高校に入学して初めての文化祭。
お祭りの喧騒を離れて訪れた、美術部の展示スペースにて。
ひっそりと飾られていた、そこに広がる作品群に思わず足を止められた。
黒地をベースに彩られた青に黄色。
時折混じる、白と赤がアクセントとなって光り輝く銀河の海。
そんな宇宙の星々を、可愛らしくデフォルメされたキャラクターたちが巡る冒険譚。
漫画のように台詞や言葉はなくとも、絵本のように雄弁に語りかける世界観に魅入られて、絵の中の宇宙へ吸い込まれたかのようにして私は夢中になった。
「気に入ってもらえた?」
不意に背後から声をかけられて、私は驚いて飛び上がった。
慌てて後ろを振り返れば、口元に手を当てくすくすと笑いをこらえる男の子が一人立っていた。
「びっくりさせてごめんね。これ、俺が描いたんだ。すっごい真面目に見てくれてるから、嬉しくって」
そう言って笑う彼は本当に嬉しそう。
一方の私は、突然の作者登場に頭が追い付かず。
食い入るように眺めていた一部始終を見られていたのかと思うと、恥ずかしくて顔から火が出る思いだった。
何とか気持ちを落ち着かせて、
「色使い、とか、あと、宇宙人が、可愛く、て」
と感想を捻り出したものの。
緊張の追い討ちで、途切れ途切れにロボットのような受け答えになってしまったのが悔やまれる。
ああ、何たる醜態。挙動不審でごめんなさい。
けれども、そんな私の間抜けさは、彼にとっては些細なことだったらしい。
焦る私には気にも留めず、彼は満足そうに微笑んだ。
「ねえ。どの絵が気に入ったの?」
彼に問われるまま少し考えて、私は部屋の隅にある絵を指差した。
指差した先を見届けると、彼は短く「へえ」と相槌を打ち、そのままくるりと背を向けて入り口付近の机まで戻って行く。
その途中。次いで「じゃあ宇宙人は?」と質問を投げかけられ、私もまた同じように絵を差して、「あの丸い子」と返して、遠退く彼を目で追った。
「よし分かった」
彼はペン立てからマジックペンを取り出すと、机の上でさらさらと何かを描き出した。
それはあっという間の出来事で。
一分もしない内にそれを描き上げると、彼は一枚のカードを持って私のところへ帰ってきた。
「はい、どうぞ」
彼が手渡してきたそれは、先ほど私が好きだと指差した絵のポストカード。
裏面には同じく好きだと答えたキャラクターが即興で描かれており、その横には吹き出しで「ごめんね」の四文字と、彼の名前がアルファベットで小さく綴られていた。
「――えっ! い、いいの?」
突然の贈り物にびっくりして、手の中のポストカードと彼を交互に見比べる。
慌てる私が面白いのか。彼は「いいよ」と笑って手を振った。
「折角集中して見てくれていたのに邪魔しちゃったから、そのお詫び。どうぞ、受け取って」
「あ、ありがとう」
改めて受け取ったカードを見返した。
丸い宇宙人が、「ごめんね」とぺこりと頭を下げて謝っている。本当に可愛い。
あんなに早く描けちゃうなんて凄いな。
折角なら、描いているところも近くで見させてもらえば良かった。
なーんて、そんなこと言ったら贅沢かなあ。
「え。いいよ?」
「――え?」
まるで心を読んだかのようなタイミングの言葉に、三度驚いて顔を上げた。
見上げた先には、同じくきょとんとして私を見下ろす彼の顔。
首を傾げて彼は続ける。
「描いてるところ、見たいんでしょ? 俺、描いてるとき周りの視線とか気にならないから構わないよ。ほら、こっちにどうぞ」
そう言って踵を返すと、彼は机の方まで戻って行き、今度は椅子まで用意して私を手招きした。
初めは彼の言っていることが分からなかった私も、次第に状況を理解する。
馬鹿な私はうっかり願望まで口に出していたらしい。
は、恥ずかしい!
