“言葉はいらない、ただ・・・”
怒声、悲鳴、破砕音、それからひっきりなしに耳元をかすめる銃声音。暗くてせまい建物内での戦闘で目は使い物にならず、聴覚ばかりが研ぎ澄まされていく。滴り落ちる汗の音すら聴こえてくるような気がして煩わしい。
敵の銃弾をやりすごしながら汗を拭うと思ったよりもぬるりとした感触がして、やっと自分が怪我をしていたことを思い出した。少し前の銃撃の際、後ろの民間人を庇ってかすめた銃弾がこめかみの皮を持っていった時の痛みも今はほとんど、感じられない。アドレナリンのせいだろうか。
ゲリラ的に始まった戦闘は、こちらは民間人を守りながらの応戦で、どちらかといえば不利な状況であるはずだった。なのに、どうしてか俺はこの戦闘の中で高揚感を覚えていた。表情にも出ているのだろう、隣で一緒に戦う後輩が変な顔をして何かを言いたそうにしているが見て見ぬふりをして俺は銃を構えた。
滴り落ちる汗の音すら聞き取る耳が、微かに拾い上げた聞き覚えのある足音に、自分の口角が上がるのがわかる。多分、俺はこの時が来るのがわかっていたんだと思う。
次第に荒々しく近づいてくる足音が一瞬止まって、そしてすぐに砂利だらけの床を蹴り上げこちらへ飛び込んでくる。
飛び込んできた人影に目がいく敵に銃口を向けて引き金を引く。横に立つ後輩が、突っ立ったまま息をのんだ。ちょうど敵と俺達とのど真ん中に飛び込んできた丸腰の人間に向かって俺が発砲したように見えたのかもしれない。なんの打ち合わせも説明もしていないからそう見えても仕方ないだろう。
例外なく頭を撃ち抜かれ倒れていく敵には目もくれず死体の山の前に立つ男は、傷一つついていない純白の軍服を翻してこちらに歩いてくる。その彼の肩越しに新たに現れた敵を撃ち抜いて、俺も一歩彼に向かって踏み出した。
彼との間に言葉はいらない、ただこの高揚感を共有するだけでどんな状況でも乗り越えられると信じられるのだ。
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お題全く活かせてません:(
“突然の君の訪問。”
扉の前に、人の気配がした気がした。手にしていた荷解き途中のキャリーケースを音がしないようにそっと床に置き、右手を忍ばせていたハンドガンへ伸ばした所で扉を爪先でそっと引っ掻くような音が聴こえてきた。その聞き覚えのあるリズムに、無意識に詰めていた息をほうと吐く。
ハンドガンを備え付けのサイドテーブルに置いて、そのまま目の前の鏡で少し身だしなみを整える。彼に最後にあってから少し痩せてしまった気がする。目の下にくっきりと彫り込まれた様な隈はもうどうしようもない。
軽く手ぐしで髪を整えながら鏡に向かって苦笑する。まるでデートに行く学生みたいじゃないか。今扉の前できっと仁王立ちしてる彼女とそういう関係だったのはもう10年以上前だというのに、いつだって彼女の前ではしゃんとしていなきゃいけない気分が抜けないのだ。
シワの寄ったシャツを軽く伸ばして、気持ち背筋を伸ばして扉を開けるとやっぱり目の前の彼女は眉間に深いシワを寄せて、仁王立ちして俺を睨みあげてた。
「……遅い」
「まさか人が訪ねてくるなんて、思わなかったんだ」
言外に匂わせた、連絡もなく来るのが悪いという俺の反論をしっかり汲み取った上でしっかりと無視をした彼女がズカズカと部屋に入っていく背中を追いかける。
「きったない部屋だな」
「ついさっき到着したばっかりなんだよ」
ハイヒールの尖った爪先で容赦なく床に放り出された荷物を蹴飛ばしていく彼女はやっぱり容赦なく着ていたロングジャケットを鏡に投げかけて、そのままベッドに座り込んだ。置きっぱなしだったハンドガンも、鏡に映っていた冴えない俺の立ち姿もロングジャケットの下に隠れて見えなくなった。
“雨に佇む”
あれ、と教室の窓の外を二度見する。雨と湿気で滲む窓の外にやけに目立つ人影が見えた気がして、幽霊かと見返した先には頭の先からつま先までしっかり存在感のある生きた人間が一人ぽつんと佇んでいた。
黒いブレザーが基本のうちの制服とは違う、グレーのブレザーは最寄り駅が同じ私立校の制服だった。最寄りの駅こそ同じだが、駅を出れば反対方向になるのにこんな天気のなかわざわざどうしたのだろう。呆然と窓の外を眺める俺に興味が湧いたのかクラスメイトの何人かもどうしたどうしたと窓の外へ目を向ける。
「うわ、誰かの彼女かよ」
「学校で待ち合わせるとか見せつけてんのかよ」
彼女の姿を目にした途端ざわつくクラスメイトの言葉に、なるほどと思う。なるほど、彼女か。なんでこんな雨の中と思ったけれどそういうことか。
残念ながら16年の生きていた中で自分自身はもちろん近しい友達に恋人ができたこともなかったが、そういうこともあるのかと納得する。
やっとそこまで思考がたどり着いた俺を置いて、クラスメイトたちは誰の彼女なのか彼女の容姿がどうこうと話に花を咲かせていた。
紺色の傘にほとんど隠されて、彼女の顔はよく見えないし距離もあるがぽつんと佇む姿はやけに人の目に付く不思議なオーラがある様な気がして、なんの根拠もなく美人だと騒ぐクラスメイトの気持ちもよくわかる。
美人だ美人じゃない、誰々の彼女では?誰々の彼女は違う学校だと盛り上がっていた話が、そのうちの一人が窓の外を指差すことでピタリとやんだ。
