キトリ

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#意味がないこと


ここは夢の中、だと思う。

時計の針が全てテッペンを指す頃、僕はベッドに入った。それからさほど時間は経っていないと思う。だから、今歩いている廊下は僕の住むマンションにそっくりだがきっと現実ではない。内廊下だから朝なのか夜なのかは不明なのだが、とはいえ両側の壁にあるドアについたプレートの文字はぐにゃぐにゃと歪んでいて何号室なのか読み取れない。昨夜は酒を飲まなかったから、酔っているはずはないので、夢うつつで廊下を歩いている可能性—尚、夢遊病だったことは人生で一度もない—を除けば、ここは夢の中だろう。

とりあえず、廊下を歩いてみることにした。ドアに注意を向けながら廊下を歩いて歩いて歩き続ける。行き止まりにある非常階段のドアは見えているのに、何分歩いても辿り着かない。誰もドアから出てこない。誰ともすれ違わない。物音ひとつ聞こえない。確実にここは夢の中だ。最近、運動不足なのは確かだから、僕の潜在意識はウォーキングでもさせたかったのだろうか。

無限に続くウォーキング。両隣の壁のドアは後ろに後ろに流れていくから進んでいるように錯覚する。とはいえ、ドアのプレートの文字は認識できないのだから、本当に僕が前に進んでいるのかはわからない。まるでハムスターが回し車を回しているよう、いや、僕は人間なのだからルームランナーのほうが正しい例えだろうか。僕はずっと同じ場所を歩いているだけなのかもしれない。

ハムスターのように一晩中走る体力のない僕は、疲れを感じて歩くのをやめた。ドアの流れが止まる。ルームランナーのように、じっと立っているからといって後ろに流されることはない。今の状況ならやはりハムスターの回し車のほうが例えとして適切だろうか。小学生の頃に飼っていたパールホワイトのジャンガリアンハムスターが頭の中で走り始める。あの小さくてふわふわな身体で一晩中、リビングの電気を消してから翌朝朝日が差し込んでくるまで走り続けていたハムスターの凄さを思い知る。今更どうでも良い、意味のない感動に変な笑いが漏れた。

疲れたな。足痛いな。喉が渇いたな。なんかお腹減ったな。夢の中だというのに、きっと現実では寝返りしたとしても50cmも動いていないのに、身体は疲労や生理的欲求を訴えてくる。僕はドアを見つめてどうしようかと逡巡した。夢の中とはいえ、他人の部屋かもしれないドアを開けるのは怖い。とはいえ、この不気味な廊下に居続けたいわけではない。部屋番号のプレートは読み取れないが、ドアを開けたら案外僕の部屋だったりするかもしれない。

そんな淡い期待を抱いて、ドアノブに手をかける。右側のドアはびくともしなかった。左側のドアもびくともしない。少し歩いて次のドアを試す。次、その次。4部屋目でやっとドアが開いた。

「ごめんください……」

玄関を見る限り僕の部屋ではない。なぜなら、玄関に靴がない。靴箱のドアノブには靴べらがかかっているから、靴を履かないわけではないのだろう。となると、この部屋に住むのは几帳面な人なのだろうか。もし、実は僕が夢遊病で、現実世界でドアを開けているとしたら、ここから一歩入れば確実に不法侵入で怒られるだろう。もう一度ごめんくださいと声をかけたが、返事はない。

(どうしよう……でも……)

夢の中とはいえ、もし中で人が倒れているなら放置するのは寝覚が悪い。そもそも夢の中なら不法侵入として咎められることはない。他の部屋には鍵がかかっていたのだから、鍵がかかっていない時点で入って良いということなのだろう。もしダメだったら、鍵をかけていない住人が不用心なのだ。そう納得して、部屋の中へと入る。きちんと靴を揃えて、もう一度「誰かいませんか」と声をかけながら部屋の中を歩く。

間取りは僕の部屋と変わらない。2LDKの部屋。玄関ドアから見て手前の部屋、基本的にはリビングダイニングとして使われる広めの部屋には誰もいない。意を決して奥の小さめの部屋、寝室として使われる想定の部屋に向かう。そっと、静かに、僕の寝室と同じ淡いクリーム色の木目調のドアを開ける。