「し、失礼しました!」
「え? あ、ちょっと待って!」
彼の制止を振り切って、私は脱兎のごとく美術室から逃げ出した。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
――その後日。
逃げた私を気にかけて。
美術部の彼が私の教室まで訪ねて来るのを、茹で蛸の私はまだ知る由もない。
絵をきっかけにして知り合って。
お互い初めて恋を知る。
そんな二人の絵描きの、始まりの思い出話。
(2024/05/07 title:032 初恋の日)
人間なんて脆いものだ。
転べば血が出るし、大怪我ともなれば簡単に死んでしまう。僕たち吸血鬼の頑丈さに比べたら吹けば飛ぶようなか弱さだ。
それだと云うのに、僕の大家さんときたら人間の癖に無鉄砲で。
拉致されたビルから自力で脱出しようと大暴れ。
見張りの半数をのしたところまでは良かったけれど、大立ち回りした本人も力尽きてそこでダウン。
幸い致命傷こそ少なく済んだから良いものの、探し出して早々、ぐったりと大の字に倒れ込んだ彼を目にしたときは血の気が引く思いだった。
「本当にもう。にんにくも十字架もないのに、びっくりしてこっちが死んじゃうかと思ったよ! あんな無茶はもう絶対にしないで!」
「あ痛っ! 手当てするなら叩くな馬鹿!」
「はいはーい。怪我人は黙っててくださーい」
湿布を貼り付けるついでにもう一発引っ叩けば、傷に響いた彼が小さく呻く。
まったく、こっちの気も知らないで良い気味だ。僕が到着するのが遅れていたら、こうして二人で事務所へ帰ってくることも叶わなかっただろうに。少しは反省してほしい。
「――おまえさ」
「はいはーい。文句は受け付けませーん」
「違う。おまえ、あんなに強かったのかよ」
「へっ?」
てっきり手荒い手当てに対する苦情かと思ったのに。そうではない、急な問いかけに思わず変な声が出た。
弾みで顔を上げると、僕を見下ろす彼と目が合った。からかう訳でもなく、ただ僕を見る。その表情に、続けようとした軽口も引っ込んで、逆に僕の方が黙り込んでしまった。
少しの間があって。ため息を吐いた彼は視線を外し、手当てのために腰かけていたソファーへ深く沈んで背中を預けた。そうしてそのまま天井を仰ぎ見、言葉を続ける。
「さっきさ。助けてくれたとき、おまえ滅茶苦茶強かったじゃん。阿呆のふりして、本当は凄い奴だった訳?」
「あ、阿呆って。酷いこと言うなあ」
相変わらずに口が悪い。それでいて真っ直ぐに疑問をぶつけられ、どう答えて良いか分からずに、お愛想のように苦笑いがこぼれた。
「うーん。凄い、かあ。どうだかなあ」
へらりと笑って曖昧に返す。彼が言うところの阿呆のふり、とやらだ。
そんなつもりは無いのだけれど、実のところ、彼にどこまで話して良いものか迷っているというのも事実である。
首を傾げたまま目を閉じて、遥か昔に閉じた記憶の扉を押し開ける。
実際、凄くはあったのだろう。
力が強く、能力も高い。一族始まって以来の神童などと呼ばれもした。
何かにつけては担ぎ上げられ、延いてはその恩恵を得ようと、周りの者はとかく躍起になったものだ。
けれども、そんな一族の期待にそぐわずに、そもそもの渦中の僕は争いを好まなかった。
力を誇示して脅かすこともなければ、他者を従えることすらしようとしない。誰かを蹴落とすだなんてもってのほか。
おまけに聡く、言葉巧みに傀儡にしようとする悪意を退けては先回り、なかなか皆の思惑通りには進まない。
無理矢理言うことを聞かせようにも、誰も僕には太刀打ち出来ないのだから、事はいつまで経っても堂々巡り。
頑な僕に業を煮やし、いつしか皆の期待と関心は薄れていく。
鳴かぬ鳥に用はない。使えぬ駒は捨てられるのだ。
斯くして皆の反感を買い、一族きっての神童とは過去の話。
僕は一族始まって以来の厄介者に成り下がった。
一部の者は未練がましく僕の力に固執していたが、やがては彼らの煩わしい干渉もなくなって、利用価値のない僕は晴れて自由の身と相成った。
その後は一族を離れて引きこもり。
それにも飽きると、拠点を転々と移しては人と関わって。頃合いを見て、人外の噂が立つ前に引きこもる。
それを幾度と無く繰り返して、永い時を過ごしてきた。
人の成す世は面白い。
僕がのらりくらりとしている間にも、何度も技術革命が巻き起こり。
最近ではスマホの登場に、ネット通販サービスの向上と宅配ロッカーなんてものまで現れて。
お陰さまで、日中に活動の出来ない僕のような者にも優しくて、随分住みやすい時代となってきた。
とりわけ、今の大家の彼と出逢ってからの毎日は楽しくて。
