《些細なことでも》
※食べ物に対する偏見は全くありません。
※私は、どれも正解だと思っております。
「お待たせしました。お昼を食べに行きましょうか。」
本部での午前中の書類業務を一段落させた彼にそう言われて、私は一緒に食堂に向かっていた。
私の髪と瞳の色のせいで闇の者として彼の監視を受けている身だけれど、こうして普通に丁寧に扱われてます。
彼の傍にいられるし、私にとってはいいこと尽くめの毎日です。
それはともかく。
食堂の前に来ると、何やら中から言い争う声が。
男の人が議論してるようにも聞こえるな。
「何事でしょうかね。喧嘩にならなければいいのですが。」
彼が少し眉を顰めて呟いた。
言っても元々実戦で動いていた軍人だった彼。少々の荒事は気にはならないみたい。
彼が私を庇うように、先に食堂の入口を潜って行く。
私も驚きはすれど彼がいるから大丈夫かと、彼の背後から状況を伺った。
見ると配膳カウンターのところで、二人の男の兵士が激しく言い争っていた。
「馬鹿野郎! カレーにじゃがいも無しとかあり得ねぇ!
あのホクホクした食感のアクセントがあってこそのカレーだろうが!」
「いいや、じゃがいもは無しで正解だ! せっかくのルーの舌触りが悪くなる!
カレーにホクホク感なぞいらん!」
んー。カレー。
聞いた瞬間、彼も私も真顔になった。
掲示板を見れば、今日のメニューには『なめらかとろ〜りカレー』とある。
『じゃがいもを除く事で舌触りを滑らかにしました』と下に説明が付いていて、これが原因で言い争いが起こったのは分かったのよ。
でもこれは個人の好みによる話だから、絶対話が終わらないやつじゃない。
隣の彼を見ると、腕を組んで軽くため息を吐いていた。
「食べ物の好みは些細なことでも、当人にとっては重要ですから。」
あまり迷惑にならなければいいでしょう、と彼は一言添えつつ静観の構えを見せ出した。
「ええ? こういうの止めないの珍しいですね?」
彼の真面目な性格なら、こういう争いは止めに行くものだと思ってた。
そんな疑問を口にすると、彼はカウンターの向こうに視線を飛ばしながら答えてくれた。
「大丈夫ですよ。ほら。」
すると、配膳カウンターの中から恰幅のいい初老近くの女の人がお玉を手に顔を出した。
「うるっさいよ、お前達! じゃがいもなら小芋を素揚げにしたのがあるから、ご飯と一緒に乗っけてカレー掛けな!」
わお。いい感じの腹式呼吸。カッコいい。
景気のいい一喝が入って静かになった兵士達は、それを聞いて歓声を上げた。
「最高だ! パリパリの皮とホクホクの芋がカレーに入れられるとか天国かここは!」
「いいな! 俺は塩を振って食べるか。カレーだけでは物足りなかったしな。ありがとう、おばちゃん!」
「お姉さんと呼びな! 小童!」
さっきまで言い争っていた二人は一変。
カレーと揚げ小芋の皿を受け取ると、にこやかになりながらトッピングの列へと向かっていった。
「すごい。一瞬で解決しちゃいましたね。」
私がほぅ…と感嘆のため息を吐いていると、彼が説明してくれた。
「あちらのおば…お姉さんは、ああ見えて細やかな気遣いと繊細な仕事が長年の売りの方です。
ですので、メニューの幅広さや対応も丁寧で非常に優秀なのです。」
僕もずっとお世話になっているのですよ、と彼は笑顔で私に話してくれた。
言い直したのは、円滑な人間関係のためですよね分かります。
そういえば前に食べたいちごパフェも、味も見た目も専門のお店で出されるような美味しい素敵な物だった。
豪快かつ仕事は繊細とか、女性も惚れる女性じゃない。
「本当、カッコいいですねお姉さん…。」
場の空気も粋なお姉さんのおかげで収まりホッとした。
よかった。
と思ったのも、束の間。
「お前、せっかく滑らかな口当たりのカレーに堅ゆで卵は無いだろう。」
「温玉なんかツルッと飲み込んで終いじゃねぇか。俺はしっかり卵を味わいたいんだ!」
今度はトッピングの卵の種類で揉め始めた。
ええ…せっかく話が収まったのに。
直後、またカウンターの中からさっきのおば…お姉さんが一喝。
「はぁ? 何言ってんだい、カレーにはマヨネーズが至高!
