『後悔』
『後悔先に立たず』
そのことわざの通り、過去のやらかしにどれだけ後悔しても、今の状況には何の意味もない。
それを分かっていても、こう思わずにはいられない。
なぜあんな事をしたのかと……
私は、目に後悔の涙をためて遠くの景色を見遣る。
正面に広がるのは、感動を覚えるほど美しい夕焼けに染まった町。
しかし視線を下に向ければ、はるか下に川が見え、あまりの高さに身がすくむ。
そして高いところにいるので風が強く、吹き飛ばされそうで恐怖を覚える。
なぜこんな事になったのだろう。
なぜ私は、こんなところにいるのだろう
なぜ私は、バンジージャンプをしなければいけないのだろう。
いや分かっている。
これは罰ゲーム。
勝負を持ち掛け、破り去った敗者のみじめな末路なのだ。
しかも全て私が調子に乗ったのが悪いのだから始末に負えない。
負けたら何でも言うことを聞くという条件で、テストの点数勝負をしたのだ。
私より数段頭のいい奴にである。
徹夜で少々気が大きくなっていたとはいえ、なぜそんな事をしたのか……
さすがに言い訳のしようもない。
普段は反省なんてしない自分だが、こればっかりは心に刻み、再発防止に努めたい。
「顔色が悪いわね……
ねえ、百合子。大丈夫?」
後から私の体調を気遣ってくれる声がする。
声の主は、親友の沙都子だ。
バンジージャンプにビビっている私を、優しく気遣ってくれる良き友人である。
そして、罰ゲームを実行させるため、私をここまで連れてきた大悪人でもある。
コイツに……
コイツにさえ勝負を挑まなければ、こんな事には……
「……大丈夫じゃない、って言ったら家に帰してくれる?」
「そうね、もしそうなら待機している医療班の診察の後、体調を万全にしてここから突き落とすわ」
「……鬼」
なんの慰めにもならない答えを返す沙都子。
くそう、調子に乗りやがって。
「それにしても知らなかったわ。
百合子、あなた高いところ駄目なの?」
「……うん、絶叫系とかもダメ」
「そうだったのね……
てっきりバカと何とやらは高いところが好きって聞くから」
「誤魔化せてないんだけど」
今日もキレッキレの沙都子である。
何か言い返したいところだが、さすがに怖すぎてそれどころではない。
そして思うことは一つだけ。
「ねえ、沙都子。
私、生きて帰れるかな」
「安心しなさい。
流石に罰ゲームで、生き死にに関わることはさせないわよ」
「でも、紐がちぎれたりでもしたら……」
「あなたの体重で切れないギリギリの強度を確保しているわ」
「それなら大丈……なぜにギリギリ?」
「一言で言えば、嫌がらせかしら」
「悪魔か」
まあいい。
沙都子がそういうのなら、切れて死ぬことは無いだろう。
さっさと終わらせて、さっさと帰る。
こんな場所に一秒でもいたくない。
目を瞑っていれば、いつの間にか終わってるだろう。
女は度胸。
今すぐ飛び降りて――
あ。
「ねえ、沙都子。最後に一ついいかな?」
「何かしら?」
「その体重っていつの体重のこと?」
「連休後に身体測定あったでしょ。
あれを基にしているわ」
「そ、そっか」
「何かあった?」
「何でもないよ」
まずい。
その体重はマズイ。
私は体重を計る時、少しズルをした。
体重計に乗ったとき、誰も見ていないことをいいことに、近くにあった机に少し体を預けて、軽く見せかけたのだ。
だいたい10㎏ぐらい軽くなってるはず。
そして今私に結ばれているのは、嘘の体重でギリギリに計算されたロープ。
想定より重たい体重。
だめだ。
悲惨な末路しか待ってない。
なぜあの時私は、何の役にも立たない見栄のために体重を偽装したのか……
だけど後悔はあと。
今言えば間に合うはず。
「あの、やっぱり言わなければいけないことが――」
「えい♡」
「うああああああ」
覚悟する暇もなく突き落とされ、川に向かって落下していく。
ああ、私はここで死ぬのか。
一発、沙都子を殴っておけばよかったな。
だけど、『後悔先に立たず』。
私の人生は後悔ばっかりだったな。
私はゆっくり目を閉じて死を待つ。
おかしい。
いつまで待っても私の意識ははっきりしたまま。
もしや、ここは天国か?
