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10/4/2024, 1:37:30 PM

10年くらい前だろうか。私が幼稚園に通っている頃だった。私は踊ることがとても好きだった。
好きといっても、ダンス教室に通うなど、そんな専門的なことはしていない。私の踊りははっきり言って下手だった。顔は無表情、バランスはよく崩すし、何を意識して何を考えて踊っているのか分からない。あとから父の撮ったビデオを見返してみて思ったけれど、その様はまるで空気のない操り人形のようだった。

でも当時、私から見えている世界は違った。幼い頃アイドル私はアイドルが大好きだった。ステージで全身にライトを浴び、目は常に宝石のようにキラキラ輝き、可愛く整えた髪と衣装についたフリルがふわっとする度、心が踊った。テレビ越しでも生で見ても、現実にいるのかいないのかわからないくらいアイドルも自分もふわふわしているその感じがとにかくとても好きだった。

だから私もアイドルになりきって踊っていた。目の前を大きなステージだと思って、自分はその真ん中に立っている。ペンライトが視界の端から端まで私の大好きなピンクで埋め尽くされ、私がくるりと一回転するだけで髪が勢いに任せてふわっ
と動き、スカートはフリルと一緒にくるくると膨れ上がる。とにかくステージの上でふわふわしていて、観客席のファンをみんな非現実的空間に連れ込む。そんな想像をしながら好きな曲をかけてうろ覚えなダンスを踊り、下手なダンスを家族の前で披露していた。

だが幼い頃の私でも、部屋で1人で無表情で踊っている私を想像したら恥ずかしくてダンスなんて絶対にやらなかっただろう。実際、たまにそんなことを考えてしまい、恥ずかしくてたまらなくなった時が何度もある。
それでもアイドルを見ると何故かもう一度踊りたくなった。そして踊り始めると、私から見えている世界はステージの上だった。全てが夢の中のような感覚だった。ふわふわしていた。幼い頃の私は、想像だけで自分を違う世界に連れ込むことができたのだ。

現在私は高校生だが、今、幼い頃のようにステージやペンライトを想像して自分がアイドルになりきって踊る、なんて絶対にそんなことはできない。
得意だった想像力を働かせてもステージが見えるのは一瞬、すぐに散らかった部屋の中へと意識が戻り、現実に引き戻される。部屋でひとり、自分の容姿には似合わないアイドルのダンスを踊っているなどと考えると恥ずかしすぎて、足をばたばたして気を逸らさないと心が変に焦りだしてどうにかなってしまう。

でも、もしも、幼い頃の私に会えるとして。
幼い頃の私が「お姉ちゃん、アイドルごっこしよう!一緒に踊ろう?」
そう言ってくれたら、私はこの恥を捨てて幼い頃の私と思いっきりアイドルになるだろう。根拠はないけど。
でもきっと、幼い頃の無垢な私は、高校生の私を自分の想像の世界へ連れて行ってくれるだろう。そこにはきっと、裏も表もない。恥なんて最初から存在していないのだろう。

10/2/2024, 10:55:49 AM

3ヶ月前、祖母がインコを逃がしてしまった。

とても可愛いインコだった。おしゃべりが上手で、私や家族が教えた言葉は早い時は一日もしないうちに覚えて、ひたすら喋って、私達を喜ばそうとしてくれていた。家族が帰ってくるとカゴの中からすぐに近寄ってきてくれて、「おかえり」と喋ってくれた。

祖母は高齢で、少しの段差などでつまづいてしまうことも多かった。祖母とは家が近いのでそのインコを連れて毎日のように家を訪ねた。祖母はとても喜んでいた。祖母は昔からインコを買っており、インコがとても好きだ。インコと触れ合う時は赤ちゃんを見るような暖かい目でいつも優しく接していた。インコもまた祖母が大好きで、2人が触れ合っているその光景を切りとったものは写真では収まりきれないくらいの優しい光があり、絵になるくらい素敵だった。そのくらい、祖母はインコに癒され、インコは祖母に懐いていた。
だから高齢とはいえ、一日だけならいいかと世話を任せてしまった。

