ヒロ

Open App

――げげっ。
業務中、足元をささっと横切ったものに手が止まった。
天井から降りてきたのだろう。小振りな蜘蛛が床を素早く移動して行く。慌ただしく皆が行き交う隙間を縫って、踏まれもせずに何と器用な奴か。

「わ!」
「ぎゃっ蜘蛛!」
遅れて他のスタッフも小さな侵入者に気付き、立ち止まっては自然と蜘蛛のための道が開いていく。
しかしながら、事はそう上手く運ばない。
皆の期待を裏切って、蜘蛛は来た道を帰って来てしまったのだ。一向に部屋から出ていく気配がない。これは困ったぞ。

「ど、どうしよう。追い出さないと~」
「誰が? 俺、虫は無理だよ?」
「俺だってムリムリ! 店長パス!」
「はっ? え、え~」
「あ。蜘蛛って潰しちゃダメなんすよ。縁起が悪いとか聞いたことある」
「えっ。じゃあどうすんの?」
「塵取りで掬い上げてみる?」
「そんなんダッシュで外走らなきゃ俺に移って来ちゃうじゃん!」
ちょろちょろと床を行き来する蜘蛛を前に男性スタッフ三人が相談し始めるが、その会話は何とも頼りない。

――あ~もう。仕方がないな。
私だって虫は嫌いで苦手だけれど、このままでは埒が明かない。
代わりの勇者を名乗り出る者もいないようなので、私は観念して引き出しからガムテープを持ち出した。
ビーッとテープを大きく千切り、戦闘態勢に入る。

「はい、ちょっとごめんよ~」
未だに譲り合う怖がり三人を押し退けてしゃがみこむと、その麓で蜘蛛は相変わらずちょこまかと動き回っていた。

ごめんね。無闇な殺生はしたくないのだけれど、ここに迷い込んでしまったのが君の運の尽きだよ。
心の中で小さく謝る。
そうして奴の動きが止まった一瞬の隙を狙い、上から素早くガムテープを押し付けて逃げ道を塞いだ。

「あ!」
「えっ潰しちゃったの!」
上から私の動向を恐る恐る見守っていた男たちから非難の声が上がる。
おいおい。人にやらせておいてそれはないでしょ。
蜘蛛と彼らには悪いけれど、テープの上から念押しで指を往復させ、確実に仕留める。
剥がしたテープの余白で床に残った残骸も回収。ミッションコンプリートだ。
粘着面はなるべく見ないようにして丸めたテープをぽいとゴミ箱へ投げ入れれば、遠巻きにしていた女の子たちから小さな歓声が上がった。
「はい、おしまい。仕事に戻りましょ」
「……」
罰が悪そうに顔を見合わせて、三人はすごすごと持ち場へ戻って行った。
苦手なものは仕方がない。けれども、もう少しマシな対処をしてくれないか。
やれやれとため息を吐き、私も仕事を再開した。

因みに、この虫の撃退方法。
動きの遅い虫にはなかなか有効なので、宜しければ皆様もお試しください。
健闘を祈る!


(2024/03/16 title:012 怖がり)

3/17/2024, 9:59:47 AM