ここ数日父の夢を見る
父は昨年他界した
今年の暑さはいつまでも続いていたため、高齢の母を伴ってのお墓参りは涼しくなってから…とお彼岸のお参りも出来ないままになっていた
その申し訳なさが、父の夢を見させていたのかも知れない
涼しくなってからと先伸ばしにしていたことは数多くあり、さすがに手をつけざるを得ないと不用品の片付けを始めた
すると、父の遺影に使いたいと散々探しても見つからなかったその一枚の写真が、思ってもみないところから出て来た
夢と言い、写真と言い、これはもう父からの「会いに来い」というメッセージに違いないと、早速昨日母と連れ立って父のお墓へ会いに行った
森林公園のような広大な敷地に恵まれた自然の景観を損なうことなく造られたているその墓地で、父の魂は永遠の安らぎを許され今穏やかにで眠っている
父の眠るちょうど上方には、うまい具合に木々の葉が重なり合って強い日差しが直接当たるのを防いでくれていた
ところが、私達が父になかなか会いに来られなかったことを詫び、あれこれ話しかけていると、葉の間からやわらかな光が父の上にだけ差し始めた
もちろん、たまたま風の具合いでそこに光が当たったに違いないのだが、
私も母も同じ思いが過ったようで
「じぃじだ!」
と同時に声を発してしまった
「お前さんたち、ようやく来てくれたか ずっと待っていたよ」
と、そんな父の声が聞こえた気がした
特に霊感が強いわけでもなく信心深いわけでもないが、あのやわらかな光は確かに父の思いだった、と私も母も同じように心が動いた
昨夜は折しもスーパームーン
我々も宇宙の一部であることを強く実感する日
父は決して遠くに行ったわけではないと、あのやわらかな光が伝えてくれたような気がしている
『やわらかな光』
せっかくの秋晴れの良いお天気だったというのに、
残念ながら私の心のカーテンは今日は1日中閉じたままだった…
まあ、そんな日もある
明日は気持ち良く心のカーテンを開け放つことが出来るだろうか
明日は明日の風が吹く…かなぁ
『カーテン』
「涙活」という言葉が広く知られるようになってから、涙腺の弱い私はそれほど躊躇なく涙を流せるようになった
嬉しい涙も幸せな涙も、悔しい涙も悲しい涙も涙の理由が何であれ、どんな涙も心だけではなく体にも良いらしい
「泣いた後は何だかスッキリする!」というのはただの気のせいではなく、科学的根拠に基づいているものだと識れば
、ますます涙も流したくなる
ところが、最近は流れてくるニュースも心を締め付けるような見るのも辛いものが多く、気持ち良く流す涙より嗚咽しなが心の深いところから込み上げてくるような涙を流しがちだ
涙は流す理由によって、実は味が違うことも分かってきている
実際のところ、これは嬉し泣きだから甘いわとか、これは辛くて流した涙だからしょっぱいわ…とか、味覚で判断できるほどの差ではなく、涙の科学分析上の話ではある
それでも出来ることならやっぱり、幸せいっぱいの「甘い涙」を流したい
父が臨終の際、もう意識もほとんど無い中でひとすじの涙を流した
おそらくあれは、すべてを悟りこの世への未練を断ち切った後の、心に残ったものは感謝の気持ちしかなかったことを涙という形で私達遺される家族に送ったメッセージだったと私は思っている
私が今まで見た中で、一番美しい涙だった
『涙の理由』
「心躍る」ではなくて、「ココロオドル」
カタカナで書かれたこのワードを見て、私はむしろ真逆のイメージを連想した
もはや心躍るどころか、生きた感情さえ忘れ去られたような殺伐とした、荒れ果てて渇き切った大地に、それもまた倒れそうに傾いた看板に、いかにも不釣り合いな楽しげな文字『ココロオドル』と描かれている
そんな状況にあえて立てられたプロパガンダのように…
同じ言葉でも、漢字で表すか平仮名やカタカナで表すかでこんなにも異なったニュアンスを与える日本語の何て面白く奥深いことか!
ひねりの利いたお題に、心躍らせて♪もらった
『ココロオドル』
しんどい…
10月に入ってからというもの、気持ちの良い晴天はほとんど無く、ぐずついたお天気に翻弄されっぱなしだ
本来の10月は暑くもなく寒くもなく、何をするにも気持ちの良い秋晴れが続くのが常だった
それが今年はどうだろう
いつまでも真夏の様な暑さが続き、ジメジメと蒸し暑く、梅雨時のようなカビの発生にも悩まされた
ただ、朝晩はすっかり秋らしく気温もぐっと下がるのだから1日の寒暖差は激しい
日照不足でセロトニンが出にくいうえに自律神経が働きづめで、もう体も心もいっぱいいっぱいだ
周りでは体調を崩す人も多いようだ
私は元々体より心に不調が出やすいので、心の安定を保つことにも不安を感じている
つい一昨日も日中はエアコンが欲しいほどの暑さになったかと思えば、昨日は上着が欲しいほどの肌寒さ
今日は11月中旬の気温だそうだ
思えば過酷な夏から休みなくフル稼働の自律神経に、健闘賞と出来れば束の間の休息を与えてあげたいと思ってしまう
『束の間の休息』