「さてと…、このパーツを付けたら完成だわ…」
夏実の目の前には「夏祭り」の風景を模したジオラマが広がっている
数年前に心の病を発症してから、夏実は多くの人が集う場所には行くことが出来なくなった
多くの人どころか、3人ほどで話をしていても夏実にはその話し声が不快な騒音にしか聞こえなくなった
次第に人との接触を避けて家に閉じ籠もるようになり、窓のカーテンはきっちり閉じ、心の扉も閉じるようになった
発病前の夏実は活発な性格でアクティブな毎日を送っていた
特に「お祭り」のあのエネルギーがたまらなく好きで、日本全国のお祭りを追いかけ、金銭的にも時間的にも余裕がある時には海外にまで出掛けていった
人々の生み出すあの躍動感に満ちたエネルギーの中に、夏実は湧き出る命の源を感じ、何度見ても鳥肌が立つほど感動した
その一瞬を逃すまいと、独学でカメラの技術を学びアマチュアカメラマンとしても活躍し始めていた
そんな矢先の発病だった
以前とは真逆のひとり閉じ籠もる生活を支えていたのはジオラマ作りだった
それまでの感動の記憶をひとつひとつを形にしながら、いつかまた「お祭り」を撮りに行きたい…
その思いが唯一彼女をこの世界に留めていた
夏実が今手掛けているのは「夏祭り」の1日をテーマにした地元の賑わいを表すジオラマだった
奇しくも今日は地元の夏祭りの日だ
遠くからお神輿を担ぐ子供達の賑やかな声も聞こえてくる
腰に手を当ててラムネを飲み干す少年の人形の手に、最後のパーツのラムネの瓶をピンセットで優しくつまみ上げ、そっとその手に持たせた
『お祭り』
神様が舞い降りてきて、こう言った
「目に見えていることが全てだとは限りませんよ
むしろ、目に見えないことの中に真実は隠れているものです
あなたが見ているものが、他の人にも同じ様に見えているとは限りません
何故なら、皆かけている眼鏡(色めがね)が異なるからです
物事の真実、特に人においては、その言葉ではなく行動に宿ります
言葉では優しいことを言っても、行動が伴わないひとは不誠実な人です
反対に、言葉数少なく愛想がなくても、誠実な振る舞いをする人は信頼のおける人はです
言葉ではなく、態度や行動をしっかり見極めましょう
そして、あなた自身も誠実に振る舞う人になってください」
神様とやらのその言葉は、私の心にいちいち刺さった
『神様が舞い降りてきて、こう言った』
自分ひとりの命だって持て余しているのに
誰かのためになるならば…
なんて
そんなおこがましい事をどの口が言うのだ?と呆れられてしまいそうだ
自分ひとりを背負うのがしんどくて、しんどくて、何度人生という名の旅路を諦めようとしたことか…
そんな自分が誰かのために?
誰にも迷惑をかけないことを考えるのが先だろ、との叱責が聞こえてくる
そんな自分でも誰かのためになることが出来るのだろうか
例えば…
どうやって諦めかけた人生の軌道修正をしたか…とか
そうね、その軌道修正が成功したと思える時が来たら、
誰かのためになれるかもね
『誰かのためになるならば』
籠の中の生活なんて窮屈でしょうね…
きっと自由に空を飛び回りたいでしょうに…
なんて、思ってくれちゃったりしてます?
とんでもない!
私はこの家で飼われているおしゃべり好きなインコのピーコ
上げ膳据え膳、風通しの良い造り、好きな時に寝て好きな時に遊んで、人間様の滑稽な毎日をウォッチングの高みの見物…
住めば都、ちょっとしたコツさえ掴めばそれはパラダイスなんだから♪
「ピーコちゃん、おはよう!今日も元気?」
これが、ママさん
私のお世話係の方 言わば、私の生命線 まあ、家族皆のお世話係でもある偉大な方
皆頭が上がりません!
