せっかくの秋晴れの良いお天気だったというのに、
残念ながら私の心のカーテンは今日は1日中閉じたままだった…
まあ、そんな日もある
明日は気持ち良く心のカーテンを開け放つことが出来るだろうか
明日は明日の風が吹く…かなぁ
『カーテン』
「涙活」という言葉が広く知られるようになってから、涙腺の弱い私はそれほど躊躇なく涙を流せるようになった
嬉しい涙も幸せな涙も、悔しい涙も悲しい涙も涙の理由が何であれ、どんな涙も心だけではなく体にも良いらしい
「泣いた後は何だかスッキリする!」というのはただの気のせいではなく、科学的根拠に基づいているものだと識れば
、ますます涙も流したくなる
ところが、最近は流れてくるニュースも心を締め付けるような見るのも辛いものが多く、気持ち良く流す涙より嗚咽しなが心の深いところから込み上げてくるような涙を流しがちだ
涙は流す理由によって、実は味が違うことも分かってきている
実際のところ、これは嬉し泣きだから甘いわとか、これは辛くて流した涙だからしょっぱいわ…とか、味覚で判断できるほどの差ではなく、涙の科学分析上の話ではある
それでも出来ることならやっぱり、幸せいっぱいの「甘い涙」を流したい
父が臨終の際、もう意識もほとんど無い中でひとすじの涙を流した
おそらくあれは、すべてを悟りこの世への未練を断ち切った後の、心に残ったものは感謝の気持ちしかなかったことを涙という形で私達遺される家族に送ったメッセージだったと私は思っている
私が今まで見た中で、一番美しい涙だった
『涙の理由』
「心躍る」ではなくて、「ココロオドル」
カタカナで書かれたこのワードを見て、私はむしろ真逆のイメージを連想した
もはや心躍るどころか、生きた感情さえ忘れ去られたような殺伐とした、荒れ果てて渇き切った大地に、それもまた倒れそうに傾いた看板に、いかにも不釣り合いな楽しげな文字『ココロオドル』と描かれている
そんな状況にあえて立てられたプロパガンダのように…
同じ言葉でも、漢字で表すか平仮名やカタカナで表すかでこんなにも異なったニュアンスを与える日本語の何て面白く奥深いことか!
ひねりの利いたお題に、心躍らせて♪もらった
『ココロオドル』
しんどい…
10月に入ってからというもの、気持ちの良い晴天はほとんど無く、ぐずついたお天気に翻弄されっぱなしだ
本来の10月は暑くもなく寒くもなく、何をするにも気持ちの良い秋晴れが続くのが常だった
それが今年はどうだろう
いつまでも真夏の様な暑さが続き、ジメジメと蒸し暑く、梅雨時のようなカビの発生にも悩まされた
ただ、朝晩はすっかり秋らしく気温もぐっと下がるのだから1日の寒暖差は激しい
日照不足でセロトニンが出にくいうえに自律神経が働きづめで、もう体も心もいっぱいいっぱいだ
周りでは体調を崩す人も多いようだ
私は元々体より心に不調が出やすいので、心の安定を保つことにも不安を感じている
つい一昨日も日中はエアコンが欲しいほどの暑さになったかと思えば、昨日は上着が欲しいほどの肌寒さ
今日は11月中旬の気温だそうだ
思えば過酷な夏から休みなくフル稼働の自律神経に、健闘賞と出来れば束の間の休息を与えてあげたいと思ってしまう
『束の間の休息』
力を込めて説明する、
力を込めて引っ張る、
普段当たり前のように使っている
「力を込めて」という言葉
力を込めてってどういうこと?と小さな子供に問われたら、何と説明するれば上手く伝わるだろうか…?
力の限り、とか
一生懸命に、とか
精一杯に、とか
「力を込めて」を説明することばは多々あるけれど、どれも抽象的だ
簡単な言葉を分かりやすく伝えるというのは案外難しいことだな…とあらためて思った
数学の公式を使えばすぐに答えの出る問題を、まだその知識を持たない子にその問題の解き方を教える時のような、
文法や慣用句を使えばすぐに作れる英作文を簡単な単語に置き換えて説明する時のような、そんな感覚だ
「ねぇ、力を込めるってどういうこと?」
とキラキラしたお目々で幼子に見上げられたら
「ぎゅ〜っ、てすること」て答えてみようか
果たして伝わるかな…?(笑)
『力を込めて』