「隠された手紙」
二十数年ほど前になるだろうか、彼女は1通の分厚い封筒を受け取った。
その申し出を彼女は熟慮せず親が反対するだろうとか、
私には無理だろうと、
断ってしまった。
その後、彼女は親元を独立したがその手紙をどうしても手元においておきたくて、他の思い出達と一緒に箱に入れて封印した。
その手紙の筆跡も内容も鮮明に脳裏に焼き付いているから、手元に残しておかなくても、
いつでも、記憶の奥の箱から出してこれるるから、彼女はある日他の思い出と共に手放すことにした。
まだ終活するには早いかもしれないけれど、
ひとつひとつ
丁寧に手放していきたいときう。
それが彼女のやり方なのだ。
だから、私は彼女のやり方を否定も肯定もしない。
そのままでいいと思う。
時が経てば、背負ってきた重い荷物も下ろせるようになるようだ。
無理に引き剥がしても逆効果だ。
傷跡が残ってしまう。
かさぶたを無理矢理取ってはいけないのと同じなのだ。
かさぶたが自然と剥がれる時は必ずくる。
少し、最期に少しだけ、手をそっと差し出す。
それが彼女の生き方なのだ。
「バイバイ」
彼女の頭の中にはもう一人の住人がいた。
何かを決める時、彼女の本心ではなく、その住人が決定権を持っているのである。
だから、その住人が欲しいと思って買ったものや、好きになったものは、彼女が主導権を握っている時、なぜ、それを買ったのか、その時の気持ちがわからないのである。
彼女は最近その住人に「バイバイ」をして、彼女自身として、生きたいと思うようになった。
果たしてその希望は叶うのだろうか、はたまたま住人が支配してしまうのだろうか。
共存していく道はあるのだろうか。
「旅の途中」
私はまだ旅の途中にいてる
ちゃんとゴールできるのかな
確か、哲学者のカントが
「これでよし」と言い残して亡くなったそうだ。
高校の倫理で覚えてるインパクトのある台詞
私も「これでよし」と言って最期を迎えたい。
叔父が亡くなる前にお見舞いに行った時、
「これで会いたかったもんに全部会えた。もう思い残すことない。」って言ってくれた。
親戚付き合いの薄い家系だったので、そんなに親しかった訳ではないが、節目節目には会って、料理を振る舞ってくれたことも覚えている。
叔父はレストランをしてたことがあって、たしかオムそばを作ってくれた。
とても倹約家で、努力家だった。
資格試験も歳取ってからも何度も何度も挑戦してた。
近くに住んでいた頃にもっと会いに行っておけばよかった。
たくさん話をしたかった。
学ぶことが多い人だった。
私もそういう人になれたらいいなと思う。
「まだ知らない君」
今日は思いつかない。。。
まだ知らないところはたくさんある。
一番近い存在だと思い込んでいても色んな面を見せてくる。
対応できるときも、そうでないときも。
私は不完全だから、変化に対応するのに時間がかかる。
初めは拒否反応を示してしまう。
絶対無理だと思っていても、
意外といけるものもあったりする。
私は私という人間がまだわかっていない。
「日陰」
彼女はこう言った。
私は雲になりたいの。
だって、無数に飛んでくる槍や小さな針か刺さって私の心はボロボロだから。
雲になったら、槍であろうが通り抜けるでしょ?
雨を降らすことだってできるし、日照り続きの場所には日陰を作ることができる。
だから雲になりたいの、と。
中からは消して開けることのできない個室の中で、考えだした彼女なりの結論だった。
実際のところ、彼女は雲になってしまったのかもしれない。
なぜなら、そうしないと、彼女は立っていられなかったから。
どんなことを言われようと、耐えて耐えて耐え抜くにはそれしか手段がなかったのである。
数年後、彼女は雲ではなく風になりたいと思うようになった。
不要なものは吹き飛ばし、
春の訪れを知らせる
「春一番」の風になりたいと思うようになった。
やがて彼女は悟るようになる。
小さな針も、槍も本当は飛んでなどいなかったからだ。
言葉の読み違い、聞き違い。
これは彼女の先天的な障害であるのだろう。
数時間経って読み返せば、
送られた言葉には何の針も槍もこっちには向けられてなく、ただ単に説明されていただけだったのだ。
彼女はこの先天的な問題を治したくて、治療に今、取り組んでいる。