惚れた目には糘痕も靨
磨りガラスだったガラスを拭く彼女も、霜を吸った布巾も、もう見れない。そうなってから随分経った。
このツンと鼻を刺す匂いにももう慣れた。
「初日の出、綺麗だね」
毎年君は同じセリフを吐く。
...そんなこと、思ってもないくせに。
暫く僕は返事をできないでいた。
腕時計の蓋をいじりながら彼女は微笑んでいる。
変わらぬ返事をわかっていながら、それでも僕の答えは変わらない。
「僕は、憎らしいよ。」
日は、必ず昇る。
変わることなく昇り、ひとりでに輝き続ける。
「大丈夫。いつか君は大丈夫になるよ。」
「ならないよ。」
「なって、欲しいなぁ。」
「...なりたくないから。」
「...そっかぁ。」
この進む一秒が憎い。
昨日よりも水の入ったペットボトルが重い。
彼女は僕に睨まれた腕時計を知ってか知らでかさすり続ける。
僕が誰よりも誇れる眼になると誓ったのに。
あと、一ヶ月。
僕もきっと変わってしまう。
それが一番、憎い。
鳥のように
母の激昂した声が頭にガンガンと鳴り響く。
羽が鳥かごを叩く音が脳みそを現実に繋ぎ止める。
心臓が早鐘を打つ。ぽたりと落ちたのは涙か、脂汗か。
もう限界だった。
無我夢中に投げられた包丁を手にし、獣のように変わり果てた母の腹を刺す。
ぶつりと皮膚を破った感覚のあと、スッと勢いと共に鈍色が飲み込まれていく。
気づけば母は倒れていた。
自分の荒くなった息遣いと、鳥籠がはねる金属の音が時間が流れていることを実感させる。
ずっと望んでいたことは、案外呆気なかった。
「シネ!!コロス!!」
母が言い損ねた遺言を喋る鳥。
僕もこの鳥のように、冷たい籠の中で彼女の血を巡らせ生きるんだろう。
目を落とした先の僕の腕は、目の前の鳥と同じ色をしていた。
空模様
昼下がりの公園
今日は夏を象徴するような青に大きな白を散りばめた空模様だ。
君は、照りつける太陽にそっくりな笑みを浮かべこちらを見る。
取り繕う僕と、包み隠さない君の素直さ。
きっと君は日焼けなんて気にしていない。帽子だって君の好きな黒。
カラッとした笑顔で前へ向き直る。
何がそんなに楽しいんだろうか。
満足なんだろうか。
無邪気でいられるのか。
僕はじんわりと熱い鎖を掴んでいた手を緩め、無意識のうちに作業とも化していた足を止める。
風は穏やかになり、僕を誤魔化していた疾走感は徐々に失われていく。
心臓が胸を打ち、汗が噴きだし、肌がじとっとしていくのを感じる。この感覚が、僕は嫌いだ。
「気持ちいいな。」なんて。君は何も変わってない。
木陰にいる僕の心はずっと湿って、君へじとっと縋っている。
まだ君は前へ前へと漕いだまま、汗に気づかない。