微熱
先生から頼まれた次の授業で使う資料を抱えて友人と廊下を歩き教室へ向かう。だいたい、今どき紙の資料って必要なのだろうか。データでもらうほうが無くさなくていいし、紙は重い。
「あーちゃん。日直の仕事手伝ってもらってゴメンね。」
「いいよ。いいよ。ももっち。帰りに何か奢ってほしいかな。」
資料を持ち廊下を曲がろうとした時、反対側の角から男子が曲がって来た。
ドン。バサ、バサ。
「痛った〜」
「悪い。」
それだけ言うと男子は廊下を走っていってしまった。そして、廊下にはばら撒かれた資料と尻もちをついたももっちが腰をさすっていた。
「ももっち。大丈夫。ケガない。アイツなんななの。謝りもしないで。」
「謝ってたよ〜。」
「あんなの謝罪ではない。」
「え、そうかな。でもカッコいいよね。」
は!何て言った。
「カッコいい?なんで?」
「カッコいいよ〜。あんな近くで男子の顔見たらドキドキしちゃった。初恋かな。」
ももっちは顔を少しピンクに染め、恥ずかしそうに男子が走っていった廊下を見つめていた。
イヤ。イヤ。それはないだろう。もし、もしもだ。少女漫画のように廊下でぶつかり、その拍子にキスをするとか…。謝りながら資料を拾うのを手伝ってくれて、手と手が触れ合うとか…。ぶつかった時にケガをして保健室までお姫さま抱っこで連れて行ってくれるとか…。どれでもなかった。
それなのに、初恋って。どこにその要素があったのか理解できないよ。
もう一度、ももっちの顔を見れば、薄く赤らんだ顔に潤んた瞳。完全に恋に落ち、熱に浮かされた顔だ。あ!まだ始まったばかりだからちょっとの熱、つまり微熱か。
おいおい、何をくだらないことを考えているのか私。自分で悲しい。
学校の帰りにファミレスでデザートを約束通りに奢ってもらいながら、廊下でぶつかったアイツのことを聞かれた。
「あーちゃんって1年の時、彼と一緒のクラスだったよね。」
「一緒だったけどあんまり話しとかしたことないよ。それにあいつ、彼女いるよね。」
「そうだよね~。あんなにカッコいいから当たり前だよね〜。でもカッコいいよ。」
さつきから、ももっちは「カッコいい」
しか言っていない。彼女いてもいいのか。
よく分からん。
『いらっしゃいませ〜』
ももっちが急に立ち上がるので、入り口の方に目を向けるとアイツが彼女さんと店に入ってくる所だった。徐々に近づいて来た2人はすぐ横の通路を通り、案内された席に向かっている。
カラン。カラン。ももっちが持っていたスプーンが手から離れ、床に落ちそうになったので、スプーンを拾うため手を伸せば、手のすぐ先をアイツの足がかすめて行った。
げ!蹴られる。咄嗟に手を引いたため蹴られずには済んだが、思わずアイツを睨んでしまった。
「悪い。」
またか。それは謝罪ではない。と言葉にしてやろうと思っだ時、ももっちが「か、カッコいい」と言った。
嘘だろ。私は蹴られそうになったのに、この友人は何を言っているのか。半分呆れながら、ももっちを見れば、微熱に浮かされた乙女が目の前にいた。
どんなフィルターがかかってしまったのか、恐るべきは初恋。
これは私が高校生の時の話し。久しぶりに同窓会があって昔のことを思い出していたが、その同窓会でももっちに会った。
「私は結婚はしないかな。今はさ、仕事が楽しくてね。」
ももっちは国境なき医師団の医師として、来月からモザンビークに行くらしい。
カッコいい!
