いらっしゃい。外は雪が降っていますね。足元、大丈夫でした?ふふ、よかったです。
ささ、温かいコーヒーでいいですか?
すぐにお淹れいたしますね。
え?ああ、ミルクもありますし、お砂糖もありますよ。
あとでお好きなだけ入れてくださいね。
まずは暖まらないと。今暖炉も火を強めます。
膝掛けはいりますか?足元の籠の中に入っていますからね。そちらもお好きにお使いください。
暖かくなってきましたか?それは良かった。
コーヒーもお口にあったなら良かったです。
なにぶん、久しぶりのお客様なもので…。
ああいや、余計なことを申しました。お忘れくださいな。
それより、こんなに寒い夜にわざわざ足を運んでいただけるなんて、不思議なことです。
何かこの辺りに用事があったのですか?
私に?
面白い事をおっしゃるのですね。
こんなしがないカフェの店員に、こんな天気の中会いにくるりゆうがどこにあるのですか。
ああ、そう言えば焼き菓子を出しておりませんでしたね。お供があると、コーヒーがより一層美味しく感じると思いますよ。
焼き菓子にはね、桜を練り込んでいるのです。
春が来れば、こんな寒い日が来ることはないでしょうから、それを祈って。
あなたが、私に会いにきたのもそのためでしょう?
けれどね、私にどうにかできることではないのですよ。だって、最初から私を頼らず、むしろ穢してきたあなたたちが、自分たちが面倒を被るからと言って季節を春にしてほしいなどと言われたところで、誰が叶えてやれましょう。
さあ、コーヒーと焼き菓子を食べたら少しお休みなさいな。
目が覚めた時には、私はもうここにはおりませんがね。
【とりとめもない話】
小さい頃は雪が降ると嬉しかった。新雪に足跡をつける楽しさ、ゴムを噛んだような足音、あの頃は雪は幸福の知らせだった。しかし、私はいつからか雪を鬱陶しく思うようになった。冷たさや寒さが体に痛みを与え、ただでさえ億劫な仕事への足取りを止めるそれを誰が好きになれよう。
ワンッ
こいつがいたか。仕事終わりに大雪にあたり一時間ほど雪かきに時間を取られた私にポチが吠えてくる。家の前に積もった新雪にはポチがたくさんの足跡を残していた。ポチは今年で9歳になる大型犬だが、雪が好きなようで小さい頃から雪が降ると嬉しそうに尻尾を振って庭を駆け回っている。
ワンワンッ
「分かったから…分かった…」
ポチは疲れて帰ってきた私を見て駆け寄ってきた。外暮らしのせいで冷えた舌で嬉しそうに私の顔を舐めてくる。冷たいし痛い。でも嬉しくて、涙が溢れてきた。
ワンワンッ
分かっている。これは夢だ。目が覚めてほしくないと思いながら、伝う涙を抑えられずポチを抱きしめた。そして、目が覚める。ポチは今でも私のデスクの上で額縁に入って笑っている。
雪が降ったよ、ポチ。
【雪を待つ】
ふかくていで、ふあんていで、それでもなお欲するもの。
【愛情】
朦朧とした頭で思う。ああ、来なきゃよかった。
タバコの匂いも、慣れた手つきで抱き寄せられる感触も、全部この熱のせい。
汗ばんで、力の入ったこの手を、振り解けないまま。
現実にさようなら、
【微熱】
もう季節は秋になった。肌寒い時間が増えて、落ち葉も道に散るようになった。
私は、ー私たちは、いつの間にか大人になった。
「久しぶり」
「久しぶりだね、元気?」
急に中学時代の同級生から「先生と結婚が決まったからみんなにお祝いしてほしい」と連絡が来た。先生というのは教育実習で来ていた人で、大学に上がってから運命的な出会いをして、付き合うことになり結婚となったそうだ。特別親しかったわけではないが、他の元クラスメイト達も少なからず来るカジュアルな場にするから参加者の数を集めたいと言われると断りにくい。
その日は中学校から近い居酒屋さんでみんなでお祝いすることになっていた。みんなといっても結局集まったのは半数ほどで、小規模の同窓会のような形になってしまったが、本人は満足そうにしている。誰でもいいから、自分たちのしあわせの形を見て欲しかったのかもしれない。
