【心踊る体験を】
あるアーティストのコンサートに行ったことがある。
ずっと好きで、「推し」という言葉で表せないほどの存在。
ずっと苦しくて、死にたくて、そんな中で彼らのロックサウンドに光を見出そうとした。
そんな、私にとってのヒーロー達に会いに行った。
会場付近では物品販売が行われていた。
近づくにつれ増えていく人溜まり。
「ああ、こんなにも多くの人達が彼らの音楽を愛しているんだ」と、感慨深い気持ちになった。
2時間ほど経ち、開場した。
周りを見渡すと、席ばかり。
そしてやや下にはステージ。
「これから、コンサートが始まるんだ!」というワクワクを抱え、その時を待った。
いよいよ始まった。
迫力ある映像、音楽、光に包まれて現れた彼らは、美しかった。
本当に、存在している…
心がこんなにも震えて、多幸感に満ちたことなどあっただろうか?
生で聴いた彼らの音楽は、この世のものとは思えない賛美歌だった。
心の底から美しいと、本気でそう思った。
そして、私はこのとき決意した。
彼らに近づこう。
アーティストになろう。
ある1日の、心踊る体験をしたお話だ。
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あれから10年。
今日は、アリーナツアーを控えている。
彼らがライブを行った場所で。
この10年の間に色々なことがあった。
親に夢を反対された高校時代。
曲が中々売れず悩んだ大学時代。
いきなり売れ始めた3年前。
ずっと、今までのことは夢だと思うようにしていた。
自分が、こんなに幸せになっていいはずがないと、
そう言い聞かせなければ自分の輪郭を保てない感覚があった。
今日も、あのライブを思い出した。
あの日から忘れることなど1日たりとも無かった。
あのライブだけが、自分を照らす太陽だった。
あれから色んなライブに足を運んだが、
自分にとっての太陽にはなれなかった。
しかし、今日だけは自分のライブが1番だと、胸を張って言えなければ。
そんな思いでステージに経った自分は、観客席を見回した。
ああ、彼らが見ていた景色も美しかったのだな。
心踊る体験をさせてあげよう、
その思いを胸に始まったライブは大成功だった。
【ボーナスタイム】
僕の住む町内では、午後5時になると「夕やけ小やが流れる」が流れる。
スマホも腕時計も持たされていない僕達は、その音楽を合図にして家に帰ることが多い。
今日もそうだと思っていた。
だけど、今日は何だか違ったのだ…
「今日、1日が長くね?」
良樹がポツリと漏らした。
「そうか?」
「えー、違う?」
「普通かなぁ」
そんな他愛も無い話をしていた矢先、妹が変な事を言い出した。
「お兄ちゃん、夕やけ小やけ流れないよ?」
「え、まだだろ」
「もーすぐじゃない?」
すると、英一(クラス1の秀才だ)が
「いや、もう5時過ぎてるよ。」
と言った。
そんな馬鹿な、と思ったが、英一はキッズケータイを僕達に見せた。
17:12
もう10分以上経っている。
「え、門限過ぎてるじゃん!ヤバぁ!」
良樹は頭を抱えてヘナヘナと座り込んでしまった。
一方、他の面々は冷静で、他の女子数人は
「これ、お母さん達絶対気づいてないよね。」
と会話している。
そんな中、僕はあることを思いついてしまった。
「なあ、母さん達気づいてないなら、もうちょっと遊んでもバレなくね?」
すると皆は一瞬静かになったものの、1秒後には口を揃えてこう言うのだった。
「それな!!!」
その後、僕達は広い公園に移り、鬼ごっこを始めた。
幸いにも今は夏なので、日が暮れるのが遅い。
ということは、母さん達もきっと気づくのが遅くなるに違いない。
ということは、僕達はもっと遊べる。
そんな優越感と1mmの不安に満たされていた。
走っているときに見えた空が青くて綺麗だった。
17:54
英一がおもむろにポケットの中を探り始めた。
「あー、お母さんから電話来た。」
恐らく、早く帰ってこいと言われるのだろう。
英一は電話をし始めた。
「うん…、うん…、第1公園にいる、うん…、分かった。」
通話が終わるや否や、英一は言った。
「ごめん、帰んなきゃ。嘘、つけなかった。」
結局、各々帰ることになった。
いや、実際にはもう少し遊んで帰ってもバレないのでは?とも思った。
だけど、僕らは知っている。
そういうことをすると後々面倒になる、と。
僕と妹は家に帰った。
今日は門限をオーバーし過ぎた。
とっくに6時を超えている。
怒られるだろうか。
そんなことが頭をよぎったが、今日の判決はすぐに下された。
「町内放送が壊れてたらしいし、今日だけは見逃してあげる。でも、次はないよ?」
あぁ、良かった。
そんな脱力感と幸福感に満ちた僕は、夜ご飯をガッツリ食べた。
その後、しばらく町内放送が出来ないということになり、お母さんから百均の腕時計を買ってもらった。
もう、門限を合法的に破ることが難しくなった。
【海辺】
2001/07/30
久しぶりに、遥とデートをした。
