中宮雷火

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9/7/2024, 1:04:20 PM

【心踊る体験を】
 
あるアーティストのコンサートに行ったことがある。
ずっと好きで、「推し」という言葉で表せないほどの存在。
ずっと苦しくて、死にたくて、そんな中で彼らのロックサウンドに光を見出そうとした。
そんな、私にとってのヒーロー達に会いに行った。

会場付近では物品販売が行われていた。
近づくにつれ増えていく人溜まり。
「ああ、こんなにも多くの人達が彼らの音楽を愛しているんだ」と、感慨深い気持ちになった。
2時間ほど経ち、開場した。
周りを見渡すと、席ばかり。
そしてやや下にはステージ。
「これから、コンサートが始まるんだ!」というワクワクを抱え、その時を待った。

いよいよ始まった。
迫力ある映像、音楽、光に包まれて現れた彼らは、美しかった。
本当に、存在している…
心がこんなにも震えて、多幸感に満ちたことなどあっただろうか?
生で聴いた彼らの音楽は、この世のものとは思えない賛美歌だった。
心の底から美しいと、本気でそう思った。
そして、私はこのとき決意した。
彼らに近づこう。
アーティストになろう。
ある1日の、心踊る体験をしたお話だ。

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あれから10年。
今日は、アリーナツアーを控えている。
彼らがライブを行った場所で。
この10年の間に色々なことがあった。
親に夢を反対された高校時代。
曲が中々売れず悩んだ大学時代。
いきなり売れ始めた3年前。
ずっと、今までのことは夢だと思うようにしていた。
自分が、こんなに幸せになっていいはずがないと、
そう言い聞かせなければ自分の輪郭を保てない感覚があった。

今日も、あのライブを思い出した。
あの日から忘れることなど1日たりとも無かった。
あのライブだけが、自分を照らす太陽だった。
あれから色んなライブに足を運んだが、
自分にとっての太陽にはなれなかった。

しかし、今日だけは自分のライブが1番だと、胸を張って言えなければ。
そんな思いでステージに経った自分は、観客席を見回した。
ああ、彼らが見ていた景色も美しかったのだな。

心踊る体験をさせてあげよう、
その思いを胸に始まったライブは大成功だった。

9/6/2024, 1:41:06 PM

【ボーナスタイム】

僕の住む町内では、午後5時になると「夕やけ小やが流れる」が流れる。
スマホも腕時計も持たされていない僕達は、その音楽を合図にして家に帰ることが多い。
今日もそうだと思っていた。
だけど、今日は何だか違ったのだ…

「今日、1日が長くね?」
良樹がポツリと漏らした。
「そうか?」
「えー、違う?」
「普通かなぁ」
そんな他愛も無い話をしていた矢先、妹が変な事を言い出した。
「お兄ちゃん、夕やけ小やけ流れないよ?」
「え、まだだろ」
「もーすぐじゃない?」
すると、英一(クラス1の秀才だ)が
「いや、もう5時過ぎてるよ。」
と言った。
そんな馬鹿な、と思ったが、英一はキッズケータイを僕達に見せた。

17:12

もう10分以上経っている。
「え、門限過ぎてるじゃん!ヤバぁ!」
良樹は頭を抱えてヘナヘナと座り込んでしまった。
一方、他の面々は冷静で、他の女子数人は
「これ、お母さん達絶対気づいてないよね。」
と会話している。
そんな中、僕はあることを思いついてしまった。
「なあ、母さん達気づいてないなら、もうちょっと遊んでもバレなくね?」
すると皆は一瞬静かになったものの、1秒後には口を揃えてこう言うのだった。
「それな!!!」

その後、僕達は広い公園に移り、鬼ごっこを始めた。
幸いにも今は夏なので、日が暮れるのが遅い。
ということは、母さん達もきっと気づくのが遅くなるに違いない。
ということは、僕達はもっと遊べる。
そんな優越感と1mmの不安に満たされていた。
走っているときに見えた空が青くて綺麗だった。

17:54
英一がおもむろにポケットの中を探り始めた。
「あー、お母さんから電話来た。」
恐らく、早く帰ってこいと言われるのだろう。
英一は電話をし始めた。
「うん…、うん…、第1公園にいる、うん…、分かった。」
通話が終わるや否や、英一は言った。
「ごめん、帰んなきゃ。嘘、つけなかった。」

結局、各々帰ることになった。
いや、実際にはもう少し遊んで帰ってもバレないのでは?とも思った。
だけど、僕らは知っている。
そういうことをすると後々面倒になる、と。

僕と妹は家に帰った。
今日は門限をオーバーし過ぎた。
とっくに6時を超えている。
怒られるだろうか。
そんなことが頭をよぎったが、今日の判決はすぐに下された。
「町内放送が壊れてたらしいし、今日だけは見逃してあげる。でも、次はないよ?」
あぁ、良かった。
そんな脱力感と幸福感に満ちた僕は、夜ご飯をガッツリ食べた。