「彼氏登場だわ」
「うわ、あれ三年のあの先輩じゃね」
ぽつんと佇む彼女に、傘もささずに駆け寄る男子生徒は俺のよく知る先輩だった。同じ部活の先輩で、なんとなくいけ好かない男だった。穏やかで誰にでも優しくしてもてまくる癖に目立つことを嫌い、自分に好意を寄せる人が苦手というとんでもなくズルい男だ。
あの先輩の彼女ってことは絶対美人じゃん!うわ顔見てぇ!と俄然沸き立つクラスメイトとは対照的に俺の気持ちはどんどんと下がっていく。
俺が密かに好意を寄せていた隣のクラスの子は彼に告白して見事にフラレて泣いていたらしいのに。何だよ、アイツばっかりと睨みつけた先ではずぶ濡れになった先輩が彼女の傘を手にして仲良く相合い傘をしながら駅へ歩いていくのが見えた。
思いっきり風邪ひいて、あいつが今度の試合でボロ負けしますようにと祈りながら俺は相合い傘をしてる二人の背中を見送った。
“私の日記帳”
日記帳を買った。
文字やラインが黒ではなくて、水色に近いグレーカラーだったのが珍しく気づけば手に取っていた。お目当てだった何冊かの本と一緒に袋に入れてもらって店を出る。外で待っていた男が差し出す手に、いつもの様に預けようとしてから、なんとなくそういう気分になれずに伸ばした手を引っ込めると男は不思議そうに眉をハの字にした。
何を買ったの?穏やかな声が降ってくる。今日はヒールのある靴を履いていないから、やけに上から声がする気がする。荷物を受け取るために伸ばされた手は、そのまま私が袋を持っていない手の方に伸ばされた。その手を受け入れて、握りしめながら対した物じゃない。と答える。我ながら嫌な返事をしてしまったものだと思ったけれど隣を歩く男は対して気にする様子もなく、そうかとやっぱり穏やかに笑う。
穏やかに笑う男と私は、数年前までは人殺しの仕事をしていた。人を殺せば殺すほど英雄と讃えられた。人を殺さなければ自分が死ぬような、そんな場所で生きていた。私が初めて日記帳を手にしたのはそんな戦場へ赴く直前のことだった。母に手渡されたその白い日記帳には、気づけばこの男の愚痴ばかりが綴られていって、そして最後まで書き切ることなく宇宙のチリになった。
その時母に手渡された日記帳に似ていた気がしたのだ。きっとそこまで言っても彼はやっぱりそっかとだけ言うのだろう。もしかしたら少しだけ寂しそうに眉をハの字にするかもしれないけれど。でもやっぱり穏やかに笑うだけだろうから。
家に帰ったら、そうしたら少しだけ話をしようか。ぎゅうと傷だらけの手を握るとややあってから同じくらいの力で握り返される。
私がそこら辺の小さくて柔らかい女のコだったら痛みで泣いているぞと思って少し笑う。俯いて笑ったつもりだったのにしっかり気づいたらしい男がやっぱり穏やかに何さと覗き込んできた。
覗き込んでくる顔がやけに可愛くみえた。きっと今日買ったこの日記帳には最後のページまでびっしりこの男との幸せな毎日が綴られていくのだろう。
“やるせない気持ち”
失礼いたしました。明らかに緊張した様子で慣れない敬礼をした新人がロボットの様に執務室を出ていく背中が自動ドアの向こうに消えていくのを見送って、はあと思わずため息をついた。
大きな戦争を何度も繰り返し、ようやく掴み取ったはずの平和はもう既に当たり前のものになったらしい。数年前までは、生き残るだけでどんどんと昇進していったものだが、今はそうもいかないらしい。先ほどの新人の歳の頃の自分は既に何人もの部下を率いて前線で文字通り命懸けで戦っていたというのに。
「……これも老害、というやつか……?」
一人きりの執務室で呟いても返事があるわけもなく、俺はまたため息をついた。老害、というほど歳を取ったつもりはないけれど、どうにも世の中は大戦の経験者かそうでない者かで価値観が大きくズレているらしく、偉そうに語る大戦の経験者のことを、若者たちは裏ではそう呼んでいるそうだ。
平和になったのだな、やるせない気持ちで机の引き出しの鍵を開ける。この机の引き出しは特別に注文して鍵をつけてもらったものだ。今どき指紋認証だのカードキーだのともっとデジタルな方法もあるが、この引き出しには鍵を差し込んであける鍵を付けてもらった。
小さな鍵をかるく捻ると、カチャと音がする。引き出しの中には色々なものが入っている。ネックレスにチェスの駒たちに、プラスチックのケースに入った錠剤に、隅の隅まで書き込まれたノートに、楽譜に、写真の入っていない割れた写真立て。そして大量の、遺書の束。
最初は自分の直属の上司の形見だけだったのが、見送った部下のものが増え、気づけば他に引き取り手のいない曰く付きの形見まで引受けることになっていた。中には一言二言交わしたか交わしてないか、なんて者もいるが仕方ない。何せ生き残るだけで昇進するほど人が死んでいく世の中だったから、一言二言交わしただけで生き残った中で一番近しい者に選ばれてしまうのだ。
トントンと部屋の扉がノックされた音にふと我に返る。入ってもよいかと尋ねる数少ない同期の声に無言で答えて引き出しを閉めた。
どうかこれ以上、引き出しの中身が増えることがないように。同期がドアのロックを解除する音を聞きながら、コーヒーを淹れるために立ち上がった。