「今日は自分の未来図を書いてみましょう」
小学校、中学校。
毎年冬をこした時期になると、総合の時間で未来予想図を書くように促される。
何を書こう。
小さい頃は大きな夢を胸に抱いて、目を輝かせて一生懸命に書いていた。
しかし、今はどうだろう。
少しづつ、その“未来”に近づいてきて、自分は何がしたいのか、何ができるのか、まるで泥沼にハマってしまっているかのように、分からなくなってきていた。
「自分が何に向いているのかを踏まえて」
そう言われても、何に向いているのかなど、自分では分からない。
中学に上がってからは、何も書けなくなっていた。
「子供らしいことでいいの。」
そう言ったのは、幼なじみの明香(アスカ)だった。
「無理に大人みたいな事を書かなくていいの。無理に現実味のある事を書く必要はないの。」
僕の心情を知ってか知らずか、彼女はつらつらと言の葉を紡ぐ。
「どうでもいいような…例えば、アイスを沢山食べたい、とかね。そんな日常のやりたいことでいいのよ。それを出せば、沢山お金が必要だなって分かったり、沢山時間が必要だなって分かったり。将来の自分に必要なものが見えてくるでしょ。逆算していくのよ。自分に必要なものが分かったら、それを手に入れられる仕事を探せばいい。」
自分に必要なもの_
幼い頃、僕はプロの野球選手を夢見ていた。
いつか僕もあんな風にボールを打つんだと、練習もしていないのに勝手に妄想していた。
今からでも、遅くはないのだろうか。
たとえそれを叶えられなくても、認めてもらえるだろうか。
否、彼女なら、きっと認めてくれる。
勝ち組、負け組。そんなものどうだっていい。自分がやりたい事をやりたいままに出来たら、それだけで皆勝ち組なのだから。
僕は強い光を胸に、屋上の扉のドアノブに手をかけた。
_後日
“僕たち私たちの「未来予想図」”と書かれた紙には、『プロ野球選手』と大きく示されていた。
(お題無視“未来図”)
花を見るとフラッシュバックする記憶がある。
蝉の声。
踏切の音。
微かに香る血の匂い。
人々と電車の悲鳴。
視界の隅に映るカーテンのようなスカート。
そして…線路の脇に咲くひなげし。
私の女友達…、いや、恋人があちらへ飛んだ瞬間だった。
過呼吸が止まらない。
動悸も収まらない。
あれから1年。夏の季節になり、よくひなげしを見るようになってからは特にパニック発作のようなものがよく起こる。
何をしていても、彼女が死ぬ直前、
私の手を取り囁いた言葉が頭から離れない。
“君はともだち。”
…確か、そんな歌詞を綴った曲があったよな。
今更ながらそんなことを思い出し、調べる。
…レイ。あぁ、どうして。
曲名には彼女の名前が入っており、歌詞には彼女が遺したあの言葉が。
取り憑く必要なんてない。
君がいない世界など、もはやどうでも良いのだ。
大丈夫、私ももうすぐ行くよ。
君へのいじめや差別を見ないふりしてきた責任を抱えて。
遅くなってごめんねレイ。
今私も行くから__。
繰り返す
彼女を失った女の子。
彼女に恋をしていた少年。
美しい世界で___透き通った、世界で。
また、君を愛せたなら_______
(“フラワー”
︎︎この作品は、私の実体験を元に創られたものです。)
曇りの日は嫌い。
あの日を思い出すから。
家族を失ってから知った、幸せ。
あの当たり前が幸せだったと、やっと理解した。
愛するものがある幸せ。
僕はもう、理解したくない。
Bye-bye, my love.
Bye-bye, my toy.
Bye-bye, my body.
(“bye bye…”)
保育園生の時
「すいーつやさんになる!」
小学生(低学年)の時
「キャンディやさんになる!」
小学生(高学年)の時
「小説家になる!」
中学生の時
「副業でも、小説家になれたらいいな。」
高校生の時
「安定した職に就きたいです。」
大学生
「楽して生きたい。」
現在
「この現実から逃げたい。」
(“叶わぬ夢”~夢の移り変わり~)