部屋の片隅。壁に向かって蹲るようにして座る背中が見えた。髪は長いし、着ている服は淡いピンク色で、上衣の裾にはヒラヒラとしたフリルが見える。おそらく女性だろう、と判断して嫌な汗が出てくる。お願いだから、何が何でも夢の中であってくれ。気づかれないうちに退散すべきか。しかし、何をしているのか気にはなる。人の声が聞こえないほど、壁に向かって何に熱中しているのだろうか。

僕はそっと近づいて、女性の手元を覗き込んだ。女性が手に持っているのは細い糸と、元はお菓子の缶に入った色とりどりのとっても小さな、ハムスターの食道を余裕で通るであろう小さなビーズ。照明が一部遮られて影ができたのに、全く気にせずに女性はただ淡々と、縫い糸に小さなビーズを通し続ける。ビーズは様々な色があるので、何か法則に従って糸に通しているのかと思ったが、既に1m近くビーズが通された糸を見る限りてんでバラバラで、女性は特に気にせずつまめたビーズを糸に通し続けているらしい。

意味がないことをしているな、というのが女性の作業を見ての感想だった。特に法則性もなくただただ糸にビーズを通し続けている。その乱雑さが良いというのでなければ、女性はアクセサリーを作っているわけではないのだろう。仮に自分用だとしても玄関に靴を置かないような几帳面な人が、成り行き任せで雑多な色のビーズが通されているだけのアクセサリーを身につけるとは思えない。

僕はぼんやりと意味のない作業を眺め続ける。一粒、また一粒とビーズが糸の上を流れた。ビーズの通った糸はだんだん長くなっているように見えるが、缶の中のビーズは減らない。僕が本当の意味で前に進めなかったのと同様、この人も本当の意味でビーズを通せていないのかもしれない、とふと思う。

永遠に続く単純作業。小さなビーズがコロコロと糸の上を伝っていくのを見ていると、だんだん頭がぼんやりしてくる。焦点が合わず、目の前が霞みがかっており、自分の身体なのに呼吸をしているのかしていないのかも定かではない。トランス状態とはこういうことを指すのか、と思ったのが、記憶の最後だった。

ジリジリジリ、と目覚ましが鳴る。けたたましい音が鳴る目覚まし時計の在処は、ベッド下の収納スペース。僕はのそのそとベッドから出て、ベッド下に手を突っ込み、目覚まし時計を引っ張り出す。朝7時に鳴るようにセットしたアラーム機能そのもののスイッチを切った。これで、また寝る前にスイッチを入れない限りジリジリと金属音が鳴ることはない。ほっと一息ついて、ふと思う。

(あの夢は、なんだったんだろうか)

細部は覚えていない。とにかく意味がないことばかりしていた気がする。ぼんやりとした感覚だけが鮮明だ。あの何も考えられないような、思考がまとまらず全てが混濁していき脳に霞みがかかるかのような、そんな感覚だけが頭に残っている。それでいて気分は清々しい。寝起きの眠気を差し引いても頭はぼんやりしているのに気分は落ち着いていて、不思議な感覚だ。

(たまには意味がないこともしろってことか)

毎日、仕事仕事仕事、自己研鑽自己成長、存在意義を示せ、とせっつかれる日々。何もかもに意味を付与して、意味を見出して、どう頑張っても意味のないものは切り捨て続けてきた。そうしないと頭が壊れていただろう。そうでなくてもずっと頭がパンクしそうな感覚を持ちつつ騙し騙し過ごしていた。

それが今はない。頭が軽くて、妙にスッキリしている。こんな感覚、何年ぶりだろうか。

(意味がないことそれ自体に意味があるってこと、か)

僕は頭を掻く。同僚との話のネタにも資格取得の役にも立たない、と数年前に切り捨てた羊毛フェルトの趣味を再開したほうが良いかもしれない。

11/8/2024, 4:02:41 PM