ホステスに傘を差してもらって上機嫌の酔いどれ客が街を去り、ネオンの少しずつ消えた歓楽街のあちらこちらから事務的な蛍光灯がつき始める。
今宵の売上を数える老マスターと、ドレス姿のまま慣れた手つきで椅子をテーブルに上げ、水拭きをするホステスたち。
小さい店なんでね、清掃はキャストで行うのさと、腰の曲がらない老マスターを気遣ってガニ股のホステスたちが店の中を隈なく行き来する。
もういいよ、上がって。ありがとうね。
その言葉を合図に安物のドレスを躊躇なく脱ぎ去って、日払いのお給金を嬉々と受け取る面々。
店の門戸を開けると、既に日が昇り始めている。
深夜に急に降りしきった雨は束の間のことだったみたい。
あんた、今日昼職は? 休み? じゃあこれから飲み行こうぜ。朝からやってるイイ店知ってんだ奢るから。
さんせーいと店の拙い外階段を駆け降りていく女たち。
ハゲた化粧を見合って笑いながら、女たちの1日はこれから始まる。
お題:スマイル
どうもこうも未熟でして、愛だの情だの気持ちはあるのにうまく表わせない言葉がありまして。
毎日呼んでいるような、読んでいるような、とても大事に心に留めてるつもりなのだけれどもね。
苦しい時に嬉しい時に添えたいのに、やっぱり私如きがと畏れてしまって。
どんな達筆でならいいのだろう、どんな便箋であればいいのだろう。
私の名前はほんの小さく隅で良いから。
お題:どこにも書けないこと
0:00に間に合わせて誕生日を祝う便りが届く。
なんだか気恥ずかしいからと特に報せたわけでもなく、あちらからやってきた夜中の便りに懐かしい人たちを感じながら穏やかな眠りにつく。
朝方、あの人からの便りはなく。
1日をいつものように消費しつつ、祝い酒も少しだけ頂戴して、ふと気にする間もなく時刻は23:57。
静まった部屋で明日の予習などを済ましていると、23:59。1日の終わりに最後の便りが届けられる。
「お元気ですか。お誕生日おめでとう御座います。今日は1日楽しく過ごせましたか。明日は特別な日ではないかもしれないけど、毎日より良く過ごせますように」
生命線は長くはないけれど、祈りみたいなね。
私の生命線が空間のトンネルをくぐって、誰かの線と繋がってくれたらと願うばかりで。
時計の針が0:00を報せる。
昨日の私と明日の私と今の私の3人がいるような心強さで眠りにつく。
お題:時計の針
「はじめまして、⚪︎⚪︎⚪︎でございます」
少し歳の離れた一見客に合わせてなるたけ慇懃な挨拶をすると、返ってきたのは異国のアクセントがする日本語だった。
「⚪︎⚪︎⚪︎というのは本名ですか? 変わったお名前ですね」
「違うんです、ココいらではこの名前でやっておりますの」
「そうなんですか、面白いですね。じゃあ僕にも名前をつけてください」
少しばかし御客の顔と服装を見比べて、咄嗟につけた名前に、異国の御客は驚いた顔をする。
「それは僕の母親の名前に似ています」
そのあとは御客の故国での話をいくらか訊いて、帰りの上着を渡しながら今度は私から。
「私の名前をつけてください。あなた様の国の言葉で私に名前をつけてください」
名前なんてべつに好きに呼べばいいじゃない。
なんて呼んだら良いか困っているヒトのためにとりあえず名乗っているだけだから。
けれど名前をつけたのならね、今日から私はあなたの子だからね、また会いに来てよ。
名付けてもらった御客の今は亡き友の名前に、溢れる気持ちが止まらなかった。
お題:溢れる気持ち
Kissっていう名前のね、女性向け漫画雑誌があったの。なんだか大人の仲間入りができる気がして憧れて読んでみたけれど、出てくる登場人物の誰のことも幸せそうに思えなかった。
中学生。今だって随分とツラいのに、これで大人になれるのかって思ったし、大人ってのはヒトの不幸を見て楽しむモンなんだなと思って、あの頃はしばらく親の顔が見られなかった。
けれどそれと同時に、自分だけが不幸なわけじゃない気もしてね。安心するためにたくさん不幸な漫画を読んだ。
あれからいくつかして、ヒトの不幸なんかどうでも良くなるくらいの冷たい経験も積んでね。今ふとKissを読んでみると、登場人物に対してあーだこーだ文句を言いたくなってくる。
たぶん私、本来の漫画の結末よりももっとこの子を幸せにしてあげられる気がして……今日も自信過剰に生きてるの。
お題:kiss