菜々月なつき

Open App
4/11/2023, 2:32:13 PM

『言葉にできない』

「ねぇねぇ、披露宴でこれ流すのどう?」
 目の下をクマで真っ黒にした男は、そう言いながら私にパソコンの画面を見せた。
 エンターを押すと、私と彼の子供時代からの写真のスライドショーとともに、柔らかな男声の歌声が流れてくる。
「どう見ても生命会社のCMだからやめなさい」
 そもそも披露宴の予定はないし、さらに言えば結婚の予定も今のところない。
「ていうか、君、仕事の納期じゃなかったの? 明日締め切りって言ってなかったっけ」
「ううん。締切は今日中。明日の始業までは今日」
 真顔で何か真っ黒々な事を言っている。
 この男、普段はリビングで仕事をしているが、締切が近づいてきたり修羅場になると普段物置にしている小部屋に籠もりだす。通称缶詰部屋。そこにはノートパソコンとマグカップがギリギリ乗るサイズの机と、背もたれのない椅子だけが荷物の隙間に置かれている。
 その缶詰部屋から出てきたから仕事が終わったのかと思いきや、作っていたのは全然関係ないスライドショーだったらしい。ほんとに何やってんだ。
「うええええもう疲れたよぉおおおお終わらないよぉおおおお」
 ソファに座る私の腰に抱きついて駄々をこね始めたあたり、限界も近い。そういえば、8割がた終わってたのにクライアントの上層部の一声で全部ひっくり返ったとか言ってたな。
「君、もう締切延ばす方に力注いだほうがいいんじゃないの」
「もうやった。だめだった」
 もう二度とあそこと仕事しない……と呻く恋人の頭を撫でて、どうしたもんか、と空を仰ぐ。もちろん見えるのは我が家の天井であるが。
 同業でもなく、同業であっても守秘義務という物があり、私が彼の仕事を手伝う事は出来ない。
「明日、終わったら一緒に寝てあげるから頑張れ。それで、起きたら角のレストランでディナーコース食べよう」
 明日は平日で、本来私は仕事に行く。在宅仕事の彼と違って私は出社が必要なのだ。普段はそれで問題ないのだが、こういうメンタルが弱ったときは一人が寂しいと泣き出すので、今回は先手を打って有給をとる事にした。私、とても優しいのでは?
「ほんとに? 一緒に居てくれる?」
「いいよ。有給消化しろってこないだ怒られたところだし。だから頑張りな。君ならなんとか出来るさ」
「うう、頑張る……。僕なら出来る……出来る……」
 虚ろに呟きながら缶詰部屋に戻っていった後ろ姿はさながら幽鬼だったが、なんとか集中力が戻ったのならばいいことである。
 あそこまでの修羅場は数年に一度レベルなので、今回は本当に案件運が悪かったのだろう。
 後で眠気覚まし用の苦いコーヒーでも持って行ってやろうと思いながら、私は夜更かしの為に読みさしの本を開くのだった。

2023.04.11

小田和正の呪いが強すぎた。
My Heartとエイプリルフールの二人ですけど名前出すタイミングなかったな。

4/10/2023, 2:59:15 PM

『春爛漫』

 祖母の部屋に入るなり目に飛び込んできた光景に、沙綾は立ち竦んだ。
「すごい」
 一言だけこぼれ落ちた声に、祖母はおかしそうに笑う。
「まぁ、普段着ばかりだけどねぇ。数だけはあるのよ」
 祖母が箪笥から引っ張り出してきたのは、祖母や祖母の姉妹たちが娘時代に着ていた着物たちだ。
 着物が着てみたいと言った沙綾のために、奥に仕舞い込んでいたものを出してくれたのだ。
「まだまだあるけど、今日はね、春のお花だけにしといたわ」
 そう言って、一枚一枚広げて見せてくれる。
 山吹色の地に真っ赤な椿がぽんぽんと咲いている紬、紫の地に大きな白い牡丹の花をモチーフにした銘仙、空色の地に友禅で桜が描かれた付下げ、濃紺の地に小さな梅の花が散りばめられた可愛らしいウール、次々と引き出される着物たちに沙綾の目が輝く。
「すごいね、おばあちゃん、ここだけ春みたい」
 この家の辺りにはまだ春の訪れは遠いが、座る祖母と沙綾の周りには沢山の着物が広げられ、まるで花畑の中に居るような華やかさだった。
「そうよ。春は短いからね。着るもので楽しまないと損でしょ」
 祖母はそう言って、着物に合わせる帯や帯揚げ、帯締め、帯留め、半衿を見せてくれる。
 そうなれば、それから始まるのは実際に羽織ってみてのファッションショーだ。
「あら、丈は大丈夫だけど、裄が少し足りないわねぇ。今の子は腕が長いのね」
「あ、大丈夫だよ。こういうの着けると可愛いでしょ」
 沙綾が祖母に見せた画面には、レースとフリルで作られたアームカバーが映し出されている。着用モデルの女性は着物姿で、着物の袖口からレースがチラ見えするのが可愛いのだと沙綾は力説した。
「まぁまぁ、よく考えるのねぇ。こっちはブラウスを下に着ているのね? まぁまぁまぁ」
 感心して何度もうなずきながら、祖母はまじまじとモデルの写真を見つめる。
「いいわねぇ。帽子を被るのも可愛いわねぇ」
「でしょ? おばあちゃんもこういうの好きだと思ったんだー」
 好感触に、沙綾もまたにこにこと笑う。自分の好きなものを、近しい人に認めてもらえるのは嬉しいものだ。
「ねぇ、来週おばあちゃんも一緒に着物着てデートしようよ。デパート行ってさ、パフェ食べるの」
「あら、沙綾ちゃんはパフェを奢ってほしいでしょう」
 ぺろりと舌を出す孫を小突いて、だが祖母は嬉しそうに頷いた。
「最近、遠出もしていなかったものね。デートしましょ」
「うん! じゃぁ来週着る着物選ばなきゃ」
 祖母と孫がまるで同年代のようにきゃっきゃと遊んでいると、仕事から帰ってきた母が突撃してきたり、「なにそれお母さんも行く!」と言い出したり、最終的に何故か祖母と沙綾の友人まで一緒にパフェを食べに行くことになっていた。
 そして、5人で着物で遊びに行く会はその後も定期的に開催され、その会ごとにテーマを決めるようになった。例えば、夏ならば「祭り」、水族館に行くときは「魚」といったようなものである。
「ねぇ沙綾、次の着物会のテーマはどうしようか。お花見だけど、桜じゃありきたりだし」
 母に尋ねられた沙綾は、少し考えてからぴっと人差し指を立てた。
「春爛漫! で、どうでしょ?」