ゆっくりと目を開けると、すぐそばに川の水面が見える。
そしてヒモが切れてない。
私は振り子のように、ぶらぶらと揺れている。
そこで私は気づく。
体重ギリギリのヒモなんて嘘だと……
さすがにそんなもの用意するのは、嫌がらせにしては度が過ぎているし、なにより手間だ。
それに用意したところで、『なんか怖い』以上の効果がないし、事故の可能性もある。
それを思えば、普通の丈夫なヒモを使い、ちょっと脅かすだけで十分なのだ。
私はまんまと沙都子の思惑に乗ってしまったらしい。
おのれ、沙都子。
私を騙したな。
怒りに震えながら上を見上げれば、沙都子らしき小さな人影が手を振っているのが見える。
ここからでは分からないが、きっと満面の笑みを浮かべていることだろう。
殴りてえ。
めっちゃ殴りてえ。
だが殴ったら私は後悔するだけだろう。
でもそれでいい。
やらない後悔より、やる後悔。
待ってろ、沙都子。
思いっきりぶん殴ってやるからな。
『風に身を任せて』
チリンチリン。
窓から入って来た風に身を任せ、ゆらゆら揺れる風鈴が涼しげな音を奏でる。
この風鈴は昨日までなかったものだ。
最近暑いので、私が吊るしたのである。
この風鈴は、『風鈴の違いが分かる私』が、たくさんある風鈴の中から、一つを選んだ特別なものである。
一つだけを選ぶのは心苦しかったのだが、全てを買うだけの財力は私には無い。
窓の外を眺めていると、すっと黒い影が横切った。
ツバメだ。
ああやって風を切って飛ぶ姿は非常にカッコいい。
日本人に愛されるのも納得のカッコよさだ。
そして私はあのツバメが羨ましい。
嫌な事ばかりあるこの現代社会。
ツバメだったら鳥になって遠いどこかへ飛んでいけるからだ。
でもゲームできなくなるのは嫌だな。
てことはゲームを持って、遠くに飛び去るのが最適解か……
◆
「ねえ、百合子。
黄昏ているところ悪いけど、少しいい?」
取り留めのない事を考えていると、後ろから声を掛けられる。
親友の沙都子だ。
だけど、今日の沙都子は妙に大人しい。
何かあったのだろうか?
「どうしたの?沙都子?」
「あの風鈴、何なのかと思って……」
沙都子が、揺れている風鈴に目線を投げる。
何かと思えば風鈴の事か
「ああ、アレの事?
アレは百均で買ったの、可愛いでしょ」
「うん、まあ。 可愛いのは同意するわ。 けどね」
沙都子は、ためを作って言い放つ
「ここ、私の部屋なんだけど」
「おや?」
沙都子は疲れているのだろうか?
不思議な事をいうもんだ
「何言ってるの沙都子。
私、この部屋にほぼ毎日遊びに来ているんだよ。
つまり実質、私の部屋」
「面白い冗談を言うのね、百合子」
沙都子が微笑む。
だが素人には分からないだろうが、これは営業スマイルである。
私の渾身のギャグは受けなかったらしい。
「それで百合子、なんで私の部屋につけたの?」
追及する価値なしと判断したのか、さっさと話題を切り替える沙都子。
自分のギャグが蔑ろにされた不満はありつつも、沙都子の質問に答える。
「自分の部屋につけようと思ったんだけどさ、家族に反対されたの」
「へえ、ご家族はなんて?」
「『マジうるさい』『さすがに夏には早い』『近所迷惑』『また百合子がバカなことしてる』『何考えているか分からない』。
ひどくない?」
「ごく真っ当な意見だわ」
「ひどい」
まさか信じていた沙都子にまで裏切られるとは。
……まあ、実は私も同じ事思ったけどさ。
「そういう訳で、飾るのだけなのがもったいないと思って……」
「だからと言って、私の部屋に? 駄目よ」
「えー、だったらほかの部屋に飾っていい?
部屋、いっぱいあるでしょ」
そう、沙都子の家は大金持ちで豪邸に住んでいる。
私が使っていい部屋が一つくらいあるはずだ。
「百合子、この家にはあなたのための部屋は無いの」
無かった。
現実は非情である。
結構期待してたんだけどな。
本当に残念だ。
私が落ち込んでいると、沙都子は大きくため息をつく。
お、部屋をくれる流れか?
