『子供のままで』
小さい頃、早く大人になりたいと思っていた。
大人になって冒険者になりたかったのだ。
ダンジョンに潜り、悪いドラゴンをやっつけ、金銀財宝を手に入れ、お姫さまと結婚する……
そんな絵本に出てくるような凄い冒険者に憧れたのだ。
だが現実は厳しかった。
初めてダンジョンに潜ったとき、スライムに追い回された。
ダンジョンは、いつも暗くてジメジメしていた。
ドラゴンとの戦いも命がけで、金にはなるが割に合わない。
そしてお姫さまどころか、ダンジョンには出会いがなかった。
絵本に出てくる勇敢な冒険者や冒険譚は、絵本の中にしか存在しなかったのだ。
そん現実に打ちひしがれても、なんだかんだ十年近く冒険者をやり、周りからは一目置かれるようになった。
子供じみてはいたと思うけど、絵本の中の冒険者に近づいたと思って、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
けれど、とある事件からトラウマになり、ダンジョンに潜れなくなった。
そのことに思い悩んだものの、その時に出来た恋人のクレアの勧めで、故郷の村に戻ることにした。
スローライフというやつだ。
そんなわけで、今俺はかつて子供時代を過ごした家にいるのだが……
「こら、バン。いつまで寝てるの」
「部屋、散らかりすぎ。あとで片づけなさい」
「休みだからって、寝巻のままでいないの」
「着ていた服はちゃんとカゴに出しなさい」
「ご飯の前にお菓子食べるんじゃありません」
「食べた食器は水につけてなさい」
これである。
今日は村での仕事が休みということで、遅くまで寝ていたら小言の嵐。
母親にとって、俺はまだ小さな子供のままらしい。
確かに小さな子供の頃村を飛びだしてけれど、本当に子ども扱いされるのは心外だ。
とはいえ飛びだして帰ってくるまでに、全く連絡しなかった後ろめたさがあるので、強くは言えないのだが……
「これでよく生活できたわね」
「今もきちんとやってるよ」
「これで……? 母さんから見たら、手抜きでしかないわ」
これでも冒険者仲間の間では、よく身の回りを整理をしたほうなのだが、母さんにとっては落第点らしい。
と、前から聞きたかった事を思い出した。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」
「何? 改まって」
食器を洗おうとした母さんは、台所から戻って来て向かい側の椅子に座る。
「俺、冒険者になって十年くらいだったかな、連絡何もしなかったじゃん」
「そうね」
母さんは悲しそうな顔をする。
なんで手紙くらい書かなかったのか、今更ながら後悔する。
「帰ってきたとき、一発くらい殴られるかと思ったんだけど……」
「悪い事をしたとは思ってるのね」
「ああ。 だから、母さんが何も言わず迎えてくれたことが不思議で――」
「ぷっ」
俺が言いかけている途中で母さんが噴き出す。
何か変なこと言っただろうか。
「改まって聞くことなの?」
「でもさ」
「理由はね。アンタが私の子供だからよ」
確かにそうなのかもしれない。
母さんはそういう人だ。
でも俺は冒険者の時、いろんな人間の闇を見た。
見返りを求めない善行なんて存在しないし、裏があるのが当然だった。
だから、母さんが見返りを求める人間ではないと頭では分かっていても、どうにも落ち着かない気分になる。
俺が難しい顔をしていると、母さんは何かを思いついた顔をする。
「気にするなら、罪滅ぼしに一つお願いを聞いてもらおうかしら」
「一つでいいのか」
「母さんはね、あんたみたいに欲張りじゃないのよ」
「俺も欲張りじゃないけどな。 お願いって何?」
そう言うと、母さんはニヤリと笑う。
「『ずっと母さんの子供のままでいなさい』」
「それ、どういう意味?」
文脈がよく分からない。
聞いてみるも、母さんはもったいぶってすぐ話さない。
「あの母さ――」
「あんた、近々この村出るつもりでしょ?」
母さんの言葉に背中に冷たいものを感じる。
俺がそれを聞いて思った事は一つ……
なんで分かった?
