「失った」
人生に絶望した。だが、腕には子どもが安心した様子でよく寝ている。
「あみちゃんにはもっといい人がいるよ。だから、もう別れてよ。おれは好きな人と結婚したい」
目の前にいる人は誰だっけ?あ、私の夫か。外見は夫だけど、私の夫はそんな酷いことを言う人だったっけ?私が具合悪いとおかゆを作って「無理しないで」と言ってくれる人じゃなかったっけ?頭がバクって目の前の人を夫と認識できない。話していることが夫が話すこととは思えない。
電話で父に離婚を切り出されたことを話すと
「浮気がなんだ、なんで許してやれないんだ。金に困ってるなら援助するぞ。お父さんが乗れないような車なんか乗ってるから変な男に捕まるんだ」
金?今、お金の話をしてたっけ?車?
1年前、幸せな結婚式をあげた。妊娠中でつわりが酷かったけど、夫がとなりで支えてくれたから上手に歩けた。2人とも稼ぎが多い訳じゃないけど、小さな幸せを喜びあえると思っていた。人生最高の瞬間とは巡ってくるものなんだとその幸せを噛み締めていた。いつまでもこのまま幸せな日々を。トラブルがあっても2人で少しずつ解決していけると。今のこの状況はなんだ?離婚を切り出された上に父からはお金の話をされている。父は再婚予定の相手から小遣いをもらっているらしく、金の亡者のようになっていた。
愛があれば幸せだったのか?
金があれば幸せだったのか?
けんかするのもご飯を一緒に食べるのも相手がいてこそできること。それはそれで幸せだったのかもしれない。
金があるから幸せを感じている父。浮気がいて幸せを感じる夫。幸せとは複雑なものだ。
私と同じく子どもの寝顔をみて幸せを感じる人はいないのだろうか。
何も思いつかない。思い出せない。きっとすてきな夜を過ごしていたはずなのに。私はこの何年か本当に私で生きていたのだろうか。
そんなもんだったのか。
熱烈なアプローチだったはずだった。こんな私に今後、こんなに尽くしてくれる人は出会わないんじゃないだろうかとこの人との出会いに感謝して毎日過ごしていた。はずだった。付き合い初めて熱烈さはなくなった。私が尽くしていればあの頃のように思いやってもらえると思っていた。でも、それは違ってて尽くせば尽くすほど、相手の要求は増えていった。そのうち私の伝えたいことは伝わなくなった。違う生活習慣の2人が同じ部屋で過ごせばぶつかるところもあるのに。協力し合わないといけないのに。それを伝えたかったのに、それを押しつけだと返される。ずっとその繰り返し。
とうとう、別れを切り出された。しかも、好きな人と結婚したいと言われた。繋ぎ止めていた心の糸が切れた。怒ったり泣いたり。なにを伝えたいのかなにが怒っているのかわからなかった。
とうとう伝わらなかった。
イブの夜、娘の寝顔をみて幸せを噛み締めている。人生最大のプレゼント。想像していた幸せの形とは違うけど、今が1番幸せ。産まれてきてくれてありがとう。
ふわっと広がるいい香り。年末になると恋しくなると同時にもう年末かと寂しさを感じる。とりわけ、今年の出来事に思い入れがあるわけじゃないのに。
東北の実家では毎年この時期になると祖母が甘いかぼちゃと湯船にゆずを浮かべて私の帰りを待ってくれていた。
「習わしって訳じゃないけど、この年になって人生の先輩たちの真似事をしてみようと思っただけよ」
といって、季節ごとに美味しいものを準備してくれた。外界の寒い風に晒された身体にしみるゆずの香り。
「ふわあ、、、」
思わずひと息ついてしまう。
今年は実家に帰れない。家々から溢れるこのゆずの香り。優しい思い出が溢れる。
「入浴剤、あったかな?」
足取り軽く自宅に向かう。
愛を注いで。
その真新しい肌に。
真新しい手に。
真新しい笑顔に。
赤く染まるまあるいほほ。
素直にまっすぐ育ってね。
本当に伝わってる?
「25になってもお互いに結婚してなかったら結婚しよう」
「いいよ」
その頃にはもう結婚してると思って適当な返事をしてしまった。本当に好きだったのに。ちゃんと好きだから向き合ってよって伝えたらよかったよ。
相変わらずあいつは私とは違う人と付き合って別れて付き合って別れて。私と会う時間なんか作ってくれなくていいのに。
「いいじゃん。話したいから会ってよ」
そんな簡単な言葉で会いに行ってしまう私はばかだ。こんなすれ違い嫌だから連絡ブロックした。突然だったから傷つけたかな?
あんなに一緒にいたのに。心と心すれ違って思ってもない未来にたどり着く。幸せそうでなによりと心から思った自分に驚いた。