“やりたいこと”
前期の期末テストが終わった。
去年までであればテストが終わった開放感とこれから始まる長期休暇への期待感で盛り上がっていただろうが、高校三年生の夏休みとなるとそうもいかなくなる。
進学校といわれるこの学校では、ほとんどの生徒が大学進学のための受験勉強にこの長い休暇を費やすことになるのだ。
クラスメイトのほとんどが受験勉強漬けの毎日への覚悟を決めた様な顔つきをしている。
対して一足先に指定校推薦がほとんど決まってしまっている私にとっては、どちらかというと今終わった期末テストの方が重要だった。それが問題なく終わったことで、今までにないくらいの開放感をひっそりと味わっていた。
最後の夏休み、何をして過ごそうか。
せっかくだから博物館に通うのもいいな、一人暮らしになるだろうから部屋を片付け始めた方が良いんだろうか。
のんびりと荷物を纏めていると、聞き慣れた声に名前を呼ばれる。声の方を向けば、思った通りの長身が思った通りのヘラヘラした笑みを浮かべながらこちらに手を振っているのが見えた。
「おつかれ、テストどうだったよ」
「……悪くはなかったと思う。そっちは?」
「あー……、まあそこそこかな」
周囲の男子生徒よりも頭一つでかい男は、女子の中でもそれなりに背が高いはずの私でも近づくと見上げなければならなくて首がしんどい。それでもできる限り近くにいたいと思ってしまっていることを、どうか彼にはバレていませんようにと願ってしまう。
「そこそこって、それで大丈夫なわけ?」
相変わらずヘラヘラと笑っている彼は、誰もが名前を知ってるような難関大学の医学関係の学部を狙っていたはずだ。
思わず詰め寄るものの、彼はそれを予想していたかの様に軽くいなして私のカバンを自分の肩にかけた。
いつもいつもそうやってスマートな身のこなしで私を勘違いさせる酷い男だ。
「まあ大丈夫っしょ。この間A判定だったし」
それよりさ、と彼がぐっと顔を寄せてきて心臓が跳ねる。
その距離感は、いけない。勘違いして跳ね上がる心拍数を先程のテストで解けなかった問題を思い出して鎮めていると彼は顔を寄せたまま、海行かね?とウインクをしてきた。
やけにサマになっている顔にむかついて、思い切り頭突きをおみまいしてやった。
「いっっってー!!!」
「自業自得だ!バカッ!」
周りの生徒がチラチラとこちらを見てくるが構っている様な心の余裕はなかった。やつが仰け反って額を押さえているうちに平常心を取り戻さなければいけない。バレないように何度も何度も深呼吸をする。
「受験を控えているのに、のんきに海に行ってる暇ないでしょ!」
「お前はどうせ指定校で受かるだろ」
「あんたの話だって!」
「俺はもうA判定だし、ちょっとやりたいことがあんだよ」
額を押さえていた指の隙間からこちらを覗く目にやけに真剣な色が浮かんでいて、それすらキュンと心を動かしてしまうのだからずるい男だ。どうせ海に行って海の男みたいに肌を焼きたいだとか可愛いお姉さんに声をかけたいだとかそんなところだろうに、悔しい。私ばっかり好きで悔しい。
「やりたいことって何」
「それはまだナイショ」
「……なっ」
手にした靴を強めに投げ落とすと、片方の靴が裏返ってしまった。直そうとしゃがみ込む前に、さっと彼が手を伸ばしてきて直してしまう。そういうところだ。
「受験終わったらもう俺らバラバラになるじゃん?その前にさ、海付き合ってよ」
俺らバラバラじゃん、という彼の言葉が重たくのしかかる。
高校を卒業したら、いやそれどころかきっと彼の受験勉強がもっと本格的に始まったら、もう今までみたいには会えないんだ。
気がつけば私は小さく頷いていた。
“朝日の温もり”
眩しくなって目が覚めた。
やっと地獄にでも着いたかと身体を起こすと、そこは見覚えのない小さなボロい一室だった。開けっ放しのカーテンに、燦々と室内まで入り込む太陽の光。
地獄の癖に随分と穏やかな風景だな。
地獄というよりは天国と言われた方がまだそれっぽいけれど、天国にしても庶民的すぎる。
ここが煉獄だとでもいうのだろうか。ここで自分が今までに手をかけてきた人たちへの贖罪をしろとでも言うのだろうか。
そこまでぼんやりと考えたところで人の寝息が聞こえてきて急に思考がクリアになった。視線を下げれば、そこには思い描いていた通りの人物が眠る姿があった。
ここは天国でも地獄でも煉獄でもない。
俺たちの生まれ育った土地からずっとずっと離れた、名前も知らない寂びれた街のホテルの一室だ。
昨日、俺と彼女は死んだ。
戦争中は英雄だった俺たちは、平和な世界では生きていけないだろうと、それならばいっそ二人きりで死んでしまおうと思い立ち、コンビニで適当に買った最後の晩餐と、お互いを殺すための銃を一つずつ握りしめ三日月の僅かな光を頼りに、二人のお気に入りの場所へ向かった。