太陽の下で
冬が近づくにつれて曇りや雨の日が多くなるため、春先から夏は太陽の下で日光浴をする人たちを公園や浜辺で見かける。
結婚でこの地域に越してきて3年になるが、その習慣にはなかなか慣れない。春のまだ肌寒い日、太陽が少し顔を覗かせると旦那はソワソワし始める。
結婚当初のある日。
「公園に行くから準備をして。早く。」
急に公園に行くことが決まり不思議に思いながらも付いて行くと公園にはすでにたくさんの人が集まっていた。公園の中央の噴水のそはまで来ると旦那はおもむろに服を脱ぎ出し、水着1枚でレジャーシートに横になった。
準備って。水着のことだったのか。たしかに周りの人たちも水着を来てレジャーシートや折りたたみベッドに横になり、日光浴を楽しんでいた。
はは…。
習慣の違いって恐ろしい。
私には無理だ。こんな肌寒い日にビキニで日光浴。海でもビキニなんて着たことはないのにこんな人が密集した公園でビキニ。
無理〜。
仕方がないので海パン1枚で横になる旦那の横に体育座りで座る。旦那が怪訝そう顔をしているが、今は話しかけないで欲しい。
地域によっていろいろな習慣があるのは認識している。どこかの国では、昼休みが、長く、国民全員で仕事も家事もせず昼寝を4時間ぐらいするらしい。楽で良さそうだか、この時間は睡眠の妨げになる音を出すことは禁止されておりトイレに行くのもダメだ。気を使いそう。
子供ころからそれが当たり前の事だと何も思わないのかもしれないが、私のように別の地域からやって来た人にとっては驚きを隠せない。
顔を上げ改めて周りを見回せば、ほぼ裸で日光浴をしている人、人、人。日光浴だからの格好だか、何とも壮観な絵面だ。
あと30年もすれば私もビキニでここにいるのだろうか。
ストール、ひざ掛け、手袋を身に着け、ホットコーヒーを飲む私は、旦那を含め周りの人たちから見たら、不審者に近いのかもしれない。でも寒い。寒いものは寒い。
太陽の日差しが少しぽかぽかしているのが救いだ。
セーター
勤めているIT企業は、外資系ということもあって、割と自由なことも多い。出社してもいいしリモートでもいいし、服装ももちろん自由だ。自由なことは多い反面、いろいろな制約もある。なかでも個人情報の漏洩に関しては、どこの会社よりも厳しくなっている。
とは言っても、個人情報だけを扱っている訳ではないので、普通に仕事をしていればそれほど困ることは起こらない。今日も何事もなく順調だ。
お昼休みになり食事のために会社を出ることにした。本日の昼はカレーを食べたい気分だ。久しぶりにあの喫茶店に行ってみようか。会社から5分ほど歩くと新人の頃に同期とよく行った喫茶店ルナが見えてきた。ノスタルジックな昭和の喫茶店だ。
「え?並んでる。嘘でしょ。こんなに混んでたら昼休みが終わる。」
仕方がない。カレーは諦めて…いや、やっぱりカレーが食べたい。別の店を探しながら歩いていると、カレーうどんの文字が見えてきた。もう、カレーうどんでいいや。
のれんを潜り、席に着くとカレーの臭いが鼻を刺激してくる。お腹空いた。
「いただきます。」
カレーうどんをすする。美味しい。うどんでもカレー味はカレー味だ。
ぎゃぁ!
うどんを啜った時にカレーが白いセーターに飛んだ。ちょっとショック。エプロンが欲しかったなぁと慌てて跳ねたカレーを拭くが黄色が広がった。かなりショック。
このままでは帰れないので、近くの量販店で青いスウェットを買い、急いで会社に戻った。はぁ、ギリギリだ。疲れた。
戻った会社では、警戒音がフロア全体に鳴り響いていた。入社して6年になるが始めて聞く音に何が起こっているのかと驚きが隠せない。
席に戻り、近くの同期に聞くと個人情報が持ち出されたらしい。それも、内部の人間の手引きでだ。
「君。ちょっといいかな。」
は?私?