車で港町に行って、海沿いのカフェでランチをしたり、浜辺を歩いたりした。
3ヶ月ぶりに会ったものだから、何だか緊張して、胸の鼓動がやけにうるさくて、とてもむず痒いような感覚だった。
浜辺を歩きながら話をした。
これまでのこととか、これからのこととか。
どうやって出会ったんだっけ、とか。
これからどんな風に過ごそう、とか。
思い出を振り返る度に懐かしさや寂しさが込み上げてきて、
未来のことを話すと期待と不安が押し寄せた。
正直な話、僕は遥と結婚したいと思っている。
こんなに素敵な女性は、もう僕には見つけ
ることができない。
それくらいに愛おしい存在になっていると感じる。
遥は山が好きらしい。
僕はしまった!と思った。
山派だと分かっていれば、海辺でデートなんかせずに山登りすれば良かった。
僕はなんて馬鹿なのだろうと思い、自分を責めた。
だけど、遥は楽しそうだった。
「見て、貝殻!可愛いでしょ?」だなんて言って、はしゃいでいるのだ。
そんな彼女の姿を見ていると、海辺のデートも悪く無かったと思える。
海水で貝殻を洗う彼女は、何だか嬉しそうな顔をしていた。
またいつか、海辺のデートをしたいと思う今日この頃。
【光の鱗片】
不登校になってから3ヶ月が経った。
この頃、私の生活習慣は凝り固まっていて、とても退屈だ。
しかし、学校に居ることが苦痛な私にとって、退屈な日常のほうがマシに思えるのだ。
朝は10時ごろに起きて、お母さんが作ってくれた昼食を食べて、天井を眺める生活。
6時頃には友達―かのんちゃんのことだ―とLINEでやりとりをする。
最近は、私に気を遣ってくれているのかLINEでの会話は推しの話がメインだ。
学校での出来事を話すような空気ではない。
勉強せず、ストレスも溜まることがないので、良い生活だ。
とはいえ、こんな自分に対する焦燥も感じていた。
私は、これからどうなるのか。
どうやら、何かのきっかけで社会のレールから弾き飛ばされる人もいるらしい。
私は、どっちだろう。
さすがに何かしなければ。
そんな焦りが膨れ上がり始めたときのことだ。
私は、あるものを見つけてしまったのだ。
お母さんが仕事に行っている間、私はふと
「この家にはどんな物が眠っているのだろう」と気になってしまったのだ。
もしかしたら、お母さんの古い写真とか、絵とか、そんな珍しいものが出てきたりするのではないか?
お母さんの卒アルとか見つけちゃったりするのでは?
などという興味から、リビングにある棚の引き出しを開け閉めしていた。
その時だった。
ある1冊のノートを見つけた。
「きらめき」と書かれていた。
お母さんの字ではない。
私は吸い込まれるようにノートを開いた。
1998/04/13
新曲の製作を開始。
次は、明るい曲を作るつもりだ。
1998/06/02
僕の作りたい歌はこんなに悲しい歌ではない。
僕は、温かいスープのような愛に満ちた歌を作りたいのに。
1998/09/30
曲が完成した。
今回も納得のいく歌は作れなかった。
でも、完成形を作る才能があるのだから、上出来だ。
1998/10/10
今日は同じサークルの人達と日帰り旅行に行ってきた。
紅葉が綺麗だ。
ぜひ歌にしたい。
最初は誰のことか分からなかったが、読み進めるうちに「これはオトウサンの日記ではないか?」と思い始めた。
1998年ということは、当時のオトウサンは
20歳。
この頃から作曲していたのか。
1998/11/15
同じサークルの子とディナーに行った。
とても可愛らしい。
今までいろんな女の子を見てきたけど、この子は何だか特別だ。
1998/12/25
遥と一緒に駅前のイルミネーションを観に行った。
やっぱり、遥は可愛い。
ずっと埋まらなかった心が埋まっていくような感覚がある。
遥とは、お母さんの名前だ。
今まで知らなかったけど、オトウサンとお母さんは同じサークルだったのか。
こんなこと、お母さんは教えてくれなかった。
どんどん読み進めるうちに、日記の中での月日は4年ほど経っていた。
オトウサンは会社員、お母さんは薬剤師になっていた。
2002/05/24
遥との婚約を考えている。
でも、こんな僕でいいのだろうか。
僕はミュージシャンを目指していて、こんなの現実的ではないだろう。
こんな僕でも、遥は好きだと言ってくれるだろうか。
2002/07/24
遥にプロポーズをすると決めた。
どうやってプロポーズすればいいのかよくわからない。
2002/08/19
指輪を買った。
ドキドキする。
2002/08/26
遂にプロポーズした。
僕達は、これから恋人ではなく夫婦になる。
どうか、遥には素敵な人生を送ってほしい。
そのために僕が夢を見せてあげるし、夢を見せてほしいと、本気で思っている。
とてもほっこりした。
オトウサンって、意外と不器用というか、完璧な人ではなかったんだ。
オトウサンも悩んだり迷ったりしてて、でもそこには愛があるようだ。
私はページをめくる手を止めることができなかった。
