ココロ

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6/5/2023, 1:32:56 PM

昔話をさせてほしい。

取り立ててなんの特技もない、強いて言うなら元気さが取り柄な男の子がいた。
そうだな、年は7歳くらい。
その子は1週間程前からよく家に遊びにくる猫に餌をやったり、こっそり家に上げたりして遊んでいたんだ。
両親が共働きで帰ってくるのが夜遅くなってからだったから、寂しいのもあったんだろう。「ミーコ」と言って可愛がっていた。前から何度かお母さんに猫が欲しい、猫がだめなら犬でもいいからとねだったことがあったが、動物の毛でアレルギーが出るからと却下された。


その日も玄関先でキッチンから取ってきた煮干しをやって、撫でたり、膝に乗せたりして遊んでいた。
この季節、空が明るいこともあってまだ夕方だと思っていたが、実際は夜に差し掛かった時間で、毎週楽しみにしているアニメを見逃しそうになっていることに気づき、慌ててミーコを下ろして中に入った。


アニメも見終わって、腹も減った頃「ただいまー」と玄関先からお母さんの声が聞こえて、今日担任の先生からもらった資料やら封筒やらを手にかけ寄ったら、

「たっくん、玄関の鍵、閉め忘れてたでしょ。戸も開いたままだったわよ」

「え……」

「知らない人入ってきちゃうから、ちゃんと鍵まで閉めないと」

焦ってたからな…。これからも気をつけないと、帰ってきた時にミーコと遊んでいるのを見られたらまずい……と思っていると、

「キャーーー!!」

2階からお母さんの悲鳴が聞こえた。

――ひょっとしたらまだ家の中にミーコが?
猫を家に上げたことがバレたら怒られてしまう!
ヒヤヒヤしながら階段をかけ上ると、廊下を進んですぐ右側にあるお父さんの部屋、仕事帰りのカバンを持ったままお母さんが一点をじっと見ている。お母さんの後ろからひょいと顔を覗かせると、良かった、ミーコはいなかった。
しかし、安心したのも束の間、あるはずのものがなかった。


その部屋の本棚にはたくさんの動物図鑑があって、お父さんがインコを飼っていたんだ。鮮やかな空色の羽と真っ白な頭につぶらな目がとっても可愛くて、僕も大好きだ。

その空色の羽から上が、ない。

「たっくん!動物…!家に入れたんじゃないの!?」

「違うよ!僕やってないもん!」

「じゃあ、なんでこんな事になってるの!」

それからお母さんとやったやってないで言い合いになり、僕が泣き出した頃お父さんが帰ってきたんだ。話した後しばらく何も喋らなかったお父さんが「後で一緒に埋めてやろうな」と、動物なんて入れてないと言い張った僕の頭を撫でた。


この事は結局言えずにいた。
死という概念がある事をぼんやり分かるくらいにはなっていたが、生き物は死んだら動かなくなるという事を初めて身近で目の当たりにし、嘘をついたこともあって、怖くなったんだ。

夏の盛り、小学生の頃の苦い思い出だ。

「誰にも言えない秘密」

5/30/2023, 2:32:34 PM


気づくと一面麦畑に囲まれた一点に立っていることが分かった。時刻は夕暮れ時なのか、黄金色の海も空も、照らされた自分の体も赤く染まっている。ここはどこなのか覚えがない上に、何故ここに立っているのかも分からない。
とりあえずと思いつくままにこの辺りの住人を探すが、人も民家らしき建物も見当たらない。
いくら見渡しても赤く染まった世界が広がっている。


「おーーい!」
虚しくも広い空間に吸い込まれたまま、返してくれる声もない。
――なんだか気味が悪いな。でも、少し歩けば民家があるかもしれないし……大丈夫、大丈夫と自分を誤魔化しながら足を進めた。


◇◇◇


どれくらい時間が立ったのだろう、ずっと歩き続けているというのに、はじめ自分が立っていた場所と変わらない景色が続いている。
さすがに疲れてきた……。

ちょっと休もうと足を止めて、あれ、と不思議に思った。

進むことに必死で今まで気づかなかったが―――音がしない。
虫や動物の声、風が揺らす音、生き物の気配も何も。

ここにきて、はじめて背筋に冷たいものが走った。
何か得体の知れない世界に迷い込んでしまったのではないかと。
日が沈みかけているのだろう、最初来た時よりもずっと視界が悪い。

光が消えてしまったら、私は――――

ガサッと自分の真後ろ、すぐ近くで音がした。それを認識するのがはやいか遅いか、反射的に走り出した。
向かう方向など分からない。
止まってはいけない、少しでも足を緩めれば追いつかれてしまう。

どんどん日が傾き、世界が暗闇に塗り潰されていく。
完全に闇にのまれたら、と想像して戦慄が走る。
イヤだ!