「分かったわよ、そのまま吊るしてなさい」
「……部屋くれないんだ」
「何か言った?」
「いえ、沙都子は風流がわかるな、って言ったの」
まあ、いいや。
何度も遊びに来れば、部屋がもらえそうなチャンスが来るだろう。
◆
「そうだ、もう一つ話したいことがあったのよ」
沙都子は思い出した、といった風に手を叩いてこちらを見る。
聞きたくないなあ。
「……何?」
「今日のテストの勝負の事」
ビクリと体が震える。
「その反応、しっかり覚えているようね」
「ナンノコトカナー」
私は誤魔化そうとするけど、沙都子はニヤリと笑うだけだった。
「何言ってるの。
点数勝負しようって言ったのあなたでしょう」
都合よく忘れたないかな、と思っていたけ駄目だったみたい。
現実は非情である(本日二回目)。
今朝の話だ。
私は今日のテストを一睡もせず、勉強して臨んだ。
つまり徹夜。
そして登校したとき、妙に気分がハイってヤツになり、沙都子に点数勝負を仕掛けた。
ルールは簡単、点数が高い方の言うことをを何でも聞く。
「一応私、止めたわよ」
私が何も言わないので、沙都子のほうが話を続ける。
「あの時の百合子、普通じゃなかったから……
でも約束は約束。ちゃんと守ってもらうからね」
「分かってる」
もう勝ったつもりで嬉しそうにはしゃぐ沙都子。
当然だ。
私は赤点常習犯で、沙都子はトップ争いしているくらい勉強が出来る。
勝てる要素がない。
なんで勝負挑んだんだ、過去の私。
徹夜明けのナチュラルハイって、恐いね
ほんと、睡眠大事。
「ああ、明日のテストの採点結果が楽しみだわ」
「それは良かったね」
「ああ、罰ゲームを何にするか、迷うわね。
百合子、あなたに選ばせてあげるわ。
スカイダイビング、バンジージャンプ、どっちがいい?」
さすが金持ちだ。
罰ゲームに使う金が違う。
「もう少し、庶民的な罰ゲームにしません?」
「いまから百合子の絶叫が楽しみだわ」
「聞いちゃいないし」
明日は明日の風が吹くって言うけれど、明日は暴風に違いない。
私は鳥にはなれないけれど、その暴風に身を任せて遠くに行けないだろうか?
私は、風鈴の音を遠くに聞きながら、現実逃避することしか出来ないのであった。
……明日風邪をひいたことにして休もうかな
『本当に大切なものは、失ってから初めて気づく』
どこかの誰かが偉そうにいった言葉。
いつ聞いたかは覚えてないけど、『立派なお考えだ』とゲンナリした記憶がある。
だけど今ならわかる。
今、確かに失った事で、それが大切なものだと言うことに気づいた。
なぜ今までぞんざいに扱っていたのか……
悔やんでも悔やみきれない。
本当に大切なもの。
それは――
時間だ。
◆
明日、学校でテストがある。
期末テストほど重要なテストではないけど、赤点を取ればもれなく親が呼ばれるくらいには重要なテスト。
呼び出された後は、教師と親のW説教コース。
ああ、おせっかいの親友の沙都子の説教も追加かな。
正直、何度も親を呼ばれたことがある自分にとって、赤点を取ったところで痛くも痒くもない。
けれど、最近は沙都子から勉強しろとを強く言われている。
勉強したくないのだけど、いろいろ貸しとかある逆らえないのだ。
なので大人しく言うことを聞いて、今回だけは勉強する事にしたのだ。
怒らせても怖いしね。
と、そんな決意をした時刻は午前十時。
今から一日中勉強をすれば、テストの範囲を十分カバーできる。
そう思って勉強を始めようと思ったのだが、妙に眠い。
そういえば、昨晩ゲームをして夜遅くまで起きていたことを思い出す。
珍しく勉強をやる気になったと言うのに、皮肉なものである。
始めは我慢して勉強するべきとも思ったのだが、仮眠をとりすっきりさせた方が勉強も捗るだろうと判断した。
そうと決まれば話は早い。
すぐに寝床を整え、仮眠をとることにした。
それがいけなかった。
◆
仮眠から起きると日が落ちていた。
時刻は午後7時。
仮眠にしては普通に寝過ぎである。
何か、疲れるような事でもしたっけ?