途中抜け出して、タバコを空にふかしていると、扉が開いた。ひょい、と顔を出したそれに、軽く声をかける。
「…何年振り?」
「えー…わかんね、結構だった気がする。」
あの頃、野球坊主で真っ黒に焼けてグランドを走り回っていた影などないくらい整った髪をした彼が、タバコ片手に隣に腰をかけた。
「なんか、すごいよね。みんなもある程度来てるし。」
「いや、ただ単に呑みたいってやつもいるだろうよ。知り合いのお店だから金額少し安くしてもらえるってアイツ言ってたぞ。」
「そうなんだ。だから来たの?」
「俺?あー…まあそうかもな。お前は?」
「私は…なんでだろうね。タイミングかな。」
一口すって、吐く。夜はもう白い息が出るようになった。下を向いて、以前のようにミニスカートは履けなくなったな、とちょっと考えてしまう。
「昔さ、一緒に海行ったよな。覚えてる?」
「あったねーそんなこと。私が押したら海に落ちちゃったやつでしょ?あの後めっちゃ怒られてたよね。」
「ほんとーにあの日の母ちゃん怖かったよ。まじであの後土下座したんだからな。」
「あはは、若気の至りでしょ。」
お互いにタバコをふかしながら笑い合う。昔は仲が良かった。それはお互いの認識だと思う。高校に上がってから違うところになって、連絡も取らなくなって、それから…。
「どう?結婚生活は。」
「いやー嫁さんが昔の母ちゃんみたいな人でさ、めちゃくちゃ怖いんだ。まあ、俺のせいなんだけど。」
そう、ー彼は、大学の時に付き合った彼女と結婚したとSNSで見た。可愛い子だった。割と若い段階での結婚だったから友人との間でも話によく上がった。
結婚式には呼ばれなかったし、行くつもりもなかった。
「…でも、別れるんだ。今年中に。」
「えっ、なんで!?…とか聞いちゃダメだよね…ごめん!」
「俺が子供作れない体質らしくてさ、嫁さん子供好きだからどうしても自分の子供がほしいって。俺の責任だし、ある程度慰謝料みたいなものも渡して別れるつもり。」
重たい話してごめんな、と続けて言いながら下を向いてタバコを咥えた。何かを言おうと思ったが、何も言えそうになくて私は口をつぐんだ。
「いいんだ。今日はさ、みんなの顔が見たくて。」
「…そっか。それ、みんなにはまだ言えないよね。」
「まあ、別れたら流石に報告するよ。ただ、なんとなくお前にはさ、言いやすくて。」
何か、期待をされているのだろうか。フォローも何もできるわけじゃないし、女としての魅力も対してない私が、彼に何かしてあげられるわけでも、してあげたいわけでもないが、そういう話を聞くと同情はしてしまう。しかし、この同情心は彼のプライドを余計傷つけるだけだ。
「それもまあ…タイミングなのかもね。色々。」
「ざっくりいうとそうなのかもな。嫁さんも仕事から一歩引き始めてたから余計に家庭に夢を持ってたみたいだったし。」
「なんで私に話したの?」
「えー…いや、実はさ、俺お前のこと好きだったとかではないんだけど…あの夏のことずっと忘れられなくてさ。楽しかったんだと思うんだ。野球ばっかだった俺を、試合に負けてべそかいてた俺を、あの日近所だからって理由だけで海に連れ出してくれただろ?
感謝してるんだ、今でもすごく。
だから、お礼が言いたくて。」
ありがとう、と続けられて、あの夏の少年が重なる。あの日、あの夏の暑さが一瞬だけ脳に蘇る。塩の匂いのする、あの時間を。
「私は、」
「俺、九州に行くんだ。だから顔見てお礼言いたかったっていうのもあった。打算で友達のお祝いしてずるいけどさ。」
私の言葉を遮って、彼が立ち上がる。タバコはもうほとんどなくて、灰皿に押し付けて火を消したけれど、それもほぼいらないくらいだった。私は話の途中で吸えなくなって半分ほどまだ残っているタバコを片手に、彼を見上げた。コートがかすかな風でひらひらと靡いている。
「私も、忘れないよ。元気でね。」
好きだったなんて、私に言わせない顔で彼は笑ってた。
【秋風】