そこは海が一望できる崖の上だった。
まだ時間はあるからと、座って話をしているうちに段々とお互いの口数が減っていく。
死ぬのが怖いわけじゃない。ただもう彼女に会えなくなることが死ぬほどつらい。そう思ってその身体を抱き寄せようとした時、彼女が銃の形にした手を俺の額に当ててドン!と囁いた。
何なんだ?と訳がわからないまま彼女の目を見ると彼女はいつの間にか泣いていて、顎を伝って落ちていく涙がやけにキラキラと輝いているように見えた。
「……どこか、誰も私達を知らないところへ行こう。私とお前は今ここで死んだ。そういうことにしてさ、どこか遠くへ行こう」
俺の額に当てていた手を、今度は自分のこめかみに当てた彼女が、片方の口角をキュッとあげて言った。
目からはずっと涙が流れたままなのに、彼女は勝ち誇った様に笑っていて、俺の大好きな彼女の笑顔に涙腺が弛む。
俺も多分彼女とおんなじくらいに泣きながら、彼女を抱きしめた。
俺たちは今日、ここで死んだのだ。
それっぽい跡を遺して、俺たちは人目を盗むように生まれ育ったこの土地から逃げ出した。そのままずっと赴くままに移動し続けて、ようやくこのホテルにたどり着いたのだった。
時刻は午前8時。疲れ果てて寝落ちしたわりに早く目が覚めてしまったみたいだった。
起こそうかどうしようかと少し悩みながら髪を梳いていると眉間にギュッと力が入ってから彼女の目がゆっくりと開く。
俺を見るなり彼女が笑って抱きついてくるものだからバランスを崩し、慌てて彼女を押し潰さないようにとベッドに横たわると彼女が耳元に口を寄せてきた。
「……好き」
「えっ!?」
寝起きだからか掠れてはいたが、聞き間違うはずがない。
思わず顔を覗き込んだら思いの外その顔が真っ赤になっていて、つられて俺も熱くなってしまった。
朝日の温もりと、腕の中の彼女の熱と自分の熱とで身体も心も温まっていく。
「俺も好きだよ」
「……知ってる」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世界の終わりに君との続き
推敲誤字脱字チェックなどはそのうち……
“世界の終わりに君と”
戦争ばかりが続いていた世界がついに平和への第一歩を踏み出した。テレビのニュースは大国と大国とが和平交渉を始めただの停戦が終戦になっただの、明るい話題で埋め尽くされている。
そんなニュースを見ながら朝食の準備をしていると彼女がもそりと寝室から出てきて、俺をみるなりあくびをした。
なんて平和な朝だろう。
お互い昨日脱ぎ捨てた軍服はそのまま床に転がっていて、きっと明日にはゴミ収集の業者に連れて行かれてサヨウナラだ。
今までは決まった時間に跳ね起きて端末を確認したものだが、軍用の端末はもう軍に返却して呼び出されることもない。
彼女も俺もだらしのない寝間着のままふらふらと椅子に座ってのんびりとコーヒーを啜った。
「昼はどうしようか」
「あー……前に美味しいっていってたレストランは?」
「あそこはこの間ミサイルで吹っ飛んだって聞いたよ」
「……じゃあ良く行ってたパン屋」
「あっちはご主人が戦死で閉店」
「……なんならあるんだ」
個人用の端末で開いている店を調べる。
せっかく世界が平和になったのだから良いものを食べなければもったいない。向かいの彼女が出来合いのデザートをスプーンでつついて遊んでいるのを横目にスイーツの有名な店を何個かピックアップする。
どこも一度も行ったことのない店だがまあしかたない。
彼女に端末を渡して、彼女が食べ残したデザートを口にする。パサパサで美味しくない。昼には美味しいスイーツを食べさせてあげよう。
彼女が選んだお店までのルートを確認して、ついでに予約も済ませてしまう。
「夜はどうする?」
「夜は……適当にコンビニで買えば良いだろ」
「そんなもん?」
「そんなもんでしょ。最後の晩餐期待してた?」
「……いや、別に」
お互いそこまで食には煩くない。
美味しいものを食べたいと漠然と思ってはいるものの、戦場での携帯食に舌が慣れているものだから、正直コンビニ飯でもご馳走みたいなものだ。
彼女もそこまで拘っている様子もなく、目線はすうっとテレビに移った。
今日、世界が平和になって俺たちは世界から不要になる。明日になれば今度はきっと世界は俺たち人殺しに厳しくなるだろう。なにせ俺と彼女は英雄だった。英雄ってことは誰よりも人を殺したってことだ。
平和な世界に英雄はもう要らない。
誰かの手でバラバラに殺されるのであればいっそ、お互いの腕の中でお互いに殺されたい。
だから俺たちは今日、二人の思い出の場所で終わりにすることに決めていた。