ただの夜更かしのはずなんだけど。
どちらにせよ、今日はもう遅い。
これからこれから勉強しても、大した効果はあるまい……
諦めて、説教を受けることにするか。
……いや、まだだ。
まだ今日は終わってない。
意外なことに、自分の中には『勉強をする』という意思が残っていた。
普段なら諦める流れだったのに、本当に珍しいこともあるもんだ。
とはいえ今から勉強をしても、十分にテスト範囲をカバーできまい。
だが万全とはいかないまでも、親を呼ばれない程度には点が取れるはずだ。
幸いにもぐっすり寝たので、眠気は無い
つまり、体調は万全という事。
ならば問題ない。
早速勉強に取り掛かかろう。
と、まさにその時、お腹がぐううと鳴る。
そういえば、朝から寝ていたので昼を食べてない。
腹が減っては戦は出来ぬ。
とりあえず腹ごしらえしてから勉強しよう。
◆
ふう、いい湯加減だった。
やはりご飯を食べた後の風呂は格別である。
そして風呂の後は何をするか……
決まっている。
昨日のゲームの続きだ。
もっとやりたかったのだが、眠気には勝てずリタイア。
なので続きがやりたくて仕方がない。
とはいえ明日は学校だから、遅くまでは出来ない
けれど、それまでは思う存分ゲームを楽しむことにしよう……
……何か忘れているような気がする。
なんだっけ?
まあ、思い出せないなら大した用事ではないのだろう。
束の間の至福の時間を楽しむのだ。
◆
布団を敷いて、いざ睡眠となったとき、あることを思い出した。
テストの事を……
即座に寝ることを中断して、机に座り勉強を開始する。
多分一夜漬けになるが、やらないよりましだ。
そして、なぜ勉強をしなかったのだと、自分に怒りたいが後回し
後悔している時間すらない。
範囲とか、赤点とか心配事を全部放り投げて、範囲を片っ端から目を通し、少しでも単語を覚えていく。
かつて存在したやる気はすでに無い。
だが、もはや意地の問題である。
ここまで来て勉強をしない、というのは気持ちが悪いのだ。
あと、親友の怒った顔が怖いと言うのもあるけれど。
『本当に大切なものは、失ってから初めて気づく』
ああ、そういえば親友から言われたんだっけ。
私の今の状況を予言でもしたのだろうか?
そのことについてかんげることもまた、後回しだ。
今はとにかく時間がない
私は失ったものの大切さを感じながらも、残り少ない時間を取りこぼすまいと、集中して勉強に励むのであった。
『子供のままで』
小さい頃、早く大人になりたいと思っていた。
大人になって冒険者になりたかったのだ。
ダンジョンに潜り、悪いドラゴンをやっつけ、金銀財宝を手に入れ、お姫さまと結婚する……
そんな絵本に出てくるような凄い冒険者に憧れたのだ。
だが現実は厳しかった。
初めてダンジョンに潜ったとき、スライムに追い回された。
ダンジョンは、いつも暗くてジメジメしていた。
ドラゴンとの戦いも命がけで、金にはなるが割に合わない。
そしてお姫さまどころか、ダンジョンには出会いがなかった。
絵本に出てくる勇敢な冒険者や冒険譚は、絵本の中にしか存在しなかったのだ。
そん現実に打ちひしがれても、なんだかんだ十年近く冒険者をやり、周りからは一目置かれるようになった。
子供じみてはいたと思うけど、絵本の中の冒険者に近づいたと思って、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
けれど、とある事件からトラウマになり、ダンジョンに潜れなくなった。
そのことに思い悩んだものの、その時に出来た恋人のクレアの勧めで、故郷の村に戻ることにした。
スローライフというやつだ。
そんなわけで、今俺はかつて子供時代を過ごした家にいるのだが……
「こら、バン。いつまで寝てるの」
「部屋、散らかりすぎ。あとで片づけなさい」
「休みだからって、寝巻のままでいないの」
「着ていた服はちゃんとカゴに出しなさい」
「ご飯の前にお菓子食べるんじゃありません」
「食べた食器は水につけてなさい」
これである。
今日は村での仕事が休みということで、遅くまで寝ていたら小言の嵐。
母親にとって、俺はまだ小さな子供のままらしい。
確かに小さな子供の頃村を飛びだしてけれど、本当に子ども扱いされるのは心外だ。
とはいえ飛びだして帰ってくるまでに、全く連絡しなかった後ろめたさがあるので、強くは言えないのだが……
「これでよく生活できたわね」
「今もきちんとやってるよ」
