僕の寝室と同じ淡いクリーム色の木目調のドアを開ける。
部屋の片隅。壁に向かって蹲るようにして座る背中が見えた。髪は長いし、着ている服は淡いピンク色で、上衣の裾にはヒラヒラとしたフリルが見える。おそらく女性だろう、と判断して嫌な汗が出てくる。お願いだから、何が何でも夢の中であってくれ。気づかれないうちに退散すべきか。しかし、何をしているのか気にはなる。人の声が聞こえないほど、壁に向かって何に熱中しているのだろうか。
僕はそっと近づいて、女性の手元を覗き込んだ。女性が手に持っているのは細い糸と、元はお菓子の缶に入った色とりどりのとっても小さな、ハムスターの食道を余裕で通るであろう小さなビーズ。照明が一部遮られて影ができたのに、全く気にせずに女性はただ淡々と、縫い糸に小さなビーズを通し続ける。ビーズは様々な色があるので、何か法則に従って糸に通しているのかと思ったが、既に1m近くビーズが通された糸を見る限りてんでバラバラで、女性は特に気にせずつまめたビーズを糸に通し続けているらしい。
意味がないことをしているな、というのが女性の作業を見ての感想だった。特に法則性もなくただただ糸にビーズを通し続けている。その乱雑さが良いというのでなければ、女性はアクセサリーを作っているわけではないのだろう。仮に自分用だとしても玄関に靴を置かないような几帳面な人が、成り行き任せで雑多な色のビーズが通されているだけのアクセサリーを身につけるとは思えない。
僕はぼんやりと意味のない作業を眺め続ける。一粒、また一粒とビーズが糸の上を流れた。ビーズの通った糸はだんだん長くなっているように見えるが、缶の中のビーズは減らない。僕が本当の意味で前に進めなかったのと同様、この人も本当の意味でビーズを通せていないのかもしれない、とふと思う。
永遠に続く単純作業。小さなビーズがコロコロと糸の上を伝っていくのを見ていると、だんだん頭がぼんやりしてくる。焦点が合わず、目の前が霞みがかっており、自分の身体なのに呼吸をしているのかしていないのかも定かではない。トランス状態とはこういうことを指すのか、と思ったのが、記憶の最後だった。
ジリジリジリ、と目覚ましが鳴る。けたたましい音が鳴る目覚まし時計の在処は、ベッド下の収納スペース。僕はのそのそとベッドから出て、ベッド下に手を突っ込み、目覚まし時計を引っ張り出す。朝7時に鳴るようにセットしたアラーム機能そのもののスイッチを切った。これで、また寝る前にスイッチを入れない限りジリジリと金属音が鳴ることはない。ほっと一息ついて、ふと思う。
(あの夢は、なんだったんだろうか)
細部は覚えていない。とにかく意味がないことばかりしていた気がする。ぼんやりとした感覚だけが鮮明だ。あの何も考えられないような、思考がまとまらず全てが混濁していき脳に霞みがかかるかのような、そんな感覚だけが頭に残っている。それでいて気分は清々しい。寝起きの眠気を差し引いても頭はぼんやりしているのに気分は落ち着いていて、不思議な感覚だ。
(たまには意味がないこともしろってことか)
毎日、仕事仕事仕事、自己研鑽自己成長、存在意義を示せ、とせっつかれる日々。何もかもに意味を付与して、意味を見出して、どう頑張っても意味のないものは切り捨て続けてきた。そうしないと頭が壊れていただろう。そうでなくてもずっと頭がパンクしそうな感覚を持ちつつ騙し騙し過ごしていた。
それが今はない。頭が軽くて、妙にスッキリしている。こんな感覚、何年ぶりだろうか。
(意味がないことそれ自体に意味があるってこと、か)
僕は頭を掻く。同僚との話のネタにも資格取得の役にも立たない、と数年前に切り捨てた羊毛フェルトの趣味を再開したほうが良いかもしれない。
#命が燃え尽きるまで
命が燃え尽きるまで、眺めていようと思った。
ヨーロッパに網戸という文化はない。よって、フランスにも網戸はない。窓を開ければ虫は入り放題で、ハエも、蚊も、ユスリカも、ハチも羽音を鳴らして入ってくる。ホームセンターで買ってきた窓に貼るタイプの虫除けは全く意味をなさず、外からアパルトマンを見上げた時に自室がどこかわかるだけの、ただの目印となっている。
