あめ

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5/28/2024, 1:19:08 PM

「暑くないの?」
その問いかけは今週に入ってから3人目くらいだった。
周りを見渡せばみんな、真っ白の半袖から健康的に腕が伸びている。紺色のセーラーカラーと白のブラウス。紺色のプリーツスカート。男子は白のカッターシャツに黒のスラックス。教室に差し込む、季節を主張するような強い日差し。青春って感じだ。
対して私は長袖の合服のままだった。ところでこの合服、過去十数年のうちに生徒たちの意見でようやく実装された代物らしい。私は何度か目になる先人への感謝の念を放っておいた。
「ポリシーに反するので」
このポリシーは、セーラー服は合服が一番可愛いと言うものである。冬服の全身紺色よりもブラウスが白い方が可愛いに決まっている。そして、半袖よりも長袖の方が可愛い。
「ふぅん」
聞いておいてやる気のない返事が返ってくる。長袖の人間には体感温度がバグっていないか確認しないといけない義務でもあるのだろうか。
「去年もそう言って8月の2週目には夏服になってたよね。今年はいつまで持つかな」
「……なんで覚えてるの?」
具体的すぎる。私ですら覚えてなかったのに。ファンなのだろうか、私の。
「長袖の方がかわいいって言うけどさ〜」
意味ありげに右手を持ち上げる。オーバーサイズ気味の半袖から覗く腕が、ひどく細く、白くて艶かしく映る。
「半袖でがっつり腕出して、そこにブレスレットとかしてたら可愛くない?」
急に性癖みたいな話をされた。
「えっ可愛い」
すらりと伸びる腕の先にシルバーのチェーンを幻視して、私の脳内審査員が満場一致で両手を上げてしまった。なんで私の好みを知ってるんだ、やっぱり私のファンか。
「帰ったら夏服出すかぁ……」
ついでに指輪とか付けたい。さすがに怒られるか。
「おしゃ、今年の記録は7月1週目ね。私の勝ちだ」
「待って。誰かと賭けでもしてます?」

『半袖』

5/28/2024, 12:27:31 PM

ーーーお兄ちゃんが帰ってくる!

うきうきと跳ねる心を宥めながら、玄関の前で深呼吸をする。お兄ちゃんが帰ってくるのはお昼過ぎと聞いている。遅いお昼ご飯をみんなで食べようと言っていたので、まだ帰ってきてはいないはずだ。
「ただいま〜」
平静を装って玄関をくぐれば、途端にいい匂いが溢れてくる。釣られてリビングまで進むと、目に飛び込んでくるのはご馳走の数々。グラタン、トマトのパスタ、ハンバーグ。色とりどりのサラダは人参がまるでお花のように飾り付けられている。それにクロワッサンやフランスパンまで添えられていて、ひどく豪華だ。
「え、なになにご馳走じゃん」
よく見れば普段はないお花まで飾られている。見慣れたはずのリビングがまるで別世界だ。
「あら、おかえり咲ちゃん」
まだ何かを作っているのか、お母さんがせかせかと動きながら応えてくれる。
「だってお兄ちゃんが彼女を連れてくるって言うじゃない。盛大にお迎えしないと」
「……えっ」
急に目の前が真っ暗になった。お母さんが何を言ったのか理解できなくて、脳が言葉を咀嚼する前に心臓がばくばくと音を立てて手のひらにじっとりと嫌な汗が滲む。
あれ、咲ちゃんは聞いてなかった?とお母さんの声がどこか遠くで聞こえる。

いつか、こんな日が来るとは思ってた。
お兄ちゃん。
東京に行くために家を出て行ったお兄ちゃん。
優しくて面倒見がよくて、私がどんなにわがままを言っても困ったように笑って受け止めてくれるお兄ちゃん。
お兄ちゃんはカノジョ作ったりしないの?と聞いた私に、手のかかる妹がいるからなぁと笑ってたお兄ちゃん。

「ほら、早く手洗ってきちゃいなさい。それで手伝って。お母さん張り切ってデザートまで作っちゃったのよ」
お母さんの声にはっと現実に引き戻される。
テーブルに並んだご馳走、いつもより整理整頓されてすっきりとした部屋、こころなしガラスまでいつもより輝いて見える。
「えへ……」
笑おうとした口角は上がり切らなくて引き攣ったように歪んだ。
お兄ちゃんを出迎えて一層幸せに満ちた空間になるはずだったリビングは、一気に地獄への門を開いたようだった。
笑え、いつも通りに。何も気取られないように。
ぐちゃぐちゃになった心を隠すために、私は洗面台に走った。

『天国と地獄』

5/6/2023, 2:34:48 PM

「ね、明日世界がなくなるとしたら今からなにをしたい?」

唐突な話題に、ほとんど動いていなかった手を止めて顔を上げる。
窓枠に行儀悪く体重をかけ、いまいち感情の読めないにやにやとした表情の未那と目が合う。暇なのかもしれない、これだから優等生様は。
「焼肉パーティー」
ほとんど考えずに答えて再度手元に視線を落とす。そこには数分前から一向に進む気配のない数式たちが踊っている。今日の課題なのだから、真っ当に考えれば今日習った公式を使えば解けるはずなのだ。それなのにどうこねくり回しても、当てはまる気配がない。
「焼肉か〜。私どっちかと言うとしゃぶしゃぶの気分なんだよね」
暇なら答えを教えてくれればいいのに、変なところで真面目な未那は、ヒントこそくれど肝心なところは決して口にしてくれない。
「じゃあしゃぶしゃぶでもいいよ」
すでに薄れかけていた集中力が切れていくのを感じる。意識がしゃぶしゃぶに持っていかれ、奇跡的に今日の夕飯がしゃぶしゃぶだったりしないかな……とか考え出す。残念ながらしゃぶしゃぶは我が家のスタンダードメニューには存在しない。
「私に合わせてくれちゃうの?世界が終わっちゃうのに?」
シャーペンで虚空に円を描きながら、ちらりと未那を見上げる。やっぱり未那のにやけ顔は何を考えているのかわからない。
「未那と一緒なら、まあそれでもいいよ」
実際なんだっていい。焼肉だってしゃぶしゃぶだって。修学旅行はバスの中と布団の中のお喋りが一番楽しいのと一緒だ。まあ、牡蠣の食べ放題にしよ!とか言われたら断固拒否だけど。私はあのぬめぬめした感じと磯の匂いがだめ。
「やだ〜熱烈ぅ」
トンっと軽い音がして、ノートに影が落ちる。未那の長い髪の毛が視界に入る。
「私のことが大好きなぴぴちゃんに大サービス。最初の所の計算ミスしてるぞ」
誰がぴぴちゃんだ。
「って、え」
慌てて長々と並んだ計算式を見直していく。序盤も序盤、本当に最初の些細な掛け算の繰上げが間違っている。
「あ〜!?ちょ、全部計算狂うじゃん!未那気付いてたら秒で教えてよ!」
頭上でけたけたと笑う声。返せ、私の数分間。
「こんなんじゃあ世界も終われないねぇ」
「いや、世界終わるなら課題なんて捨てるに決まってるけど」