「これで……? 母さんから見たら、手抜きでしかないわ」
これでも冒険者仲間の間では、よく身の回りを整理をしたほうなのだが、母さんにとっては落第点らしい。
と、前から聞きたかった事を思い出した。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」
「何? 改まって」
食器を洗おうとした母さんは、台所から戻って来て向かい側の椅子に座る。
「俺、冒険者になって十年くらいだったかな、連絡何もしなかったじゃん」
「そうね」
母さんは悲しそうな顔をする。
なんで手紙くらい書かなかったのか、今更ながら後悔する。
「帰ってきたとき、一発くらい殴られるかと思ったんだけど……」
「悪い事をしたとは思ってるのね」
「ああ。 だから、母さんが何も言わず迎えてくれたことが不思議で――」
「ぷっ」
俺が言いかけている途中で母さんが噴き出す。
何か変なこと言っただろうか。
「改まって聞くことなの?」
「でもさ」
「理由はね。アンタが私の子供だからよ」
確かにそうなのかもしれない。
母さんはそういう人だ。
でも俺は冒険者の時、いろんな人間の闇を見た。
見返りを求めない善行なんて存在しないし、裏があるのが当然だった。
だから、母さんが見返りを求める人間ではないと頭では分かっていても、どうにも落ち着かない気分になる。
俺が難しい顔をしていると、母さんは何かを思いついた顔をする。
「気にするなら、罪滅ぼしに一つお願いを聞いてもらおうかしら」
「一つでいいのか」
「母さんはね、あんたみたいに欲張りじゃないのよ」
「俺も欲張りじゃないけどな。 お願いって何?」
そう言うと、母さんはニヤリと笑う。
「『ずっと母さんの子供のままでいなさい』」
「それ、どういう意味?」
文脈がよく分からない。
聞いてみるも、母さんはもったいぶってすぐ話さない。
「あの母さ――」
「あんた、近々この村出るつもりでしょ?」
母さんの言葉に背中に冷たいものを感じる。
俺がそれを聞いて思った事は一つ……
なんで分かった?
「『なんで分かった』って顔ね。
母さんはあんたの事は何でもわかるの……
気づいてる? あんた、10年前に村を出るときの顔と同じよ」
思わず自分の顔を触って確かめる。
だが、何も分からなかった。
「『ダンジョンに行けなくなった』って聞いてたけど大丈夫になったの」
「あ、うん、そうなんだ。 村の近くのダンジョンを見ても、前ほど怖くない」
村に来た当初は、ダンジョンの事を考えるだけでも震えていたものだが、最近ではむしろ行きたいくらいだし、なんなら近所のダンジョンもこっそり潜った。
恋人の勧めで帰って来た故郷だが、知らないうちに俺の心の傷を癒していたようだ。
スローライフって凄いんだな…
「ダメよ、って言っても行くんでしょ?」
「……ゴメン」
「いいわよ。お願い聞いてくれるならね」
母さんは寂しそうに笑う。
「分かった、ずっと母さんの子供だよ」
「よし、なら許す」
俺の答えに満足したのか、母さんは満面の笑みを浮かべる。
「出る前には挨拶しなさいね。 前回みたいに急にいなくなるのは無しよ」
「分かってる」
「村を出て落ち着いたら手紙を出しなさい」
「うん」
「あと、一年に一回くらいは村に帰ってきなさい。 お土産もね」
「全然一つじゃないじゃんか。 欲張りなのはどっちさ」
「母親特権よ。 で、約束してくれる?」
母さんが俺の目をまっすぐ見て言う。
「分かった。 一年に一回は必ず村に戻る。 約束する」
「よろしい」
母さんはこれで話は終わりと言わんばかりに、椅子から立ち上がり、台所へ向かう。
俺はその背中を見て、思う。
きっと俺のトラウマがよくなったのは、母さんのおかげなんだな、と。
自分で何でもできると思っていたけど、また母さんに守られていたようだ。
なら子ども扱いも仕方ない事なのかもしれない。
だからせめて、この村にいる間は母さんの子供でいよう、そう心に決めたのだった。
「俺はアイスクリームのことが……好きだぁぁぁぁ」
観衆が見守る中、俺は腹の底から、アイスクリームへの愛を叫ぶ。
ここは大声大会。
声が一番デカい奴を決める大会だ。
俺は、この大会でこれまでの人生14年の中で一番大きな声を出した。
きっと参加者の中で一番大きい声だろう。
優勝はもらったな。
「失格」
だが失格だった。
「なぜですか!」
俺は偉そうにふんぞり返っている、開催者の男を睨みつける。
だが男は無表情のまま、俺を睨み返してきた。
「あのね、分かってる?