「『なんで分かった』って顔ね。
母さんはあんたの事は何でもわかるの……
気づいてる? あんた、10年前に村を出るときの顔と同じよ」
思わず自分の顔を触って確かめる。
だが、何も分からなかった。
「『ダンジョンに行けなくなった』って聞いてたけど大丈夫になったの」
「あ、うん、そうなんだ。 村の近くのダンジョンを見ても、前ほど怖くない」
村に来た当初は、ダンジョンの事を考えるだけでも震えていたものだが、最近ではむしろ行きたいくらいだし、なんなら近所のダンジョンもこっそり潜った。
恋人の勧めで帰って来た故郷だが、知らないうちに俺の心の傷を癒していたようだ。
スローライフって凄いんだな…
「ダメよ、って言っても行くんでしょ?」
「……ゴメン」
「いいわよ。お願い聞いてくれるならね」
母さんは寂しそうに笑う。
「分かった、ずっと母さんの子供だよ」
「よし、なら許す」
俺の答えに満足したのか、母さんは満面の笑みを浮かべる。
「出る前には挨拶しなさいね。 前回みたいに急にいなくなるのは無しよ」
「分かってる」
「村を出て落ち着いたら手紙を出しなさい」
「うん」
「あと、一年に一回くらいは村に帰ってきなさい。 お土産もね」
「全然一つじゃないじゃんか。 欲張りなのはどっちさ」
「母親特権よ。 で、約束してくれる?」
母さんが俺の目をまっすぐ見て言う。
「分かった。 一年に一回は必ず村に戻る。 約束する」
「よろしい」
母さんはこれで話は終わりと言わんばかりに、椅子から立ち上がり、台所へ向かう。
俺はその背中を見て、思う。
きっと俺のトラウマがよくなったのは、母さんのおかげなんだな、と。
自分で何でもできると思っていたけど、また母さんに守られていたようだ。
なら子ども扱いも仕方ない事なのかもしれない。
だからせめて、この村にいる間は母さんの子供でいよう、そう心に決めたのだった。
「俺はアイスクリームのことが……好きだぁぁぁぁ」
観衆が見守る中、俺は腹の底から、アイスクリームへの愛を叫ぶ。
ここは大声大会。
声が一番デカい奴を決める大会だ。
俺は、この大会でこれまでの人生14年の中で一番大きな声を出した。
きっと参加者の中で一番大きい声だろう。
優勝はもらったな。
「失格」
だが失格だった。
「なぜですか!」
俺は偉そうにふんぞり返っている、開催者の男を睨みつける。
だが男は無表情のまま、俺を睨み返してきた。
「あのね、分かってる?
ここは声の大きさを競う大会なの」
「知ってます」
そんなこと知っている。
大声大会は、声の大きいヤツが正しい。
小学生でもわかるだろう。
俺の事をバカにしているのか?
「では、なぜ――」
男は、相変わらず表情のない顔で俺に問う。
「なぜ、『決められたセリフ』を言わない?
ルールで決まっているだろ」
まるで物わかりの悪い悪役のような言葉を吐く。
たしかにこの大声大会では、叫ぶセリフが決まっている。
だが――
「それには理由があります」
「理由?」
ルールを守らない理由がならある。
まったくまだ気づかないのか。
察しの悪い大人だ。
「ユニーク賞狙いです」
「ユニーク賞……」
男が初めて表情を崩す。
理解できないという表情だった。
では説明しなければなるまい。
「『アイスクリーム』と、私は叫ぶの英訳『I scream』(アイ・スクリーム)、そして『愛をscream』の三重に――」
「違う、そういう事じゃない」
男は俺の言葉を遮る。
「この大会はユニーク賞は無い」
「でも他の大会ではあります」
「ほかも大会はね。だがこの大会はない」
頑固なヤツだ
だけど、想定内でもある。
あらかじめ用意した演説を行う。
「今、世間では多様性が叫ばれております」
「そうだな、それで?」
「こういった時代に『たった一つの決められたセリフを叫ぶ』というのは、時代に逆行してませんか?」
「……何?」
男が驚いたような声を上げる。
「多様性が叫ばれている時代だからこそ、決められたセリフではなく、自由に叫ぶことが出来る。
大声大会はそうあるべきではないか?
