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私の家のペットたちは、たそがれている。
文鳥2羽、オカメインコ1羽、犬1匹。仲は良くも悪くもない。互いに「なんかいつもそこにいるやつ」としか認識していないようだ。
しかし夕方になり、ペット達がいるひとつの部屋が、電気をつけてもつけなくてもいいような暗さになった時、みんな揃ってたそがれている。きっと、考えていることはそれぞれ違うだろう。
飼い主が手を振ってくれた、飼い主がおはようと挨拶してくれた、飼い主が可愛いと言ってくれた、飼い主が撫でてくれた、飼い主が好きなおやつをくれた、おいしかった、隣の気の弱いあの鳥が今日も驚いていた、あの鳥は寂しそうだ、どうしてあの人間に愛想をふれるのだろう、歌が上手く歌えた、何もしてないのに怒られた?
とまあ、犬も鳥もこんなところだろう。
そんなことを考えているうちに日が沈み、空は太陽が海のすぐ下にあるといっても過言ではない綺麗な赤を映し出し、黄昏時になる。
私たち人間はたそがれているとき、なんとも言えない気持ちになる。それは賢いのにみんな完璧じゃないからだと思う。
動物たちはたそがれているとき、赤い空を綺麗だなと思うと思う。それは特別でもなんともなく、時間の流れに沿った、一日の動きのひとつだと捉えると思う。それはとても単純だからだと思う。

10/1/2024, 2:27:38 PM