中宮雷火

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12/3/2024, 11:27:52 AM

【トラジェディ】

暑さが和らぎ始めた10月の始め。
私は帰り道にある人を見掛けた。
その人はベンチに座っていて、独りで海を眺めていた。
鼓動が高まり、頬が熱くなる。
2年ぶりだ、会いたかった。
私はゆっくりと近づき、その人に声を掛けた。
「あの……、私のこと、覚えてますか?」
その人は振り向いた。
「あなたは…」
「お久しぶりです、中村さん」
目の前にいるのは、私の町に2年前まであった楽器店の店主・中村さんだ。

私達はベンチに腰掛け、しばらく話をすることにした。
「いやぁ、実に2年ぶりですね。
元気にしていましたか?」
「はい!中村さんも、お元気でしたか?」
私はニコニコ笑顔で答えた。
「ええ。この2年間、色々ありましたけど、何だかんだ元気ですよ。」
私は中村さんが言った「色々」に深い意味があるのを分かっていた。
去年、奥さんを癌で亡くしたと噂で聞いた。
それを思い出して、少しだけ胸が重くなったような気がした。
「……私も、何だかんだ元気にやってます!」
私は笑顔を作った。

それから私達は、この2年間の話をした。
高校に進学したこと。
友達が出来たこと。
今年、東京に行ったこと(家出したことは隠あえて言わなかった)。
中村さんはうんうんと頷いて私の話を聞いてくれた。
前と変わらない、柔和な笑顔。
寡黙で落ち着いていて、とても優しいところは変わらないみたいだ。
「あ、そういえばこれって言いましたっけ?」
「はい?」
「私、実は去年に妻を亡くしたんです。」
海風が急に冷たく感じられた。
脳がどんどん冷えて固まっていく。
中村さんの背後には、動かない白い雲が見える。
「…えっと、」
「ステルス胃癌で、亡くなったんです」
中村さんは視線を海に移し、こう切り出した。
「少しだけ、妻の話をしてもいいですか?」

―――――――――――――――――――――
2年半前から、妻がよく「食欲が無い」と言うようになったんです。
その頃は暑さが厳しい7月で、夏バテで食欲が失せてしまったのだろうと思っていたんです。
ですが、夏が終わっても一向に食欲は戻らず、冬には食事を戻すようになったんです。
ある日血を吐いてしまい、「これは只事では無い」と思って病院に行きました。
結果は、ステルス胃癌のステージ3でした。

それからは店を閉めて、妻の回復を優先するようになりました。
最初は手術も検討されていましたが、どうやら他の臓器に転移しているのが見つかって、手術はできないということで薬物療法を行なうことになりました。 
最初の頃は、辛い入院生活でも笑顔を浮かべていたんです。
ですが、癌が骨にも転移して、次第に骨の痛みを訴えるようになりました。 
日に日に笑顔が消えていくのを見るのは、本当に辛かったです。

ある日、先生から「今夜が山場かもしれません」と言われて、一晩中付き添いました。
夜中に「痛い、体が痛い」と呻けば、私は妻の体を擦ってあげました。
泣きながら擦りました。
もう、こんな姿は見たくないとも思いました。
そして翌日の朝、妻は亡くなりました。
苦しみながら亡くなりました。
サヨナラの言葉すら言えませんでした。

―――――――――――――――――――――
「ごめんなさい。
こんな話、外でするようなことでは無いですよね。」
そう言うと、中村さんは立ち上がった。
手には杖が握られていた。
「さて……、もうそろそろ行きますね。
それでは、お元気で。」
中村さんは杖をついて、地面と靴が擦れる音を立てて去っていった。
私はその背中を見送ることしかできなかった。

私は海を眺めながら、しばらく考え事をしていた。
中村さんは、もう楽器店は経営しないのだろうか。
今年の4月、閉店した楽器店が取り壊されているのを見た。
跡地にはコンビニができるらしい。

中村さんは「サヨナラの言葉すら言えなかった」と言っていた。
中村さんは、後悔しているだろうか。
しているだろうな。
こんな別れ方、望んでいなかっただろうな。
「来世でも会いましょう」なんて言ったりするドラマチックな別れではなく、
ただ苦しむことしかできないなんて。
こんな酷いことがあったなんて。
この苦しさは、今まで私が味わったものの中でもトップクラスに酷かった。