俺はそう信じたからこそ、あえて違うセリフを叫んだのです」
「そこまで考えていたのか……」
男は、俺の言葉に感銘を受けたのか、鼻をすすり始めた。
「君の言う通りだ。儂が間違っていた」
よし、勝った。
「君の主張を全面的に受け入れよう」
これで俺はあんな恥ずかしいセリフを言わなくて――
「だから、もう一回叫んでくれ。
『決められたセリフ』でな」
「は?」
男の言葉に耳を疑う。
「ちょっと待ってください。 俺の言い分を認めてくれたんですよね?」
「そうだ、認めている、君は正しい。
しかし他の参加者の手前、君だけを例外扱いするわけにはいかん」
「な、に……」
何かがおかしい。
こんな展開になるなんて、どうしてこんなことに……
俺がショックを受けている間も、男は話を続ける。
「他の参加者の中にも、君と同じように違うセリフを叫びたかったものがいるかもしれない。
だが、他参加者たちは、そんな思いを押し殺して叫んだ。
君だけ例外を認めるのは、他の参加者に示しがつかないのだよ」
「でも多様性が――」
「ああ、分かっている。
来年から、自由に叫んでいい事にしよう。
だから――」
俺は見た。
男は邪悪な笑みを浮かべていた。
そして男は言う
「だから今年だけは、決められたセリフで叫んでくれ」
馬鹿な、と頭の中で叫ぶ。
要求が通ったら、そのまま帰ろうと思っていたのに、こんな事になるなんて。
奴は俺の要求をのんだ。
だから次は俺が要求を呑む番だ。
もし俺がここで逃げれば、卑怯者として笑われるだろう。
男は俺の要求を呑むふりして、逃げ道をふさいだのだ。
畜生、大人って汚い。
頭をフル回転して、なんとか打開策がないかを考える
だけど何も思いつかない。
時間が無さすぎるのだ。
観衆も、俺が叫ぶのを待っている。
もうヤケクソだ。
俺は大きく息を吸う。
「お、お母さんいつもありがとう! 僕は頑張っているお母さんの事が大好きです!」
俺は観衆が見守る中、会場で愛を叫ぶ。
会場に巻き起こる盛大な拍手。
その歓声の中で、母親は涙ぐみながら俺の動画を撮っていた……
だから嫌だったんだよ。
「あら」
洗濯物を干していると、モンシロチョウが目の前を通り過ぎる。
お散歩かしら見ていると、チョウは干した洗濯物にふわりと止まる。
チョウを脅かさないよう静かに見つめて、自然と笑みがこぼれる
私は蝶が好きだ。
いろいろな図鑑を集め、時には飼育し、そしてチョウの動画ばかりを見ている
標本は……可哀そうなのでしたことがない。
そのくらい好きなので、友人からは蝶婦人と呼ばれている。
「キエエエエ」
家の隣にある畑から、奇声が聞こえる。
隣で家庭菜園をやっている、加藤さんだ。
友人は『超』夫人と呼んでいる
「チョウどもめ、私のキャベツから離れろ」
超婦人は、蝶を始めとした虫を『超』嫌っている。
理由は単純、自分が育てた農作物を食べてしまうから。
モンシロチョウは益虫と思われがちだが、幼虫の方は葉っぱを食べるので害虫なのだ。
農家にとって不倶戴天の敵であり、忌々しい存在なのである。
ちなみに『超』夫人と言うのは、私と性質が真反対ということで、蝶婦人にちなんで名づけられた。
本人はそう呼ばれていることを知らない。
知っても困るだけだから、言わないのが吉だろう。
そして、意外にも……かは分からないけど結構仲が良かったりする。
私とは真反対の性質だが仲良くやっている。
「今日は暑いですね」
と私が言えば、向こうも、
「暑いですねえ。
あ、そういえば――」
と話が広がるくらいには、仲がいい。
正直、超婦人が農薬でチョウを殺していることに言いたいことはある。
だが、向こうも私がチョウを飼っている事には、思うことがるだろう。
だけど『世界にはいろんな人間がいる』。
当たり前といえば、当たり前の事。
お互いいい大人なので、互いの領分を侵さない限りは、何も言わないという暗黙の了解。
不可侵条約と言うやつだ。
今日も超夫人と井戸端会議で盛り上がる。
いつもの初夏の日。
平和な一日であった。
🦋
「様子はどうだ?」
「いつも通りです、先輩」
「ならいい」
暗い密室で、モニターを見つめる人影があった。
モニターには蝶婦人と超婦人が映っている。
ここにいる人間は二人を監視しているのだ。
新人らしき若い男が、ベテランらしき男に話しかける。
「こうして見ても信じられません。 この二人が原因で世界が滅ぶなんて……」
「信じられないのも無理もない……
だが我が国のスーパーコンピューターはそう結論付けた」
ベテランは、モニターから目を離さず、説明を続ける。
「世界が滅ぶ条件は覚えているな?」
「はい。 蝶婦人が飼っているモンシロチョウが逃げて、超婦人がそのチョウを殺したら……ですよね」
「そうだ。 そしてモンシロチョウが逃げたら、即座に逃げたチョウを捕獲、無理そうなら俺たちで殺すんだ」
「分かってます。
でも、なんで野生でなく飼われたチョウが殺されることで、世界が滅ぶんでしょうか?