その後、しばらく町内放送が出来ないということになり、お母さんから百均の腕時計を買ってもらった。
もう、門限を合法的に破ることが難しくなった。

9/5/2024, 11:28:18 AM

【海辺】

2001/07/30
久しぶりに、遥とデートをした。
車で港町に行って、海沿いのカフェでランチをしたり、浜辺を歩いたりした。
3ヶ月ぶりに会ったものだから、何だか緊張して、胸の鼓動がやけにうるさくて、とてもむず痒いような感覚だった。
浜辺を歩きながら話をした。
これまでのこととか、これからのこととか。
どうやって出会ったんだっけ、とか。
これからどんな風に過ごそう、とか。
思い出を振り返る度に懐かしさや寂しさが込み上げてきて、
未来のことを話すと期待と不安が押し寄せた。
正直な話、僕は遥と結婚したいと思っている。
こんなに素敵な女性は、もう僕には見つけ
ることができない。
それくらいに愛おしい存在になっていると感じる。

遥は山が好きらしい。
僕はしまった!と思った。
山派だと分かっていれば、海辺でデートなんかせずに山登りすれば良かった。
僕はなんて馬鹿なのだろうと思い、自分を責めた。
だけど、遥は楽しそうだった。
「見て、貝殻!可愛いでしょ?」だなんて言って、はしゃいでいるのだ。
そんな彼女の姿を見ていると、海辺のデートも悪く無かったと思える。
海水で貝殻を洗う彼女は、何だか嬉しそうな顔をしていた。
またいつか、海辺のデートをしたいと思う今日この頃。

9/4/2024, 2:50:37 PM

【光の鱗片】

不登校になってから3ヶ月が経った。
この頃、私の生活習慣は凝り固まっていて、とても退屈だ。
しかし、学校に居ることが苦痛な私にとって、退屈な日常のほうがマシに思えるのだ。
朝は10時ごろに起きて、お母さんが作ってくれた昼食を食べて、天井を眺める生活。
6時頃には友達―かのんちゃんのことだ―とLINEでやりとりをする。
最近は、私に気を遣ってくれているのかLINEでの会話は推しの話がメインだ。
学校での出来事を話すような空気ではない。

勉強せず、ストレスも溜まることがないので、良い生活だ。
とはいえ、こんな自分に対する焦燥も感じていた。
私は、これからどうなるのか。
どうやら、何かのきっかけで社会のレールから弾き飛ばされる人もいるらしい。
私は、どっちだろう。

さすがに何かしなければ。
そんな焦りが膨れ上がり始めたときのことだ。
私は、あるものを見つけてしまったのだ。

お母さんが仕事に行っている間、私はふと
「この家にはどんな物が眠っているのだろう」と気になってしまったのだ。
もしかしたら、お母さんの古い写真とか、絵とか、そんな珍しいものが出てきたりするのではないか?
お母さんの卒アルとか見つけちゃったりするのでは?
などという興味から、リビングにある棚の引き出しを開け閉めしていた。
その時だった。
ある1冊のノートを見つけた。
「きらめき」と書かれていた。
お母さんの字ではない。
私は吸い込まれるようにノートを開いた。

1998/04/13
新曲の製作を開始。
次は、明るい曲を作るつもりだ。

1998/06/02
僕の作りたい歌はこんなに悲しい歌ではない。
僕は、温かいスープのような愛に満ちた歌を作りたいのに。

1998/09/30
曲が完成した。
今回も納得のいく歌は作れなかった。
でも、完成形を作る才能があるのだから、上出来だ。

1998/10/10
今日は同じサークルの人達と日帰り旅行に行ってきた。
紅葉が綺麗だ。
ぜひ歌にしたい。

最初は誰のことか分からなかったが、読み進めるうちに「これはオトウサンの日記ではないか?」と思い始めた。
1998年ということは、当時のオトウサンは
20歳。
この頃から作曲していたのか。

1998/11/15
同じサークルの子とディナーに行った。
とても可愛らしい。
今までいろんな女の子を見てきたけど、この子は何だか特別だ。

1998/12/25
遥と一緒に駅前のイルミネーションを観に行った。
やっぱり、遥は可愛い。
ずっと埋まらなかった心が埋まっていくような感覚がある。

遥とは、お母さんの名前だ。
今まで知らなかったけど、オトウサンとお母さんは同じサークルだったのか。
こんなこと、お母さんは教えてくれなかった。
どんどん読み進めるうちに、日記の中での月日は4年ほど経っていた。
オトウサンは会社員、お母さんは薬剤師になっていた。

2002/05/24
遥との婚約を考えている。
でも、こんな僕でいいのだろうか。
僕はミュージシャンを目指していて、こんなの現実的ではないだろう。
こんな僕でも、遥は好きだと言ってくれるだろうか。

2002/07/24
遥にプロポーズをすると決めた。
どうやってプロポーズすればいいのかよくわからない。

2002/08/19
指輪を買った。
ドキドキする。

2002/08/26
遂にプロポーズした。
僕達は、これから恋人ではなく夫婦になる。
どうか、遥には素敵な人生を送ってほしい。
そのために僕が夢を見せてあげるし、夢を見せてほしいと、本気で思っている。