だから今日、再びホームセンターに行って蚊除けキャンドルを買ってきた。マグカップくらいの大きさの青いガラス容器に入った、燃焼時間50時間のキャンドル。マッチを擦ってキャンドルの芯に火をつけて、細く開けた窓のそばに置く。そよそよと入ってくる風が、炎を揺らす。炎の高さが青いガラス容器の中に収まったのを見ていた安心する。これならカーテンに引火しないだろう。カーテン越しでも、炎がゆらゆらとゆらめいているのが見える。
蚊除けキャンドルはシトロネル、日本ではレモングラスと呼ばれる植物のアロマオイルが入ったキャンドルだ。アロマキャンドルの一種だがあまり香りは強くなく、鼻を近づけてやっとレモンに似た爽やかな香りを感じる程度だ。店にはティーライトのような小さなものから、バケツに入ったキャンプ用の大型のものまで、売り場一面にたくさん並んでいた。逆に蚊取り線香やノーマットのような電気蚊除けはほとんど見かけない。売り場の隅に申し訳程度に置いてあるだけであるから、蚊対策の主流はキャンドルなのだろう。
ただ、効果があるのかは、正直よくわからない。蚊"取り"線香のようにピレスロイドが入っているわけではないから、蚊を殺す効果はない。蚊"除け"キャンドルは蚊に避けてもらうのが目的だからだ。だが、そんなに都合よく匂いだけで蚊が避けてくれるのだろうか。そもそもこんな風の吹く夜では、こんなほのかなキャンドルの香りもどこかに流れてしまうのではないか。
歯磨きなどのナイトルーティーンを終え、ベッドにしばらく転がっていた。うとうとしてはいたものの、どうにもキャンドルの様子が気になって眠れない。今のところ蚊は入ってきていないと思うが、それがキャンドルのおかげなのか、たまたまなのかはわからない。ゆらゆら、ゆらゆらと揺れるカーテンと共に炎が踊っているから、風に負けずキャンドルは順調に燃えている。火をつけて既に3時間ほど経っただろうか。様子を見てみようと身体を起こす。
窓辺に立って、そっとカーテンを開けた。キャンドルは、勿論ちろちろと燃えていた。アロマオイル入りの白い蝋は炎に近いところから溶けて、透明になった蝋が池を作っている。その池の中に黒い点がぽつん、とあった。ゴミでも入っているのかと思ったが、よく見ると6本、いや、7本の線が伸びている。黒白の縞縞模様。
ヒトスジシマカ、通称ヤブ蚊、フランス語ではmoustique tigre、訳すと虎蚊。なぜかヨーロッパの蚊はデカいので、虎蚊と言われても違和感がない。蚊除けばかりで蚊に対する有害物質が少ないからだろうか。それともヨーロッパの血を吸うと蚊もマッチョになるのか。想像する蚊よりも大きすぎて、ただのゴミに見えてしまった。
飛んで火に入る夏の虫、という諺が頭に浮かぶ。シトロネルの香りよりも、火の誘惑の方が強かったのだろうか。じーっと眺めていると、まだ蚊は死んでおらず、足をウゴウゴと動かしていた。なんともしぶとい蚊だ。もう羽は蝋に濡れて使い物にならないだろう。蝋の上に立てるわけもあるまい。それでも落ちてしまった罠から逃れようと、必死に細い足を動かして暴れていた。
暴れる足がキャンドルの火に触れた。ぽうっと、蚊の足に小さな炎が移る。蚊はジタバタと暴れ抵抗するが、暴れた足に火が燃え移る。火は燃え盛り……ということはなく、思っていたよりもじっくりと、しかし確実に、じわじわと蚊を燃やしていく。
その様子に、なぜだか目が奪われた。緩慢で、じれったい、目怠い光景。蚊は人間には聞こえない断末魔の叫びを上げながらのたうち回っている。エンディングは死だとわかりきっている。蚊は今晩のうちに焼死する。決定事項だ。それなのに目が離せない。目の前で燃えていく命を見るという趣味の悪いエンターテインメントに、訳がわからないほど魅了されている。
だから、命が燃え尽きるまで、眺めていようと思った。