海へ
船から勢いよく海へ飛び込む。
ばあちゃんの若いころから私たち海女は海に潜り、ウニやアワビ、サザエをカゴ一杯に採っていた。
今は若い海女はおらず、私がかろうじて50代、あとは60~80代、最高齢は84才だ。
私にとってアワビは岩にそっくりのため見分けるが大変だが、ばあちゃんたちにはアワビにしか見えない。2〜3年で目が慣れてくると言うが、私にまだはっきり見分けがつかない。
「毎日潜れ」
ばあちゃんからの愛あるメッセージだ。
私は海が好きだ。海に吹く風や潮の匂い、海自体が私を優しく包んでくれ、幸せを感じる時間だ。そして、伝統を守り受けついでいかなけばならない使命がある。
だからばあちゃんになるまで海女を続けていく覚悟がある。
裏返し
朝5時に起きて、3つのお弁当を作ることから1日がスタートする。旦那と息子、自分用のお弁当箱を出して蓋を開け、並べでおく。
まずはご飯を炊く。食べ盛りの息子はお弁当の他におにぎりを3つ持っていくため、ご飯は多めに準備しておく。
次におかす作りだ。今日は卵焼きと唐揚げ、ちくわの磯辺揚げ、焼きそばを考えている。また、炭水化物の登場だがソース味の焼きそばは家族に人気だ。かさ増しにもなる。
お湯を火に掛けつつ、揚げ物を作り始める。揚げ物は火を使い油を高温になるまで熱するため、夏には暑さが倍増されるためコンロのそばに立っているだけで汗だくだ。
ジュー。
1つ味見をした唐揚げは、ジュワっとジューシーでしょうがの効いたいつもの味。
卵焼きに取り掛かる。私の卵焼きは砂糖をたくさん入れる甘い卵焼きだ。小学生の息子の遠足に持たせてから高評価で高校生になっても、文句も言わずに食べている。
卵焼き器に油を多めひ引き、中火で熱し、かき混ぜた卵を卵焼き器全体に広がる程度に流し入れる。
ジュー。
卵の表面全体が半熟くらいになったら奥側を持ち上げ裏返していく。持ち上げるとフワッと焼けた卵のいい匂いがする。4回くらい裏返したらもう一度卵を流し入れ卵を巻いていき形を整えればでき上がりだ。
最後にかさ増し用の焼きそばを焼いて、お弁当に炊きたてのご飯、焼きそば、揚げ物類、卵焼きを入れたらお弁当の出来上がりだ。
「早く起きなさい。遅れるわよ〜」
男2人はカバンにお弁当を入れて学校に会社に出かけていった。
私も駅まで歩き出すが、10分程度歩いた所でバス停にすでにバスが止まっていることに気づき、慌てて走り出す。
お昼にカバンを開けたらお弁当箱が裏返しになっていた。悲しい。
鳥のように
ここまで来て負けるわけにいかない。鳥のように飛べなくてもいい、ノーミスで次に繋げていけば必ずチャンスが巡ってくると信じて、自分自身を信じて、仲間を信じて、ただやれることをやるだけ。
ボール
クラブ
フープ
リボン
新体操の団体戦が開催される総合アリーナに到着してすぐに会場での練習が行われ、本番へん準備を進めていく。どの学校も強豪だ。ヒビってはいられない。今までたくさん、たくさん練習してきた。練習は裏切らない。「大丈夫。大丈夫」と自分に言い聞かせ、仲間と頷きあい13m四方のマットフロアに整列する。
「いくよ」
「はい!」「はい」「はい!」「はい!」
キャプテンの掛け声とともにフープとボールを持ち、1列にフロアに入っていく。
曲がかかり私たちの戦いが始まる!