早々に吸血鬼とばれたのは予想外だったものの、その後恐れて僕を敬遠する訳でもなく、寧ろ隠れて住む場所に困った僕を下宿人として招き入れてくれたときは驚いたものだ。
今では僕を仕事の相棒として認めてくれてまでいるのだから、こんなに嬉しいことはない。
まあ、ぶっきらぼうにドライな性格を気取っている彼だから、感謝の気持ちを伝えたところで、素直に受け取ってくれやしないだろうけれどね。
そうして今日。
大切な友を拐われて、流石の僕も頭に血が上ってしまったようだ。
力を使ったのはかなり久しぶりで。
加減が掴めず、人間相手にちょっと大人げなかったかもしれないから、彼が驚いたのも無理はないだろう。
でもまあそこは、先に危害を加えてきたのはあちらさんなので。相応のお仕置きということで勘弁してもらおうか。
長い間ずっと宝の持ち腐れだった僕の力も、彼を助けることに役立ったのならば何よりだ。
「――おい。いい加減、何か喋れよ」
彼の質問にはっきり答えないまま黙りこくり。
終いにはニマニマと声なく笑い出した僕を気味悪がって、渋い顔で彼が眉根を寄せた。
まったく、そんな顔をして。
内心、答えにくい質問をしてしまったのか、などと考えて後悔しているのだろう。
本当、僕と似てお人好しなんだから。
「うふふふふ。まあ、いざとなればまた僕が助けてあげるけれど。でもね、今日みたいな無茶は二度としないでよ!」
「言われなくても、あんなヘマはもうしねーよ」
「本当に~?」
彼の言葉をからかって、手当ての仕上げにくるくると包帯を巻いていく。
僕は吸血鬼で、君は人間。
寿命の違いはもう仕方の無いことだけれど。
頼むから、あんまりハラハラさせないでね。
僕の大事な大家さん。
(2024/05/05 title:031 君と出逢って)
部屋の掃除に洗濯と。
仕事にかまけて溜め込んでいた家事をひたすら片付けて。
いつの間にか、高く昇っていた日も傾いて時刻は夕暮れ。
五月には似つかわしくない猛暑も和らいで、開け放った窓からは、昼間と打って変わった爽やかな風が吹き込んだ。
片付けそびれたまま、秋どころか冬と春も越した風鈴が揺れて、涼しげに凛と音を鳴らす。
そのぼんやりとした音を遠くに聞いて、うっかり眠りこけていたことに気が付いた。
ああ、近頃また忙しかったからな。寝落ちてしまっても仕方がないか。
ただどうにも眠たくて。折角開きかけた瞼も、うとうとと再び閉じてしまう。
そんな主人を起こそうと、腹を空かした飼い猫がすり寄ってにゃあと鳴いた。
「しーっ。駄目よ、お疲れなんだから。もう少し寝かせてあげて」
その言葉に続き、ふんわり肩へと柔らかいものを被せられた感覚と。
ことんと床に物が置かれた音に飛び起きた。
この部屋は、俺以外に同居人は猫しか居ない。
「だ、だっ」
眠気は吹っ飛び、頭も冴える。
反射で誰だと叫びたかったのに、寝起きの渇いた喉では言葉が上手く続かなかった。
慌てる主人にはお構い無く。
薄情な猫は用意された餌に飛び付くと、嬉しそうに尻尾を振って食べ始めた。
肩からずり落ちたブランケットを握り締め、ごくりと唾を飲み込んだ。
「今の、声は――」
誰だなどと問わずとも、本当は誰かだなんて分かっていた。忘れるはずが、ない。
あれは、半年前に亡くなった、俺の大事な恋人の声だ。
周りを見渡したところで姿が見えるはずもなく、狭い部屋には間抜けな俺と、ご機嫌な猫が一匹床に座っているだけだ。
「ちゃっかり餌まで貰ってよ。おまえには見えてんのかね、元ご主人が」
マイペースに食事を続ける猫が羨ましくて、くしゃくしゃと頭をなで回す。
邪魔された猫はへそを曲げて、にゃあと鳴いて俺の手を振り払った。
そうしていれば、再び窓から風がぶわっと吹き込んで、じゃれる俺たちを宥めるようにして間をすり抜けた。
「ありがとう」
吹き抜ける一瞬。
もう一度彼女の言葉が耳に届き、俺が猫にそうしたように、頭をぽんと撫でられる感覚が確かに伝わった。
その懐かしい声と温もりに、思わず目頭が熱くなる。
「ありがとう、だなんて」
そんな言葉、俺が貰って良いのだろうか。
恋人が殺されて、捜査本部が立ち上がっても、彼女と近しい関係だった俺は捜査へ直接的には関われず。
不甲斐ない俺に出来たのは、代わりに敵討ちだと張り切る後輩や警部たちを陰ながら援護することくらいで、歯がゆい思いで事件の行方を見守った。
彼らの頑張りの甲斐あって、漸く犯人逮捕に繋がったが、事件解決となるまでに、彼女の他に二人の命が犠牲となった。
これで良かったのだろうかと、解の無い悶々とした気持ちをずっと抱えて過ごしてきた。
こんな結末でも、彼女の無念は晴れたのか?