「君。ここを出る時は、たしか白い服を着ていたよね。どうして青い服なの。」
「どういうことでしょうか。」
「防犯カメラに白い服の不審な人物が映っていてね。私たちはその人物が情報漏洩の犯人だと思っている。君がとうして着替えたのか教えて欲しい。」
冗談ではない。私が個人情報を持ち出した犯人なはすがない。服を着替えたのは、カレーうどんがセーターに飛んだからだ。そんな話しするのは恥ずかしいが、そんなことは言っていられない。
上司に服を着替えた理由を話し、その防犯カメラを見せて欲しいとお願いした。
上司は疑いの眼差しと半分呆れた眼差しで私をみていたが、防犯カメラを見せてくれることに同意をしてくれた。
防犯カメラには白いセーターを着た女性が映っていた。でも、私ではない。歩き方が全然違う。歩き方。そうだ、歩き方。
私もエンジニアの端くれだ。舐めんなよ。
「この人は私ではありません。疑うなら歩容認証にかけさせて下さい。」
「歩容認証。なるほど。」
歩容認証は歩き方の特徴を捉えて個人を識別する方法だ。歩き方は人それぞれ個性があると言われており、科学捜査にも使われることがある。
歩容認証の結果、不審人物は私ではないことが証明された。当たり前だが疑いが晴れて良かった。
その後、隣りの部署の係長が個人情報を持ち出していたことが判明した。係長は白いカーディガンを着ていた。
なんだか今日は本当に疲れた。仲間から疑われることが、こんなにも辛く悲しいことだなんて思いもしなかった。
早く帰って寝たい。
カレーうどんに罪はないが、ついていない1日だった。
落ちていく
この階段を上がれば屋上に出る。夜の屋上はやや強い風が吹き、暗闇の中に隣りのビルの明かりが差し込んで全体がよく見える。コンクリートが冷たたく光り、あのフェンスを越えれば飛び降りることができる。フェンスまで3m。フェンスに手を掛けて、足を掛けて越えるだけ。越えてしまえば私を隔てるものはない。1歩踏み出せばあとは落ちていくだけ。風が私を吹き抜けていく。3.2.1
「ダメ。」
「え!お母さん。うわぁ。なんでここにいるの。危ないじやん。死んじゃうよ。」
慌てて背中のフェンスを掴み、その場に尻もちをつく。腰が抜けた。何してんだ私。
本当に死んじゃうよ。
帰ろう。お母さんが待っている。
フェンスを乗り越え、屋上をあとにする。
あーあ。残念。
もう少しだったのに。誰が邪魔をしたのか。あの天使か。
ふーん。まあ、今回は見逃してやろうか。
でも次はない。
いくら見習だからといって死神をバカにしてもらっては困る。
屋上の上から下を見下ろせば、あのフェンスに天使が腰掛けていた。
「あの子はまだダメ。ちゃんと順番は守ってもらわないと困るわ。見習いさん。」
ムカつく天使だ。
「ノルマがあるんだよ。邪魔すんな。」
天使がにこやかに笑いながら自分の横をすり抜けて行った。やっぱりムカつく奴だ。
さあ、次の魂を回収しにいこうか。
夫婦
我が国の国王ご夫妻は結婚されて50年になるが、今も仲が良い。来年には国王を退任されて皇太子ご夫妻に王位を譲ることが決っている。
私のおばあちゃんが言うには、50年前のご成婚パレードは賑やかで、2頭立ての馬車に乗った国王夫妻のお姿は凛々しくあり、国民みんながご成婚をお祝いしたそうだ。
その後も国王夫妻は仲が良く、国内の公務も海外訪問の時も国王さまが王妃さまの手を取りエスコートしている。何年たってもエスコートは続き、今では足腰がお弱くなられた王妃さまを気づかいながら国王さまが寄り添い歩いている。本当に微笑ましい光景だ。
11月22日はいい夫婦の日らしいが、我が国で1番ベストな夫婦は国王夫婦で間違いない。この微笑ましく心地良い関係が皇太子ご夫妻にも受け継がれていくだろう。
年を取っても手を取り共に歩く老夫婦の姿は、なんて美しいのだろう。私もそうありたい。