やっぱり、鳥でなければダメなのか。
私たちは優勝できず全国大会への切符を手にすることはできなかつた。何か所かミスしてしまい、思うように点数が加点されなかったのだ。涙が止まらない。
悔しい。悔しい。あんなに頑張ったのに。
「頑張りましたね。でも、あなたたちは技術的にも芸術性についてもまたまだ未熟です。ノーミスだけでは技術点は加点されないし、見てくださる方に感動もあたえられません。」
そこにいたのは、コーチと元全日本強化選手の先輩だった。先輩は将来有望と言われていたがケガで現役を引退したばかりだ。学校の先輩ということもあり、私たちの憧れの的だ。先輩に直接声をかけてもらい、涙も止まった。いや、嬉し涙が滲んできた。私だけの話しではないが、その後、浮かれていたのかどうなったのかよく覚えていない。
次の日の部活で整列した私たちの前に先輩が立っていた。
「これから、あなたたちのコーチに加わることになりました。私の指導は厳しいと思いますが、あなたたちならできるはずです。私は見ている人に感動を届ける新体操がやりたいと思っています。成熟していきましょう!」
私たちが白鳥となって飛び立つ日も近い。
さよならを言う前に
仕事から帰宅すると真っ暗なリビングの机の上に紙切れが置かれていた。私の名前と旦那の名前が書かれた離婚届だ。先週、旦那にサインをするように言いつけて渡したものだ。これを市役所に出せば離婚が成立する。
さよならを言う前にもっと話し合う機会があったのかもしれない。旦那に好きな人ができた時、浮気ではなくその人と結婚を考えていると言われた時。話し合うタイミングはいくらでもあったはずだが、私はすでに旦那に興味がなくなっていた。それが一番の問題だったのかもしれない。興味のなくなった人とは暮らせない。それが答えだった。
学生時代から付き合いはじめ、15年以上一緒にいてたくさん笑いあった。
もう、あの頃には戻れないけど、ただ、さよならを言う前にもう一度だけ笑って欲しかった。
たたそれだけが心残りだ。
空模様
卒業論文の題材として自分の住む街の歴史について調べてみよう思っている。私が住んでいるところは、40年くらい前に小さな村々が合併して1つの市となっている。私たち家族は、ご先祖さまの時から市の中心地に住んでいると祖父から聞いていた。
私の知らない村の痕跡や逸話があるかもしれない。それをまとめてみたかった。
自転車の乗って自分の家から西に10分ほど走ると小さな祠が見えてくる。初めて来たがここも小さな村だった場所だ。祠の斜め前にこの祠についての解説文が付いた立て看板が立ていた。
そこには書かれていたのは祠の成り立ち。
「この祠は龍の神様を祀り、雨乞いの儀式がここで行われていた。古い時代の雨乞いでは若い女性が生贄とされて、それを拒むと雨が振らなかったという言い伝えもある」
雨乞いの儀式?
どんなものか想像ができない。祠に近づいて祠の中を覗き込むが暗くて何も見えないし、ホコリぽいだけだ。
その時、急に雷が鳴り、空模様が怪しくなってきため急いで自転車に乗り漕ぎ出す。灰色の大きな積乱雲が厚く重なりあっているような雲が見える。あんな雲見たことがない。
どうして。
もう10分以上自転車で走っているのに家に着かない。
『みつけたぞ』
雷の轟に混ざってしわがれた声のようなものが聞こえてた。
え?なに?
後ろを振り返ると黒く大きな雲の隙間から金色に光った鋭い切れ長の眼がこちらを睨んでいた。
驚いて自転車のブレーキをかけるがスピードが出ていたため止まりきれず転んで膝を擦りむいしまったが、立ち止まる訳にはいかない。起き上がり慌てて走り出す。
雲から鱗をつけた長い胴体が出て来て私に向かって降りてくる。
私のご先祖さまは、市の中心地に住んでいたのではなく、この村に住んでいたのだ。
そして、雨乞いの生贄を出すように村から命じられたが、選ばれた女性は逃げ出した。
逃げないと!
走る。走る。
誰が走っているのか。
私なのか。別の誰かなのか。
砂利道が見える。走る私の服の裾が見えるが、着物は走りにくい。私は着物なんて着てなかった。
私は関係ない。生贄なんて知らない。
どうして私なのか
あの生贄の女性は逃げれたのだろうか?
だから、私が変わりに捕まるのか
強く雨が降りはじめた。