12/2/2024, 11:54:42 AM

〈悲報〉
さっきまで書いてた小説のデータ、
吹っ飛びました(泣)

ということで新作は明日書こうと思います。
明日は、あの子がある人と再会します。

以下は過去作の再掲です。
―――――――――――――――――――――
【鳥曇り(再掲)】

私は駅前に着くと、不意に空を見上げた。
灰色の重い雲が一面を覆い尽くしていた。
鳥曇り。
この前覚えた言葉が頭に浮かんだ。
春の季語らしいので、12月の空にはそぐわない表現だが、
どこか寂しくて褪せたイメージは鳥曇りという言葉で表現するのに十分に思えた。

私の町―田舎の港町は都市に行くには少し遠い場所にあるので、電車で30分以上もかかってしまった。
私の目的は、楽器屋に訪れることだ。
私の町にも、海沿いに古びた楽器屋はあるのだが、店主さん曰く
「実は妻が体調を崩しましてねぇ…、しばらくの間店を閉めようと思うんです。
早ければ春頃には再開できるんですけどね…」
と、いうことだそうだ。

ギターの弦の入手先が無くなって途方に暮れていた私に、お母さんは
「駅前にも楽器屋さんあると思うよ。
ショッピングモールの中にあったような…」
と教えてくれた。
そういうわけで、私は30分以上もかけてここに来たのだ。

ショッピングモールはここから3分のところにある。
道中、店主の奥さんのことを考えていた。
あのお店は夫婦で切り盛りしていると聞いた。
お客さんは少ないけど、とてもアットホームで、居心地の良さを感じる場だ。
店主は寡黙だけど、喋る時は喋る人だ。
楽器の知識が豊富で、私にもいろんなことを教えてくれた。

「ギターにはいろんな種類の指板があって、それぞれ特徴があるんだよ。
例えばメイプルは明るくてキレが良い。
ローズウッドはメイプルよりも暗く落ち着きがある。
その他にもいろんな種類があって、自分が演奏したい曲に合わせて変えると雰囲気が出て良いんだよ。」

店主の奥さんはお喋りで、いつも話しかけてくれる。
ピアノが弾けるらしく 、一回だけ聴かせてもらったことがある。
とても温かくて、元気があって、上手く言語化できないけど、「好きだ!」と思った。
それを話すと、ケラケラと笑って「その言葉を待ってたんだよ!嬉しいねぇ」と言ってくれた。
素敵な人だった。

大丈夫かな。
体調が悪いってことは、怪我とかじゃなくて病気かもしれないってこと?
もし深刻な病気だったら、嫌だな。
店主さんも、絶対落ち込んでるよね…
きっと、オトウサンが病気だった時も、オトウサンは絶対に苦しい思いをしていただろうし、お母さんだって辛かったはずだ。
私には誰の気持ちも全て知ることはできないけど、
でも、そんな思いを他の人に味わってほしくない。
指が刺さりそうになるくらい、拳を握りしめた。

ショッピングモール内の楽器屋は綺麗だった。
店内は明るいし、お客さんも多い。
ただ、そこには「商業」「ビジネス」という文字が見え透いていて、アットホームな空間とは言えなかった。

弦と数枚のピックを買って、外に出た。
本当はもっとお買い物したかったし、ゲームセンターも行きたかったけど、出費が惜しい。
外に出ると、冷たい風が頬を殴った。
最近、やけに寒い。
12月だからか、それとも?

鼻の上に、冷たさを感じた。
「あ、雪降ってきた―!」
誰かがそう言って、私は空を見上げた。
鳥曇りの空から、雪がちらちらと舞い降りてきた。
オトウサンは、こんな風景の中でも温かいものを信じて曲を作っていたのだろうか。

私は駅に向かって歩いた。
次は、クリスマスイルミ観たいな。

12/1/2024, 10:57:55 AM

【生と死の距離】

9月も中頃に差し掛かった頃、槇原さん夫婦から手紙が届いた。 
8月の始めにお礼の品と手紙を贈ったから、 
きっとそのお礼の手紙なのだろう。

「槇原さんのこと、お母さんは知ってる?」
私が訊いてみると、お母さんは
「う〜ん、聞いたことはあるかな。
でも、直接会ったことは無いなぁ」
と答えた。

槇原さん夫婦には、随分と助けられた。
私の家出初日、「これからどうしよう」という不安を抱えて立ち寄った楽器店が出会いの場だ。
私を一晩泊めてくれた上に、私のオトウサンのことを色々と教えてくれて。
本当に感謝しても足りないくらいだ。