他のトッピングなんざどうでもいいわ!」
まさかの、新たな燃料投下。
私はぽかんと開いた口が塞がらず。
彼は私の隣で、額に手を当ててその様子を見つめていた。
「「いや、マヨネーズはないだろう!!」」
「黙りな! 他のトッピングを置いてやってるだけでもありがたく思うんだね小童ども!」
私は、この様子に呆然としながら口にする。
「混ぜっ返す、混ぜっ返す。」
彼もさすがに困り果てたように、私に教えた。
「時折この喧騒に自ら加わる癖が無ければ、本当に良い料理人なのですけどね。」
数多い兵士達の好みに満遍無く合わせる事が出来る技量と懐を持ちながら、自分のここぞという好みの主張は絶対に譲らない。
そういうタイプの料理人でもあるそうで。
また燃え盛った火種は、鎮まる見込みはなさそうです。
《心の灯火》
夏至も過ぎて秋分の方が近くなって来たとは言え、まだ太陽が地上にいる時間が長い今日。
政務を終えた彼と一緒に帰る道すがらの事だった。
最近の彼は家に仕事を持ち込む事も増えてて、睡眠時間も削っているみたい。
その上議会が難航しているのか、休憩の時も彼の言葉数は少なくなっている。
今も執務室を出る間際の会話以降は、一言もなくて。
それでも私と目を合わせる時の彼は、優しく私に微笑みかけてくれる。
大丈夫かな。そう思っていた時。
赤い夕日に伸びた彼の影が、ぴたりと動きを止めた。
どうしたのかと私も立ち止まった瞬間、彼がぽつりと呟いた。
「…何故、僕のような実力のない者が国を導く立場になっているんだ。
もっと他に相応しい人物がいるのではないのか。」
普段にこやかに真っ直ぐ前を見据えている彼が、悲しそうに、悔しそうに俯いていた。
仕事の内容、そしてそれに関わる自分の心情を他人に漏らすような人では決してない。
だけど帝国の人、特に下級層や貧困に喘ぐ砂漠の村に住む人達の生活がよくなるような流れになった時は、その喜びを私に伝えてくれていた。
人々への差別的な待遇に対しては、真正面からそれを打ち破る努力もしてる。
一般の人達に混ざって喜んで肉体労働をしていた事だって、私は知ってる。
そんなあなたが、自分を見失いそうな程に疲れている。
心の灯火が、消えてしまいそうになっている。
あなたは、驚いたように私を見ている。
たぶん、私に話すつもりはなかったんだろうな。
彼は思わず本音を話してしまって、自分でもびっくりしているんだと思う。
絶対に弱音を吐かないあなたが、無意識でも私に弱い部分を見せてくれた。
あなたの悲しみを思うと、胸が苦しい。
あなたが私に胸の内を見せてくれた事が、嬉しい。
私の言葉なんか、ちっぽけなものだ。何の力にもなれないかもしれない。
でも、その零れた本音が私への見えない信頼だとしたら、それを掬い取りたい。
消えそうなあなたの心の灯火が蘇るまでの、ほんの少しでいい。道を照らす灯りになりたい。
だから私は、あなたの仕事に対して思った事、知っている事をそのまま告げた。
あなたは、いつも頑張っている。皆、それを見てる。
他人も、自分自身も真っ直ぐ見つめ道を正して行けるあなただから、皆も着いて行く。
だから自分を信じて。そのまま進んで。
あなたの苦しみを思って涙が出そうになるのを堪えながら、私は自分の信じるあなたを真っ直ぐに見つめた。
すると、彼の目が大きく見開かれて。
落ち行き赤く燃える太陽の光を受けたあなたの顔が、ふわり優しく綻んだ。
「…ありがとう…」
よかった。
ほんの少しでもあなたの心の愁いが取り除けたなら、私は心底嬉しい。
私には何の力もないけれど、祈る事だけはできる。
どうかあなたの行く道が、この先も明るく照らされたものでありますように。
《開けないLINE》
※こちらに書いている世界観にLINEは決定的に合わない物なので、不本意ではありますが今回も含めてLINEがお題にされた回はお休みさせていただきます。
いつも読んでいいねを下さっている皆様にはいつも本当に感謝しております。
この場をお借りして、御礼を申し上げます。ありがとうございます。
《不完全な僕》
先の皇帝の独裁で疲弊し、更に闇の眷属に蹂躙された帝国の復興。
僕は今、邪神やそれらを倒したという事実から復興の指導を任されている。
しかし他国より被害が大きいとは言え、遅々としている部分が目立つ。
特に砂漠の地域は顕著だ。前皇帝よりも以前から強いられていた激甚な労働を不満に思った者達が帝国に逆らい始めたからと、砂漠の民が集まる村を掃討する作戦が執り行われた。
その影響に加えて、水の少ない厳しい環境もあり村の人々の活気が無くなってしまったのだ。
邪神討伐直後は僕も進んで砂漠の村へ赴き、彼らの仕事に加わった。
僕の乳母…母の故郷でもあるこの砂漠の村は、過酷な環境にありながらも人々が地に足を付け地道に日々を暮らしている。