しかもモンシロチョウって指定があるし……」
「直接の原因ではない。
この二人の行動がきっかけとなり、幾万もの減少が連鎖的に引き起こされ、結果として世界が滅ぶ。
簡単に言えばバタフライエフェクトというやつだ
モンシロチョウである理由は…… 正直知らん。
まあ、俺たちの知らないモンシロチョウ特有の事情があるんだろう」
「なる、ほど?」
新人が分かったような分からないような顔で、うなずく。
「分からないなら分からないでいい。
だがモニターに集中しろ」
「すいません」
「いいか、世界の命運は俺たちにかかっている。
交代要員が来るまで、あと一時間だ。
それまでに何も見落とすなよ」
「了解」
それを最後に、二人は会話を終了し、目を皿にしてモニターを見つめる。
どんな異変も見逃さぬよう、穴が開くほど見つめる二人。
何があってもいいように、手に虫とりあみを握り締め、世界の危機に備えるのであった。
う、嘘だろ。
全員で、俺をドロ4で狙い撃ちしやがって。
分かった。
分かってるよ、『UNOで負けた奴は面白い話をする』だよな。
覚えてろよ。
で、お題は?
『忘れられない、いつまでも。』?
また変なお題を……
と言っても忘れられないことなんてないぞ。
俺の人生に特に波乱もなく、お前らと違って堅実な人生を送ってるから、別にそういうのは――
あ、一つあったわ。
でもあの話は……
いや待て、そんな前のめりになるな、分かったから、話すから。
まったく……
なんなんだよ、その食いつきは……
コホン。
えー、俺が中学生の時の話。
俺、中学生の時は電車通学だったんだ。
自転車か電車かっていうギリギリの距離だったけど、まあ、ちょっとだけ背伸びたくてね。
電車通学にしてもらったんだ。
それで毎日、通学の時、駅で乗り降りするわけなんだけど、あったんだよ。
『開かずの扉』。
学校の最寄り駅の待合室に。
なんの扉かというと、駅員が待合室から窓口の中に入る、いわゆる業務用ドアってやつ。
その扉、雰囲気がそれっぽくてな。
錆が浮いてるし、ペンキもはがれてて、特に扉が開いた時なんか、ギィー……って地獄の底から音がするような――
え、何?
『開かずの扉だろ』って?
いや、開くよ、当然じゃん。
それ開かないと、駅員さん困るからね。
全然開かずじゃないって?
まあ、そうだな。
さっきも言った通り、『いかにも』それっぽいから、俺たちが勝手に『開かずの扉』て呼んでたの。
子供だったからな、楽しければよかったわけ。
で俺達が勝手に盛り上がって、いろんな噂をしたわけよ。
あの扉は開かない、いや開けたら連れて行かれる、とか。
で、それを聞いてみんな『怖い』とか『やべえ』とか言って楽しむんだ。
みんな嘘だと知っててね。
電車通学じゃないやつは信じてたかもしれないけど、まあ怪談ってそんなだよね?