「一緒に、手紙読もうよ」
私はお母さんに声をかけた。
今までなら、こんな会話はきっと無かった。
封筒をそっと開き、二人で言葉を受け取る。

―――――――――――――――――――――
橋本海愛様

お手紙拝見いたしました。本当に、海愛ちゃんは聡明な子ですね。やはり大智譲りなのでしょう。
 海愛ちゃんと過ごしたあの日が、まるで昨日のことのように感じられます。
あの日に弾いてくれたギターも歌声も、もう1ヶ月以上経っているのに鮮明に覚えています。
 自分語りになってしまうのですが、私は親友の大智を亡くしてから、ずっと心に穴が空いたままでした。 
何をしても満たされないし、気がつけばあの頃を思い出して悲しくなってしまう毎日でした。そんな私を受け止めてくれたのが妻で、心が沈んでいた私を元気づけてくれたのです。
お陰で前より明るくなれたのですが、次第に大智のことを忘れようとしてしまいました。
思い出すととても辛くて、ならばいっそのこと忘れてしまったほうが楽だと考えてしまったのです。
本当に私は酷く情けない人間です。
ですが、あの日海愛ちゃんに会って、私は久しぶりに大智のことを思い出しました。
そして海愛ちゃんと一緒に話すうちに、私は段々満たされていくのを感じました。
ずっと穴が空いていたのに、それを埋めてくれたような気がしたのです。
海愛ちゃんにいきなり弾き語りをお願いしてしまったのも、海愛ちゃんに大智の面影を感じたからです。
海愛ちゃんの弾き語りを聴いて、私は本当に感動しました。
「生きてて良かった」とも思いました。
礼をするのはこちらのほうです。
本当にありがとうございました。
 それでは、またお目にかかれる日を楽しみにしています。お身体にはお気をつけてください。
                  敬具 
令和6年9月15日
               槇原晋也
――――――――――――――――――――― 
まず思ったのは、「晋也さんも辛かったんだな」ということだ。
会ったときは「優しそうな人だな」くらいにしか感じなかったけれど、
その裏では想像を絶するほど苦しんでいたのだろう。
何度も涙を流し、それでも前を向くことを決めたのだろう。

「また、会えると良いね」
お母さんはニッコリ笑って言った。
「次は一緒に行こうね」
私は笑顔で答えた。

きっと、私達を阻む距離なんてどうでもよくて、心はずっと繋がっているのかもしれない。
それが生と死の間だとしても。
晋也さんとオトウサンは今でも確かに繋がっているのだから。

11/27/2024, 12:26:28 PM

【愛情の形】

午前8時頃、私は車窓から景色を眺めている。
自然溢れる景色が次第に都会に染まっていく。 
学校に近づくほど、胃がキリキリと痛みだす。
1時間後、私は270日ぶりに教室に入るらしい。
不登校では無くなるらしい。

遂に学校に着いてしまった。
今は始業式の途中だ。
なので、周りには誰もいない。
昇降口には担任の先生と保健室の先生が、
並んで私を待っていた。
「おはようございます〜」
先生とお母さんが挨拶をする声が聞こえる。
その後も何か喋っていたような気がするが、
私は不安で何も覚えておらず、
気づけば担任の先生と一緒に廊下を歩いていた。
「この後先生は転校生を迎えに行くから、先に席に着いてていいよ」
え、教室に先生がいてくれるわけじゃないの?
そんなの、絶対に気まずいじゃん…。
なんて言えず、唯一「……はぁ、」という相槌しか打つことができなかった。

教室の前に着いた。
壁越しに楽しそうな声が聞こえる。
扉を開ければ、私もその世界に飛び込める。
本当に?
私には見える、
皆がワイワイと楽しんでいるところに、
私がいきなり扉を開けて、
「え?」と困惑するところが。
その時の皆の顔は、私にとっては見るに堪えない光景だろう。
「じゃ、扉開けるよ。いい?」
「……はい。」
「大丈夫、うちのクラスは優しい人ばかりだから。」
そう言って、先生は私の背中をトントンと軽く叩いた。
先生にとってはエネルギーの注入のつもりなのだろう。
それが私にとって、エネルギーなのか毒なのか分からなかった。