邪神を倒した事もだが、僕が当時の掃討作戦に異を唱え作戦を離脱した経緯を知ると、彼らは喜んで僕を迎え入れてくれた。
僕の力など、微々たるものだ。それでも徐々に村は明るさと活気を取り戻し、以前程ではないが賑わいを見せつつはある。
今は政務で予算や計画の面から彼らの助けになろうと尽力しているが、帝国全体を俯瞰で見ればそこだけを注視するわけにも行かず。
どうしても進まぬ復興に、大きな悲しみを感じる。
砂漠の民にも安心して暮らしてもらいたい。もちろん、帝国の他の地域の人々もそうだ。
しかし、帝都に住まう者の中にはいまだ砂漠の民への差別が根強く残っており、そこに割く予算は無いと彼らの存在をまるで無視するような意見すら議会で発せられる事もある。
僕はその都度そのような差別的な見方は止めて全体を平等に見るべきだと彼らを諌めているが、意見の大半は年配者から出ているのもあり、僕の意見は若造の言い分と跳ね除けられる事も多々ある。
そんな些末な事に拘らず帝国の利を産む部分に全力を注げ、と。
尤もな事でもあるが、それでは砂漠の復興は決して進まない。彼らを見捨てるような事は、断じて出来ない。
そのような差別的な意見を止められない自らの力の不足に、怒りも感じる。
そんな時、僕はぽつりと彼女に漏らしてしまった。
どうしてこのような力不足で不完全な自分が、国を導いているのか。
もっと立派な、この地位に見合う人間がいるのではないか。
しまった、と思った時にはもう遅い。覆水盆に返らず、とはまさにこの事。
このような重く暗い心情を他人に零すつもりは全く無かった僕は、ハッとして彼女の方を見た。
赤い夕日の中、彼女は銀にも見える白い髪を風に靡かせ、闇の者の証であろう赤紫の瞳を真っ直ぐに僕に向けた。
その顔は、今にも泣き出しそうな儚い微笑みを湛えていた。
そうして彼女は、僕に告げた。
人は、導く人の背後からその行動を見て着いて行く。
今まであなたは、その身を粉にして働いてきた。
時には弱者を犠牲にしようとする意見に真っ向から立ち向かって。
時には人々の輪に入り、自らの手で労働をして確実に仕事を仕上げて。
そんな風に直接人の生活に触れて、人々を知る努力を弛まず続ける。
貴方のそんな背中だからこそ、人々は信じて着いて行ける。
あなたのいい所は、細部の綻びに気付ける丁寧な視点と優しさ。
細部に拘って進まないように見えても、それは大事なものを見落とさないよう慎重に事を進めているから。
その細部に救われる人は、必ずいる。その人達もやがて大きな流れに乗れて、たくさんの人の助けになれる。
自分が不完全だと自らに怒りを抱くあなただから、過ちがあっても正されると人々は安心出来る。
だから自分を信じて、そのまま進んで。
今の帝国が求めるのは、民を引っ張る力を持つ者じゃない。
その背中を見て、共に歩める者だから。
彼女の言葉は、乾いていた僕の心へじわりと染み渡っていった。
僕は、帝国のためになれていたのだと。
今は不完全でも、その努力を見ていてくれたのだと。
そう気付けば思い起こされる、砂漠の村でのやり取り。
最初こそ警戒する者もいたが、彼らは僕を受け入れ笑いかけてくれたじゃないか。
あなたならやってくれる、頑張ってとたくさんの励ましをもらったじゃないか。
乾いた土が水を得てそこから種が芽吹くように、僕の心にまた力が芽吹いてきた。
砂漠の民も帝国の一員。明日からもまた、彼らの為に尽力しよう。
僕に過ちがあれば、それを正して進んでいこう。
それが帝国全体の為になると信じて。
…これは何故かは分からない。だが、彼女は僕を信じてくれている。
西の地へ向かう夕日を背にし真っ直ぐ僕を見る彼女は、表情こそ儚げだが疑うものなど何も無いという堂々とした自信に溢れている。
僕は、闇の者の証であるはずの彼女の赤紫の瞳に確かな光が宿っているのを見たような気がした。
《香水》
貴方の隣に立つと、ふわりと香る優しい香り。
爽やかなシトラス。オレンジを中心に、刺々しくならない程度の酸味が効いた香り。
華やかなフローラル。前面に立ち過ぎずシトラスを活かすように優しく、それでも艶やかに花開く香り。
それらを支える、樹木の香り。森を厳しい寒さの中でも緑に彩り、その地が雨で緩み崩れるのを防ぐ根を張る、聳える大樹の香り。
一つ一つ貴方の心、生き様にとても似合っている。
誰とでも笑顔で会話を交わせる優しさ。
洗練された立ち居振る舞い、厳しい訓練に基いた技の洗練された華やかさ。
どんな困難にも折れずに真っ直ぐ立ち向かう、真摯な逞しさ。
どれも貴方を形作る、大事な香りの一雫。
柑橘を口に含んだ時。
鮮やかに開く花に囲まれた時。
森の大気に包まれた時。
私は、貴方の隣を思い出す。
時間が来ればすぐに並んで歩ける。それでも自然と鼻を擽る暮らしの香りは、貴方を私の心に呼び起こす。
ああ、早く一緒に帰りたいな。
仄かに残る香りに、私はいつも貴方を想う。