今思い出しても懐かしい。
俺の忘れがたき故郷の思い出だな。
ああ、そんな顔すんなって。
ここまでは前座。
俺が本当に忘れられないことは、これから話すことなんだ。
そんな感じで楽しく、『開かずの扉』で盛り上がった学校生活も3年目。
季節は……たしか今ぐらいだったと思う。
学校の近くのコンビニで漫画を立ち読みしてたら、電車の時間が近い事に気が付いたんだ。
慌てて駅に走ったわけ。
都会では考えられないけど、故郷は田舎で、電車が30分に1本なんだよ。
だから遅れまいと、全力で走ったんだけど、待合室まで行ったところで、なんと目の前で電車が出発。
俺、その場で力が抜けて、その場でへたり込んだのを覚えてる。
少し放心した後、地面に座るは行儀が悪いと思って、這って近くの椅子に座ったんだ。
電車が出発したばっかりで待合室はガラガラだったから、椅子は選び放題だった。
次の電車まで、何をして時間を潰そうかと考えていた時に、一人のおっさんが走って来たんだ。
おっさんも電車に乗り遅れまいと走って来たみたいなんだけど、まあ、俺と同じで乗り過ごしたんだ。
でもおっさんは、俺と違う反応をした。
キレたんだ。
『なんで、俺が来るまで待たないんだ』ってね。
遠くから見ていただけなんだけど、アレは酒を飲んでいたね。
で、突然のクレームに駅員が驚いて、窓口から出てくるわけよ。
『開かずの扉』を通ってね。
駅員さんも酔っ払いに慣れているのか、『マアマア』とか『落ち着いてください』ってなだめていたんだ。
でも、おっさんにはそれが不満だったらしくて、『お前じゃ話にならん、駅長と話す』って言って、窓口に入ろうとしたんだ。
『開かずの扉』からね。
そこで、駅員が止めるわけなんだけど……
「そこは開きません。『開かずの扉』です」
って、それこそ、本当に地獄から響いてくるような、とても低い声で……
顔こそ笑顔だったけど、得体のしれないものを感じてビビった。
さっき『開いてたじゃん』とか反論を許さないような、妙な気迫があった。
おっさんもビビったらしくって、『そっか、じゃあ仕方がないな』って駅を出ていったんだ。
どこ行ったかは知らん。
興味なかったからな。
それで駅員は、おっさんが去った後、俺のほうに向いて、
「お騒がせして申し訳ありません。 何かありましたら窓口へ」
って言って窓口に戻っていったんだ。
一番近い『開かずの扉』を使わず、わざわざ遠回りしてホーム側にある扉まで行って……
俺、そこで思い出したんだ。
確かに、駅員があの扉を使ったところは見たことがある。
けれど、内側から出るのは見たことあるけど、外側から入っていくのは見たことが無いって……
俺、今気づいたことがとんでもなく意味不明過ぎることに怖くなって、そのまま駅を出て、家まで走って帰った。
外は暗くなるくらいに家について、帰ってからは自分の部屋で布団に包まってガタガタ震えていた。
俺、怖くなって、電車通学を辞めて、自転車通学にして、そのまま卒業まで自転車で通った。
それ以来あの駅に行ってないんだけど、地元の友達に聞いた限りでは『開かずの扉
』はまだあるらしい。
肝試しに行くって?
