かくひと

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11/19/2024, 8:40:12 AM

たくさんの想い出と、2、3の想い出が深く深く楽しめるのでは、どちらのほうが。どちらも大切な想い出。溢れる前に、一つずつ保存して、味わい尽くしたい。次に繋がる営み、一歩ずつのステップ。

11/18/2024, 3:30:07 AM

冬になったら、私は変われるのだろうか。
いくつになっても、わがままな子どもでいられるのは、温かい両親の前でだけである。「変わりたい」「どうせ変わったって…」という心の彷徨う様を、私はいつまで眺めているのだろうか。どうせ、眺めてるだけなのに、どうして何度も何度もそう感じ考えようとするのか。

どんな小さな反応でも、意味や原因無くして起こる事象はないと思う。何の理由もなく子どもが泣かないように、その出来事の裏側には、必ず何かがある。

果たして私という人物は、どこへ向かおうとしているのか?否が応でも、生きていくということはたった一人、自分だけの旅、自分だけとの旅なのだと痛感させられる問い。別に、変わらなくたって、いいじゃん。私だけ生きていけてれば、何の問題もないじゃん。
そう気軽に示せたなら、きっと苦も楽もない、のっぺらぼうの人生だ。私の好きな、大好きな周りの友人や街々や感情は、そんなことでは見向きもしないと思う。山があり谷がある、辛いこともあるがその分花が咲くように笑える日が来るということを、心のどこかで私は分かっている。
大丈夫だ、とは簡単に自分には言えないが、好きなものがある限り、好きな人たちが心の中に生きている限り、少しだけ前に進んでみよう、と思える。その小さく胸に刻む約束を、今日も握って生きていく。

11/16/2024, 7:22:50 PM

今も、はなればなれである。旅というのは時に切ないもので、そこにいさえすれば幸福なのに、そこから去り、その人たちと会話することができなくなった途端、郷愁に駆られ、心に隙間風が吹くのだ。
去年旅したある島々では、私の中に今までなかった感情をもたらしてくれる人々がいた。どんなに私がへなちょこでも、駄目な姿を見せても、遠いところから来たというだけで、ずっと見捨てなかった。諦めないで、きちんと私のことを理解しようとしてくれ、話を丁寧に聞いてくれたのだ。
都会の生活に馴れた私にとっては、一人のひとをこんなにもまるごと愛そうとしてくれる人たちがいること、それ自体がもう希望で、私がなりたかった自分像であったことも、都会に帰ってきてから思い出した。
心はまだ、あの島の風景や人々との会話、笑顔に引っ張られている。たまに連絡するその返事一つで、もし戻れたときに「待ってましたよ」と、迎えてくれるようなイメージが、まだ湧いているのだ。
はなればなれでも、きっと、どこかで元気に生きている。どんなに時間がかかっても、必ず会いに戻る。それが、これからの生きる支えであるから。

11/15/2024, 11:35:54 AM

私は実家で犬を代々飼っており、猫に馴染みがなかった。というか、苦手だったんだと思う。掴めない距離感、気ままな性格、難しい愛情表現。でもいつしか、自分とは全く別の、「違う生き方をしている生き物」として捉えるようになった。それから、距離を取るにも接してみようとするにも、少し気が楽になった。
周囲の友人に猫好きが多かったり、私自身、島へ旅に出ることが多く、次第に猫好きになってきた私。昨年出会ったのは、生まれて数週間と思われるほど小さい子猫で、私は(無責任にも)少しの間、世話を焼いてしまった。そのとき感じたのは、こちらが面倒を見ようとする気持ちは子猫には100パーセント伝わっていて、そしてそれを恩返ししようとしてくれる、という健気で優しさに溢れた生き物の姿だった。
私はあの子猫に教わったことを、自分の生き方の指標として、心に留めている。馬鹿な人間に、愛と優しさを教えてくれて、本当にありがとう。