「ねえ、来世でも会えるかな」
「……どうだろうな」
「好きだよ、きっと来世でもずっと」
「……そう」
「君は?好きって言ってよ、最後くらい」
テレビを見ていたはずの彼女がこちらを向いた。
てっきり照れているのかと思っていたが、思いの外強気な笑みを浮かべていて面食らった。
「まだ、最後じゃない。最後の最後になったら言ってあげる」
片方の口角がキュッと持ち上がる。
その勝ち誇った様な顔は俺が一目惚れをしたときの彼女の顔で、死ぬ間際だというのに俺はまた彼女を好きになってしまうのだった。
“誰にも言えない秘密”
締め切りまで余裕があるとどうしても集中力が保たないもので、俺は早々に自室で課題をこなすことを諦め寮生用の自習室に移ることにした。
少し遠いのだが、気分転換も兼ねてのんびりと歩く。
つい先日、最上級生たちが卒業を縣けた大事な課題に取り組んでいたせいかピリピリとしていた寮内も提出期限が過ぎたからか随分と穏やかになった。
俺が集中できないのはきっとこの上級生たちの開放感に感化されたせいだな、と思ったところで自習室にたどり着いた。
中にはあまり人がいる気配もなく、これならば集中できるだろうと中に入る。個室という程ではないが数席ごとに衝立があり、利用人数が少なければほとんど個室の様になる。
入口付近と人がいるところを避けて席を探していると、奥の方に見覚えのある後頭部が衝立の上にはみ出ているのが見えた。
げぇっと心の中で悪態をつく。その後頭部の持ち主は俺がなんとなく苦手としている先輩で、俺はさりげなく彼の死角になりそうな席を選んだ。
テスト勉強なんて授業を聞いていたらわかるだろう、と平然と言ってのける様な典型的な天才様であるあの先輩がなぜこんな休日の日中から自習室なんかにいるんだろう?
筆記用具を取り出しながらさりげなく覗いていると彼の隣にもう一人誰かがいる様だった。
よく見るとその人は眠ってしまっているみたいだった。
一体どういう状況なんだ?とつい眺めていると、先輩が寝ている人の髪を撫でて、そしてその横顔に顔を寄せるのが見えてしまって俺は慌てて頭を引っ込めた。
……見てはいけないものを、見てしまったのではないか?普段は近寄りがたさを感じるような無表情がちな先輩が浮かべた、愛おしい物を見るように緩んだ表情が頭にこびり付いて離れない。
ドキドキする心臓の音が静かな自習室に響いてしまいそうで俺は両手で押さえつけた。
俺は何も見ていない。ふうふうと深呼吸をしているとふいに目の前を人が通った気がした。顔をあげるとあの先輩と目があってまた心臓が跳ね上がる。
先輩は先程の蕩けるような顔のまま口に人差し指を当ててそのまま自習室を出ていった。
『誰にも秘密な』
そう声に出さず動く口元と表情と全てがキャパオーバーだ。
もう今日は課題なんてできそうにない。
さっき出したばかりの筆記用具をいそいそしまい立ち上がると先程まで寝ていたはずの人物が顔を上げ、今度はこっちと目が合ってしまう。
いやでもこの人は寝ていたはずだから、と軽く会釈をする。
寝ていた人物は先程の先輩より一つ上であの先輩とはよくくだらないことで喧嘩をしているいわゆる犬猿の仲と言われるような人だった。
デリカシーのない、感情の起伏の少ない先輩がいけ好かない様で良く突っかかっているのを見ることがあったがまさか。
絶対にこの人にはバレちゃいけない。そそくさ出ていこうとすると彼はニンマリ笑って、やっぱり口に人差し指をあてて声にはださずに唇を動かした。
『誰にも言うなよ』
そしてまた彼はパタリと頭を伏せて寝たフリをしだした。
こんなこと、いったい誰に言えるっていうんだ。
俺はもう二度と自習室は使わない、と誓をたてて自室に駆け込んだ。
いつの間にやら同室のクラスメイトが戻ってきていて俺の勢いに目をまるくしていたが何も言う気になれず俺は体調不良とだけジェスチャーで伝えてベッドに潜り込んだ。
“失恋”
恋をする前から、失恋することが決まっていた。
流れと勢いと、少しのアルコールで気づけば恋心と折り合いをつける前にそういう関係になってしまった。
彼女はずいぶんとこういう関係に慣れているみたいだった。
いつもの強気な目元を、二人きりになるとまるで恋人に向けるかの様に柔らかく細めて見つめてくる姿に俺は何度も何度も恋に墜ちた。
それでも好きだ、と告げるどころかこの好意を少しでも漏らすことすらできなかった。
恋に堕ちるたびに失恋して、でもやっぱりどんな形でも良いから側にいたかった。彼女のトクベツでありたかった。
そう彼女に対して思っている男は俺以外にも大勢いて、そして彼女は決してその中から特別な人を選ぶことはないだろう。
今夜もまた慣れた様に部屋を出ていく彼女を見送って、俺はまた失恋をする。