『子供のままで』
小さい頃、早く大人になりたいと思っていた。
大人になって冒険者になりたかったのだ。
ダンジョンに潜り、悪いドラゴンをやっつけ、金銀財宝を手に入れ、お姫さまと結婚する……
そんな絵本に出てくるような凄い冒険者に憧れたのだ。
だが現実は厳しかった。
初めてダンジョンに潜ったとき、スライムに追い回された。
ダンジョンは、いつも暗くてジメジメしていた。
ドラゴンとの戦いも命がけで、金にはなるが割に合わない。
そしてお姫さまどころか、ダンジョンには出会いがなかった。
絵本に出てくる勇敢な冒険者や冒険譚は、絵本の中にしか存在しなかったのだ。
そん現実に打ちひしがれても、なんだかんだ十年近く冒険者をやり、周りからは一目置かれるようになった。
子供じみてはいたと思うけど、絵本の中の冒険者に近づいたと思って、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
けれど、とある事件からトラウマになり、ダンジョンに潜れなくなった。
そのことに思い悩んだものの、その時に出来た恋人のクレアの勧めで、故郷の村に戻ることにした。
スローライフというやつだ。
そんなわけで、今俺はかつて子供時代を過ごした家にいるのだが……
「こら、バン。いつまで寝てるの」
「部屋、散らかりすぎ。あとで片づけなさい」
「休みだからって、寝巻のままでいないの」
「着ていた服はちゃんとカゴに出しなさい」
「ご飯の前にお菓子食べるんじゃありません」
「食べた食器は水につけてなさい」
これである。
今日は村での仕事が休みということで、遅くまで寝ていたら小言の嵐。
母親にとって、俺はまだ小さな子供のままらしい。
確かに小さな子供の頃村を飛びだしてけれど、本当に子ども扱いされるのは心外だ。
とはいえ飛びだして帰ってくるまでに、全く連絡しなかった後ろめたさがあるので、強くは言えないのだが……
「これでよく生活できたわね」
「今もきちんとやってるよ」
「これで……? 母さんから見たら、手抜きでしかないわ」
これでも冒険者仲間の間では、よく身の回りを整理をしたほうなのだが、母さんにとっては落第点らしい。
と、前から聞きたかった事を思い出した。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」
「何? 改まって」
食器を洗おうとした母さんは、台所から戻って来て向かい側の椅子に座る。
「俺、冒険者になって十年くらいだったかな、連絡何もしなかったじゃん」
「そうね」
母さんは悲しそうな顔をする。
なんで手紙くらい書かなかったのか、今更ながら後悔する。
「帰ってきたとき、一発くらい殴られるかと思ったんだけど……」
「悪い事をしたとは思ってるのね」
「ああ。 だから、母さんが何も言わず迎えてくれたことが不思議で――」
「ぷっ」
俺が言いかけている途中で母さんが噴き出す。
何か変なこと言っただろうか。
「改まって聞くことなの?」
「でもさ」
「理由はね。アンタが私の子供だからよ」
確かにそうなのかもしれない。
母さんはそういう人だ。
でも俺は冒険者の時、いろんな人間の闇を見た。
見返りを求めない善行なんて存在しないし、裏があるのが当然だった。
だから、母さんが見返りを求める人間ではないと頭では分かっていても、どうにも落ち着かない気分になる。
俺が難しい顔をしていると、母さんは何かを思いついた顔をする。
「気にするなら、罪滅ぼしに一つお願いを聞いてもらおうかしら」
「一つでいいのか」
「母さんはね、あんたみたいに欲張りじゃないのよ」
「俺も欲張りじゃないけどな。 お願いって何?」
そう言うと、母さんはニヤリと笑う。
「『ずっと母さんの子供のままでいなさい』」
「それ、どういう意味?」
文脈がよく分からない。
聞いてみるも、母さんはもったいぶってすぐ話さない。
「あの母さ――」
「あんた、近々この村出るつもりでしょ?」
母さんの言葉に背中に冷たいものを感じる。
俺がそれを聞いて思った事は一つ……
なんで分かった?
「『なんで分かった』って顔ね。
母さんはあんたの事は何でもわかるの……
気づいてる? あんた、10年前に村を出るときの顔と同じよ」
思わず自分の顔を触って確かめる。
だが、何も分からなかった。
「『ダンジョンに行けなくなった』って聞いてたけど大丈夫になったの」
「あ、うん、そうなんだ。 村の近くのダンジョンを見ても、前ほど怖くない」
村に来た当初は、ダンジョンの事を考えるだけでも震えていたものだが、最近ではむしろ行きたいくらいだし、なんなら近所のダンジョンもこっそり潜った。
恋人の勧めで帰って来た故郷だが、知らないうちに俺の心の傷を癒していたようだ。
スローライフって凄いんだな…
「ダメよ、って言っても行くんでしょ?」
「……ゴメン」
「いいわよ。お願い聞いてくれるならね」
母さんは寂しそうに笑う。
「分かった、ずっと母さんの子供だよ」
「よし、なら許す」
俺の答えに満足したのか、母さんは満面の笑みを浮かべる。
「出る前には挨拶しなさいね。 前回みたいに急にいなくなるのは無しよ」
「分かってる」
「村を出て落ち着いたら手紙を出しなさい」
「うん」
「あと、一年に一回くらいは村に帰ってきなさい。 お土産もね」
「全然一つじゃないじゃんか。 欲張りなのはどっちさ」
「母親特権よ。 で、約束してくれる?」
母さんが俺の目をまっすぐ見て言う。
「分かった。 一年に一回は必ず村に戻る。 約束する」
「よろしい」
母さんはこれで話は終わりと言わんばかりに、椅子から立ち上がり、台所へ向かう。
俺はその背中を見て、思う。
きっと俺のトラウマがよくなったのは、母さんのおかげなんだな、と。
自分で何でもできると思っていたけど、また母さんに守られていたようだ。
なら子ども扱いも仕方ない事なのかもしれない。
だからせめて、この村にいる間は母さんの子供でいよう、そう心に決めたのだった。
5/13/2024, 1:30:39 PM