好きか嫌いかで選ぶなら、どちらかと云うと掃除はそこまで好きではないと思う。
ただ、片付いていれば活動しやすいし、使ったものは元の場所に戻して、ものが増えたら収納場所を確保する。
どうしてもすぐに片付けられなければ、一時的に机の上や部屋の隅に寄せたりして邪魔にならないようにする。
掃除というよりも整理整頓の域ではあるが、「取り敢えず綺麗にする」レベルの術を何とか持てているのは、子供の頃から事あるごとに綺麗好きな母の指導を受けたのと、その手際と手腕を間近で見てきたおかげだろう。
まあ、未だに母の御眼鏡に適うほどでないのはお恥ずかしい限りだが。
しかしながらその未熟な整頓術も、世間的に見れば「綺麗好き」の部類に含まれるものなのかもしれない。自意識過剰にも、そう思えるようになったのは最近のことだ。
良くも悪くも昔からくそ真面目な性分なもので、学生時代の清掃時間も割り振られた分はきちんとこなしていた。
社会人になってからの業後の後片付けも、手本を見せる先輩に倣い、共に一通り綺麗にし終えてから帰宅して、それが当たり前のことだと思っていた。
それなのに、その当たり前も今ではそうでもないらしい。
一緒に勤めていた先輩も転居を機に退職して去り、残ったのは私と同僚や入れ替わって入社した後輩たち。
彼らに声をかけては仕事終わりの閉めに掃除を続けているが、如何せん習慣付いてくれず、今や率先して片付けているのは私と極一部のスタッフのみだ。
そしてそれは業後の清掃だけに留まらず、昼間の業務中からして人任せ。
広げた資料は机に開いたまま棚へ返さない。
折角納品したものも、誰かが収めてくれるまで触らない。
翌日がゴミ収集日で、ゴミ箱が満杯でも袋の交換もせずに知らんぷり。
さらにはポケットから出した私物のボールペンまでもが、使った机に転がして置き去りのままという有り様である。
片付けや清掃はスタッフ皆でやることとして特に当番などは割り振ってはいない。
それで本当に、手が空いた者から順当に皆で当たっているのならば文句も出ないだろう。
しかしながら、皆でやること即ち、
「誰がやっても良いこと」
「誰かがやってくれること」
「自分がやらなくても良いこと」
と認識して、意識を向けないのはまた違うことのように思う。
個人のデスクは無く、仕事は共有の作業台で行うので、そこが物で溢れていては仕事もやりづらい。
だから目についたものは片っ端から戻したり捨てたりしてスペースを確保している訳なのだが、最近はそれもちょっと馬鹿らしくなってきた。
何故に私ばかりが片付けねばならないのか。
私だって冒頭で触れたように、掃除はそこまで好きではない。
それでも職場でせっせと日々片付けをしているのは、医療機関であるから清潔と衛生面を保つというのは大前提として、自室と違って皆で使用する共有空間だからこそであるのに、その結果私や同調してくれるスタッフに負担が偏ってしまっているのは何だか可笑しなことのように思う。
いっそ掃除当番でもシフト上に振って回してくれた方が、気持ちとしてもまだ楽になれるのに。
過去にその旨を店長に異見してみたこともあるが、まさにぬかに釘打ち、暖簾に腕押しの返答で呆れ返ってしまったものだ。
「そんな独りで背負い込まなくても大丈夫ですよ」
「下手に当番割り振ると、当番があることにこだわって動けなくなる人が出てくるから振りたくないんですよねー」
「ヒロさんがまめに片付けてくれてるのは皆分かってますから」
「流石に荒れてきたら僕らもやりますよ」
「逆にヒロさんがやってくれないときとかは、僕らを試してるんだなって受け取ってますから大丈夫です!」
くそ真面目の癖に遠慮して一旦一歩引いてしまうところが私の駄目なところだと分かっているが、予想外の受け答えに渇いた笑いしか返せなかったのを覚えている。
大丈夫じゃないからわざわざ言ってるんだよ。
試してるって何だ。
そんな余裕ありませんよ。掃除できない日は単純に手が回らなくてやれていないだけさ。
私が動けてないのに気付いているなら代わりに掃除をしておくれ!
これが某法医学ドラマの中堂さんだったら「糞が!」とか、チコちゃんの相棒のキョエちゃんだったら「バカー!」と叫んでいるところであるが、ハラスメントにも配慮しなければいけないこのご時世、波風立てずに声を上げると云うのは中々に難しいものである。
いや、負担やストレスに感じている点で言うならば、寧ろこちらがハラスメントを受けているとも言えるのか?