場所は教えてやるから、おまえらだけで行け。
俺はいかない。
俺、今でも怖いんだ。
目の前で起こった意味不明な出来事。
自分が知っていると思った事が、全然得体のしれないものだと気づいた時の恐怖。
あの時に感じた、現実感が急になくなる浮遊感。
忘れられないんだ、いつまでも。
ずっと。
俺はあの扉が怖い。
俺の名前はバン。
以前は名の知れた冒険者だったのだが、仲間からの手ひどい裏切りでトラウマになり、ダンジョンに潜れなくなってしまった。
ダンジョンに潜れない冒険者なんて価値は無い。
冒険以外に何もできない俺は、恋人のクレアの勧めで故郷に戻っていた。
十年近く帰っていなかったのだが、家族や友人からは熱烈な歓迎を受けた。
帰ってからというもの様々なトラブルに見舞われたが、おおむね平和に過ごしていた。
冒険者に復帰せず、クレアと一緒にのんびり故郷で暮らすのもいいな。
そんなことをぼんやりと思っていた頃、クレアからあるお願いをされたのだった。
◆
「誰も使ってない家を借りたい、という事だったが何をするんだ?」
「今から神に祈ろうと思ってます」
「なるほど」
クレアは聖女である。
この世界には数多の神がおり、それぞれの神に選ばれた女性が聖女となる。
彼女たちは、自らの神に信仰を捧げ、世界に教えを広げ、時として神の奇跡を体現する、神の代行者である。
時には人々を救うため、神の加護を受け危険な場所にも進んで赴く……
クレアは、そんな使命を負った一人なのだ。
そして神の力を行使するためには、神への祈りは欠かせないらしいのだが――
「お前が祈るなんて初めて見るよ」
クレアは、『おや』とでも言いたげな顔で、俺を見る。
「言ってませんでしたか?
私が信仰する神は、年に一回だけ祈りを捧げることになっているのです」
「ふーん、コスパのいい神様な事だ」
「バンも今からでも改宗しませんか?」
「いやいい」
クレアは見るからに落ち込むそぶりを見せるが、すぐに切り替えて祈りの準備をする。
恋人がきっかけで改宗することは珍しくないのだが、俺に関しては改宗する予定はない。
というのも、俺はクレアの信じる神が、邪神の類ではないかと疑っているのだ。
クレアを見る限り、神の加護は強力なのは間違いないのだが、強力過ぎて何かと引き換えに力を得ているのではないかと思っている。
本人は否定しているし、実際クレアにも害はなさそうなのだが、恐いものは怖い。
触らぬ神にたたりなし、である。
「準備出来ました」
そんな事を考えている間、クレアは部屋の机を並べ替え、簡単な神殿を作り上げていた。
神殿、と言っても机を固めて並べて、中央に神をかたどったと思わしき小さな像が置いてあるだけであった。
クレアの信じる神は、必要最低限の信仰さえあればいいと言う性格なのかもしれない。
俺の中で、ちょっとだけ邪神に対する好感度が上がる。
「俺は離れた方がいいのか?」
「いてください。 あなたにも関係ある事なので……」
「俺は信徒じゃないぞ」
「構いません、私がいて欲しいから
そう言うと、クレアは神の像に向き直る。
「主よ、おいでください」
クレアが小さく呟くと、外は明るいと言うのに、部屋は暗闇に包まれる。
冒険者時代に培った警戒センサーが、危険だと警告を発する。
やっぱり邪神の類じゃないか!
しかし警戒こそするが、剣は抜かない。
この邪神は聖女であるクレアが呼んだのだ。
こちらから何かをしない限り、俺には興味すら持たないだろう。
多分。
「我を呼んだのは貴様か!」
目の前の暗闇に、強烈な存在感を感じる。
およそ生物の放つ存在感ではない。
この気配がクレアの言う『神』なのだろう。
俺はその『神』に対して恐怖しか感じなかった。
きっと人間には、とうてい敵わぬ格上の存在。
そんな存在を前にして、クレアは笑みを浮かべていた。
これだけを見れば、邪神に従う狂信者とう思うだろう。
だが、クレアが神に向けるその視線は――
母親が子供に向ける慈しみの目であった。
どういうこと?
『神』はクレアに気づいたのか、急激に存在感を小さくしていく。
さきほどの嵐のような感覚が嘘のように静かになり、俺の危険センサーも安全だと判断した。
「うむ、クレアか。 我の教えの通り、世界に愛と平和を広めているようだな」
「はい、主の言われた通りに教えを広めております」
「すばらしい、このまま行けば我の教えも世界に広まる事であろう」
愛と平和を広めるってマジだったのか。
「では、かあ――クレアには新しい加護をくれてやろう」
今、母さんって言おうとしなかった?
