“朝日の温もり”
眩しくなって目が覚めた。
やっと地獄にでも着いたかと身体を起こすと、そこは見覚えのない小さなボロい一室だった。開けっ放しのカーテンに、燦々と室内まで入り込む太陽の光。
地獄の癖に随分と穏やかな風景だな。
地獄というよりは天国と言われた方がまだそれっぽいけれど、天国にしても庶民的すぎる。
ここが煉獄だとでもいうのだろうか。ここで自分が今までに手をかけてきた人たちへの贖罪をしろとでも言うのだろうか。
そこまでぼんやりと考えたところで人の寝息が聞こえてきて急に思考がクリアになった。視線を下げれば、そこには思い描いていた通りの人物が眠る姿があった。
ここは天国でも地獄でも煉獄でもない。
俺たちの生まれ育った土地からずっとずっと離れた、名前も知らない寂びれた街のホテルの一室だ。
昨日、俺と彼女は死んだ。
戦争中は英雄だった俺たちは、平和な世界では生きていけないだろうと、それならばいっそ二人きりで死んでしまおうと思い立ち、コンビニで適当に買った最後の晩餐と、お互いを殺すための銃を一つずつ握りしめ三日月の僅かな光を頼りに、二人のお気に入りの場所へ向かった。
そこは海が一望できる崖の上だった。
まだ時間はあるからと、座って話をしているうちに段々とお互いの口数が減っていく。
死ぬのが怖いわけじゃない。ただもう彼女に会えなくなることが死ぬほどつらい。そう思ってその身体を抱き寄せようとした時、彼女が銃の形にした手を俺の額に当ててドン!と囁いた。
何なんだ?と訳がわからないまま彼女の目を見ると彼女はいつの間にか泣いていて、顎を伝って落ちていく涙がやけにキラキラと輝いているように見えた。
「……どこか、誰も私達を知らないところへ行こう。私とお前は今ここで死んだ。そういうことにしてさ、どこか遠くへ行こう」
俺の額に当てていた手を、今度は自分のこめかみに当てた彼女が、片方の口角をキュッとあげて言った。
目からはずっと涙が流れたままなのに、彼女は勝ち誇った様に笑っていて、俺の大好きな彼女の笑顔に涙腺が弛む。
俺も多分彼女とおんなじくらいに泣きながら、彼女を抱きしめた。
俺たちは今日、ここで死んだのだ。
それっぽい跡を遺して、俺たちは人目を盗むように生まれ育ったこの土地から逃げ出した。そのままずっと赴くままに移動し続けて、ようやくこのホテルにたどり着いたのだった。
時刻は午前8時。疲れ果てて寝落ちしたわりに早く目が覚めてしまったみたいだった。
起こそうかどうしようかと少し悩みながら髪を梳いていると眉間にギュッと力が入ってから彼女の目がゆっくりと開く。
俺を見るなり彼女が笑って抱きついてくるものだからバランスを崩し、慌てて彼女を押し潰さないようにとベッドに横たわると彼女が耳元に口を寄せてきた。
「……好き」
「えっ!?」
寝起きだからか掠れてはいたが、聞き間違うはずがない。
思わず顔を覗き込んだら思いの外その顔が真っ赤になっていて、つられて俺も熱くなってしまった。
朝日の温もりと、腕の中の彼女の熱と自分の熱とで身体も心も温まっていく。
「俺も好きだよ」
「……知ってる」
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世界の終わりに君との続き
推敲誤字脱字チェックなどはそのうち……
“世界の終わりに君と”
戦争ばかりが続いていた世界がついに平和への第一歩を踏み出した。テレビのニュースは大国と大国とが和平交渉を始めただの停戦が終戦になっただの、明るい話題で埋め尽くされている。
そんなニュースを見ながら朝食の準備をしていると彼女がもそりと寝室から出てきて、俺をみるなりあくびをした。
なんて平和な朝だろう。
お互い昨日脱ぎ捨てた軍服はそのまま床に転がっていて、きっと明日にはゴミ収集の業者に連れて行かれてサヨウナラだ。
今までは決まった時間に跳ね起きて端末を確認したものだが、軍用の端末はもう軍に返却して呼び出されることもない。
彼女も俺もだらしのない寝間着のままふらふらと椅子に座ってのんびりとコーヒーを啜った。
「昼はどうしようか」
「あー……前に美味しいっていってたレストランは?」
「あそこはこの間ミサイルで吹っ飛んだって聞いたよ」
「……じゃあ良く行ってたパン屋」
「あっちはご主人が戦死で閉店」
「……なんならあるんだ」
個人用の端末で開いている店を調べる。
せっかく世界が平和になったのだから良いものを食べなければもったいない。向かいの彼女が出来合いのデザートをスプーンでつついて遊んでいるのを横目にスイーツの有名な店を何個かピックアップする。