何にせよ、店長の云う荒れた状態にまで店舗を放ってはおけないので、これからも私は妖精さんのように掃除し続けるのだろう。
――クソがぁ!
(2024/03/22 title:014 バカみたい)
昨年末に夢を見た。
どんな夢だったか思い出すとちょっと笑ってしまうが、 家の中で失くした家族のマイナンバーカードを両親と必死になって探す、というもので。
現実にもひょっとしたら起こるかもしれない辺り、身に迫る感じが何とも可笑しい夢だ。
けれども、とにかくその時は大真面目で。
心当たりのところから始まり、寝室に和室、客間を順々にごそごそと探して回ったものだ。
しかしながらカードは見付からず。
粗方探し尽くし、それじゃあ次はどこを探そうか、と皆で頭を捻ったときだ。
「あっちの方にあるんじゃないの~?」
いつの間にか家捜しに加わった祖母が前を横切って行った。
腕を背中に回して組んで腰を曲げ、杖も使わずにスタスタと。
初夏に大腿骨を折る骨折をして、「車椅子になるかもしれない」とまで言われたのが嘘のよう。
こんなに元気に歩けるようになって良か――。
「――おばあちゃん?」
はっとして呼び止めた。
客間を出て廊下へ、そして台所へ向かって歩いていく後ろ姿を追いかけ手を伸ばす。
あと少しで腕が掴める。
――そこで夢は唐突に終わったのだ。
祖母は昨年の夏に亡くなった。
通夜に葬式、四十九日とあれよあれよという間に時は過ぎ。
年も明けて今は三月だから、あれからもう半年以上も経ったのか。
ひい、ふう、みいと改めて月日を数え、時の流れの早さに驚かされる。
それだけの時が経っても尚、未だに気持ちの整理がつかないところがある。
亡くなる前一ヶ月の出来事を思い返すと、今でも心がざわつくからだ。
「しゃべり、たいこと、ある、のに。はな、せん」
最期の一ヶ月は会話もままならず、お見舞いへ出向いたとき、絞り出すようにしてたどたどしく紡がれた祖母の言葉が忘れられない。
骨折して入院した際に持病も悪化し、そのまま最期まで住み慣れた我が家へ帰ってくることはなかったのが悔やまれる。
祖母が亡くなった朝方も、夢を見た。
ふわふわと、夢か現か。
浅い眠りの中、風になびく草原の中に祖母が居り、病んでしまう前のふっくらとした顔つきで、にっこり微笑んで立っているだけ。
こちらから話しかける間もなく夢は静かに終わり、近くに聞こえる、慌ただしく発進する車のエンジン音で目が覚めた。
遠ざかる音と入れ替わりに母がやって来て、早く起きるよう私を急かした。
先んじて父が家を出たから、私も後を追うように、と。
それが、祖母、危篤の知らせだった。
まるで最期のお別れに会いに来てくれたかのようで。
そんな不思議な夢に、病院から帰ってきた後は零れた涙が止まらなかった。
年末の夢のときも、ひょっとして、あの時のように会いに来てくれたのだろうか。
そうだとしたら、夢とはいえ、久しぶりに一言でも声が聞けたのが嬉しい。
また会いに来てくれるだろうか。
次があるなら、今度は会話を繋ぎたい。
夢から醒める前に、少しでも長くお喋りをしようね。おばあちゃん。
(2024/03/20 title:013 夢が醒める前に)
――げげっ。
業務中、足元をささっと横切ったものに手が止まった。
天井から降りてきたのだろう。小振りな蜘蛛が床を素早く移動して行く。慌ただしく皆が行き交う隙間を縫って、踏まれもせずに何と器用な奴か。
「わ!」
「ぎゃっ蜘蛛!」
遅れて他のスタッフも小さな侵入者に気付き、立ち止まっては自然と蜘蛛のための道が開いていく。
しかしながら、事はそう上手く運ばない。
皆の期待を裏切って、蜘蛛は来た道を帰って来てしまったのだ。一向に部屋から出ていく気配がない。これは困ったぞ。
「ど、どうしよう。追い出さないと~」
「誰が? 俺、虫は無理だよ?」
「俺だってムリムリ! 店長パス!」
「はっ? え、え~」
「あ。蜘蛛って潰しちゃダメなんすよ。縁起が悪いとか聞いたことある」
「えっ。じゃあどうすんの?」
「塵取りで掬い上げてみる?」
「そんなんダッシュで外走らなきゃ俺に移って来ちゃうじゃん!」