この方のご機嫌をとっておけば、ほぼ全てが上手くいきますよ
「ママ、キョウモキレイネ ママ、ダイスキ」
「まあ、嬉しい!本当にピーコちゃんはお利口さんね 今ご飯あげるわね♪」
こうやってご飯はすぐに出てきます
「ピーちゃん、おはよ〜 ご飯食べた〜?ご飯食べたら遊ぼうね♪」
これがこの家の子供のマコちゃん
小学校3年生の元気な女の子
私の遊び相手
いつもマコちゃんの肩に乗って、頭を撫で撫でしてもらいます(させてあげてます)
マコちゃんが遊ばせてくれるお陰で私も生活習慣病にならずに済んでます
「マコチャン、オハヨウ アソンデ、アソンデ」
こうやって食後の運動はバッチリです
「あ〜、何か寝ても寝てもスッキリしないなぁ あ、ピーコ、おはよう マコちゃんに遊んでもらってるの?パパの肩にも乗ってごらん」
これがこの家の大黒柱のパパさん
良い人だけど、ちょっと臭う…
だからパパさんの肩には乗らない
前にプハ〜ッて息をかけられて懲りました…
「パパサン、マタネ パパサン、マタネ」
「なんだよ〜、ピーコはつれないなぁ」
それ、ハラスメントよ
あ、私の好きな曲!
朝ドラのオープニング大好きなの♪
「アサドラ、イイネ アサドラ、イイネ」
「あ、ピーちゃん朝ドラ好きだもんね!チャンネル変えとくね」
こうやって、私のご機嫌タイムは確保されます♪
ちょっと小腹が空いて、甘い物食べたいな〜と思ったら
「ピーチャン、バナナスキヨ ピーチャン、バナナスキヨ」
「ピーコちゃん、おやつ欲しいの?
バナナ大好きだもんね! ちょっと待っててね
お野菜も食べなきゃね! 今日は小松菜入れておくね」
「レタス、スキヨ レタス、スキヨ」
こうやって、さりげなく好き嫌いもアピール
好きな時に水浴びして、お昼寝して、テレビ観たり、歌ったり、退屈したらおねだりして
こんな極楽手放せないわ♪
たまには外の世界へ行きたいかって?
私は真っ平御免です
この家の中だけだって、危険がいっぱい
先住民の猫のマロンなんか、隙あらば私にちょっかい出そうと狙ってるし
マコちゃんが居る時でないとお部屋に出るもの危険です
私からしたら、人間様の方がよっぽと窮屈そう
面倒なしがらみや見えない鎖に繋がれて、いつも疲れた顔をして…
一度、誰からも邪魔されない「鳥かご生活」を試してみることお勧めしますよ
こんなに快適だったの?とビックリすること請け合いよ♪
『鳥かご』
私には大切な友達がいる
出会いはオンライン上、SNSだ
だからお互い本当の名前も連絡先も、顔さえ知らない
困った時や苦しんでいる時に会いに行けない、実際に力になれることなんて何もないかも知れない
そんなのは 友達 とは言わないよ
と言われるかも知れない
それでも、私は友達だと思っているし、そこにはちゃんと「友情」が存在していると感じている
年齢だっておそらく母子ほど離れているけれど、初めて彼女と出会った時から、彼女を放っておけないという不思議な力で引き寄せられたように思うし、
その後も何度かメッセージをやり取りするうちに、この出会いは必然だったと彼女とは何かの縁で繋がっていたことを感じている
面と向かって話が出来ないからこそ視覚に頼れない
文面だからこそ、言葉とは裏腹な心の奥の本当の思いが伝わることも多い
彼女の言葉は私がこれまで感じたことがないほど(夫以外)ストレートに心に刺さるし、私も素直に受け入れる事が出来る
余計な装飾のない、物事の本質を見つめる感性から出てくる彼女の言葉に私はいつもワクワク、ドキドキする
自然と私も感じるままの言葉を彼女に届けることが出来る
もちろんこれは、私の独りよがりの勝手な感情かも知れないし、彼女が友情を感じているかは分からない…
それでも…
例えそれがバーチャルな不確かなものの上に存在するものであっても、私の中に生まれた「大切な友への思い」は本物だ
それを「友情」と言ったっていいじゃないか
『友情』