どこも一度も行ったことのない店だがまあしかたない。
彼女に端末を渡して、彼女が食べ残したデザートを口にする。パサパサで美味しくない。昼には美味しいスイーツを食べさせてあげよう。
彼女が選んだお店までのルートを確認して、ついでに予約も済ませてしまう。
「夜はどうする?」
「夜は……適当にコンビニで買えば良いだろ」
「そんなもん?」
「そんなもんでしょ。最後の晩餐期待してた?」
「……いや、別に」
お互いそこまで食には煩くない。
美味しいものを食べたいと漠然と思ってはいるものの、戦場での携帯食に舌が慣れているものだから、正直コンビニ飯でもご馳走みたいなものだ。
彼女もそこまで拘っている様子もなく、目線はすうっとテレビに移った。
今日、世界が平和になって俺たちは世界から不要になる。明日になれば今度はきっと世界は俺たち人殺しに厳しくなるだろう。なにせ俺と彼女は英雄だった。英雄ってことは誰よりも人を殺したってことだ。
平和な世界に英雄はもう要らない。
誰かの手でバラバラに殺されるのであればいっそ、お互いの腕の中でお互いに殺されたい。
だから俺たちは今日、二人の思い出の場所で終わりにすることに決めていた。
「ねえ、来世でも会えるかな」
「……どうだろうな」
「好きだよ、きっと来世でもずっと」
「……そう」
「君は?好きって言ってよ、最後くらい」
テレビを見ていたはずの彼女がこちらを向いた。
てっきり照れているのかと思っていたが、思いの外強気な笑みを浮かべていて面食らった。
「まだ、最後じゃない。最後の最後になったら言ってあげる」
片方の口角がキュッと持ち上がる。
その勝ち誇った様な顔は俺が一目惚れをしたときの彼女の顔で、死ぬ間際だというのに俺はまた彼女を好きになってしまうのだった。
“誰にも言えない秘密”
締め切りまで余裕があるとどうしても集中力が保たないもので、俺は早々に自室で課題をこなすことを諦め寮生用の自習室に移ることにした。
少し遠いのだが、気分転換も兼ねてのんびりと歩く。
つい先日、最上級生たちが卒業を縣けた大事な課題に取り組んでいたせいかピリピリとしていた寮内も提出期限が過ぎたからか随分と穏やかになった。
俺が集中できないのはきっとこの上級生たちの開放感に感化されたせいだな、と思ったところで自習室にたどり着いた。
中にはあまり人がいる気配もなく、これならば集中できるだろうと中に入る。個室という程ではないが数席ごとに衝立があり、利用人数が少なければほとんど個室の様になる。
入口付近と人がいるところを避けて席を探していると、奥の方に見覚えのある後頭部が衝立の上にはみ出ているのが見えた。
げぇっと心の中で悪態をつく。その後頭部の持ち主は俺がなんとなく苦手としている先輩で、俺はさりげなく彼の死角になりそうな席を選んだ。
テスト勉強なんて授業を聞いていたらわかるだろう、と平然と言ってのける様な典型的な天才様であるあの先輩がなぜこんな休日の日中から自習室なんかにいるんだろう?
筆記用具を取り出しながらさりげなく覗いていると彼の隣にもう一人誰かがいる様だった。
よく見るとその人は眠ってしまっているみたいだった。
一体どういう状況なんだ?とつい眺めていると、先輩が寝ている人の髪を撫でて、そしてその横顔に顔を寄せるのが見えてしまって俺は慌てて頭を引っ込めた。
……見てはいけないものを、見てしまったのではないか?普段は近寄りがたさを感じるような無表情がちな先輩が浮かべた、愛おしい物を見るように緩んだ表情が頭にこびり付いて離れない。
ドキドキする心臓の音が静かな自習室に響いてしまいそうで俺は両手で押さえつけた。
俺は何も見ていない。ふうふうと深呼吸をしているとふいに目の前を人が通った気がした。顔をあげるとあの先輩と目があってまた心臓が跳ね上がる。
先輩は先程の蕩けるような顔のまま口に人差し指を当ててそのまま自習室を出ていった。
『誰にも秘密な』
そう声に出さず動く口元と表情と全てがキャパオーバーだ。
もう今日は課題なんてできそうにない。
さっき出したばかりの筆記用具をいそいそしまい立ち上がると先程まで寝ていたはずの人物が顔を上げ、今度はこっちと目が合ってしまう。
いやでもこの人は寝ていたはずだから、と軽く会釈をする。
寝ていた人物は先程の先輩より一つ上であの先輩とはよくくだらないことで喧嘩をしているいわゆる犬猿の仲と言われるような人だった。