もしそうであるのならば、俺も幾分か溜飲が下がる。
彼女を守れなかった俺に喜ぶ権利など無いかもしれない。
先ほどの声も都合の良い幻聴だったかもしれない。
しかしながら、それでは用意された餌とブランケットの説明がつかなくて――。
拳で涙を拭い、呟いた。
「また、な」
黄昏時に迷い込んだ風に耳を澄ましても、さわさわと心地良い音が耳を撫でるだけ。
彼女の声はもう、聞こえなかった。
(2024/05/04 title:030 耳を澄ますと)
場にそぐわない。華やかな香りが鼻先をかすめ、思わず俺は歩みを止めた。
「先輩、どうしたんすか?」
先を歩いていた後輩が、立ち止まった俺を訝しんでこちらを振り返る。
「あ、いや。何か濃く匂わないか?」
「匂い?」
俺の言葉に釣られ、後輩もひくひくと鼻をひくつかせた。
何か。だなんて白々しい。
後輩に聞くまでもなく、刑事の勘が、最悪の事態を想定して警鐘を鳴らす。
落ち着け。早まるな。まだそうと決まった訳じゃない。
俺の焦りに気付かずに、後輩は、ああ! と相槌を打ち、捜査手帳をめくって話し出した。
「香水の香りですよ。この先で死んでる仏さん、倒れ込んだ拍子に鞄の中の香水も一緒に割れちまったみたいで。それがここまで香ってき――て 、ちょっと先輩! どうしたんすか!」
後輩の報告を皆まで聞かず。
無意識に足早となった俺を、後輩が慌てて追いかけて来た。
冷静になろうとする気持ちと反比例して、心臓はばくばくと早鐘を打ち始める。
落ち着け。偶然だ。
黒髪の女なんて五万と居る。
荷物に香水を持ち歩く女なんてそこら中に居るだろ。
だから、きっと違う。
たまたま俺が彼女にプレゼントした香水と、同じ香りのものを持ってる人だって沢山居るさ。
だから――!
「先輩!」
犯行現場に辿り着くや否や。無様にも膝から崩れ落ちた俺を、追いついた後輩がすんでのところで支えてくれた。
目の前には、女性のご遺体。
違ってくれ、という願いは虚しく打ち砕かれ。
割れてしまった香水瓶を、大事そうに抱えて眠る。愛しい恋人の姿がそこにはあった。
――ありがとう。大切に使うわ。
現実を目の当たりにした今でさえ。昨日会ったばかりの彼女の笑みがありありと思い出される。
手を振って、いつものように別れた後に、君は――。
「どうして――!」
人目をはばからず、悲しみのままに吠えた俺の慟哭が、公園内にこだまする。
彼女へ贈った香水の香りが風に乗り、辺りにこびりつく鉄の臭いを掻き消した。
その強さはまるで、泣きじゃくる俺を、優しい彼女が慰めてくれているかのようにも受け取れて。
濃く広がる香りに、堪らず涙が零れ出た。
その日、恋人の死を皮切りに。
忘れもしない、連続婦女殺害事件が幕を開けたのだ。
(2024/04/29 title:029 風に乗って)
嗚呼、神さま仏さまガチャの神さま。
無課金貫いて貯め込んだ無償コイン。
全部注ぎ込んで賭けるから、どうか推しのレアカードを我が手に~!
心の中で何度も念じ、意を決してキャンペーンガチャのスタートボタンをタップした。
たかがゲームに何を大袈裟な?
いえ、至ってこちらは真剣です。
推しのイベント十連ガチャを回すため、他の魅力的なガチャを幾度と無く我慢して、必死に貯めたコインなのだからね。
やっと巡り合わせた使いどころ。これで全部外れたりしたらきっと泣く。
すがれるもの有れば何でもすがりますって。
画面はキラキラと切り替わり、ガチャを盛り上げるエフェクトとして、数多の流れ星が次々と降り注ぐ。
結果を待つ間が待ちきれなくて、無意味に星をタップしまくって何重にも願をかけ続けた。
来い。来い。来い!
星々の演出も徐々にフェードアウトし、画面の奥から順にガチャの結果が明かされる。
一枚目、二枚目、三枚目――。
「キター!」
雄叫びを上げた私に驚いて、同じくリビングに居た母がぎょっとして私を振り向いた。
念願叶い、五枚目にて待ちかねた推しとご対面。
う、うわあ。か、格好良い!
嗚呼! ありがとう、神さま仏さまガチャの星たち。
これでメインイベント終章にも立ち向かえる。
必ず世界を救ってみせるから。
最終戦まで見守っててね!
(2024/04/25 title:028 流れ星に願いを)