先生が教室の扉をガラガラと開けた。
「さ、入って」
先生が耳打ちしたのを合図に、私は教室に足を踏み入れた。
いや、踏み入れるしか無かった。
私はずっと下を向いていた。
今、皆はどんな顔をしているのだろう。
私はそれを見るのが怖い。
肩紐をぎゅっと握り締めて耐えるしか無かった。
辛い、辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い…
「海愛ちゃん、」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。
思わず顔を上げると、
友達―かのんちゃんがいた。
「ここ、私の隣だよ」
そう言って、隣の席を指差している。
「ありがとう」
私は席に着き、辺りを見回した。
本を読んでいる人、
勉強している人、
大勢で騒いでる人、
スマホを観ながら会話している人、
色々な人がいた。
ああ、私は浮いていない。
きっと皆にとって、さっきの出来事は些細な事に過ぎなかったんだ。
私はそれが嬉しかった。
変に心配されたり、困惑されたりするのは嫌だった。
だから、この空気感が心地よく思えた。
「おーい、皆うるさいぞ」
先生が皆を叱り、空気は一気に氷柱のように冷たくなった。
「……、この後転校生来るぞ」
「よっしゃーー!」
「マジで!?」 
「やったぁ!」
氷柱が一気に溶け、再び空気が温かくなった。
「海愛ちゃん、転校生だって!」
「うん、ワクワクするね!」
私は少しだけ考えた。
先生が始業式の日に学校に来るように勧めたのは、転校生が来ると分かっていたからなのかな。
転校生の存在によって、私が変に浮くこと無くカモフラージュできるから、なのかな。
もしかすると、の話だけど。

「長瀬あいりです、大阪から来ました!」
転校生―あいりちゃんは、とても明るい子だった。
「え、大阪弁しゃべれるの?」
「しゃべれるでー。
ま、そんなコテコテでは無いけどな。」
「もうかりまっかー?」
「ぼちぼちでんなー、
ってそれあんまり使わんねん!」
うわぁ、本当に大阪弁だ。凄いなぁ。

あいりちゃんとは席が近いこともあり、
3人でに一緒に過ごすようになった。
「ここって静岡やねんな?
静岡弁ってあるん?」
「あるよ。でも、あんまり聞かないかな。」
「うん、近所のおじいちゃんおばあちゃんが使ってるくらいかな。」
「へー、皆使ってるわけでは無いんやなぁ」
あいりちゃんの大阪での話は、どれも面白いものばかりだった。
「よく『大阪の人はたこ焼き毎日食べてるんやろ』って言われるねん。
そんなわけないやん。飽きるて。」
へえ、大阪の人って毎日たこ焼き食べてるわけでは無いんだ。

私が再び学校に登校し始めてから、あっという間に2週間後が過ぎた。
勉強は案の定難しくて、頭が混乱する毎日だ。
部活は……、
未だにバンドのメンバーと会えていない。
1回だけ、廊下ですれ違ったけれど。
目が合った瞬間、相手はビックリして目が真ん丸になっていた。
しかし、1秒も経たないうちにすっと視線を逸らされてしまった。
仕方ない。
きっと、そんな簡単に話せる仲ではないのだ。

そんな折、ある人から手紙が届いた。
手紙の差出人は、槇原さん夫婦だった。

11/26/2024, 11:10:56 AM

【ハッピーブルー】

9月1日、始業式の日。
誰もが憂鬱を纏い、去った夏を想いながら校長先生の話に耳を傾けようとしても、話が長すぎて退屈する日のこと。
案外、なんてこと無いのかもしれない。
みんなにとっては。
中には「やっとあの先生に会える」と喜んでいる人もいたりするかもしれない。
何だかんだ、みんな楽しみにしていたりするのだ。

けれど、私は違った。
もう憂鬱で憂鬱で仕方ない。
不安過ぎて消え去りたい。
とか考えながら、仕方なくポロシャツを頭から被る。

―――――――――――――――――――――
私の不登校は、去年(高校一年生)の12月から始まった。
あの時は勉強についていけなくなったり、人間関係が上手くいかなくなって、精神が崩壊しかけていた。
ボロボロになりながら、なんとか糸一本だけ残っているみたいな状況だった。

