鐘の音
夕闇迫るころ。
街に鳴り響く鐘の音。
いつもの日没を告げるのとは違う、
寂し気で酷く悲し気な響き。
俺は察した。
この町の誰かが、
天に旅立ったのだ、と。
同じ町に住んでいるだけの人の、
訃報を知らせる鐘の音が、
真っ赤な夕日と相まって、
俺を物悲しくさせた。
鐘の音が、聞こえる。
この町の鐘の音は、
こんなに悲しい音色だったとは。
いつも時刻を告げる、
どこか真面目な鐘の音とは違う、
人の血が通った鐘の音。
俺は家へと向かう足を速めた。
あいつに…。
早く、会いたい。
いつもと変わらない、あいつの、
「おかえり」
の声が、聴きたいんだ。
つまらないことでも
ボクは正直、勉強は苦手。
だって、つまらないんだもん。
Sin60°が幾つだって、
ローマ帝国を滅ぼしたのが誰だって、
カリウムの炎色反応が何色だって、
『いまそかり』が何活用だって、
ボクの人生、なんにも変わらないし。
知らなくても困らないし。
『一般教養』とか言って。
社会人にもなって、研修とかで、
色々勉強させられるの、マジでウザい。
なのに、隣に座るお前は。
受験生でも学生でもないのに。
どうして、そんなに真剣に勉強するんだろ?
どんなにつまらないことでも、
何時も真剣なお前。
ボクは、勉強するより、
いっそ、お前の横顔を見てるほうが、
楽しいかも知れない。
あれ?不思議だな…。
お前と一緒なら、
どんなにつまらないことでも、
ちょっとだけ、楽しい気がする。
目が覚めるまでに
貴方の瞳が私を見つめて。
私の口唇が愛の言葉を紡ぎ。
貴方は私をそって抱き寄せ。
私は心の中で、呟きます。
『御免なさい』
夜の帳が下りている間。
それが私と貴方に許された時間。
誰にも知られる訳にはいかない、
酷く不道徳な、束の間の逢瀬。
私の左手の薬指に嵌められた指輪。
だけど。
幸せな時間は、ほんの僅かで。
貴方は夜のうちに私の部屋を出て、
自分の住処へと戻っていきます。
私は貴方が立ち去る気配に、
チクリとする胸の痛みに、
気付かない振りをして、
私は独り、朝を迎えるのです。
貴方はきっと、
昨夜の出来事なんか、
何も無かったかのように、
平穏な朝を迎えるのでしょう。
そう。
皆の目が覚めるまでに。
夜の闇の中、私と貴方の間で、
密やかに交わされた愛の言葉は、
幻と消えていくのです。
病室
目が覚めたら、病室だった。
どうにも寝心地の悪いベッド。
飾り気の全くない内装。
消毒液が微かに匂う室内。
そして。
花瓶に生けられた、
不釣り合いな程鮮やかな花々。
手を動かしてみる。
邪魔な管が纏わりつく。
管が繋がれた手の甲が、
ズキリと痛むのは、
点滴の所為だろうか。
身体を動かしてみる。
まるで鎧でも着込んだかのように、
全身が馬鹿みたいに重たい。
身体を起こすのさえ、
ままならない。
ベッドの脇に飾られた、
悲しい程に綺麗な花々を眺める。
こんな状況の、こんな病室の、
唯一の、希望だ。
…だが、悪いな。
俺は心の中で謝る。
花瓶の水を変えてやる事さえ、
今の俺には、難しいらしい。
明日、もし晴れたら
今日も良い天気だった。
キラキラした陽の光が、
今の俺には、酷く眩しくて。
空はこんなに晴れてるのに、
俺の心は…ずっと土砂降り。
憧れの先輩に、
恋人がいるって、
知っちゃったから。
先輩は、俺なんかに、
手が届く存在じゃないって、
最初から分かってたけど。
それでも、やっぱり落ち込んじゃって。
溜息ばかり量産してる。
そうだ。
明日、もし晴れたら。
一人で街に出掛けよう。
ずっと気になってた本を買って、
お気に入りのカフェに行って、
テラス席に座って。
大好きなフルーツのタルトと、
カフェラテを頼んで。
それっぽく読書しちゃおう。
きっと。
少しだけ、前向きな気分になれる筈。