よく晴れた朝だった。雲がひとつもなかった。祖母はインコの名前を呼びながら、縁側でそのインコのかごの掃除をしてくれていた。
祖母の家にいた私はトイレから出て縁側に顔を出した時、祖母の蒼白した表情が一番最初に目に入った。次に目に入ったのは空になったかごと「逃げた!」と言う祖母の声。その瞬間私の心臓は口からとび出そうなくらい跳ねた。
その後のことは、よく覚えていない。
たしかパジャマのまま、縁側から裸足で飛び出したのかな。そしてひたすら近所を探し回って。青空をくまなく見たけど、あの子が飛ぶ姿はなかった。木の枝、家の屋根、洗濯物干しの竿、ブロック塀の上、一生懸命探したけれど、どこにもいなかった。探し疲れて道端で再び空を見上げた時、どこまでもきりのない青を見た時、この世界に私はひとりなんだという根拠のない喪失感に襲われた。
探すのを諦めて祖母と会った時、祖母は悲しそうに申し訳なさそうにしていた。
「ごめんね。」
「そんな、大丈夫だよ、おばあちゃんは悪くないよ」
自分の口から流れるようにそんな言葉が出た。
でも心の中は違った。私は祖母を憎んでいた。わざとでは無い。絶対に。分かっているのに、憎んでしまった。祖母は悪くないのだ。どうしようもなかった状況だったのだ。分かっている。なのに、「あんたのせいだ」そんな言葉が私の心のスペースを陣取っていた。隙間もないくらいに。

あれから3ヶ月。インコの保護情報も、目撃情報もない。心に少し重みはあるが、もう気にならない。祖母の家にも毎日行き、顔を出すようになり、とても仲がいい。

話は少し変わるが、8年前かな。祖母が昔、こんな話をしてくれた。
「私が若い頃に買っていた文鳥がね、一度逃げたんだけど、帰ってきたんだよ。夜に一応カゴの入口を開けっ放しにして外に置いていたら、次の朝なんの躊躇いもなくそこで休んでたんだよ。一晩飛び回って、疲れて、帰ってきたのかな。もうすごく嬉しかった。」
3ヶ月前インコを逃した時にも、そんな奇跡が起こるんじゃないかと、その子がいたかごを、入口を開けっ放しにして外に置いていた。今までの3ヶ月間ずっとそのかごをそのまま外に置いているけれど、そこに入っているあの子の姿は見ていない。
奇跡がもう一度起こるのなら、そこに入って、長旅で疲れたと何事もなかったかのように休んでいるあの子の姿が見たい。

10/1/2024, 2:27:38 PM

私の家のペットたちは、たそがれている。
文鳥2羽、オカメインコ1羽、犬1匹。仲は良くも悪くもない。互いに「なんかいつもそこにいるやつ」としか認識していないようだ。
しかし夕方になり、ペット達がいるひとつの部屋が、電気をつけてもつけなくてもいいような暗さになった時、みんな揃ってたそがれている。きっと、考えていることはそれぞれ違うだろう。
飼い主が手を振ってくれた、飼い主がおはようと挨拶してくれた、飼い主が可愛いと言ってくれた、飼い主が撫でてくれた、飼い主が好きなおやつをくれた、おいしかった、隣の気の弱いあの鳥が今日も驚いていた、あの鳥は寂しそうだ、どうしてあの人間に愛想をふれるのだろう、歌が上手く歌えた、何もしてないのに怒られた?
とまあ、犬も鳥もこんなところだろう。
そんなことを考えているうちに日が沈み、空は太陽が海のすぐ下にあるといっても過言ではない綺麗な赤を映し出し、黄昏時になる。
私たち人間はたそがれているとき、なんとも言えない気持ちになる。それは賢いのにみんな完璧じゃないからだと思う。
動物たちはたそがれているとき、赤い空を綺麗だなと思うと思う。それは特別でもなんともなく、時間の流れに沿った、一日の動きのひとつだと捉えると思う。それはとても単純だからだと思う。