何もかも上手くいかない、そんな時に私は聞いてしまったのだ。
ある日の放課後、教室に忘れ物をしたので取りに行こうとした時だった。
「なんか、橋本さんってさ」
私の苗字が聞こえて、びっくりした。
「なんか、橋本さんってさ、
人と喋るの下手だよね」
「あ、分かる。
なんか、友達少ないんだな〜って。」
「なんか、あのちょっとノリ悪い感じ?
気まずいときあるよね」
「いや、別に嫌いじゃないし、
別に悪口じゃないんだけどさ?
なんかねー、って思ってさ」
私は拳を握りしめた。
ああ、私ってそんなイメージだったんだ。
悔しい、悲しい。
教室で会話をしている4人組は実に楽しそうに会話していた。
……許せなかった。
「別に嫌いじゃないし」って、
嫌いなんでしょ?
私は分かっていた。
こういう空気感のときに出てくる「嫌いじゃない」も、「悪口じゃない」も、
全部嘘だ。

しかし、
友達少ないのも、人と喋るのが苦手なのも、集団行動が苦手なのも、
全部本当だ。
仕方ないじゃん、
友達との接し方なんてわかんないよ。
本当はここで面白いことを言えたら、
私の好感度は上がるのかもしれない。
気にしなければいいのに。
けれど、私にそんなことができる筈もなく、
忘れ物を置きっぱなしにして、逃げるように家に帰った。

家に帰ってから、自室に籠もって泣いた。
私、やっぱり無理だ。
もう辛い。
小学生の時にもっと友達を作っていれば。
私がもっと面白い人間なら。
もっとポジティブなら。
もっと有能なら。
あんなこと、言われなかったんだろうなあ。
高校生になって初めて宿題をサボって、
ひたすら泣いた。

翌日から、私は不登校になった。
もう限界だった。
中々リビングに来ない私を心配して、お母さんが自室の前まで来てくれた。
「大丈夫?どこか具合悪いの?」
「……もう、学校行きたくない。」
私は布団の中から言った。
その時のお母さんの「え……」という声を、未だに忘れられない。
ショックを受けたような、哀しい声。
その声を聴いて、私もショックを受けてしまった。
「上出来な娘じゃなくてごめんなさい」と思ってしまった。

―――――――――――――――――――――
夏休みに担任から「もうそろそろ、教室入ってみてもいいんじゃない?」と声を掛けられた。
正直、「はやく不登校脱却しろや」という脅迫としか感じられなかったけど、
確かにもう生温いことを言ってられないと思い、
2学期の始業式から普通登校を始めることに決めた。
とはいえ、まだまだハードルが高い。
保健室登校までは頑張れる。
でも教室には入れない。
入った瞬間「え、誰こいつ」という空気感になりそうで怖いのだ。

「あと10分したら車乗るよ―」
リビングからお母さんの声が聞こえる。
「……はーい」
憂鬱すぎる、今から取り消せないだろうか。
「なんだか微熱があるような……」と誤魔化せば、今日も休めるかもしれない。
いやいや、と私の中の私が首を振る。

ふと、東京での思い出が蘇った。
あ、そういえばおばあちゃんからお守り貰ったんだ。
こんなこと思い出してる暇なんて無いのに。
―――――――――――――――――――――
「海愛ちゃん、お守りあげるわ」
「え、お守り?」
「そう、これからも海愛ちゃんが楽しく暮らせるように」
そう言って、おばあちゃんは私に勾玉をくれた。
聡明な青い勾玉。
蛍光灯に照らされて、キラキラと光っていた。
「太陽の下なら、もっと綺麗に輝くんだよ」
―――――――――――――――――――――

あのお守りは机の引き出しにしまってある。
今日は、頼ってみてもいいかな。
私はお守りを机の中から探し出し、通学鞄に急いでつけた。
黒い鞄に青が輝いている。
同時に、私の心がすっと軽くなるのを感じた。
「太陽の下なら、もっと綺麗に輝くんだよ」
私はその言葉に惹かれ、やっと学校に行く決心をすることが出来た。
「まだ〜?」
いけない、時間が迫っている。
私は鞄を持って階段を降りた。
「おまたせ!」

外に出ると、太陽が嫌と言う程眩しく感じられた。
鞄につけた勾玉は太陽光が反射して、
それはまるで海のようにキラキラしていた。
私をちゃんと照らしていた。

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