オトウサンの鱗片がやっと掴めるようになって、私は嬉しかったのだ。
しかし、あるページでその手は止まってしまった。
「……」
そこには、知りたくなかったオトウサンの姿が、痛々しく生々しく綴られていた。
涙が溢れた。
こんなオトウサン、知りたくなかった。
そこには、私が今まで知らなかった数々の事実が書かれていた。
そして、オトウサンの鱗片を掴むヒントも。
私は決めた。
オトウサンの事を、もっと知ろうと思う。
今まで敬遠していたけど、これは私が知るべきことだ。
ここからの物語は、私がオトウサンに近づくための話だ。
物語は始まってすらいない。
【負の蓄積】
私は、高校1年生になった。
突然ギターを弾き始めて約3年。
「Fコードが弾けない!」と嘆いていた私も、今では綺麗なFコードで曲を奏でられるようになった。
3年間、色々あったなぁ。
音楽の授業でギターを習ったとき、クラスメイトから凄く褒められた。
嬉しかったなぁ。
思い出を振り返るとキリがない。
そんな私は、県内有数の進学校に入学した。
駅前の学校なので、通学は電車で30分以上もかけなければならないが、慣れてくると案外楽しいものだ。
人間関係が不安だったが、クラスメイトも先生も皆優しくて、とてもほっとした。
親友も出来た。
三島かのんちゃんという子だ。
かのんちゃんとは席が近く、休み時間を一緒に過ごすことが多くなった。
昼ご飯も一緒に食べる仲だ。
一方、部活は軽音楽部に入った。
理由は単純。ギターを弾きたいからだ。
そして驚くべきことに、私はギターボーカルなのだ。
私って正直引っ込み思案だし、人と関わるのは苦手だ。
だけど、このままじゃだめだと思って、勇気を出してみた。
結果的に私は4人組ガールズバンドのギターボーカルになってしまった、というわけだ。
何だか、ワクワクする!
そのようにして順調に走り出した新生活は、
次第に雲行きの怪しい音を立て始めた。
最初の陰りは、班活動だった。
私の高校では班活動が多く、主体的に授業を進めるスタイルだ。
そこで、私は自分のスペックの低さを実感させられた。
皆、リーダー性がある。
その上、勉強もできる。
班内で「ここの問題分からなーい」という声が挙がれば、1秒後には誰かが解法を分かりやすく説明し始める。
私はどうやら「役立たず」らしい。
私なんかいなくても、クラスが成立するということに気づき始めた。
勉強も難しくなった。
中学生の時はテストで80点以上をとっていて、100点を2回取ったことがあった。
だからこそ慢心していた。
高校の勉強の難しさと授業のスピードの速さ、それらに加えて皆のスペックの高さによって、私は完全に勉強する気力を無くした。
部活も上手くいかなかった。
軽音楽部での練習は月2回。
最初は「どんなバンドになるんだろう!」という期待が大きかったが、
そんな簡単に行くわけなかった。
メンバーが全く集まらない。
皆、兼部しているとか勉強が忙しいとかスケジュールを把握していなかったとか言って、部活に来てくれない。
誰だって一度や二度はあるかもしれない。
しかし、毎週のようにそんなLINEが送られてきて、だんだん腹が立っていった。
そして、この間―月日が経って10月の始めだった―にあるメンバーからLINEが送られてきた。
「脱退します」
は?と思った。
散々迷惑かけて、いきなり脱退?
何それ。
しかもそれ以降、その子とは連絡が取れなくなった。
脱退の理由さえ教えてくれなかった。
その他のメンバーに関しても、1ヶ月後には全員脱退した。
私が悪かったのかな?とも思った。
けれど、さすがに酷いと思った。
何度も心の中でメンバーを責めては、そんな自分に腹が立つこともあった。
追い打ちをかけるように、悲しいことが起こった。
近所の楽器屋が閉店した。
ある日、お店の入口に貼り紙が貼られているのを見た。
「この度、中村楽器店は誠に勝手ながら閉店致します。
長きに渡りご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。」
噂によると店主の奥さんが亡くなったらしいのだ。
癌だった。
2年前からお店を閉めていて、ずっと心配だったけれど、まさかこうなるとは。
この頃には私の精神はボロボロで、今にも擦り切れそうだった。
やがて学校にも馴染めなくなって、かのんちゃんに心配されることが多くなった。
「大丈夫?元気ないよ。」
その度に私は、
「ごめん、寝不足なだけ!」
などと誤魔化していた。
しかし、誤魔化すことも無理になって、
とうとう12月から、不登校になってしまっ。
かのんちゃんはとても優しかった。
「大丈夫?無理しないでね」
かわいいスタンプと共に送られたそのメッセージは、まるで偽善だとは思えなかった。
しかし、私はそこに既読をつけられなかった。
かのんちゃんの優しさはちゃんと分かってるけど、それを受け止めきれるほどの余裕が無かった。
開けないLINEに溜息をついた。
もう、ほっといてほしい。