思わず飛び出そうになった言葉を何とか飲み込む。
さすがに親子ではないと思うが、本当に親子だとしたら水を差すことになる。
となると年一回の祈りというのは、感動の再会と言うやつだ
邪魔することはな――
「うう、あの子がこんなに立派になって」
クレアが目に涙をためながら、ぼそりとつぶやく
本当に親子かあ……
「ところで主よ。お聞きしたいことが……」
「なんだ?」
俺が衝撃の事実に打ちのめされている間も、会話は続けられていた。
「ちゃんとご飯は食べていますか?」
はい、オカンが子供に言うセリフNo.1ですね。
「食べてる」
そして素っ気ない子供の返答。
だがクレアは気にせずに質問を重ねていく。
「ちゃんとお風呂入ってる?」
「だから、風呂に入らなくても臭くならないんだって」
「信徒は出来た?」
「うん、まあまあ」
「そう、ならよかった」
これは出来の悪い息子を、母親が心配して行われる質問攻めだ。
もしかしてだが、この年一回の祈りって、『母親の心配から来る頻繁な連絡(祈り)に辟易して、親子喧嘩し、最終的に落とし所として年一回の連絡になった』ってやつなのだろうか。
俺も故郷に帰ってから、母親に毎日質問責めをされているから気持ちはわかる。
連絡しなかった俺が悪いので、甘んじて受け入れているが。
俺がいろいろ邪推している間にも、親子の会話は進んでいく。
「気が済んだ? もう聞きたいことないよね」
「うーん」
質問責めで疲れた息子が、無理矢理切り上げようとしているヤツだ。
どこの世界でも同じなんだな。
「そうね、質問は無いわ。 元気そうで安心した」
「じゃあ、僕は帰るから。 また一年後に――」
「あっ待って、私からも伝えたいことがあるの」
「まだ何かあるの?母さん」
母さん言っちゃったよ。
と思わず突っ込みそうになるが、出来なかった。
クレアが俺の腕をひいて、神に見せつけるように俺を引き寄せたからだ。
「お母さんの彼氏です」
「「!?」」
暗闇の向こうにいる『神』の動揺する気配を感じる。
そりゃ、突然母親に恋人紹介されたら驚くよな。
俺も、急に紹介されて困ってる。
「貴様あ、どういうこと――」
「コラ、なんて口の利き方なの! あなたの父親になる人よ!」
「そんなしょぼい人間、父親とは認めない! 殺す!」
人を殺せるほど強烈な殺気が飛んできて、意識が飛びそうになる。
俺ここで死ぬかもしれない。
だが俺は、殺されそうになっているというのに、『コイツも苦労してるのな』と、他人事のように考えていた。
この『神』に同情してしまったらしい。
「あんまり、わがまま言うとげんこつしますよ」
と子供を叱るようにクレアが叫ぶと、途端に殺気が収まる。
『神』でも、クレアのげんこつは怖いらしい。
気持ちはわかる。
薄々感づいていたが、加護なしでも『神』相手にダメージを入れられるんだな。
化け物かよ。
「よろしい」
俺が呆れていることも知らず、クレアは場が収まったことに満足したように頷いていた。
「母さんがそこまで言うなら見逃してやる」
と心底納得できないような声色で『神』が言う。
展開に追いつけないが、命が助かって良かったよ。
「じゃあ、今度こそ僕は帰るから。また一年後に」
「はい、一年後に会いましょう」
やっと感動的な親子の別れのワンシーンだ。
安心感から、目が涙がこぼれる。
と、『神』が自分を見ている気配を感じた。
なにか呪いでも飛ばされるのかと、身構える。
「一年後も母さんの隣にいるといいな。 背中には気を付けろよ」
「ちょっと、シューちゃん」
クレアが慌てて止めに入るも、部屋の暗闇が一気に拡散し、『神』が去ったことが分かる。
捨てセリフそうだが、クレアが『神』をシューちゃんと呼んでいることにも驚く。
神を『ちゃん』付けかあ。
「こら、シューちゃん、出てきなさい。さっきの事を説明しなさい」
クレアはというと、神の像に向かって叫んでいた。
どういう仕組みかは知らないが、クレアが呼んでも出てこないようだ。
クレアが神の像を叩いているのを見ながら、俺は普通の父親の様に息子の事で頭を悩ます。
「一年後、生きているといいなあ」
スローライフを送るためには、突然できた息子を何とかしないといけなくなった。
俺はここにきて、人生設計の修正を余儀なくされたのであった