はやくここから抜け出したい、その一心でただがむしゃらに走った。


「ただ、必死に走る私。何かから逃げるように。」

3/28/2023, 11:14:15 AM


「ハア……」


思わずため息。上機嫌に食べる君を見る。
ため息の原因は君じゃない、俺だ。
1週間に1度はでジムにも通って、間食はとらないように気をつけているのになかなか思ったような体型にならない。


「30にもなれば基礎代謝も悪くなるもんだな……」


腹の肉を摘まみ、またため息が漏れる。
トレーニングメニューを増やそうか、通勤を徒歩にするか、なんて考えてたらもう食べ終わったみたいだ。

「まだ食べるの?……太るぞ。俺みたいに」

軽い冗談だよ怒るなよ、なんて言って君の機嫌を伺うとじっと見つめてくる。

「わかったよ、デザートな。あと一つだけだぞー」

「あんま見つめんなよー」



甘えてくる君の目に俺が弱いの知ってるだろ。
なんて差し出すと喉を鳴らして「にゃあ」と笑った。



「見つめられると」

3/25/2023, 5:18:52 PM


要領が良くない、というのは個性なのでしょうか。

個性とは、即ち個人の持っている性質や特性の事です。


昔から要領の悪い子どもでした。物事が効率良く進められず周囲の力を頼る事が多く、反応や行動が人より遅い事でもどかしい思いもしました。

親や親しい友人に話して、勉学や運動は人並みはあるのだから気にするなと励まされたこともありましたが、どうにも釈然とせず周囲と比較しては頭を悩ませ、そして、少しずつ自分の事が好きではなくなっていきました。

けれど、そんな私にも転機が訪れました。


結婚することになったんです。

1年半前から式場を決めて、御料理、披露宴会場のコーディネートや曲、映像、それに披露宴の内容や結婚式の招待状の手配まで――本当にたくさんの決め事を彼と共有して、ここまでたどり着くことができました。
物腰柔らかで、穏やかで、ちょっと不器用なかわいい人です。


今身につけている花嫁衣裳は、彼と二人で二時間も悩んだ末に選んだものでして、このドレスを着るために痩せなきゃと友人にまで宣言したのに、結局そのままで着ることになってしまいました。


もうすぐ挙式がはじまります。

チャペルの扉の向こう側には参列してくださった方が待っていらっしゃるんですね……ああ、緊張してきました。
繋いだ指先から彼に震えが伝わってしまいそうです。


こんな不甲斐ない私ですが、今日は、いえ、これからは自分の事が好きになれるような私でありたいと思います。
今日参列してくださった方や、お世話になった方々、なにより――私を好きになってくれた彼のために。



「好きじゃないのに」

3/24/2023, 12:30:21 PM


村があった。

村は人が寄り付かぬような山の奥深くにあり、村人は細々と生計を立てて暮らしていた。実り豊かな土地であったが、そんな村にも近年頭を抱えている問題があった。


水害だ。
水害の被害は家屋や田畑、人にまで及び、多くのものが流され、大切なものを失った。
村を取りまとめる長は、このままにはしておけぬと集会にみなを呼び集めた。

「供物を納めねばならん」

白羽の矢が立ったのは年端も行かない6つの子どもだ。
少女は場のものものしい雰囲気に怯え、母親の背に隠れるようにして大人達の顔を伺い見ている。


「おお、文代さんのとこの子か。ほんにめんこいのう」
「可愛らしいおなごの子じゃ、龍神様も喜んでくれるぞ」

龍神様は健康で汚れない心を持った人間を好む。
だから選ばれたのだと口々に言う。


しかし誰もがそれは表向きの理由である事を知っていた。
実際は、他村から移り住んできた、いわばこの親子二人が「余所者」であるからだ。母親は、自分達が周囲にとけ込めず部外者のような扱いを受けていたのは百も承知の上で――、言えなかった。
娘の事を愛していなかったわけではない。娘を庇うことで今度は自分に矢が立つ事を恐れたのだ。


儀式は粛々と行われた。
重石をつけた縄で両手両足を縛られ、海へ続く濁流へと捧げられた娘一人を除いては。


娘が供物として捧げられた翌年、水害の被害が収まった村では宴が開かれた。
雲一つない星が瞬く夜。
握り飯やら旬の野菜やらを扱った簡素な屋台も並び、誰もがその平穏を噛みしめた。


その宴に姿がない者が一人。
村のはずれの小さな小屋から、人知れず嗚咽し涙する声が響いていた。


「ところにより雨」

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