とてもほっこりした。
オトウサンって、意外と不器用というか、完璧な人ではなかったんだ。
オトウサンも悩んだり迷ったりしてて、でもそこには愛があるようだ。

私はページをめくる手を止めることができなかった。
オトウサンの鱗片がやっと掴めるようになって、私は嬉しかったのだ。
しかし、あるページでその手は止まってしまった。
「……」
そこには、知りたくなかったオトウサンの姿が、痛々しく生々しく綴られていた。
涙が溢れた。
こんなオトウサン、知りたくなかった。

そこには、私が今まで知らなかった数々の事実が書かれていた。
そして、オトウサンの鱗片を掴むヒントも。
私は決めた。
オトウサンの事を、もっと知ろうと思う。
今まで敬遠していたけど、これは私が知るべきことだ。

ここからの物語は、私がオトウサンに近づくための話だ。
物語は始まってすらいない。

9/1/2024, 11:15:32 AM

【負の蓄積】

私は、高校1年生になった。
突然ギターを弾き始めて約3年。
「Fコードが弾けない!」と嘆いていた私も、今では綺麗なFコードで曲を奏でられるようになった。
3年間、色々あったなぁ。
音楽の授業でギターを習ったとき、クラスメイトから凄く褒められた。
嬉しかったなぁ。
思い出を振り返るとキリがない。

そんな私は、県内有数の進学校に入学した。
駅前の学校なので、通学は電車で30分以上もかけなければならないが、慣れてくると案外楽しいものだ。
人間関係が不安だったが、クラスメイトも先生も皆優しくて、とてもほっとした。
親友も出来た。
三島かのんちゃんという子だ。
かのんちゃんとは席が近く、休み時間を一緒に過ごすことが多くなった。
昼ご飯も一緒に食べる仲だ。
一方、部活は軽音楽部に入った。
理由は単純。ギターを弾きたいからだ。
そして驚くべきことに、私はギターボーカルなのだ。
私って正直引っ込み思案だし、人と関わるのは苦手だ。
だけど、このままじゃだめだと思って、勇気を出してみた。
結果的に私は4人組ガールズバンドのギターボーカルになってしまった、というわけだ。
何だか、ワクワクする!
そのようにして順調に走り出した新生活は、
次第に雲行きの怪しい音を立て始めた。

最初の陰りは、班活動だった。
私の高校では班活動が多く、主体的に授業を進めるスタイルだ。
そこで、私は自分のスペックの低さを実感させられた。
皆、リーダー性がある。
その上、勉強もできる。
班内で「ここの問題分からなーい」という声が挙がれば、1秒後には誰かが解法を分かりやすく説明し始める。
私はどうやら「役立たず」らしい。
私なんかいなくても、クラスが成立するということに気づき始めた。

勉強も難しくなった。
中学生の時はテストで80点以上をとっていて、100点を2回取ったことがあった。
だからこそ慢心していた。
高校の勉強の難しさと授業のスピードの速さ、それらに加えて皆のスペックの高さによって、私は完全に勉強する気力を無くした。

部活も上手くいかなかった。
軽音楽部での練習は月2回。
最初は「どんなバンドになるんだろう!」という期待が大きかったが、
そんな簡単に行くわけなかった。
メンバーが全く集まらない。
皆、兼部しているとか勉強が忙しいとかスケジュールを把握していなかったとか言って、部活に来てくれない。
誰だって一度や二度はあるかもしれない。
しかし、毎週のようにそんなLINEが送られてきて、だんだん腹が立っていった。
そして、この間―月日が経って10月の始めだった―にあるメンバーからLINEが送られてきた。

「脱退します」

は?と思った。
散々迷惑かけて、いきなり脱退?
何それ。
しかもそれ以降、その子とは連絡が取れなくなった。
脱退の理由さえ教えてくれなかった。
その他のメンバーに関しても、1ヶ月後には全員脱退した。
私が悪かったのかな?とも思った。
けれど、さすがに酷いと思った。
何度も心の中でメンバーを責めては、そんな自分に腹が立つこともあった。

追い打ちをかけるように、悲しいことが起こった。
近所の楽器屋が閉店した。
ある日、お店の入口に貼り紙が貼られているのを見た。
「この度、中村楽器店は誠に勝手ながら閉店致します。
長きに渡りご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。」
噂によると店主の奥さんが亡くなったらしいのだ。
癌だった。
2年前からお店を閉めていて、ずっと心配だったけれど、まさかこうなるとは。
この頃には私の精神はボロボロで、今にも擦り切れそうだった。

やがて学校にも馴染めなくなって、かのんちゃんに心配されることが多くなった。
「大丈夫?元気ないよ。」
その度に私は、
「ごめん、寝不足なだけ!」
などと誤魔化していた。

しかし、誤魔化すことも無理になって、
とうとう12月から、不登校になってしまっ。

かのんちゃんはとても優しかった。
「大丈夫?無理しないでね」
かわいいスタンプと共に送られたそのメッセージは、まるで偽善だとは思えなかった。
しかし、私はそこに既読をつけられなかった。
かのんちゃんの優しさはちゃんと分かってるけど、それを受け止めきれるほどの余裕が無かった。

開けないLINEに溜息をついた。
もう、ほっといてほしい。

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