ちょろちょろと床を行き来する蜘蛛を前に男性スタッフ三人が相談し始めるが、その会話は何とも頼りない。
――あ~もう。仕方がないな。
私だって虫は嫌いで苦手だけれど、このままでは埒が明かない。
代わりの勇者を名乗り出る者もいないようなので、私は観念して引き出しからガムテープを持ち出した。
ビーッとテープを大きく千切り、戦闘態勢に入る。
「はい、ちょっとごめんよ~」
未だに譲り合う怖がり三人を押し退けてしゃがみこむと、その麓で蜘蛛は相変わらずちょこまかと動き回っていた。
ごめんね。無闇な殺生はしたくないのだけれど、ここに迷い込んでしまったのが君の運の尽きだよ。
心の中で小さく謝る。
そうして奴の動きが止まった一瞬の隙を狙い、上から素早くガムテープを押し付けて逃げ道を塞いだ。
「あ!」
「えっ潰しちゃったの!」
上から私の動向を恐る恐る見守っていた男たちから非難の声が上がる。
おいおい。人にやらせておいてそれはないでしょ。
蜘蛛と彼らには悪いけれど、テープの上から念押しで指を往復させ、確実に仕留める。
剥がしたテープの余白で床に残った残骸も回収。ミッションコンプリートだ。
粘着面はなるべく見ないようにして丸めたテープをぽいとゴミ箱へ投げ入れれば、遠巻きにしていた女の子たちから小さな歓声が上がった。
「はい、おしまい。仕事に戻りましょ」
「……」
罰が悪そうに顔を見合わせて、三人はすごすごと持ち場へ戻って行った。
苦手なものは仕方がない。けれども、もう少しマシな対処をしてくれないか。
やれやれとため息を吐き、私も仕事を再開した。
因みに、この虫の撃退方法。
動きの遅い虫にはなかなか有効なので、宜しければ皆様もお試しください。
健闘を祈る!
(2024/03/16 title:012 怖がり)
朝起きて支度をして。
食事を済ませたらすぐ出勤。
夕方まで業務をこなして帰路に着き。
夜ご飯とお風呂を済ませて、余暇の時間を過ごした後に眠りに就く。
慌ただしくも、それでいて穏やかな日々の繰り返しだ。
その一方で、当たり前の日常を崩され、辛い思いをされている方たちがいる。
日本は能登地方。
海外ならばウクライナ然り、ガザ地区然り。
彼の地で起こっている出来事を忘れぬよう、毎日のニュースに目を通すよう心がけているが、日本では考えられない暴力の惨状に触れる度、心が痛む。
現地に赴き活動されている方たちの志の強さには頭が下がる思いだ。
自分の事で手一杯。度胸も余裕もない私には、せめて募金や義援金で援助するくらいしか出来ないが。
少しでも早く事態が終結し、人々が安心して暮らせる日々が訪れるのを祈っている。
(2024/03/11 title:011 平穏な日常)
すっかり帰りが遅くなってしまった。
人手が足りない上に店舗の仕事も増えるばかり。仕事終わりにどこのお店にも立ち寄れない日が続くのは、一日の終わりに癒しもなくてちょっと寂しい。
お総菜や休みの日に使う食材を物色するのが帰り道の楽しみなのだが、明日は早く帰れるだろうか。
最寄駅までの道すがら、空を見上げる。
今の季節だと、ちょうど正面にオリオン座などの分かりやすい星座も見えたりするはずだが、今日はさっぱり分からない。
ただ黒一色の空。曇っているのだろうか。
月すら見当たらないので、電車が来るまでの時間ポチポチと調べてみた。
どうやら新月も近いようで、夜空が暗いのはそのせいもあるようだ。
「つまらないな~」
電車を降りて、街を歩く。
深夜近く、お店も閉じて人通りもまばら。
月明かりもない中、ただ家へ帰る。
家族が待っているとはいえ、こんな遅い時間に帰るのはやっぱり寂しい。
明日こそ。明日こそは早く帰るぞ。
夕方からミーティングがあるのは承知しているが、それでも可能な限り早く帰りたい。
お総菜を買って、夜道の中 星空か、月の満ち欠けを楽しむくらいの余裕が欲しい。
漸く少しだけ顔を出した細い月に、淡い期待を込めて家の扉を開けた。
「ただいま」
「おかえり~。遅いわね~」
取り敢えず今はご飯かな。
そしてお休み。また明日。
(2024/03/07 title:010 月夜)