2023.04.10

4/9/2023, 2:44:44 PM

『誰よりも、ずっと』

 初めて、告白されたの。
 彼女はそう言ってはにかんだ。
 その表情に心臓を凍りつかせながら、私は、なんて答えたの? と尋ねる。
 うん、付き合うことになった。
 そっか、おめでとう。
 貼り付けた笑顔は、引きつってはいなかっただろうか。

 手を繋いで帰る彼女と男の後ろ姿を見送る。
 ああ、吐き気がする。
 私のほうが先に彼女を好きになったのに。
 私のほうが、お前なんかよりもずっと彼女の事を愛しているのに。
 誰よりも、なによりも、ずっと前から彼女の事を愛しているのに。
 それが負け犬の遠吠えにしか過ぎない事はわかっている。
 私は、彼女に告げる勇気などなかったのだから。

 ああ、吐き気がする。

2023.04.09

4/8/2023, 5:19:42 PM

『これからも、ずっと』

 在宅での仕事中、膝にぬくもりと重みがかかる。見てみればケダマが膝に前足をかけてこちらを見上げている。
 「膝に乗せろ」のサインである。
 膝の上に置いていた姿勢矯正用のクッションをどかすと、8kgの重量が膝に乗ってくる。
 足先の4点に体重が集中するためそこそこ痛いのだが、猫飼いにとってはご褒美である。
 ふみふみと前足で踏みつけながら居心地のいい場所を探し、膝の上で丸くなる。
 膝の上のぬくもりは幸福の具現である。
 ケダマと一緒に過ごすようになって一年が経ち、私から抱っこは出来ないがケダマからは膝に乗ったり布団に入ったりしてくれるようになった。都合のいい熱源と思われているかもしれない。
 8kgの猫が膝の上で寝ている状況は、幸福であり同時に拷問でもある。8kgである。しかも身動きは許されないし、ケダマが大きいため膝からはみ出るので片手で支える必要もある。そう、仕事はろくにできない。お前のおまんまを買うために働いてるんだぞ。猫には関係ないですねすみません。
 私は左手でケダマを支えつつ、右手でマウスとキーボードを操作してどうにか仕事を続ける。
 たとえ仕事の効率が最悪に近くなろうとも、私の人生の幸福度は爆上がりしているので問題はない。
 ぷすぷすと鼻を鳴らしながら眠るケダマを見ていると、ろくに出来ない仕事を放り出して一緒に寝たい衝動が湧いてくる。だが、これからもケダマと一緒にずっとずっと暮らしていくわけにはそういうわけにも行かず、ここに猫飼いのジレンマが発生するのだ。
 はい、アホなことを言っていないで仕事します。
 あー、重た。ふふっ。

2023.04.08

4/7/2023, 2:55:16 PM

『沈む夕日』

 彼の故郷では、夕日は海に沈むのだという。
「小さな島だからね。太陽は海から昇って海に沈むんだ」
 海というものを、私は見たことがない。私は草原の国に育った。広い大陸の中の広大な平野の中で、遊牧民として暮らしていた私にとって、太陽は地平線の彼方から昇り、また沈んでいくものだった。
 そして今、私と彼がいるこの国では、太陽は建物の間から昇り建物の間に沈んでいく。
 巨大な帝国の学園都市は、故郷では首都に行かなければそうそう見ることもなかった背の高い建物が立ち並び、わずかに遥か遠くの山脈が透かしてみえるだけだ。今居るこの大学講堂の屋上庭園からも、見えるのはそびえ立つ摩天楼とその間に沈む夕日だ。
「毎日見てたから特別なものだと思ってなかったけど、今見たら多分綺麗だって思うんだろうな」
 故郷の夕日をそう評す彼に、私も頷いた。
「ねぇ、いつか私も君の故郷の夕日が見てみたいな」
 海というものを、見てみたいと思っていた。初めてそれをみるならば、彼のよく知る場所がいいとそう思った。
 彼は、なぜだか私の顔をまじまじと見つめ、すこし頬を赤くする。
「なんか、プロポーズみたい」
「は!? 違うし!」
 思わず彼の肩口を平手で叩くといい音がした。
「はは、そうだね、プロポーズは僕からしたいなぁ」
 それはプロポーズではないのだろうか、と少し思ったが、私は何も言わずに口を噤む。
「僕も、君の国の夕日が見たいな。君の育った場所で、君と一緒に見たい」
 彼の顔が赤いのは、既に姿を隠した夕日のせいではないだろう。けれど、私の顔だって負けないくらい赤いに違いない。
 昼の名残の赤と夜の先駆けの紫が混じり合う空の下、もう少しだけ二人でこうしているのも悪くない。

2023.04.07

Next