ここは声の大きさを競う大会なの」
「知ってます」
そんなこと知っている。
大声大会は、声の大きいヤツが正しい。
小学生でもわかるだろう。
俺の事をバカにしているのか?
「では、なぜ――」
男は、相変わらず表情のない顔で俺に問う。
「なぜ、『決められたセリフ』を言わない?
ルールで決まっているだろ」
まるで物わかりの悪い悪役のような言葉を吐く。
たしかにこの大声大会では、叫ぶセリフが決まっている。
だが――
「それには理由があります」
「理由?」
ルールを守らない理由がならある。
まったくまだ気づかないのか。
察しの悪い大人だ。
「ユニーク賞狙いです」
「ユニーク賞……」
男が初めて表情を崩す。
理解できないという表情だった。
では説明しなければなるまい。
「『アイスクリーム』と、私は叫ぶの英訳『I scream』(アイ・スクリーム)、そして『愛をscream』の三重に――」
「違う、そういう事じゃない」
男は俺の言葉を遮る。
「この大会はユニーク賞は無い」
「でも他の大会ではあります」
「ほかも大会はね。だがこの大会はない」
頑固なヤツだ
だけど、想定内でもある。
あらかじめ用意した演説を行う。
「今、世間では多様性が叫ばれております」
「そうだな、それで?」
「こういった時代に『たった一つの決められたセリフを叫ぶ』というのは、時代に逆行してませんか?」
「……何?」
男が驚いたような声を上げる。
「多様性が叫ばれている時代だからこそ、決められたセリフではなく、自由に叫ぶことが出来る。
大声大会はそうあるべきではないか?
俺はそう信じたからこそ、あえて違うセリフを叫んだのです」
「そこまで考えていたのか……」
男は、俺の言葉に感銘を受けたのか、鼻をすすり始めた。
「君の言う通りだ。儂が間違っていた」
よし、勝った。
「君の主張を全面的に受け入れよう」
これで俺はあんな恥ずかしいセリフを言わなくて――
「だから、もう一回叫んでくれ。
『決められたセリフ』でな」
「は?」
男の言葉に耳を疑う。
「ちょっと待ってください。 俺の言い分を認めてくれたんですよね?」
「そうだ、認めている、君は正しい。
しかし他の参加者の手前、君だけを例外扱いするわけにはいかん」
「な、に……」
何かがおかしい。
こんな展開になるなんて、どうしてこんなことに……
俺がショックを受けている間も、男は話を続ける。
「他の参加者の中にも、君と同じように違うセリフを叫びたかったものがいるかもしれない。
だが、他参加者たちは、そんな思いを押し殺して叫んだ。
君だけ例外を認めるのは、他の参加者に示しがつかないのだよ」
「でも多様性が――」
「ああ、分かっている。
来年から、自由に叫んでいい事にしよう。
だから――」
俺は見た。
男は邪悪な笑みを浮かべていた。
そして男は言う
「だから今年だけは、決められたセリフで叫んでくれ」
馬鹿な、と頭の中で叫ぶ。
要求が通ったら、そのまま帰ろうと思っていたのに、こんな事になるなんて。
奴は俺の要求をのんだ。
だから次は俺が要求を呑む番だ。
もし俺がここで逃げれば、卑怯者として笑われるだろう。
男は俺の要求を呑むふりして、逃げ道をふさいだのだ。
畜生、大人って汚い。
頭をフル回転して、なんとか打開策がないかを考える
だけど何も思いつかない。
時間が無さすぎるのだ。
観衆も、俺が叫ぶのを待っている。
もうヤケクソだ。
俺は大きく息を吸う。
「お、お母さんいつもありがとう! 僕は頑張っているお母さんの事が大好きです!」
俺は観衆が見守る中、会場で愛を叫ぶ。
会場に巻き起こる盛大な拍手。
その歓声の中で、母親は涙ぐみながら俺の動画を撮っていた……
だから嫌だったんだよ。