デリカシーのない、感情の起伏の少ない先輩がいけ好かない様で良く突っかかっているのを見ることがあったがまさか。
絶対にこの人にはバレちゃいけない。そそくさ出ていこうとすると彼はニンマリ笑って、やっぱり口に人差し指をあてて声にはださずに唇を動かした。
『誰にも言うなよ』
そしてまた彼はパタリと頭を伏せて寝たフリをしだした。
こんなこと、いったい誰に言えるっていうんだ。
俺はもう二度と自習室は使わない、と誓をたてて自室に駆け込んだ。
いつの間にやら同室のクラスメイトが戻ってきていて俺の勢いに目をまるくしていたが何も言う気になれず俺は体調不良とだけジェスチャーで伝えてベッドに潜り込んだ。
“失恋”
恋をする前から、失恋することが決まっていた。
流れと勢いと、少しのアルコールで気づけば恋心と折り合いをつける前にそういう関係になってしまった。
彼女はずいぶんとこういう関係に慣れているみたいだった。
いつもの強気な目元を、二人きりになるとまるで恋人に向けるかの様に柔らかく細めて見つめてくる姿に俺は何度も何度も恋に墜ちた。
それでも好きだ、と告げるどころかこの好意を少しでも漏らすことすらできなかった。
恋に堕ちるたびに失恋して、でもやっぱりどんな形でも良いから側にいたかった。彼女のトクベツでありたかった。
そう彼女に対して思っている男は俺以外にも大勢いて、そして彼女は決してその中から特別な人を選ぶことはないだろう。
今夜もまた慣れた様に部屋を出ていく彼女を見送って、俺はまた失恋をする。
“終わりなき旅”
彼が死んだ。と彼との共通の友人から連絡がきた。
見ず知らずの子どもを庇って死んだらしい。
彼らしいとはあまり思えなかった。
正義感が強くて生真面目で努力家だけど、自分は自分他人は他人というやつだったから、少し変だった。
彼と競いあって、殴り合って、戦場みたいな青春を乗り越えてきたあの頃からもう20年近く経っていて、そりゃあ彼も丸くなるかあと不思議と笑えた。
お前も式にくるか?と聞かれたが、断った。
そうか、忙しいよな。いつか他のやつらと一緒に線香でもあげに行こうな。電話の向こうの友人はあっさりとそう言った。
向こうもきっと、あっさりしているなと思っただろう。
一時期付き合っていたのに、20年も経って別の相手と結婚してしまえば、そんなもんかと思われただろうか。
そう、彼と俺は昔少しだけ付き合っていた時期があった。同性恋愛が深夜ドラマなんかで取り上げられる様な時代だったが、俺たちにはそれぞれ裏切れない立場があって誰にも、実を言えば彼にさえ言葉にはできなかったのだが、愛しあっていた。
共通の友人の一部にはなんとなくバレていたようだが。誰にも知られてはいけないことだった。
好き、と彼に言ったことはないし言われたこともない。
ただ時間があれば隣で過ごし、そっと小指を重ねたり肩に頭を預けたり、驚くくらいプラトニックで幼い恋人ごっこだ。
彼とはすぐに別れなければいけないことがわかっていたし、男同士での愛の確かめ方なんか俺たちはなにも知らなかったからそれだけで充分満たされていた。
別れも当然あっさりしたもので、別れの言葉一つ贈らず気づけば俺は他の女の人を好きになり結婚した。
結婚式に彼は来なかった。
だから俺もいかない、と決めていた。
彼も他の女の人と付き合ってはいたが、色々あって結婚式は挙げずに死んでしまってそんな機会もなかったから葬式にくらいとも思うがやっぱり、邪な想いを抱えたまま彼の恋人に会いたくはなかった。
葬式にはでられない。
俺にとって、彼の死は別れではないと思ってしまっているから。今生ではけして結ばれない彼の死は、地獄の底での再会への第一歩なのだから。
言葉にして約束したことはないけれど、なんとなく彼は地獄で俺を待っていてくれてるのだと思う。
本当は俺の方が先に死ぬと思っていたから、ずっと彼が地獄に落ちてくるのを待っているつもりだったけど人生の最後にくらい彼を待たせるのも悪くないだろう。
きっと彼はぶっすり不貞腐れながらも生真面目に待っていてくれるだろうから、待った?なんてデートの待ち合わせみたいなノリで声をかけよう。
それで、彼の手を握ってあわよくばキスなんてして、そして二人で終わりなき旅に出よう。
彼と二人でなら、地獄の底でだってきっと笑い合えるから。
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天国と地獄のお題に少し寄ってますが世界観の統一してないので繋がっているかは微妙(同じ人目線ではあります)